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21 3月

効果的な祈り      ロバート・ヘンダーソン         2016年3月21日


効果的な祈り

 

ロバート・ヘンダーソン

 

多くの人は祈りの答えを常に得るための祈り方を知りません。人々は、祈りとは「霊的な戦いの場で行う業である」と教えられてきました。しかし驚かれるかもしれませんが、イエスが祈りについて教えられた時、祈りを霊的戦場で行うようにとは言われなかったのです。確かに主は、「祈りは戦いである」と言われました。しかしそれは戦場におけるものではなく、法廷(ダニエル7:10参照)での戦いなのです。

 

イエスがルカ18:1−8で教えておられることを見てみましょう。ここでやもめは不正な裁判官に正しい裁きをしてくれるように頼んでいます。最初裁判官は彼女を無視しますが、彼女がしつこくやめないので裁判をしてやることにしました。やもめが裁判官の法廷に来る事をやめなかった故に、彼は正しい裁きをすることになったのです。政治力や賄賂に使うお金、或いは社会的地位もないやもめが、不正な裁判官から正しい裁きをしてもらえるとすれば、正しい裁判官である神は、選民である私たちにどれほどの正しい裁きをしてくださるでしょうか!

私たちは神を父として、また友として御前に出ることは知っていますが、裁判官としての神に近づくことも学ばねばなりません。エペソ2:6に「私たちはキリストと共に天の所に座っている」とあります。また、ヘブル書に次にようにあります。

ヘブル12:22−24「しかし、あなたがたはシオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。また天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」

ヘブル4:13「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明するのです。」

裁判官である神の御前に出るというこの話の中で、私たちは少なくとも効果的な祈りのための3つの法則、或いは奥義を見つけることができます。

まず第一に、 私たちが祈るとき、それは即ち神の司法制度の中に足を踏み入れることであるのです。これを理解するために私たちは、霊的領域におけるすべての行為は「法」に基づいていることを認識せねばなりません。イエスが十字架上で「完了した。」(ヨハネ19:30)と言われたのはその理由によります。即ち「すべての創造物を贖うために必要な法的な義務は今完全に遂行された」と主は言われたのです。主イエスは暗やみの力を法的に打ち倒したのです。

私たちは祈る時、地上で祈ることが現実になるように、十字架上で確立された法的勝利を適応するのです。別の言い方をすれば、十字架上ですでに完成された業による判決を、すべてのことが神の御こころと一致する時まで執行するのです。

 

喩え話の第二の奥義は、やもめは決して敵対する相手と話すことをせず、裁判官にだけ話したことです。裁判官が彼女によい判決を下すならば、敵はもうなす術が無いことをやもめは知っていたからです。彼女はこの戦いは戦場ではなく法廷で行われるものであるとわかっていました。イエスの祈りが戦場での祈りであったことは一回もありません。すべて天の法廷での祈りでした。黙示録19:11に、イエスが天の軍勢と帰ってこられるのは、まず裁きをされ、そして次に戦われるためであると書かれています。この順序が非常に重要です。

ヤコブ4:7に「ですから、神に従いなさい。(submit to God) そして悪魔に立ち向いなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」とありますが、これも同じことを言っています。「裁き」とは司法活動です。言い変えれば、私たちは敵(サタン)から法的権利をまず剥奪し、次に戦場へと行進して行くのです。これは成功するために絶対に欠かせないことです。

「敵」と言うのは、世界の何か、或いは誰かを指しているのではなく、霊の領域のサタンとその勢力のことです。私たちはみな、神の御こころと一致した祈りをしてもその答を得られなかった経験をしています。そして「神は応答してくださるほど私のことを気にかけてはおられないのだ」と結論づけてしまったりするのです。しかし、私たちがブレークスルーを得られない本当の理由は、霊の領域で「法的に」私たちに対抗している敵がいるからです。私たちは裁判官なる神にどのように近づき、霊においてこの「法的な」問題を対処するかを知る必要があります。

 

この事を理解するために2つのギリシャ語を学ぶ必要があります。まず「敵

adversary」という語で、これはルカ18:1−8の喩え話の中で用いられています。このギリシャ語は antidiko で、「訴訟を起こす者」という意味です。一つの法的立場を表しています。

第一ペテロ5:8に、敵は私たちを食い尽くそうとしている悪魔であるとあります。この箇所の「敵」も antidikos が使われています。即ち悪魔は私たちを食い尽くすための法的理由を捜しているのです。悪魔は霊的領域で私たちに法的に不利な事柄を見つけた時にだけ私たちを攻撃できるのです。「訴訟を起こす者 antidikos」として悪魔は私たちに不利な法的事実を確立し、私たちを食い尽くし滅ぼす権利を獲得しようとしているのです。

antidikos という言葉は、2つの部分からなっています。anti は反対するという意味でありdikos は権利という意味です。ですからantidikos(敵)の目的は、私たちに対して法的訴訟を起こし、私たちが持つ正当な権利を奪おうとすることです。私たちが神の御こころと御ことばにかなった祈りをしても答えられないのは、これが理由です。私たちの祈りに神が応答する法的権利を否む訴訟が、霊的領域においてされているのです。

 

これに加えてもう一つのギリシャ語の意味を知る事によって霊的領域で起っていることの新しい理解を得ることができると思います。黙示録12:10に、日夜兄弟たちを訴えている告発者がいるとあります。告発者 accuser というギリシャ語は katagoros  で、その意味は「法律を訴訟する者、法律の告訴人」です。告発人とは、私たちに敵対し司法行政に不平を言う者ということです。その結果、私たちはブレークスルーや祈りの答えを得ることができないのです。私たちが主からの答えを得るためには、私たちは antidikos と katagoros を黙らせる必要があります。この二つの言葉は私たちが持つ正当な権利を否むために法的訴訟を起こそうとする悪魔の業を映し出しているのです。

 

この喩え話の中にある3つ目の奥義は、ルカ18:7、8に書かれています。裁判官である神の御前に出て霊的に法的問題を取り扱うならば、私たちの祈りはすみやかに答えられる、とイエスは教えておられます。私は私自身の人生に中でそのことを見てきました。天の法廷でどのようにすればよいのかを学び始めたとき、今まで起らなかったことがすぐに起きるようになりました。

神の御こころに沿う祈りが答えられない理由は2つだけです。一つは神のタイミングであり、神から答えを頂くにあたって非常に重要です。もう一つの理由は、霊的領域で私たちに抵抗している法的なことが何かあるときです。

天の法廷で祈りを通して訴えるとき、私たちはイエスの血潮によって敵が起こした法的訴訟を取り除くことができます。罪、過失、不正、否定的な言葉などの法的問題がイエスの血潮により処理されるならば、サタンは祈りの答えが私たちに届くのをもはや阻止することはできません。これらの問題を私たちは根気強い祈りによって取り扱うのです。

根気強い祈りと言うと、私たちは同じ祈りを何度も繰り返すことだと思います。しかし、裁判官の前で祈る根気強い祈りとは、祈りの答えが届かないようにサタンが用いる法的妨害を取り除くことです。私たちが主の御前に出るとき、主は私たちが祈るべき祈りができるように助けてくださいます。

ロ—マ8:26には聖霊は弱い私たちを助けて効果的に祈るようにしてくださると書かれています。これは霊的領域で私たちが祈りの答えを受け取るのを阻止しようとしてサタンが用いるすべての法的訴訟をイエスの血潮によって徐々に取り除くことも含まれています。私たちに対するすべての法的訴訟が取り消されるならば、裁判官である神は御父の情熱を自由に成就することができ、私たちは祈りが答えられ、ブレークスルーがやってくるのです。

 

私の息子であるアダムはミニストリーをしていましたが離婚を経験し、その後2年間深い鬱状態となり、そこからどうしても抜け出すことができませんでした。私は彼を励ましましたが、彼は自分は価値のないものだ、生きる意味がない、と言うのでした。もともと彼は非常に明るい人間で、これは全く彼らしくありませんでした。私は知っている限りの祈りをしました。ある日、私は天の法廷のことに気がついたのですが、主が「アダムをわたしの法廷に連れて来なさい。」と言われました。はっきりとその言葉を聞きました。

天の法廷のことはまだ深くは理解しておりませんでしたが、始めてみました。まず息子のために悔い改めをしました。それがとりなし手の仕事です。本人が出来ないことを替わりにするのです。私は父としてその権威がありました。アダムが夫として父親として犯した罪、敵の偽りを信じた罪を思いつく限り悔い改めました。5分くらいでした。次に主は「あなた自身の悔い改めをしなさい。あなたがアダムに関してあなたの妻に話したすべてのネガティブな言葉を悔い改めなさい」と言われました。これは非常に重要でパワフルなことでした。私は直接息子には何も非難めいたことは言わなかったのですが、妻との会話のなかで、「アダムはどうしてあのようにしたのだろうか、息子が理解できない、どうしてもっとちゃんと出来ないのだろうか」というようなネガティブなことを言っていたのです。その言葉が息子を縛り、告発者によって使われていたのです。「彼の父親がアダムについてこう言っていました。これが父親の証言です。」という具合に敵に用いられたのです。私は涙を流しながら自分の罪を悔い改めました。5分くらいでしたが、悔い改めを終えるとすぐに、主が「さあ、アダムのデスティニーを預言しなさい。」と言われました。

そこで私は「私はあなたの御ことばにより『よき訪れを告げる者の足は美しい』と宣言します。息子はイエス・キリストの福音を述べ伝えます!」と宣言しました。すると御霊が「さあ今、鬱状態の霊を叱責しなさい。」と言われました。私は御霊に導かれて知らないうちに法的に必要な手続きをすべて行ったのでした。それで私は「サタン、私はお前を叱責する。エペソ5:14により宣言する。眠っている人よ。目をさませ!キリストがあなたにいのちを与えてくださる。鬱の霊よ、立ち去るように命ずる!イエス・キリストの名によって、今息子から立ち去れ!」と叫びました。2年間祈ってもブレークスルーがなかったのですが、これは15分くらいですべてが終りました。私は本当に何か違ったことが起きたと感じました。

 

一週間半後に電話がなり、アダムからでした。彼は「何が起ったのかわからないのだけど、一週間半前に突然、僕は鬱状態から抜け出ました。神の御こころを行う用意ができました。」と言ったのです。彼は現在自分の教会でシニアパスターとして働いていますが、教会は9ヶ月で3倍の大きさになりました。聖霊の賜物も顕著ですが、すべては天の法廷でなされたことに起因しているのです。私が戦場で2年間戦ってもできなかったことが、天の法廷での15分間でできたのです。

 

皆さんも次にように祈ってください。

「神よ、イエス・キリストの名によってお願いいたします。私が犯したすべての罪、過ちを悔い改めます。コロサイ2:13、14『あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけされました。』を宣言します。私に対して立てられたすべての責め、告発、私を責め立てるすべてのものを、あなたはすでに取り去り十字架につけられました。主よ、それらの告発はイエスの血潮によりすべてとり去られました。主よ、私たちに法的権利を与えてくださり、私があなたから与えられているデスティニーを取りもどすようにしてください。イエスの名において祈ります。アーメン」(終り)


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