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Walk With God Ministries

04 4月

犬を追い払え    キャシー・ウオルターズ            2016年4月4日


犬を追い払え

 

キャシー・ウオルターズ

 

「あなたのデスティニーの入口から犬を追い払え」という言葉を少し前インターネット上のどこかで見ました。誰が書いたのかもよくおぼえていないのですが、この言葉が私の目に飛びこんできたのです。私はこの言葉についていろいろと考えました。というのは、私はすべての人が神から与えられているデスティニーや召しを成就することを願っていると思うからです。

 

私は「教会の椅子に毎週座って教壇から話す他の人のヴィジョンをサポートすることが自分の召しだ」と考えている人によく出会います。誰かを励ましサポートするのは確かに良いことだとは思いますが、あなたもあなた自身の召しを持っているのです。そして人生の終りにイエスは「わたしがあなたの人生に与えた油注ぎであなたは何をしましたか?」と尋ねられます。その時、あなたが「私の教会は私の受けた油注ぎを好みませんでした」と言っても、それは十分な釈明にはなりません。何故だかお分かりですか?それは、あなたは「神の声を聞くことができる」のであり、あなたには「神から召されていて成就すべきデスティニーが必ずある」からです。

 

すべての人は御霊からの証しのことば、即ち内なる油注ぎを持っています。使徒ヨハネが「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。」(第一ヨハネ2:27)」と言っているのはそのことです。それは教会に教える人が必要ではないということではありません。教師、牧師、預言者、使徒、伝道者が教会を整えるために与えられています。

 

しかし、あなた自身もあなたの内におられる御霊の証しのことばに耳を傾け、神があなた個人に何を言っておられるのかを見分けねばなりません。例えば、ある人があなたの教会に来て預言し、教え、また説教をしたとします。その時あなたは、そのメッセージから、神があなた個人に対して何を言っておられるかを見分ける必要があります。それは、ほんの二つくらいの文節だけがあなた個人へのことばかもしれません。

 

他の人の召しを認める

 

ピレモンへの手紙の中に私の好きなすばらしい聖句があります。パウロは「私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。」(6節)とピレモンのために祈っています。あなたが他の誰かの賜物や召しを認める時に、その人の賜物とか召しが現れてあなたがそれを活性化するのです。たとえば、あなたが誰かに「あなたのメッセージはすばらしかったです。」と言うならば、その人は励まされ、またしてみたいと思うでしょう。しかしもしあなたが批判するならば、その人は閉ざされてしまいます。

聖霊は、一つのメッセージからそれを聞く20人それぞれに違うことを語られるかもしれません。イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)と言われました。それはあなたの耳に入るすべてのことばではなく、あなたが読む聖句のすべてでもありません。それは神の口からあなたのために出ることばのことです。神は今、今日、今週、あなたに何を語っておられますか?

神のことばはいのちと信仰を分与し、神があなたのために備えておられる次のステップへとあなたを導く力を持っています。

 

確かなことが一つあります。それはあなたは常に前進せねばならないことです。あなたは神が今、今日、あなたに何を言われているかを聞き続けねばなりません。それはあなたの今日のマナです。

私はエレミヤについてよく話すのですが、神がエレミヤを召されたとき、彼はティーンエイジャーの若い預言者で、全国を回って預言のセミナーをしている髭の生えたお爺さんではありませんでした。大切なのは神の召しに対してあなたがどう応答するかです。自分の居心地のよい場所に永遠に座っているか、あるいは、立ち上がって「よし、やってみよう。神にあって最高の自分になろう!」と応答するかです。

 

あなたのデスティニーを信仰で見る

 

神はエレミヤに「あなたは何を見ているのか。」と尋ねました。エレミヤは信仰によりアーモンドの枝のヴィジョンを見ました。神はエレミヤが見たものを喜ばれ「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、私は見張っているからだ。」と言われました。ですから、あなたは信仰によってあなたのデスティニーを見なければならないのです。見えないものを目標にすることはできません。くまのプーさんのように100エイカーもある森や山をうろうろと巡って、当てずっぽうに神の御こころを達成しようとする必要はありません。あなたが信仰の目で見始め、神から聞くことができると信じるならば、神はあなたのために備えたものをはっきりと見せてくださいます。

もしコンファメーション、確認が必要ならば、信仰により神はあなたに御ことばを与えてくださいます。しかし加えて、神はご自分の願いをあなたのこころの中に置かれて、あなたがその神の御こころを成就するときに喜びが来るようにされます。それがあなたのこころの中にすでに置かれていた事だったからです。

 

あなたのこころの中には何がありますか? どこに行きたいですか? 本当にしたいことは何ですか?あなたは地上では一度しか生きることができません。どのような人生を送りたいですか?この世的で楽な人生を生きる中で、たまにちょっとだけ踏み出してみるような人生ですか?もしくは、スリルのあるわくわくする、一体次は何が起るのだろうか、というような人生ですか?

 

御父からのチャレンジ

 

ですから、あなたが決断するように私はチャレンジします。でもこれは私だけではなく、あなたを励ましておられるあなたの天の父からのチャレンジだと信じます。御父はあなたの中に多大な預金をされておられます。イエスも主ご自身の命という供託金をあなたに預けておられ、それへの見返りが返って来るのを楽しみにしています。主の命というあなたへの供託金をあなたがきちんと運用すれば、それがあなたのデスティニーを出現させるのです。

 

しかし、あなたのデスティニーの入口には犬が横たわっていることをあなたにお伝えしたいのです。又、あなたが住む町の入口にも犬がいて、神の臨在と御霊のムーブメントをもたらす油注がれた人々が入ろうとするのを阻止しようとしていることもお伝えしたいのです。

その「犬」とは何でしょうか? 聖書で犬は通常「神を畏れない異邦人」を意味しています。即ち、それは神や神のやり方を知らない人たちのことであり「宗教の霊」です。教会の中には沢山の犬がいることをご存知でしょうか?

宗教の霊は神に関してある種の「知識」は持っていますが、それは実際のところ神ではないのです。形はありますが力がなく、人々が御国に入るのを阻止します。イエスが宗教家たちに言ったことを憶えていますか?

「しかし、忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、はいろうとしている人々もはいらせないのです。」(マタイ23:13)イエスはこのような人々(犬)に腹を立てておられました。

彼らは神の知識は持ちながら、神の力を否んでいる人たちです。それは宗教の霊、否定的な霊であり、神によって用いられる資格を人々から奪う霊です。しかしイエスは私たちに100%の資格をすでに与えてくださっています。

 

妬む霊

 

「犬」は、あなたが自分より上を行くのを好まない人々の中にある嫉妬の霊でもあります。良い教師や指導者は生徒が何か達成し始めると誇りに思います。しかし時として、その生徒があまりにも上手になったり自分より上達すると、彼らは脅かされるのです。そしてその生徒を引きずり落とします。生徒はいつまでも生徒、初心者でいて欲しいのです。

 

教会で教えるように頼まれた一人の預言者を私は知っていました。彼はすばらしい「預言者学校」を開き、間もなくすべての参加者が神から聞き預言をするように教えることができました。中でも一人の女の子が特にすばらしい預言の賜物を顕すようになりました。それで人々が彼女に祈ってもらうために会いたいと言い出しました。預言者はこれを知って腹を立て、彼女を批判し引きずり下ろし始めました。そして彼女に関する否定的なことを牧師や長老に言い始めたのです。

彼らは彼女にミニストリーを止めるように頼み、彼女は4年もの間、何もできずにしおれて行ったのです。彼女は恐れから預言の賜物をまったく用いませんでした。自分は何か悪いことをしてしまったのだと思いました。彼女のデスティニーの入口に立ちはだかった宗教的な犬どもや噛まれた傷口から彼女が真に解放されるには、その後6ヶ月かかりました。

 

脅し、嫉妬、自分が脚光を浴びたい願望、恐れ、、宗教の霊はいろいろな形で表れます。しかし、イエスはすでにあなたを御父の目に完全なものとしてくださっているのです。あなたを覆っているのはイエスの義であって、あなた自身の義ではありません。主が取り替えてくださったのです。主は汚れたぼろ切れのようなあなたの義を十字架につけ、その代わりに主の義の衣を下さったのです。

あなたのぼろ切れが力ある御子の麗しい義と取り替えられるとは何とすばらしいことでしょうか。完全なる御子イエスの聖さと麗しさの衣で覆われるとは!

犬どもを恐れてはいけません。イエスは彼らに打勝つ力をあなたに与えてくださったのです。犬どもは偽りを通してあなたに影響を与えることしかできません。彼らの嘘を信じない選択と決断をしてください。

 

時は今です

 

神にあって最高、最大限のあなたになる時は今です。資格などいりません。ただ聖霊の導きに従う道を学べばよいのです。神はあなたのための偉大なヴィジョンを見ておられます。神には制限はなく、あなたの能力不足によって制限されるお方ではありません。あなたが神の能力を信じることを通して神は働いてくださるのです。神はまた、神のムーブをあなたの都市、街、家庭、仕事場にもたらしたいのです。

食べ物がなければ犬どもはこそこそと去っていきます。彼らに食べ物を与えてはいけません。彼らに耳を傾けてはいけません。隙を見せてはなりません。もしあなたに「あなたは何者でもない」「あなたに何がわかるのか?」「あなたに何ができるというのだ」と吠えたなら(偽りを言うなら)こう言ってください。「私が何者であるかを思い出させてくださってありがとう。あなたが何者であるかを思い出させてくださってありがとう。私がキリストのからだの一部であることを思い出させてくださってありがとう。神は私の人生にすばらしい偉大なデスティニーと召しを持っておられます。私はその召しを成就していきます。あなたはどうですか?」と。

 

大冒険への準備

 

あなたへの神のご計画はつまらない退屈なものではありません。それはわくわくする冒険に満ちています。あなたの信仰はときどきチャレンジを受けるでしょうが、あなたの内には神の信仰があるのです。神はおのおのに信仰を分け与えていてくださいます。それは神の不屈の信仰です。信じて進んでください。

 

5世紀のアイルランドの修道士たちは、小さなボートに乗って沖に出ました。そのボートにはオールも舵もついていませんでした。彼らは神が風を送って彼らが行くべき場所につくようにしてくださると信頼していました。これこそ神の目的にすべてを捨てて完全に服する精神だと思います。

神は御霊の風を送り、あなたが行くべき場所、即ちあなたの人生に対する神の計画と目的に連れて行くことを願っておられます。私の集会ではみなさんに「イエス様、何でもどうぞ。Jesus-whatever」と宣言してもらいます。この言葉を毎日言うとよいでしょう。「イエス様、何であってもあなたの言われることに私はオープンです!」と言うのです。

あなたのデスティニーの入口を犬に塞がせておいてはいけません。彼らは嘘つきであり盗人です。彼らは好きなだけ吠えてリ叫んだりできますが、もしあなたが自分が何者であり、自分の人生のデスティニーと召しを知っているならば、彼らはあなたに指一本触れることはできません。(終り)


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