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Walk With God Ministries

28 2月

不平を言うか感謝するか      マイク・ビクル            2016年2月28日


不平を言うか感謝をするか

 

マイク・ビクル

 

私と妻のダイアンは、3週間の休暇を終えて帰ってきましたが、その後で全スタッフの会議があり、そこで休暇の報告をしました。休暇がどれほど楽しかったか、そしてその理由は妻が一緒にいると本当に楽しい人であるからであり、彼女は私にとって神からのすばらしいギフトであると話しました。そこに新婚の夫婦がいたのですが、会議が終ってから夫の方が「あなた方はもう38年も結婚をしておられるのに、そんなに奥さんとの時間を楽しんでおられるのですか!私たちもそうなりたいです!」と言いました。その奥さんも「私もいつまでも一緒にいると楽しいような妻になるように努力します。退屈な妻だと思われないようにします。」と言いました。

 

そこで私はこう言ったのです。「確かに妻が退屈でないのは事実ですが、それが妻と一緒にいるのが楽しい一番の理由ではありません。あなたは自分の伴侶が素敵で面白くて優しい人だったら、すばらしい結婚生活になるだろうと思っておられるかもしれません。でもそれとは違う最も大切なポイントがあるのです。何だと思いすか?当てて御覧なさい。」

新婚夫婦は「一緒に祈ることですか?」と言いました。確かにそれは大切なことですし私は妻と一緒に祈ります。しかしそれがポイントではありません。

「神を愛することですか?」確かに、すばらしいことで私も神を愛しております。でもそれが私の言うポイントではありません。新婚夫婦はわからないという顔をしました。

 

38年間結婚生活の中で私が一番大切だと信じるのは何だと思いますか?それは夫婦の会話やコミュニケーションの中にほとんど「不平不満、愚痴」の要素が無かったことです。新婚夫婦は「えーっ、本当にそれがポイントですか?」と驚いたようでした。

そうなのです、それが結婚生活を楽しくする一番のポイントです。皆さんの結婚生活のコミニケーションの中に、どれだけ不平不満や皮肉な言葉、態度があるかどうかが大きく影響するのです。38年前に結婚したときに、「不平不満を口に出すこと」に対して私たちは戦いを挑んだのです。勿論完全には出来ませんでしたが、常に勤勉にそれを続けてきました。

 

ピリピ2:14に「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」と書かれています。そしてそのように一見小さいと思われるような良い種を蒔いた人が収穫する祝福の実について15節で説明されています。「それはあなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」14節にあるただ一つのことを実行するだけで、このようにすばらしい結果を私たちは得るのです。

即ち、あなたがたは非難されることなく、純真な者となり、この世の中や、教会においても抜きん出て輝く者となるのです。闇の中に輝く光は人々に行く道を示し、生き方を示します。何とすばらしいことでしょう。

 

不平を言ったりつぶやく事は、罪のない些細なことのように思えます。雅歌2:15に私たちの人生のぶどう畑を荒らす子狐の事が出てきます。大きなスキャンダルでなくても、不平不満という小さいことが人生を破壊していくのです。「誰だってぶつぶつ不平くらいいいますよ。そんな大げさなことではないでしょう。

少しむかむかしたことを吐き出すだけですよ。」と言われるかもしれません。

でも、パウロはそれとは全く違う見解を持っていました。まず第一に不平を言うことによって、あなたの胸がすっきりすることはありません。実際のところ、不満を口にすることによって、それはあなたの心の中にしっかりと根をおろしてしまうのです。少しずつ、あなたの心の奥へと入りこんで行くのです。

これは小さなことに見えますが、実はあなたの結婚生活、友人関係、仕事、神の召しなどに対する最大の敵です。そのようには見えませんし、敵はあなたがずっとそれに気付かないように願っているのです。

 

喩えて見ましょう。ある人が医者に行ったところ、ほんの小さな点が見つかります。癌でした。この患者は医者に「小さなものですよね。私は何も感じないし、元気に暮らしています。運動もしているし、エネルギーもあるし、、、別に悪いところがあるなんで、感じませんよ。」と言います。でも医者は「この小さな点は、小さいままではありません。やがてはあなたのいのちにかかわります。」というでしょう。

 

これと同じように不平という種は、一見小さくて何の害もないように見えますが、立腹、人間関係の破壊、傷ついた人生という実をならせます。始まりは小さいかもしれませんが、大きな刈り取りがあるのです。パウロが14節で「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」と言っていますが、彼はただ何となく「すべてのこと」と言っているのではなく、本当に「すべてのこと」を意味しているのです。「不平不満」をあなたの一番の大敵だとしっかりと認識し、この敵と真剣に怠らずに戦ってください。これが私が新婚夫婦に伝えたかったことです。

 

不平を言うことは、私たちすべての者にとってとても自然なことです。物事のポジティブな面よりもネガティブな面に焦点を合わせる習性です。私は人生の大事件のことを言っているのではなりません。日常茶飯事に関する私たちの態度です。「不平」が育まれる空気を容認することー友人関係、結婚生活、家庭、仕事関係など、「すべてのこと」において大切なのです。

 

次にパウロは「疑わずに (without disputing争わないで、抵抗しないで)」と言っています。それは大論争や大きな意見の相違のことを言っているのではありません。パウロは些細な争いのことを言っています。それは結婚生活や家庭生活、仕事場、ミニストリーで始終起ります。パウロは「小さなことで不平をいう、争う」という二つのことを真剣に拒否しなさい、そしてあなたの心や人とのコミュニケーションの中でこの二つの要素を持ち込まないならば、あなたは輝くと言っているのです。

 

私たちは罪のうちに生まれましたから、不平不満、争いはとても自然なことです。赤ちゃんは生まれたとたんに、「もっとほしい、今すぐに!」と言って泣くのです。私たちはそのような心を持って生まれてくるのです。多くの人は「不平を言うなと言われても、私はみんなが不平不満や皮肉を言い合う家族の中で育ったのです。それが家族のコミュニケーションのスタイルでした。両親もそのような話の仕方でしたし、私たち子どもにもそのように話しました。彼らが近所の人や教会の人、職場の人のことを話す時もそうでした。」というのです。殆どの人は批判、皮肉、不平のトーンで話をするのが自然な環境で育ったのです。ですからパウロが力を込めてそのようなものをあなたの人生から取り除きなさいと言っているのです。あなたの心の中で不平不満、争いの思いが起ったならば、一歩退いて、それを口に出したときに起るであろうマイナスの結果を考えなさいと勧告しているのです。

 

ちょっとおかしなことですが、私が20歳のときに牧師になってくれと田舎の小さな教会から頼まれました。私は「とんでもない、私はまだ20歳ですよ。」と断ったのですが、それでもいいというので引き受けました。メンバーは100人くらいでしたが、私は経験がないので、難しい問題がいろいろありました。あるとき年配の(40代の人でしたが、20歳の私にはそう感じられたのです)夫婦が「先生、私たちの結婚のことで相談したいのです。夫婦のセックスのことです。」と言って来ました。私は本当にとまどいました。でもどうにかせねばなりません。そこである大きな結婚セミナーがあったので、それに参加して学ぶことにしました。1977年のことです。一週間のセミナーには沢山の講師がいて私は本当に多くのことを学び、ノートに沢山筆記しました。そして「さあ、私は牧師として結婚生活のことも教えられる!」という気持で帰ってきました。

 

その2ヶ月後に妻のダイアンと私は出会いました。彼女は半年ほど前にクリスチャンになったばかりでした。でも私はすばらしい結婚に関するノートを持っていたので、知ったかぶりをして彼女にいい所を見せたいといろいろと結婚について話しました。彼女は私の知識に感銘を受けました。私はただ前の晩にノートに書いてあることを一生懸命憶えて、それを次に日に「すばらしい結婚生活の秘訣」を彼女に話していただけなのです。

私たちは短い婚約期間のあと結婚しました。彼女は私がすぐにそれらの「秘訣」を実行できると勘違いしていました。でも私はただ暗記をしただけで、一度も実行したことはなかったわけです。でもこれは神からの奇襲のようなもので、私がどうしてもそれを実行しなければならない状況を与えられたわけです。彼女は「あなたが話してくれたことを、私たちの結婚に実行していきましょう。」と言いました。彼女はとてもかわいかったので、私はそうしたいと思いました。

 

そしてその一つが不平不満を言わないということでした。私は結婚、家庭の中で絶対に不平や皮肉をいう雰囲気は作らないと決意しました。そして38年が経ちましたが、それは結婚当初にした最も重要な決意の一つでした。勿論完璧にできたわけではありませんが、真剣に勤勉に努めたのです。私は次の4つのことを彼女に誓いました。これは結婚以外のすべての人間関係においても用いることができます。

 

1.意見の相違、争いが起きたときは、両方の心に平安がくるまで、それに関して話をしない。夫はその件についてそのままうやむやにせず、必ず(数時間後とか翌日に)話して解決することを約束する。両方、又片方が興奮しているときに話をするとよい結果は得られない。

 

2.夫は「小さな日常生活のこと、例えば、何を食べるか、いつ食べるか、芝生を刈る、お皿を洗う、どのレストランに行くか、修理屋をよぶ、ゴミを出す、などの何百、何千という小さなことがらに関しては、私はあなたの言う通りにします。」と誓う。これもセミナーで学んだことですが、人生の大問題とかではない小さなことに関しては争う必要はないのです。例えば私が行きたくないところにダイアンが行きたいと言う時は、私は少なくとも顔では笑ってうれしそうに「行きましょう!」と言うのです。どちらでもいい事に捕われないで、もっと人生の大筋を見なければなりません。

 

3.夫は一家の頭で責任者であるから、何か二人の間で問題が起ったときは、どのような事情であってもいつでも夫がまず先にあやまる。謝る会話を夫から始める。自分が妻の気持を察しなかったとかいうような、どんな小さな落ち度でも謝って仲直りのきっかけを夫が作る。

 

4.自分が気にいらないことを相手に分かってもらわねばならない時には、その伝え方に大切なことが3つあります。声の調子(批判、皮肉がない)タイミング(二人の心が穏やかなとき)そして比率です。比率は、10の肯定的な言葉に対して否定的な言葉は1であるべきです。親子の間でも肯定的な言葉と矯正の言葉が1:1の割合であるならば、その関係は傷つくでしょう。「彼のためだから注意しているのです。」と言われるかもしれません。それは本当でしょう。でも彼を成長させるにはそれに加えて10の褒め言葉、肯定的な言葉というビタミンを与えねばならないのです。否定的な言葉だけを与えては成長しません。

 

不平をいう心とは何でしょうか。それはもって生まれた性格ではなく、変えることができるものです。それはマインドセットであり、肯定的な情報よりも否定的な情報に敏感に作用してしまう心です。確かに「もっと・・・であれば良いのに・・」ということは人生に沢山あります。しかし、私たちはキリストのからだの一員として、神がなさろうとしておられる一番の大筋を忘れてはいけません。私をイライラさせる人、それは妻か、友人か、近所の人か、会社の人かもしれませんが、その人は神のご計画の中ですばらしいことをしています。それにも拘わらず、あなたはその人にイライラさせられることだけに焦点を置いてしまっているのです。パウロはそのマインドセットから解放されなさいと言っているのです。

確かに不平を言うマインドセットから解放されるには少し時間がかかるかもしれませんが、それは可能であり、あなたの結婚生活やすべての人間関係を劇的に変えてくれるのです。(終り)


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