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11 9月

天の領域への道     ポール•キース•デイビス         2017年9月11日


 

天の領域への道

ポール•キース•デイビス(ホワイトド—ブ・ミニストリーズ)

カリフォルニアの私の友人がある時、メキシコで宣教活動をしているデイビッド・ホーガン師に2週間ほど会いに行きました。ホーガン師は死者のよみがえり等の偉大な奇蹟で有名な宣教師です。素晴らしい礼拝の後、ホーガン氏が「あなたの教会でフローターが出た時はどうしますか?」と友人に聞いたそうです。友人は「フローター(floater))という言葉を初めて聞いたので、「それは何ですか?意味がわかりませんが、、」と訊ねました。師は「フローターですよ、ワーシップの途中で霊に満たされて空中に浮いて行く人です。
私たちはそういう人の足にはロープをつけておきます。」と言ったそうです!

私はワーシップをしていて宙に浮いたことはありませんが、ホーガン師の言葉を信じます。これは主を賛美している時に起こることですから、よいことなのです。でも皆さんは悪霊の力でそのようなことが起こることは聞いたことがあると思います。彼らは不法な方法で霊的領域に入って行きますが、私たちには合法的な神の方法で霊の領域に入っていく道が備えられているのです。

霊的な領域はリアルです。今も魔術師たちが私たちを霊的に攻撃していることを知っています。私は霊の目で彼らが霊的領域に侵入してくるのを見たことがあります。彼らが不法にしていることを、どうして私たちはすることができないのでしょうか。盗人や強盗が入りこんでいる場所(霊的領域)になぜ、私たちは私たちのために備えられている門、御ことばで約束されている門を通って入ることができないのでしょうか。

ヨハネ10:7−9
そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。わたしの前に来た者はみな、盗人であり強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」

もしイエスという門を通って行かないならば、それは不法侵入です。あるカルトに入っていて人が救われました。彼はカルトにいたときに、霊的領域に不法に入る方法を学んでいました。彼は「私はカルトで習得した霊的領域に入る方法を“清めて”クリスチャンとして使おうと思います。」と言いました。しかし主は私に「清めることができない霊的なものがあります。それは滅ぼすしかありません。」と言われました。あなたがボーンアゲインしたとき、不法な霊的能力はすべて滅ぼさねばなりません。それから解放されねばならないのです。

非常に有名な牧師の息子が霊的領域に入るために、あるカルトの人から不法な道を学びました。彼はそこに入ったのですが、第二の天で悪霊どもに捕縛されたのです。彼はほとんど気が狂い、酷い行状となりました。
ある時、車の渋滞に巻き込まれたとき、クリスチャンであるにも拘わらず彼はひどく腹を立ててライフルを持ち出して前の車の運転手を打ち殺そうとしたのです。ボブ・ジョーンズ師と私はその時居合わせたので、ジョーンズ師が彼を悪霊から解放することができました。牧師の息子はクリスチャンでしたが、不法に霊的領域に入りこんだので、悪霊に捕えられ正気を失ったのです。ですから霊的領域に行くには、主イエスを通してでなければなりません。

創世記28:16、17
ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられたのに、私はそれを知らなかった。」と言った。彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」

ヤコブはイサクから祝福を受け、この天の門がその祝福の入口でした。私たちにも霊的祝福への入口の門が備えられているのです。霊で満たされたボーンアゲイン・クリスチャンならば、すべての者は、レベルの差こそあれ、霊的領域に入ることができるのです。天使を毎日見るわけではないかもしれません。しかし御ことばに従ってあなたが自分に与えられている祝福を信じるならば、霊的領域に入る姿勢を意識的に取ることができます。エペソ2:6に「あなたはイエス・キリストと共に天の所に座っている」とある通りです。

出エジプト25−27章には、神から示されたモーセの幕屋の構造が明らかにされていますが、そこには幕屋の庭の門(gate)、聖所に入る入口(door)、至聖所の前の垂れ幕(veil)のことが書かれています。あなたはイエスという門から救いに入ります。そして入口(イエス)を通って聖所に入り、垂れ幕(イエス)を通って至聖所に入るのです。イエスはヨハネ14:6で「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみことに来ることはありません。」と言われました。これはイエスが「道=外庭の門」であり、「真理=聖所の入口」であり、「いのち=至聖所の垂れ幕」であるということであり、ユダヤ人ならば皆すぐに理解できることです。

出エジプト27:16
庭の門(gate)には、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を使った長さ二十キュピトの刺繍した幕と、その四本の柱、その四個の台座とする。

出エジプト26:36
天幕の入口(door)のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、刺繍をした幕を作る。

出エジプト26:31、33
青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕(veil)を作る。..その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。

門、入口、垂れ幕は、そこに入るならば、それぞれのレベルでの主との交わりと霊的成熟があります。私たちは門に入って救いを受けます。そこには祭壇と洗盤があります。イエスの血潮の贖いの道以外に救いはありません。まずそこを通らずには先には進めません。多くの人はその外庭で生きるだけで満足してしましますが、私は違います。皆さんはどうですか?

私たちは何かに促されて聖所の入口に入るのです。そこには供えのパンの机と燭台と香壇があります。私たちは聖霊によって御ことばを読み、間違った教義というパン種を取り除くことなしには、垂れ幕の中には入れません。今主は私たちの心からパン種を取り除いておられます。人の考えは聞こえはいいかもしれませんが、神の考えとは違うのです。もし垂れ幕の中の霊的領域に入りたいならば、御ことばに餓え渇かねばなりません。毎日聖書を開き、「主よ、これはどう言う意味でしょうか?」と訊ねるのです。頭の学びではなく、燭台の七つの霊に聞くのです。聖書を開くとき、私は最早自分の意見を捨てます。ただ啓示を待ち望みます。その時、歴史の中で教会の入ってきた様々なパン種が取り除かれていきます。

御ことばの土台なしに霊的領域に入るならば、私たちは霊の中で迷ってしまいまうす。垂れ幕のうちは真理の御ことばと御霊とが一体となる所です。

ヨハネ15章にはクリスチャンの成熟の3段階が書かれています。即ち「弟子(8節)」「しもべ(15節)「友(14節)」です。外庭、聖所、至聖所です。弟子とは教えを受ける者です。しもべになると仕え始めます。そして次に友となります。モーセは友のように神と語りました。アブラハムは神の友と呼ばれました。そして友となった者にイエスは「父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせる(15節)」と言われます。それは即ち、天の領域を見ることができ、天の領域への道が分かるとうことです。

天の領域に行くことは、何か神秘的なことではありません。御ことばに土台があるのです。イエスはことばです。正しい御ことばの理解なしに、あなたはイエスを理解することはできません。あなたが何を信じているかが重要なのです。神がすでに言われたこと、されたことを正しく理解し信じることなしに、神の御業を期待することはできず、霊的領域に入ることもできません。

1992年、朝起きたときに私は肉の耳ではっきりとある声を聞きました。「ノアの時代に不法に入りこんだものが、合法的に御国の子らにくる」という言葉でした。大洪水の前に人類が不法に得た知識、啓示(そのために神は洪水で人類を滅ぼす必要があった)を、今度は神が合法的に御国の子たちに与えられると言われました。天の霊的領域に行く道を与えてくださるのです。それによって私たちは光、音、色を理解することができるようになります。人々は天の領域から知識を持ち帰ります。それは不法ではなく、神が人類に豊かに与えてくださる知識であり、人々はそれによって新しい技術や発明、発見をします。

私たちの世代は今までのどの世代よりも最も天の領域に行く道が大きく開かれているのです。今から7年の間に多くの成熟したクリスチャンが天に行き、そこで見聞きし学んだことを、地に持ち帰るのを私たちは見るでしょう。(終り)

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