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19 6月

キャサリン・クーマンの夢  ポール・キース・デイビス     2017年6月19日


キャサリン・クーマンの夢


ポール•キース•デイビス(ホワイトドーブ・ミニストリーズ)

 


先週末に見た夢の話をしたいと思います。多くの場合、私が朝、目を覚ます直前に見る夢は、目的とメッセージを持っているようです。その夢はキャサリン・クーマンの夢でした。キャサリーンはご存知のように癒しや預言で大きく用いられた器ですが、私は彼女のミニストリーによって長年、沢山の事を学ぶことができました。夢の中で、彼女は一人で話していましたが、2つの要点がありました。それをお分ちしたいと思いますが、その前に少し説明をさせてください。
4年ほど前のことですが、いつものように私は静かに主を待ち望んでおりました。自分の魂を静めて、聖霊に耳を傾けていたとき、ある声を聞きました。「今あなたが信じていること、重要だと思うこと、あなたという人間の形成に最も影響を与えたミニストリーは何ですか?」という問いでした。答えはすぐに私の頭に浮かびました。「ウイリアム・ブラナム、アレクサンダー・ダウイー、キャサリン・クーマン、マライア・ウッドワース・エタ、ジョン・G・レイク、A・A・アレン」と私は6人の名前を挙げました。するとその声は「彼らの名前には何文字ありますか?」と聞きました。
私はそんなことは考えたことも無かったのですが、一つひとつ数え始めました。「William Branham...14文字。Alexander
Dowie...14文字です。Kathryn Kuhiman...これも14文字」私はこれは面白いと思い始めました。次はMaria
Woodworth Ettaの番でしたが、私は「これはいくら何でも長過ぎる」と思ったのですが、私の内の声が「わたしが彼女を召したとき、彼女はまだMaria Woodworthでした。」と言ったのです。するとそれは14文字であり、私はショックを受けました。次はJohn G.Lakeでしたが、Gが何の頭文字かを知らなかったので調べたところ、Grahamであることがわかりました。John Graham Lakeもやはり14文字でした。最後のA. A. Allenも調べてみると、Asa Alonso Allenであることが分かり、これもまた14文字だったのです!

彼らの名はすべて14のアルファベットからできていることが分かったのですが、これは私にとってとても意味深いことでした。(これについてはまたいつかお話したいと思いますが、例えば使徒パウロのミニストリーは14という数にとても関連していると思います。)とにかくこの事実は私が今まで考えもしなかったことであり、驚きでした。
この6人はそれぞれが神の御性質の一つの面を表していると思いますが、それは私にとって特別に興味深いことであり、神は私の信仰が形成される過程で彼らを用いられ、終末の時代に何を語るべきかを示してくださったのだと思います。

さて、キャサリン・クーマンから夢で語られたことの第一は、祈りの生活に関してです。彼女について研究し始めたとき、彼女が「私のベストフレンドは聖霊です。」と言ったことばに私は衝撃を受けました。私はそれに関していろいろと学んだのですが、彼女は絶え間ない聖霊との交わりに中で生きていたということです。パウロは「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり(fellowship of the  Holy Spirit)があなたがたすべてとともにありますように。」(2コリント13:13)と言っていますが、彼女は実際にそのような聖霊との絶えざる交わりの中で生きていたのです。それは一体どのようなことなのでしょうか。
ある時彼女は「癒しの大集会の前にあなたはどのくらい祈るのですか?」という質問を受けました。人々は、そのような集会の前には彼女はきっとどこかに閉じこもって2、3時間くらい異言で激しく祈って油注ぎを求めるのではないかと、想像したのでしょう。けれども彼女の答えは「いつも以上に祈るということはありません。」というものでした。それは祈りの力を信じないからではなく、彼女が絶え間ない聖霊との親しい交わりの中にいたからなのです。オクラホマ州タルサの集会の後で、オーラル・ロバーツ師が彼女のところに来て、「集会で力を出しきってお疲れでしたら、外に食事に行かなくてもいいですが...」と言うと、「大丈夫です。私はこのような油注ぎの中でいつも暮らしていますから。」と答えたそうです。

絶え間ない聖霊の臨在の中で生きている人がいるのだという事実は、私に衝撃を与えました。イエスはそのように生きておられました。そしてそれが私たちのお手本です。御霊が鳩のように天からくだって、この方の上にとどまられるのを私は見ました。」とバプテスマのヨハネは証言しています。(ヨハネ1:32)

少し前に主はご自分の祈りの生活についての私の理解を正してくださいました。人間的な考えから、私は次のように思っていました。「主は一日中、多くの病人を癒し、教え、説教し、悪霊を追い出して長時間ミニストリーをした後で、『主は夜通し祈られた』と聖書に書いてある。なんという献身であろうか。」と。しかし主が言われました。「あなたはわたしの祈りの生活について大きな誤解をしています。御父のもとに行き、祈ることはわたしにとって労働ではなく、報酬なのです。わたしはその時を一日中待ち望んでいるのです。」と。そして私は短い幻を見せられました。それは主が弟子たちから離れて荒野に出て行かれ、御父の臨在の中でご自分を解き放たれている姿でした。それは確かに「祈り」でしたが、又同時に交わりであり、臨在の中での豊かで親しい語り合いでした。リフレッシュの時であり、イエスの肉体が回復される時でした。又、御父との交わりの中で豊かな啓示が与えられる時でした。

私の祈りの生活とは、労働や責任ではなく、喜びであり、生き方そのものであり、絶えざる聖霊との交わりの中で一日を過ごすことだとわかりました。勿論私がそこに到達したわけではありませんが、目標はそこにあります。私がキャサリン・クーマンの生き方から学んだことの一つは、彼女がそのような主にある生き方を発見し会得していたということです。彼女はそのような主との絶えざる交わりという祈りの生活を求めるようにと、夢を通して私を励ましてくれたのです。主からのそのような招きが私たちすべてに今与えられていると信じます。

さて、夢の二つ目のポイントですが、彼女は特有の大きな身振りで力を込めて「あなたは御ことばを食べねばなりません!それからそれを口から吐き出すのです!」と言いました。その瞬間、私は目を覚ましました。彼女が言った意味を私は知っていました。黙示録10章で、ヨハネは巻き物を見せられて「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」と御使いに告げられました。ヨハネがそれに従ったとき、「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」と御使いは言いました。ここで言っているのは、あなたは何かを食べたならば、それは口に留まるのではなく、腹にまで入らねばならないということです。主はこれから時代、私たちが語ったり、説教したり、預言したりするときは、頭から言葉を出すのではなく、腹から出さねばならないと言っているのです。主が求めておられるのは、もっと沢山の「説教者」ではなく、「メッセンジャー」なのです。もっと多くの「説教」ではなく、「メッセ—ジ」を求めておられるのです。

夢の要点の#2は要点#1と密接に関係しています。あなたが#1の生活をするときに聖霊があなたのベストフレンドとなり、#2が可能となります。あなたはイエスの啓示を食べ、それは腹にまで入り、それが預言となりあなたの口から出るのです。あなたはすべての人に読まれる生きた書簡となります。
この2点は非常に重要であると私は信じます。私たちにとっての鍵であり土台です。来るべきことを悟ることができるのです。あなたの語ることは生きた言葉となります。油注ぎの中から生まれている言葉です。単に暗記した言葉とか、学んだ言葉ではなく、あなたの命の中から出てくる啓示の言葉です。「預言」をあらわすヘブル語には「吐き出す」という意味もあります。終末に関する神の奥義を、聖霊との絶えざる交わりの中で受け取り、それを吐き出すのです。これは皆さんのデスティニーでもあります。神の恵みにより私たちはそのように24/7過ごすことが可能です。
イエスが御父の臨在の中でご自分を解き放たれたように、私たちも神の臨在の中に生きるとき、変革されて行き、神の生ける言葉を預言するようになるのです。(終り)


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