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17 4月

家族の祭壇の回復   チェリル・サックス(ブリッジビルダーズ・インターナショナル)      2017年4月17日


家族の祭壇の回復

 

チェリル・サックス(ブリッジビルダーズ・インターナショナル)

 

1992年のアリゾナ州フィニックでのカンファレンスは、私も講師の一人でしたが、「リバイバルをもたらすために私たちは何をすればよいか」というのがテーマでした。私が話し終えて、ステージの後ろに立って主の導きを待っていたとき、主がはっきりと「家族の祭壇が回復される時、リバイバルがアメリカに来る」と語ってくださいました。それはあまりにもシンプルすぎる事だったので、私にはピンと来ませんでした。私は主にもう少し詳しく説明を求めました。その時、ある人がマイクの前に進んで私が今主から聞いた言葉をそのまま言ったのです。「主よ、どうかアメリカに家族の祭壇を回復してください。」私は非常に驚きました。そしてこれが本当にリバイバルの鍵であると確信したのです。

 

「祭壇」とはなんでしょうか? 旧約においては、人々は神を礼拝するために木や石で祭壇を築き、動物の生け贄をささげました。しかし私たちは最早生け贄は必要ではありません。私たちにとって祭壇とは、神を礼拝し賛美を捧げ、神と出会う場所です。ですから「家族の祭壇」とは、家族が共に集り、礼拝し、聖書を読み、祈る時を持つことです。

1800年代から1900代にかけて、アメリカでは毎晩家族が集まって共に主を礼拝し祈ることは普通に行われていました。彼らは互いのため、町のため、国のために祈ったのです。主の臨在が家庭の内に色濃くありました。今私たちが生かされている時代に、この習慣を取り戻すことは非常に大切です。私たちがこれから直面する厳しい時代に備えるために、「家族」は主からの特別の任務を与えられているのです。主は私たちに語り、力と勇気を与え、導いて家族が何をどのようにすれば良いのかを教えてくださり、困難の中でも勝利へと導いてくださいます。

 

神は家族に計画を持っておられます。リバイバルに関して考える時、私たちはリバイバルのために家族が持つ力を過小評価してしまっています。このカンファレンスでも私は「家族」という言葉を一度も口にしませんでしたし、他の講師からも聞きませんでした。しかし家族は神が定められた最初の制度であり、大切な任務を持っているのです。社会にある「七つの山」の一つである「家庭」は、人々が社会の各分野に出て行き影響力を持てるように調え備える場所です。

 

神は家族を回復させ、家族の中に住まわれ、ご自分の力が家族の中で現れるのを願っておられます。イザヤ56:7に「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」とありますが、普通この「家」とは教会のことだと解釈されています。しかし、教会に集っている人達が家族の祭壇を築いていなければ、どうして教会が祈りの家になれるでしょうか。「共に祈る家族はバラバラにならない。The family that prays together stay stogether.」という古い言葉は今も真理です。皆さんの「家族」がどのような形の家族であっても、神はそこに祭壇を築くようにと導いておられます。マタイ18:20に「ふたりでも三人でも、わたしに名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」とあります。私たちの家族の中に主がおられるのは何とすばらしいことでしょうか。家族が共に礼拝し祈るとき、主の臨在をお招きすることができるのです。

家族礼拝により私たちは子どもたちに祈りの大切さを教えることができます。夫婦が祈る姿を子どもが見ることは非常に重要です。これからの時代に子どもたちが直面する問題や誘惑は、私たちの想像を越えるものがあるでしょう。私たちは親として、或いは祖父母、叔母、叔父として、子どものために祈り、子どもと共に祈り、子どもにも祈ることを教えていかねばなりません。一人で住んでいる人も、家族のために、また教会の家族のために祈る祭壇を築けるのです。祈りの活動のために全国を飛び回っている人が、家族の祭壇を築くのを怠っていることがあります。これは敵の策略です。

 

家族の祭壇を築くには、まずみなが集りやすい時間を決めます。それは週に一度1時間でもいいし、毎日15分でもいいのですが、それをキチンと決めて皆で同意します。確かに家族はどこでもいつでも祈れますが、意図的に一定の時を設定することは非常に力があります。私の家族はそれをずっと実行してきましたが、娘が独立して夫婦だけになった時、なんとなくそれをおろそかにしていました。しかし最近また主に示されて、二人で祈るときを持ち始めました。聖書を読んだり、主から教えられたことをシェアしたり、キリスト教の本を一緒に読んだりもします。又、二人で黙って主に聞く時も持ちます。

主に聞くことは非常に大切です。コロラドの牧師がある時、「家族を皆車に乗せてすぐに家を出発しなさい。」と主が言われるのを聞いたので、それに従いました。彼らが家から3時間あまり運転したとき、激しい嵐がコロラドを襲い、彼らの家は押し流されたのです。家が建っていた土地も流されて、もう家を建て直すこともできませんでした。私は彼にそこを案内されたのですが、全く何も残っていませんでした。私が彼に「本当にお気の毒ですね。」と言うと、彼は「とんでもありません。主が語ってくださり、家族が助かりました。私は感謝しています。」と言いました。これからは、主の声を聞くことが生死にかかわる時代に入ると思います。

 

私の友人夫婦は毎週火曜日に子どもたちの家族を招いて一緒に夕食を食べ、その後で家族の祈りの時を持っています。彼らの義理の娘は医者ですが、ある時「私の患者に奇蹟的な癒しが起こるように。それによって彼らの心が神に向くように。」という祈りのリクエストを出しました。家族全員で祈った結果、奇蹟が起り始めたそうです。

家族の祭壇で子どもを祝福することができます。子どもたちが両親の祝福を受けるのはすばらしいことです。ウガンダである牧師が孤児たちのために祝福式をしたとき、子どもたちの列がいくら祈っても短くならないので、よく見てみると一度祝福してもらった子が何度もまた列に並んでいたそうです。それほどに彼らは祝福されることに飢え渇いていたのです。

祭壇はまた癒しの場でもあります。私は「自分の家庭は癒しなど必要のない完全な家庭にする!」と思っていました。私の父親はアルコール中毒者で、家の中には問題が耐えませんでした。夜ベッドに入ってから両親が口論をしているのをいつも聞いていました。ですから、「私は立派なクリスチャンと結婚して、子どもが絶対に両親の言い争いを聞かなくていいようにする」と決意したのです。ですが、残念ながらそういうわけにはいきませんでした。(笑)

 

私はアメリカ南部の出身で、問題があっても目をつぶって出来るだけ穏やかに暮らしたい性格です。しかし夫はボーンアゲインしたユダヤ人ですが、何でもズバズバとはっきりものを言う人です。ですから私たちはいつも口論し、時としてそれはかなり激しいものとなりました。ある時、主人と娘が不在の時、私は娘の部屋のベッドに座り、「主よ、娘に私たちの口論を聞かせたくなかったことをあなたはご存知です。」と言って泣き始めてしまいました。すると主は

「チェリル、完全な家庭などないのです。あなたの今までの間違いや破れを用いて子どもを教えることができるのですよ。あなたの娘が人生の問題にどのように対処すればよいかを教えることができます。」と語ってくださいました。私は「主よ、どのようにですか?」と尋ねました。そして私は主から癒しの方法を教えてもらったのです。

 

もし私たち夫婦が言い争いをしたときは、夫は私に対して「私はあなたの人生を傷つけました。どうか私が癒しの器となれるように助けてください。」と言って謝ります。私は彼を赦し、私も赦しを求めて彼に手をおいて祈ります。するとすぐに私たちの関係は修復されるのです。それまでは喧嘩の後は、二人ともそのままにしておいたので、娘は私たちが仲直りをしたかどうかもわかりませんでした。ですから娘は私たちの口論を聞いて心を痛め、傷つき、その後の私たちの関係がどうなっているかを心配しているわけです。ですから私たちは娘の部屋に行き、「私たちが昨夜口論をしているのを聞きましたね。でも私たちはお互いに謝って赦しあい、神も赦してくださいました。あなたを傷つけ不安にさせたと思いますから、あなたのためにも祈らせてください。」と言い、彼女に手をおいて神の癒しを祈りました。神はどのような家族でも癒してくださいます。

 

 

これからの時代は、信仰と祈りで生きることが必要ですが、家族の祭壇において

「神は必要を必ず満たしてくださる」という真理を学び体験していくことができます。天の通貨はドルではなく、信仰です。私たちは金銭ではなく信仰によって神からすべてのものを与えていただく信仰を子どもたちに教えていかねばなりません。

私たち夫婦がミニストリーを始めた頃、食べ物を始めとしてすべて必要なお金は必ず神が与えてくださるという信仰で生活し始めました。ですから娘も私たちと同じように神にすべての必要を拠り頼む信仰を持たねばなりませんでした。例えば学費とかイースターのドレス、ミッション旅行の費用とかです。私たちが神に不可能はないことを教えていくことによって、娘は自分のデスティニーに必要な信仰を与えられ調えられていきました。娘は祈りの祭壇で経験した神の力を、友達にも教えはじめました。彼女は地域の教会のすべてのユースパスターに連絡をして700人ほどのユースを集め、祈りの会を開き、フィリピンの人身売買の犠牲になっている女性のために祈る働きもするようになりました。

 

また家族の祭壇で、主の守りを祈ることができます。家族の周りを主に囲んでいただくのです。私は詩編91編を家族のために祈りました。また、主は出エジプト12:13「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトを打つとき、あなたがたに滅びのわざわいは起こらない。」を示してくださいました。今私たちは霊的に自分の家(自分の結婚、子ども等々)の門柱とかもいにイエスの血を塗らねばなりません。

 

又、家族の祭壇は霊的戦いの場でもあります。ある牧師が「家族の断食 family

fast」について話してくれました。彼の家族で何か危機的なことが起こったときは「家族の断食」を何度もしたそうですが、その中の一つの例を彼は話してくれました。

彼の妹夫妻と二人の子どもはある街に住んでいたのですが、夫が職をなくしました。夫は仕事が見つらずにとても落ち込んでしまいました。そこで彼らはとにかく親戚のいる別の街に移ることに決め、妻と子どもだけが先に引っ越して、夫が来るのを待っていました。ところがいくら待っても夫は来ることはなく、電話もなかったのです。妻は二人の子どもを抱えてお金もなく途方にくれました。周りの人は「夫はあなたを捨てたのだから離婚をするように」勧めました。しかし牧師夫妻の家族全員は、皆で断食をすることにしたのです。牧師夫妻と妹、そして彼らのティーンエイジャーの子どもたち、祖父母、兄弟、姉妹、叔父、叔母、姪、甥、従兄弟など、全員が家族で断食をしました。

そして、その後しばらくして夫は戻ってきたのです。彼は違う女の人と関係を持ち、妻に戻るつもりはありませんでした。彼は自分のした事を非常に恥じていましたが、家族のもとに戻ってきたのです。すばらしいことに彼は夫として、又父親としての立派なお手本のような人になり、地域の子どもたちの野球のコーチとしても活躍したのです。壊されたかけた家族が全く変えられました。これは家族の断食に神が応答してくださったのだと信じます。

 

又、家族の祭壇は国のリバイバルのために祈る場所でもあります。アメリカの全家庭がリバイバルのために毎日祈るならば、どんな事が起こるだろうかと思います。神はきっとものすごいことをしてくださると信じます。そして又、どこかでリバイバルが始まるだけではなく、神は私たちをリバイバルのために用いてくださると思います。私たちの家庭が神の栄光の倉になるのです。私はアメリカ中の家の祭壇で火が燃えているヴィジョンを見ました。レビ記6:12に「祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。」とあります。また私は、家の祭壇の火が他の家の火と一つになるのを見ました。

 

私たちの家の祭壇でリバイバルの火を燃やし続けたとき、娘がその火を受けました。彼女は家が祈る子どもたちで満ちているヴィジョンを見たのですが、それが現実になり、学校の帰りや土曜日に大勢の子どもたちが家に来て、神に祈ったのです。ある日娘は「お母さん、私は百万人の子どもがワシントンDCで集会しているヴィジョンを見たのよ。」と言いました。しばらくしてからルー・イングル師と出会ったときに、彼が同じヴィジョンを持っていることが分かり、娘はそのために学生担当として働くことになったのです。そして2008年に「The Call D.C.」が実現しました。

 

しかし、このような家の祭壇を持たない子どもたちも沢山おります。私たち教会は一つの神の家族として、彼らのために教会に祭壇を築かねばなりません。そして彼らが信仰を確立し、自分のデスティニーにむかって調えられ進んでいけるようにせねばなりません。(終り)


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