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31 7月

世界宣教と祈りのムーブメント マイク・ビクル(IHOPカンサス)   2017年7月31日


世界宣教と祈りのムーブメント

 

マイク・ビクル(IHOPカンサス)

 

現在世界には何千という宣教団体がありますが、その中でも10の団体は、非常に大きく、5000人以上の宣教師を遣わしているものもあります。この10の宣教団体を中心とする多くの団体のリーダー達は、定期的に会合を持っています。世界的規模の彼らの宣教活動はめざましいものがあります。

その中でも特に大規模なものが2つあります。YWAMと言われるYouth With A Missionは50年以上の歴史がありますが、現時点で2万5千人の働き人を世界中に遣わしています。リーダーであるローレン・カニングハム師は、60年ほど前にこの働きを自宅で始めました。もう一つはCru (2011年にCampus Crusade for Christから改名)で、2万人の働き人がいます。

幸いなことに私は、このようなリーダーたちが集まる会合に出席する機会を与えられてきましたが、そこで彼らの抱いている思いを聞くことができました。彼らは、世界で起こっている祈りのムーブメントとコネクトしたいという強い願いを持っています。今世界で祈りのムーブメントが爆発的に起こっていますが、個々の祈りのグループは、世界で今何が起こっているかという全体像を掴んでいないことが多いのです。1985年に世界にあった24/7の祈りのグループは25くらいでした。(勿論目標は皆が24/7をすることではありません。目標は教会に祈りのカルチャーを養うことです。ただ24/7のグループの数は祈りのムーブメントの一つのバロメーターとなります。)25もある、ということで当時私は励まされたものです。ところが現在2017年には、信じられないと思いますが、2万5千もの24/7の祈りの家があり、そのほとんどはここ10年の間に始まっているのです。著しい祈りのムーブメントが今世界中で起こっています!

アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの祈りのリーダーたちの間に親しい交わりがあり、多くの素晴らしい証しが生まれています。このムーブメントを動かしている情熱、熱意はものすごいものがあります。

宣教のリーダーと祈りのリーダーは、この2年間で、多くの点で深いつながりを持つようになりました。両者の目標は、世界の教会にリバイバルが起こることであり、教会が祈りのカルチャーの中で機能することです。両者共に個々の地域教会で神がしておられることを助ける役目を担っているのです。

イエスはマタイ24:14で「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終りの日がきます。」と言われ、「全世界に福音が伝えられること」と「主の再臨」とを結びつけておられます。これは私たちがよく知っている聖書箇所です。全ての世界(nations)というギリシャ語は、エスノスです。これはエセニック(民族、種族)の語源であり、即ち「福音はすべての民族に宣べ伝えられねばならない」とイエスは言われたのです。そしてそれが達成されたとき時、再臨が起こるのです。ある人たちは、「再臨はすぐにでも起こりえる」と言いますが、そうではありません。

世界には200くらいの国家がありますが、一つの国家には複数の民族が存在しており、世界の全体数は一万二千くらいと言われています。宣教のリーダーたちは過去20年間、まだ福音が届けられていないすべての民族を調査し、捜し出して、非常に戦略的にそれらの民族に対する宣教を繰り広げてきました。そしてその結果、現在世界でまだ福音が届いていない民族は600から700くらいになりました。そして大小の宣教団体は協力して、計画と戦略をもって、福音がすべての民族に届くように働いています。そして彼らは「2020年までには、歴史上初めて、すべての民族の中に福音を宣べ伝える者が立つ」と大胆に宣言しています。

私も宣教のリーダーたちと交わりを持つまでは、このようにめざましいことが起こっていることを知りませんでした。彼らの持つ世界民族に関する調査、資料、計画、戦略、資金計画等々は綿密であり、本気でこれに取り組んでいることが分かります。

又、世界には7千の言語があります。ウイクリフは最大の聖書翻訳の機関です。彼らはその言語が話されている地域に実際に人を送り込み、その言語を学び、そして聖書をその言語に翻訳するという地道な働きをしています。彼らは2025年までには、少なくとも聖書の一部分(例えば、ルカの福音書だけ)はすべて7千の言語に翻訳できると言っています。

今何かが起こっているのです! 福音がすみずみまで浸透しているということではありませんが、すべての民族に入り始めたのです。

歴史上はじめて、この3つのことが起こったのです。つまり、福音がすべての国々に伝えられようとし、聖書がすべての言語に翻訳されつつあり、祈りの集会が爆発的に世界中に広がっているのです。これらはこの15年から20年の間に起こっていて、明らかに今の時代のしるしとなっています。自分たちのしていることだけではなく、視野を世界に広げてみると、主が霊的リーダーたちを奮い立たせていることがわかります。

 

主の再臨の前に、教会は最も偉大な収穫の時期を迎えます。多くの人が一億の魂が救われると言っています。私はそれがすでに始まっていると思いますが、それがますます進展するためには、祈りのムーブメントが必要です。私が「祈りのムーブメント」というときは、「ワーシップ」も含みます。というのは天の御座の前では両方行われているからです。祈りによって私たちは主が約束されたことを告白、宣言します。そしてワーシップによって主の偉大さ、主がどのようなお方であるかを誉め称えるのです。共に神の御前へと立ち上るかぐわしい香りとなります。祈りとワーシップの割合は、個々のグループがそれぞれに決めればいいのです。人びとが一致して祈りワーシップをすることを神は受け取ってくださいます。

ルカ18:7、8「まして神は、夜昼神を叫び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

 

今主は、世界中の町で夜昼叫び求める祈りを起こしておられます。それは24/7の祈りの家がその町に一つあるという意味ではなく、その町にあるすべての教会の祈りがすべて合わさってそれが24/7の祈りになるということです。神はすべての情報を把握しておられます。ある家では夜中の2時におばあさんが祈っている、ある教会では朝10時に祈っているとかを神はすべてご存知です。

 

イエスはこの箇所で、「夜昼の祈り」と「神のさばき(justice)」を関連づけておられます。さばき(justice)とは、「神が間違っていることを正しくしてくださる」ことだと思います。例えば人に不信仰があるならば、それが正されて信じて救われることです。病気があるならば、それが癒されることです。壊れた関係があるなら、和解することです。さばきとは、神が御力もって介入され、間違ったことを正しくされることです。

イエスは社会改革者であり「夜昼の祈り」と「神のさばき」とを関連づけた最初の方です。それは主が不正、不義の真の原因は、霊的なものであることを知っておられたからです。私たちは物事の外面的な面を見てそれに対処しようとします。それは大切なことですが、真の解決はその問題の根である霊的問題に対処することなしにはありません。ある町から夜昼の祈りが立ち上るとき、その町に霊的シフトが起り、神の義が表れてくるとイエスは言われたのです。それは神の約束と神の栄光を信じる者たちが一致して祈りワーシップすることによって起ります。

 

ダニエル10章は、祈りの舞台裏で何が起こるかを見せてくれる箇所です。ダニエルが祈ったとき、ミカエルが悪の勢力と戦ってくれたのです。私たちは「神よ、あなたは全能で、すべてを治めておられる方ですから、どうか一番よいことをお好きな時になさってください。」と神にすべてお任せしたい気がします。しかし神は「確かにわたしはすべてを治めるものである。しかしわたしは人間とのパートナーシップでしか事を行わない。人びとが一致して祈りワーシップするとき、わたしは聖霊の働きを増し加え、天使たちをもっと遣わして、悪霊の勢力を抑える。」と言われます。その時、その町に霊的なシフトが起こるのです。

今、アメリカで、またヨーロッパやアジアで祈りが絶え間なく捧げられ、さらに増大して行っています。それによってその地の霊的環境がシフトし、伝道の働きがもっと進んでいきます。同じ弱々しい説教者が同じ弱々しい説教をしても、霊的空気が変えられていると、今までよりも何倍もの人が救われてくるのです。

イエスは「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」という興味ある質問をされています。これはよく「終りの時代には人びとの信仰が冷えて、背信がおこる。その時、まだ信仰を持ち続ける人がいるだろうか。」というように解釈されていますが、私はそれはこの文脈の中では間違った解釈だと思います。

主が戻られる世代には、反キリストの勢力が世界で大きくなっています。歴史上、もっとも不正がまかり通っている時代です。邪悪な支配が世界中に手を伸ばしているのです。不正、不義が最高潮に達したとき、人びとはそれを野放しにせずに、「わたしのことばに従い、即ち夜昼の祈りによってわたしがさばきをするように願うだろうか。」という意味だと私は考えます。黙示録やイザヤ書を初め多く預言書には、終りの日の祈りのムーブメントに関して非常に多く書かれています。それは私にとっても大きな励ましとなっています。私は言います。「はい、イエス様、あなたが帰ってこられるとき、地上の不義、不正を放置しないで、あなたに従い、夜昼の祈りによって戦う多くの人びとをあなたは見られることでしょう。」と。

人びとが「これから世の中は良くなるのですか、それとも悪くなるのですか?」と訊くとき、私は「両方です。」と答えます。暗やみが深くなるほど、光は明るく輝きます。よい麦と毒麦は最後まで一緒に大きくなり成熟していきます。

 

YWAMの創立者であるカニングハム師は、彼らの宣教の働きのために「百万人のとりなし手を与える」という神の約束を頂いていることを話してくれました。そこで私たちIHOPは全世界の祈りの家に呼びかけて、YWAMの働きを祈りで覆うことに決めました。ですから皆さんも是非この働きに参加していただきたいと思います。

ヨハネは黙示録4、5章から、神が望まれるワーシップに関して3つのことが言えると思います。

1.それは絶え間ないものである

2.それは音楽的なものである

3.それは神を中心としたものである

3.の意味は、ある祈り会では、神よりもサタンに焦点を当てているからです。私たちはサタンがしている事や、サタンを叱責することに焦点を当てて時間を割くのではなく、神に焦点を当てねばなりません。御座の周りで起こっているのはそういうものです。イエスの麗しさや神の尊厳、力、栄光に焦点を当てています。

2.音楽は絶対に必要だ、という訳ではありませんが、あるとダイナミックになります。私たちは音楽なしの祈り会を15年ほどしましたが、IHOPが始まって油注がれたミュージシャンのワーシップが加えられたとき、非常に楽に祈れるようになりました。

神は牢獄の呻きに答えてくださる方であり、神を動かすのに音楽は必要ではありませんが、私たちの心が音楽によって触れられ動かされると祈りやすくなります。以前は祈りに行くときは少し気が重かったのですが、今は、歌い手やミュージシャンのワーシップによって非常に楽しみな時となっています。

どこでもそうだと思いますが、音が大きすぎる、小さすぎるとか、祈りの時間が短すぎる、長過ぎる、ワーシップが長過ぎる、短すぎるというような議論がIHOPでもいつも起ります。私は60歳を過ぎているので、いつも耳栓をポケットに入れています。早朝で疲れている時などは祈りの家で耳栓をしています。若者たちは大きな音が好きなのです。少し静かな音楽になった時は、少し耳栓を緩めます。自分のサウンドシステムを持っているようなものです。私は音が大きすぎると言って不平をいう年配の人たちに言うのです。「若者たちがここにエネルギーを与えてくれています。彼らは大きな音が好きなのです。どうか1ドルで耳栓を買ってください。そうすればあなたもハッピーですよ。」と。

神は3千年前ダビデ王に、御座のまわりで行われている祈りと賛美のインスピレーションを与えました。これはすごいことですが、ダビデは特別に契約の箱(神の御座の象徴)のためにミュージシャンと歌い手を4千人任命しました。(1歴代誌23:5)今までそのような伝統はイスラエルにはなく、神が天の御座で行われていることをダビデに示されたのです。

勿論ダビデは音楽が好きでしたが、それが理由ではなく、神ご自身が音楽を愛されているのです。アメリカでも政府がそのように礼拝を捧げる任務の部署をつくることを私は夢見ています。

2歴代誌29:25にダビデから300年後のヒゼキヤ王に関する記述があります。「さらに、彼は、ダビデおよび王の先見者ガド、預言者ナタンの命令とおりに、レビ人にシンバルと十弦の琴と立琴を持たせて、主の宮に立たせた。この命令は主から出たものであり、その預言者たちを通して与えられたものだからである。」

当時イスラエルの国勢は衰え、敵に取り囲まれていました。ヒゼキヤ王はイスラエルの歴史を研究し、神がダビデに示されたと同じことをすることを決意したのでした。

イエスは「天にあるごとく、地にもあるように」と祈るように教えられました。これは勿論、多くのことに当てはまりますが、その一つとして、私は「天の礼拝が地でも行われますように。地の礼拝が天の礼拝のようでありますように」と祈るのです。勿論スケールは違うでしょう。けれども聖霊の助けにより、ほんの少しでも天の礼拝を映し出す礼拝が地でも行われることを信じています。

神が今、多くの都市、町にそのような召しを与えておられると私は思います。神はミュージシャンや歌い手の中に情熱を与えられ、経済も支えられて、このムーブメントを進めておられることを私は見ることができます。

ダビデ以後、イスラエルが回復され祝福された時が7回ありました。そのすべての時において、ダビデが神から受けとった命令にしたがって神に叫び求める音楽と礼拝が捧げられたのです。それは決して偶然ではありません。皆さんの国や町が回復されるように、それぞれの場所で主に叫び求め続けようではありませんか。(終り)


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