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Walk With God Ministries

05 3月

リバイバルが近づきつつある            坂  達 也   2016年3月5日


リバイバルが近づきつつある

 

                    坂  達 也

 

 今アメリカは、大統領選挙のシーズンに入っていますが、その前途には政治的、経済的、又社会的に混乱と暗闇がたれこめつつあるように見えます。しかし、その暗闇と混乱が来ることによって、リバイバルの機が熟しつつあるのかもしれません。

 今朝、私は示されて最も短いマルコ伝を通読しました。そこから私は主イエスが御国の「大統領」となるべく現れて、どのように「御国造り」のためのキャンペーンを張られたかを学ぶことができました。

 それは丁度、この世で私たちクリスチャンと教会が、これから主が起こされる御国のリバイバルをどのように受けて立つかを学ぶことが出来ると思いますので、そのことをお分ちさせていただきます。

 

御国をこの地に建て上げるリバイバルが来る=そのためにマルコ伝から学ぶ

 

1。主は先ず、ご自身がバプテズマを受け、天からの御声と聖霊を受けられました。これは私たちにとっても「主に用いられる」人になるための必須条件です。それから直ぐ主は荒野に出てサタンの誘惑を受けられました。これで御国のキャンペーンに入る準備が完了しました。

2。そして直ぐに地方へキャンペーン旅行に出られたのですが、その途上、これはと言う人材をを拾いながら、会堂で「御国とは何か」その政策を力説し始めました。それに伴って「悪霊追い出し」と「癒しの業」という「御国のビジネス」をどんどん実行して見せ、こちらから集める努力をしなくても、勝手に人が集まって来て黒山のような人だかりが出来ました。これが私たち教会がリバイバルを起こすノーハウではないでしょうか。

 主は御国建設に必要な人選と組閣を直ぐに始められ、12人のコアとなる人選と教育を始められたのです。ポイントは「主が用いることが出来る人材」を主は選び、その人たちを特訓されたことです。

 

3。主のキャンペーンの特徴は、もの凄くエネルギッシュに行脚し、安息日迄働いたことです。マルコ2:27、28で主は「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」と云われました。それはヘブル4:10、11の「神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして務め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないように・・・」と警告された通りです。すなわち主の安息日に私たちは自分の業を休んで主と共に主の業だけをして働くのです。その意味で私たちは主の安息日の働き人です。

 

 そのためにマルコ4:22−24で主は「隠れているのは、必ず現れるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。」とも言われました。

今主は世界中で、あらゆる人の隠れている本性とか、よい所、悪い所をすべてあばいて人と本人自身に見せておられます。皆さんも経験されておりませんか。

特にクリスチャンづらしている「宗教的な人たち」の化けの皮が剥がされています。(それがアメリカの大統領選でも如実に顕われていておかしい程です。)今主は急いでおられます。それはリバイバルが来るための準備段階に入ったからであると私は信じます。

 そして主は「聞く耳のある者は聞きなさい。・・・聞いていることによく注意しなさい。」といわれました。誠にこれこそがポイントですね。

 

4。主はあまりにも忙しく働き、又、主の「実のある話し」を聞くために「荒野に」集合した人たちは食べる暇もない程でした。そこで主は何千人分もの食事を配給する奇跡を行い、又説く。すると又集まる。そして又奇跡を・・・

 

5。マルコ9:23−24「信じる者にはどんなことでもできるのです。」と主は言い、その後主は多忙で空腹をおぼえたとき、季節外れで実がなってないイチジクの木を見て実のなさを呪われ、翌朝見るとその木は根まで枯れていました。その後主は「神を信じなさい。・・・あなたがたがこの山に向かって『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、その通りになります。」と言われたのです。(11:13−24)

 

 これだけの信仰があってはじめて主が起こされるリバイバルに私たちは用いられるのです。そのために今主は厳しい信仰の訓練をされておられます。今が時です。目をさましてください。

 

6。最後にマルコ16:15−19です。「それからイエスは彼らにこう言われた。全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。 信じて、バプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には、次のようなこのようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受ず、また、病人に手をおけば、病人はいやされます。』主イエスは、彼らにこう話されて後、天にあげられて、神の右の座に着かれた。』」そしてその主が間もなく帰って来られます。

 

 今はそのシーズンに入ろうとしています。それは「信じる者にはどんなことでもできる」シーズンです。 (終り)


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