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Walk With God Ministries

31 10月

召しと選び        パトリシア・キング          2016年10月31日


召しと選び

パトリシア・キング(XP Ministries)

 

多くのクリスチャンが「私が神から召されているかどうか、どうすればわかりますか?」とか「召しとは何でしょうか?」「何が私の召しなのかを、どうやって知ることができますか?」という質問をします。

 

マタイ22:14に「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。 For many are called, but few are chosen.」とあります。私は救われた当初、この意味がよくわかりませんでしたが、あるとき聖霊が教えてくださいました。それは「あなたがたすべてはそれぞれの働きへと召されているのです。しかしその召しを受け取ってそこに踏み出して行く者だけが選ばれるのです。」というものでした。

 

イエスから私たちへの最初の召しは、主ご自身への召しでした。十字架の上で私たちの罪を負ってくださったとき、イエスを救い主として信じて神の子となるようにと私たちを召してくださったのです。すべての者が神の子となるようにと招待されました。その招待に応答した者が神の子となったのです。ですからそれがあなたが受けた第一の召しであり、それを受け取ったあなたは「選ばれた息子、娘」となりました。

 

私がミニストリーに召されていると思い始めたのは、私の心に「主に仕えたい」という切なる願望が起こったからです。まず神は私をご自分の娘としてくださいましたが、私は主への愛に満たされて、ただただ主に仕えたいという思いで一杯になりました。私はそれが主からの「召し」かどうか知りませんでしたし、召しがどのようなものかも知りませんでしたが、ただ 主に仕えたいという思いで一杯になっていたのです。私は祈り、賛美し、人々に福音を語りました。教会ではどんな事でも、例えば椅子を並べたり、トイレ掃除などをしました。とにかく主のために働きたかったのです。振り返ってみると、それは神の愛が私に呼びかけていたのです。それはサムエルのように神の声を耳で聞いたわけではありませんでしたが、私の内に神の呼びかけを感じたのです。又、 クリスチャンに成り立ての頃ですが、「主の栄光がこの地に満ちるよう祈りなさい」という強い促しを感じたのを思い出しました。「主よ、私は出て行って、世界の国々にあなたの御ことばを告げ知らせる者になりたいです」と祈り、そのような歌を作ったこともありました。神の声を聞いたり、預言を受けたわけではありませんでしたが、私の心の奥底から涌き上がってくる切なる願望がありました。人々に神を知ってもらいといという熱烈な思いでした。あなたが自分の召しを分別する一つの方法は、あなたの心が何を願っているか、何を求めているかを知ることです。神があなたに何を望んでおられるかをそれによって知ることができます。

 

私はいろいろな召しを受けました。ある時「とりなしの祈り」についての教えを受け、神の御心を知ってその通りに祈ることについて学びました。その教えを聞いていたとき、私は心の底から「家に早く帰ってとりなしをしなくては! 友達と一緒に祈らねばならない!」という強い思いが沸いてきました。それは私の霊がこの招きに応答していたのです。そして私がその中に一歩足を入れたとき、私は「とりなしのために選ばれた者」となったのです。私はとりなし手になったばかりか、それを教える者となりました。それは「他の人にもとりなしについて教えたい」という願望が私のうちに沸き起こったからです。それは即ち「教える者となる召し」であったことを私は後になって知りました。

 

又、私は聖霊の賜物や預言についてのクラスを受けました。毎週火曜日でしたが、教えのあとは実際にその賜物を活性化する訓練を受けました。預言や知識の言葉、癒しのミニストリー等です。私の内に「預言をしたい」という非常に激しい願いが沸き起こり、家に帰ると何時間も異言で祈りました。誰と会っても預言をしたいという願望を強く感じました。お茶を飲みにきた人にも私は預言をしました。内なる願望がそうさせたのです。そして私はどんどんと預言をするようになり、細かいことも預言できるようになりました。私は主から預言のミニストリーへと召されたのですが、主の御声をはっきりと聞いたわけではありません。それに関して夢を見たこともありません。後になって私が預言者として召されているという預言を受けました。それ以前に私はすでに預言者として召されていたのですが、その預言によって召しが確認できました。

 

時として、自分ではまったく考えてもいなかった召しに関する預言を受けることがあるかもしれません。でも預言を受けたとき、あなたの内で何かが呼応するならば、その預言によってあなたの召しが活性化したのです。

ある時、テレビでよい番組はないかと捜していたのですが、どのチャネルも占いの番組だったことがありました。私の内に「主よ、どうかテレビで本当の預言をする人を起こしてください。」といううめきのような祈りが起りました。私は主の声を聞いたのでもなく、稲妻が走ったり、花火が上がったわけではありませんが、主が私の心に「あなたではどうですか?」と語ってくださったのです。私は「主よ、勿論私は無理ですよ。」と沢山の理由を主に申し上げましたが、また主は私の思いの中に「あなたではどうですか?」と語られました。「あなたが新しい預言的な番組をハリウッドで作ったらどうでしょう。」と。私はそれを日記に書き留めて祈りはじめました。「神よ、何をすればよいのか、どこから手をつければよいのか、全くわかりません。ですから、私に助け人を送ってください。」と祈りました。一週間半経ったとき、あるカンファレンスで、私を助けるように主から言われたという人が現れたのです。そこから私の放送関係のミニストリーが始まりました。

 

ですから神が私たちを召されるのは、いろんなやり方があるのです。あるときは非常に鮮明であり、またあるときはかすかな方法です。でもあなたがどのような方法で召しを受け取るかは問題ではありません。

 

神からの一番目の召しは神の息子、娘になるという召しです。すでにそれを受けいれた人に対する次の召しはなんでしょうか。それは母親や父親になることかもしれません。妻になること、夫になることかもしれません。あなたの中にそうなりたいという強い促し、願いがあるならば、それは主があなたの内に入れてくださったものなのです。又あなたは説教者や祈り手、子どものミニストリー、社会で働く事、政府で働くことなどに召されているかもしれません。多くの場合、あなたの召しはあなたの心の中に涌き上がる願いでわかるのです。又あなたは夢を見るかもしれません。主の声を聞くかもしれませんし、祈りの中であなたの思いの中に細い小さな声で語ってくださるかもしれません。どのような方法であれ、それを書き留めてください。

 

私は妻として召されています。私たちは結婚して43年になりますが、私は夫の妻であるように召されています。私はまた母親として召されています。二人の息子の母親です。3人の孫のおばあさんとしても召されています。キリストのからだの中のリーダーとしても召されています。ミニストリー、ビジネス、プロジェクト、メディア、説教者、預言者、伝道者として召されています。これらは私の内で涌き上がってきたものです。

 

このように多くの召しを私は受けています。それは自分のいのち、願いを主のためにすべてお捧げするという「主のしもべの人生」を私が選んだからです。「その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下には地にしるしを示す。」とあります。それは主のために選び分たれたあなたを通して主が偉大な業をなさるからです。

 

あなたが主のものとなり主に仕えることを選びとったとき、あなたのいのち、あなたのすべて、あなたの持ち物すべては主のものとなります。私が妻として或いは母親としてすること、そしてその他すべてにおいて私がすることは、主のためにするのです。私の人生が主のために聖め分たれるとき、私の業、私の持つものはすべて主のものとなりますが、それと同時に主の業、主が持っておられるものは私のものになるのです。

 

イエスの母マリアは、救い主の母となるように召されました。マリアがその召しに「はい」と答えたとき、彼女は「選ばれた者」となったのです。ですからあなたも召しに「はい」と応答するならば、「選ばれた者」になるのです。ヨシュア3:5に 「あなたがたの身をきよめなさい。(sanctify, consecrate 聖別する 神の御用に捧げる)あす、主が、あなたがたのうちで不思議をおこなわれるから。」とあります。

今自分への神の召しは何であるかと考えておられる方も多いと思います。私たちのミニストリーの中には、とりなし手、ワーシップリーダー、人を助ける人等々いますが、彼らはすべてのことを主のためにし、主に仕えるのをこの上ない特権であると思っています。

 

皆さんはどうでしょうか。今までにすでに「はい」と応答した召しを紙に書き出してみてください。そして次に神からの召しを聞いたけれども、まだ「はい」と応答していないものを書き出してください。そのリストはあなたが成長する助けとなるでしょう。そして主に「私はあなたに自分をお捧げします。私の時間はあなたの時間です。私のお金はあなたのお金です。私の能力はあなたの能力です。すべて私が持つものはあなたのものです。私はあなたのものだからです。あなたにお仕えしたいのです。あなたが下さった召しにお答えしたいのです。そして私の生きる限りあなたに喜ばれる者となりたいのです。」と申し上げてください。

 

そしてその召しに踏み込んでください。「召されているのはわかっているんだけど、、、」と言うだけではなく行動するのです。たとえば癒し手として召されているならば、その訓練を受けられるところに行き、人々のために癒しの祈りを始めてください。そしてイエスの癒しの力があなたを通して表れるようにするのです。また、とりなし手や助け手として召されているかもしれません。何であれその召しに対して「はい」と応答してください。その時、召しに必要な「恵み」があなたに与えられます。召しを活性化するときに実が実り始めます。

 

ヨハネ15:16でイエスは「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、、」とあります。あなたが召しの中に踏み込むとき、主は実を結ばせてくださり、その実は残るのです。イエスに仕えることほどすばらしいことはありません。イエスに用いられることほどすばらしことはありません。それは地上の人生ばかりでなく永遠に影響を与えるものです。

 

今主は多くの働き手を召し、立ち上がらせておられます。世の中が揺れ動き混乱する中で、神は御国に仕えるために聖め分たれた人を求めておられます。その召しはあなたにも届いていると思います。神はあなたの召しを成長させ、油を注がれ実を結ぶようにされるのです。(終り)


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