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Walk With God Ministries

25 12月

相互依存の重要性   リック・ジョイナー               2016年12月25日  


MERRY CHRISTMAS AND HAPPY NEW YEAR

 

                            WALK WITH GOD MINISTRIES  一同

 

 

相互依存の重要性

 

リック・ジョイナー

 

 

第一コリント2:16「ところが、私たちには、キリストの心があるのです。But we have the mind of Christ.

 

ここでパウロは「私には」ではなく「私たちには」キリストの心があると言っていることに注目してください。一人の人がキリストの心のすべてを持っているのではなく、私たち一人ひとりが一部分づつ受けているのです。ですから主の完全な心を持つためには、私たちは一致をもって集まる必要があります。自分以外のキリストのからだの他の部分、即ち他の教会とどれ程深く交わりを持って結ばれているかによって、私たちがどれ程主から完全な教えや指導を受けられるかが決まるのです。「一致」は単なる理想ではなく、私たちが完全な真理を持ち神の完全な指導を受けたいならば、絶対に不可欠なものであり、イエスがヨハネ17:23で、主の民が「全うされて一つとなる perfected in unityように祈られた理由でもあります。

 

数年前に「自分が持つコディペンデンス(共依存)の関係を認識して、それから解放される必要性」についてよく語られました。共依存とは、ある人やある集団に不健全な形で結びつき、自分というものが他の人のアイデンティティーの中に飲み込まれてしまうことを指します。これは結婚相手、友人、上司、親、子、あるいはクラブや同好会等との関係で起ります。又、自分と教会との関係においても不健全な共依存になることがあります。カルトは普通、集団を通して自分のアイデンティティーを得ようとする共依存の人々で成り立っています。決断力と指導力のある支配的な者が、弱い共依存症の人々を惹き付けるのです。

 

共依存の傾向から私たちを解放するためには、自分が本当にどのような者であるかを知るために、自分が独立する期間を持たねばならないというポイントは正しいです。これは真理ですが、そこで終ってはいけません。最終ゴールは誰にも依存しない「独立」ではなく、「相互依存(inter-dependence)」です。実際、適切に正しく他の人々と関係を持つとき、初めて私たちは自分のアイデンティティーを知ることができるのです。

 

共依存は真の一致ではなく、強者が弱者を支配することです。私たちは各々、自分自身の賜物や召しを見つけ出し、自分という人間に、そして自分が召された任務に対して確信をもつために人生の一時期を過ごす必要があります。その時期を経て初めて真の一致が可能になるのです。一致とは人々が融合して個人的なアイデンティティーを失ってしまうことではありません。キリストのからだのユニークなすべての異なるパーツが互いに認め合い共に働くことで一つのユニットとして機能するのが真の一致です。

私の身体がうまく機能するためには、心臓が肺になろうとすることなどありえません。私の心臓が正しく機能するためには肺や腎臓、肝臓、血管が必要であり、心臓が心臓以外の器官になろうなどとは決して考えてはなりません。世界で最もすばらしい心臓を5つ持っていたとしても、少なくとも一つの健康な肺に繋がっていないならばみんな死んでしまいます。主はご自分のからだ、即ち教会を同じように構成されました。それは多くの異なるユニークなパーツから成り立つべきであり、それらのパーツは自分のアイデンティティーを知ると共に、全体の中での自分の位置も知っていなければなりません。

 

私は教会やカンファレンスで、キリストのからだの中における自分の召しやミニストリーを知っているかと質問してきました。大抵の場合、全体の5%くらいの人が「知っている」と答えました。一番多いときで20%くらいでした。もしあなたの身体が5%、よくても20%しか機能していなかったとしたら、あなたはうまく生きられるでしょうか。しかし、残念ながらこれがキリストのからだの現状です。私たちは確かに一致が必要ですが、まずからだのメンバーである一人ひとりが、からだの中での自分の場所と目的を見つけ出すプロセスを通る必要があります。

私は長年、キリストのからだには様々な異なる教派やムーブメントが必要であると主張してきました。キリストのからだのメンバー達(教派、ムーブメント)は自分のアイデンティティーが基本的に確立された「誰にも依存しないで独立している」という段階に留まり続け、そこからまだ卒業していません。確かに自分のアイデンティティーが確立されるまではそこに留まるべきですが、私たちはその段階に何世紀も留まっているのです。今は任務達成のためにキリストの身体の他の部分と相互依存することによってのみ見出せる究極の目標達成にむかって進んでいくべき時です。

 心臓は、自分は心臓であって肺ではないことを「知って」います。それは肺の位置を知っており肺と共に働くからです。私たちは「独立」の段階を経験しなければなりませんが、相互依存の関係の中にしっかりと確立されるまでは、自分が何でありどこが自分の場所であるかを100%知ることはできません。すべての真の新約のミニストリーは、一つのユニットとして一緒に機能する異なるパーツのチームで成り立っています。バルナバは出かけて行ってサウロ(後のパウロ)を捜さねばなりませんでした。そして二人が使徒として究極的な召しへと解き放たれるためには正しい場所(アンテオケ)に行かねばねりませんでした。同じように、私たちも自分の究極的目的へと解き放たれるためには、主にあって共に結び合わされるべき人々を探し出さねばならないのです。(終り)


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