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Walk With God Ministries

04 1月

待つ価値のあるお方     ダッチ・シーツ       2016年1月4日


皆様、2016年明けましておめでとうございます。今年の最初のメッセージをお届けします。どうぞ今年もよろしくお願いします。         坂 達也・柚実子

 

待つ価値のあるお方

 

ダッチ・シーツ

 

私たちは出エジプト記24:13—18の箇所を読んでも、次の点を見逃してしまうことが多いのではないでしょうか。即ち、主がモーセを呼ばれ神の栄光の雲の中へと招かれるまで、モーセとその従者であるヨシュアは6日間、シナイ山で待っていたことです。神が沈黙されていた6日の間、二人は一体何をしていたのだろうか、と考えてみたことがありますか?

そしてモーセが雲の中に入ってしまってから、若者のヨシュアが一人で雷や稲妻の中その後34日間も留まっていたことも私たちは見落としてしまっているのではないでしょうか。

 

ヨシュアが神の臨在を深く愛する者となったのは、恐らくこの経験を通してではなかったでしょうか。山を下った後、モーセが会見の天幕から帰ったあとも、ヨシュアはまだそこを覆っていた神の栄光の雲の中で幕屋を離れないでいたと書かれています。(出エジプト33:11)ヨシュアがシナイ山で神の臨在の中、或いはその近くにいた間、実際に何をしていたかを聖書は語っていません。しかし私がこの非常に興味深い出エジプト記の箇所を調べていた時、神は次の言葉を語ってくださいました。「待て。待て。待て。待て。待て。Wait.Wait.Wait.Wait.Wait.」

ヘブル語で「待つ」という意味を表す言葉は幾つかあり、その意味も幾つかあります。私は「待て。Wait.」という主の言葉を5回繰り返して聞いたのですが、主がそれぞれの「待て。」を何を強調して言われているのかを霊ではっきり悟ることができました。

 

1.主が語られた最初の「待て。」は、静かに落ち着いた信頼をもって待つという意味です。これは深い関係の絆を基盤として築かれる信頼をもって待つという姿です。私たちが主を十分に知るとき、私たちの心は人生の最悪の嵐の最中でも静かに主に信頼することができます。この点において父親役のモーセは若いヨシュアに影響を与えることができたかもしれません。しかし、ヨシュア自身も主の慈しみとまことを十分知っていたのです。自分に対する神の語りかけがなく、何の不思議な業を見なくても、彼は民が恐れた雲の中にあって平安でいられたのです。

2.二番目の「待て。」は、普通よく使う「忍耐強く待つ」という

意味です。私たちは神との親密な関係を結んだ結果、神は遂には必ず事をなしてくださると信じて疑うことなく、安心して待つことができます。私は25年ほど前に、霊的覚醒が起るというヴィジョンを初めて受けたのですが、もしそれが実際に起り始めるのにこれほど長くかかると分かっていたなら、忍耐強く待つことはできなかったかもしれません。しかしながら、次の神の偉大なムーブメントが完全に満ちるには後25年待たねばならないと今主に告げられたとしたら、私は忍耐強く待つことができると思います。それは私が主と共にずっと歩んできたので、主は約束を必ず守ってくださる方であり、主のなさることは常に正しいことを学んできたからです。

 

3.三番目の「待て。」は能動的な信仰を示唆しています。私たちは深い関係を基盤とした神への信頼を持っているかもしれませんが、その信仰は行動を要するのです。私たちは神は約束された事を必ず成してくださると完全に信じ期待する間も、自らも行動しながら主を待ち望まねばなりません。ただ主がしてくださるのを望んで何もしないでいるのではありません。神が働いてくださると確信するので、あなたは主に徹底的に従う人生を送り、大胆に宣言し、実がなるのが遅くなっても落胆せずに信仰の冒険の一歩一歩を歩んで行こうと決意するのです。あなたが蒔くものをあなたやあなたの世代が刈り取るという神の約束を信じて疑わないからです。

 

4.四番目の「待て。」は、あることや、又は誰かと共に結び合わされるという意味です。これはイザヤ40:31の「主を待ち望む者は新しく力を得る」で言われている「待つ」です。ヘブル語の原語はgavahで、「ねじりながら一緒になる、一緒に編み込まれる」という意味です。この「待つ」を通して、私たちは主と一つになるのです。このように「主と共にしっかりと編み込まれた状態で待つ」というプロセスの中で、神と私たちの心は一つとなり、主は私たちを御そばに引寄せてくださるのです。

 

撚られた紐のようにしっかりと主と組み合わされて、私たちは主と同じ思いになり、同じ事を考えるようになるので、主の御こころを達成するための力が何倍も与えられるのです。それは箴言16:3の「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(あなたのしようとすることを主に信頼して完全に委ねなさい。そうすれば主はあなたの思いを御こころと一致させてくださいます。そしてあなたの計画は確立され成功するでしょう。)」という御言葉の成就です。

 

5.最後の「待て。」を主が大声で言われたのを、私は霊ではっきり聞いたのですが、次に主はその言葉の綴りを言われました。主は「wait 待つ」ではなく「W-E-I-G-H-T 重み」と言われました。それは実際に質量のある重い主の栄光の臨在のことを指しています。栄光を表すヘブル語は、実際に「重い、どっしりとした」という意味です。主は「もしこれからの日々、あなたが私を待ち望むことを学ぶならば、即ち信頼し、忍耐強く、期待を持って、私と一つとなって待つならば、わたしはわたしの栄光の重みをもって訪れるでしょう。わたしは多くの都市や地域を覚醒させるために来て、わたしの重いシャカイナの栄光があなたの内に、又あなたの周りに留まるようにするでしょう。

 

アダムがわたしに似た者として、わたしの栄光の冠を与えられ、わたしの臨在の中に浸されていたと同じように、わたしはあなたにわたしの栄光の冠を与えます。わたしはあなたの上にわたしの重い臨在を置き、あなたは地上でわたしのために統治するものとなるでしょう。あなたは大いなる権威と力を持って歩み、しるし、不思議、奇蹟が伴うでしょう。使徒行伝の教会の時代のように、人々はあなたによってわたしを知り、あなたは『私にあるものを上げよう。(使徒行伝3:6)』と言うでしょう。今は神の息子たちが地上に現れ、全地がわたしの栄光で満ちるときです!今がその時です!大勢がやってきます!」

 

私たちは今まであまりにも長い間、神が私たちのために用意された啓示のレベルよりずっと低い所を歩んできてしまいました。「栄光の神が私たちの内に住んでおられ、私たちは聖霊の宮であり、イエスの中にあったのと同じ力が私たちの内にあり、主の超自然的業よりもより大きな業をすることができる」という理解を更に深め、認識するようにと、主は今、私たちを呼び出しておられるのです。主は今、すべての場所、すべての社会的分野へと神の栄光の雲を持ち運び、国々を変革させることができるような「(神の栄光で重い)ヘビーウエイト級の男女」を建て上げようと願っておられるのです!

 

主はあなたを待っておられます。あなたはあなたの内に主の臨在と力の栄光ある重みが激しく増し加わるまで、主を待ち、待ち、待ち、待つ用意がありますか?

あなたはある期間、テレビやソーシャルメディアを見ずに消したり、既に予定していたことをあなたの予定表から消したりして、もっと主と交わる時間を作らねばならないかもしれません。しかし、私はお約束しますが、主はあなたが待ち望む価値が絶対にあるお方です。(終り)


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