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Walk With God Ministries

27 9月

ワーシップソングの作成     レオナルド・ジョーンズ       2015年9月28日


ワーシップソングの作成

 

レオナルド・ジョーンズ (於 モーニングスター・ミニストリーズ ワーシップカンファレンス)

 

ある人が次のように言いました。

「イエスは、 私たちはこの世にいるけれど、この世のものではない  (We are in the world but not of theworld.)と言われた。しかし、多くの場合、現在の教会は、この世のものになってしまっているが、この世の中にはいない (We are of the world, but not in  the world.)という状態だ。」即ち「私たちはこの世と同じことをしているにもかかわらず、この世とコンタクトしていない」ということです。

あなたがこの世とコンタクトするとき、「あなたがたのうちにおられる方が、この世のなかにいるあの者よりも力がある(1ヨハネ4:4)」という真理が輝き、神がこの世の中に力をもって侵入してこられるのです。この世が教会の中に侵入してくるのと反対ですね。私は24時間神にワーシップを捧げることは本当にすばらしいと思います。しかしそれと同時に私たちの光をますの下に隠さないようにとイエスは言われました。この世の中で光を輝かせることも大切です。

教会の中でワーシップの務めをする人も、砂の中に頭を突っ込んで、この世でどのような音楽が流れているのか全く無知であってはなりません。この世でも本当にすばらしい曲が作られているのです。

今年の3月にブラジルに行ったのですが、その時ある婦人が「今私の教会で歌っているワーシップソングをもっとすばらしいものにするには、どうすればいいでしょうか?私が作るワーシップソングはみな同じような感じなのです。」と私に訊きました。

私が「あなたはいつもどんな音楽を聞いていますか?」と訊ねると、いまよく歌われている世界のワーシップソングを聞いているとのことでした。「あなたは本当に心から、現状を抜け出すことを願っておられるのですか?」と訊ねると「はい、そうです。」というので、私は思い切って次のように申し上げました。

「私が今から言うことは、多分あなたには気に入らないと思いますが、これからはどんなワーシップソングも聞かないでください。」と言いました。彼女は「じゃあ、セキュラー・ミュージックを聞けと言われるのですか!?」とひどく驚いた様子でした。私は「もしあなたにそれが出来るなら、そうしてください。でもセキュラー・ミュージックを聞きたくないならば、何も聞かないでください。ただギターをもって主の前にでてください。」と言いました。

 

私たちはこの世で起っている音楽を知らねばなりません。もし4つのコードだけで作られた曲ばかり聞いていたら、あなたもそういう曲を作るようになってしまうのです。昨日私は、ジェイムス・テイラーの曲を聞いていました。そのコード進行がすばらしいと思ったので、インターネットでその弾き方を本人が教えているビデオを見つけて勉強しました。(今はそのようなビデオが沢山ありますから、何でも学べます)

そして、どうしてこの曲がこのように魅力的なのだろうか、と考えました。そして分かったのは、彼の曲は最後に落ち着くところまでに、回り道をするのです。普通はCから始まったとしたら、そのあと2つか3つ位のコードを通ってCに帰結するのですが、彼の曲は次々に違うコードを用いて、最後に帰結するときは、聞く者はやっと辿りついたと安堵のため息をつくのです。長く待つのでとてもうれしく感じるわけです。

 

クリスチャン・ソングを作る人は、繰り返しの部分に早く行こうと焦ります。ビートルズの「ストロベリーフィールズ」という曲を調べたところ、あるテーマ・メロディーに戻るまでに59音符ありました。クリスチャン・ソングの平均は8小節で同じメロディーが出てきます。これが同じことを繰り返しているという印象を与えます。一段目を聞いたならば、8小節先にまた同じメロディーが出てくるので、すぐに歌えます。

神は私たちがただ歌を作る(write a song)のではなく作曲(compose)することを願っておられるのだと私は思います。多くの方は「ワーシップソングは、シンプルで皆が歌えるものでなければならない」と言います。それは立派な理由のように聞こえます。でも私はデイブ・マシュウのコンサートに行ったのですが、彼の歌はとても難しいにも拘わらず、会場にいた全員が彼と一緒に歌っていました。何故でしょうか?

彼の歌は非常にすばらしく興味を引くものであったので、人々は何度もCDを聞いて覚えてしまっていたのです。私たちは「人々が簡単に歌えるもの」を作ろうとするのではなく、「人々がどうしても歌いたいと思うもの」を作らねばなりません。

 

私が作った「ヤーウェ」という歌の繰り返しの部分は、「こんなに高い音を出せる人はあまりいないだろう」と思っていたのですが、2回目にその部分になった時には、全会衆が上のGを歌えたのです。それはみんながそれを切実に「歌いたい!たとえ喉がつぶれても私は歌うんだ!」と感じたからなのです。

神はこの世に影響を与える歌をあなたに与えたいと願っておられます。この世の人々がその歌によって神と出会うとき、あなたは本当によい歌を作ったことがわかるのです。

 

今、クリスチャンのソングライターは、「現在世界の教会でよく歌われているワーシップソングは何か」を調べて、その流れの歌を作っています。その結果、ほとんどの歌が同じように私には聞こえます。

ジョニー・へルサーの「No Longer a Slave」という歌を運転中に聞いたのですが、すぐに何か他のワーシップソングと違うと感じました。その時私はトウモロコシ畑を走っていたのですが、前方に小さなつむじ風が起ってその歌の間中、トウモロコシ畑の上を行ったり来たりして、トウモロコシが踊ったのです。この曲が終ったと同時につむじ風もおさまりました。私はジョニーに電話をしてすぐにそのことを伝えました。ジョニーは他のワーシップソングは何も聞かず、ただいつもギターを持って主の前で礼拝するのです。

 

ギターでもピアノでも、声でも、とにかく主の前で礼拝するのです。残念ながら、天から歌が棚ぼた式に落ちてくるということはありません。神があなたに与えたいと思っておられる歌は、あなたが時間をかけて受けるものなのです。私も素早く曲が与えられることはほとんどありません。早くできる曲というのは、多分私がそれまでの人生でずっと暖めてきたものだと思います。

「すばらしい歌を作るぞ」と意図せずに、ただ主と共に時をすごして歌ったり演奏したりするのです。突然一つのメロディーが聞こえてくることがあります。それを弾きます。すると何かが打ち破られるのです。(聞こえたものをすぐに弾くためには賜物と訓練が必要です。)

 

神は私の人生のその時々の経験、思い、葛藤、苦しみに即した歌をくださいます。ある時、私はギターでバッハのチェロの曲を練習していました。弾きながらテレビのニュースを見ていたのですが、人々が殺し合う残忍な映像を見て、私の心は痛み悲しみました。私は「主よ、あなたはどれほど嘆き悲しんでおられることでしょう。あなたほど繊細でない私の心が、これだけ痛むのですから。」と申し上げ、「あなたの御国が来ますように、Let Your kingdom come」とずっと弾いていたバッバの旋律に合わせて歌い始めました。

ですからこの曲は祈りから生まれたのです。決してヒット曲にはならないでしょう。なぜならば、これを弾きこなせる人はほとんどいないからです。私はヒットさせるために曲を作るのではありません。私は主のために作るのです。神があなたに与えてくださる曲は、大勢の心に響くものではないかもしれません。そんなことは気にしないでください。残念ですが、今のワーシップソング業界にはお金への誘惑が入り込んでしまっています。ですから「こんな風な曲にすれば、きっとヒットしてお金が儲かるだろう」と考えてしまう誘惑があるのです。けれどもあなたがワーシップソングを作るときの動機がお金であってはなりません。結果として収入があれは、それはすばらしいことですが、それが動機であっては絶対なりません。

なぜならば、あなたが作る曲のジャンルの可能性はものすごく広いのですが、ヒットさせるためには、今の教会に受け入れられるためにその範囲を非常に狭めねばなりません。音楽には本当に沢山のスタイルがあるにもかかわらず、現在教会で歌われているものは非常に限られているのです。

神はすべての人々を愛しておられます。この世のすべての人々に触れるためには、本物でなければなりません。もしモーニングスターやベテル、ヒルソングの歌を真似るだけならば、本物ではなくなります。

 

本物であるためには、あなたは主のもとに行かねばなりません。パウロも主と出会ってから一人で荒野に行き、主と時を過ごしました。彼は他の人が受けた啓示ではなく、自分で啓示を受けたかったのです。それがパウロの書簡が聖書の中に多い理由です。今ここにおられるミュージシャンの幾人かを主は荒野に呼ばれると思います。外面的には今までと何も変らず、同じ仕事をし、同じ場所にいるかもしれませんが、主とだけ時を過ごす場所へとあなたは導かれるでしょう。

 

私はモーニングスター・ミニストリーに25年前に来ましたが、5年前から世界に出て行くようになりました。

それを始めてから3、4ヶ月経ったときに、主が毎朝私を起こされるようになりました。時計を見るといつも3時41分でした。それが毎日です。目覚ましをかけたのでもありません。ある時は目が覚めても絶対にしばらく時計を見ないようにしたのですが、ふっと目が時計にいくと3時41分なのです。そしてパッチリと目が覚めるのです。他にすることもないので、ギターを手にとって弾き始めました。これが何ヶ月も続いたのです。ついに私は3時41分にはどんな意味があるのかと主に尋ねました。「3、4、1、three four oneとは、all three of us (Father, Son , Holy Spirit) is for one(you).  We are all for you. わたしたち、父、子、聖霊はあなたの味方ですよ、という意味です。」と主は答えてくださったのです。もしそれを誰かから聞いたら「へえ、そうですか。なるほどね。」としか思わないでしょうが、主が直接語られたのですから、私にとってすばらしい啓示でした。これは6ヶ月ほど続きました。私は毎朝驚くべきすばらしい時を主と過ごしたのです。

 

私は「Prospective」というCDを出しましたが、そこに収められた曲はすべてその期間に生まれたものです。一つ一つの曲が、主が私を導かれた霊的旅路の表現でした。例えば、ある朝ある一連のコードを弾きながら主を礼拝していました。主は私の味方であって敵ではないことを学んでいた頃でした。目を閉じていたのですが、私はそれまでの自分の人生を目の前に見ました。それはほとんどが悪いことでした。私は主に「主よ、あなたを礼拝しようと思うのですが、私のことが見えるのです。」と申し上げました。主は「あなたの事であなたが出来ることは何もありません。ただわたしを礼拝しなさい。There is nothing you can do about you. Just worship me.」と言われました。

そこで私は一連のコードを弾いていると言葉が出てきました。

It is finished

There is nothing left for me to do but worship

It is finished

What’s there that I have to do

You are so perfect

 

I see a broken person

You see a warrior bride

I see things I’ve done

You see what’s inside

I see there’s no way out

You see there’s one way in

I see me struggling

You see me free from sin

There’s nothing going to keep me from You

Nothing going to pull me back

Nothing I can do about me

It’s all about You

It is finished, finished

 

しばらくギターを弾いて歌ううちに、この歌が生まれてきました。この歌詞は私を本当に慰めました。私は普通一つの歌詞を作るには随分時間がかかりますが、この時は40分くらいで出来上がりました。主は「あなたが自分を見るようには、わたしはあなたを見ていない。」と何度も言われました。私たちが主を見るときは、自分のした事を通して見ます。しかし主は私たちを主のなされた十字架の業を通して見られるのです。

 

私の歌はほとんどこのようにして生まれます。その内の幾つかは数人のシンガーによって取り上げられ歌われましたが、ほとんどはそうではありません。でも誰か一人でもその歌によって神に触れられる人があればいいのです。皆さんの作る歌は大勢の人に触れるものではないかもしれませんが、他の誰も触れることができなかったある一人の人に触れるかもしれないのです。ですから、他の人が作った歌を真似るのではなくて、主と共に時を過ごして主から本物をいただくことが本当に大切です。

 

私が歌詞を作るときのパターンは何もありません。祈りのときに私の口から主に与えられたよい表現が出てくるときがあります。その時すぐに携帯に録音しておきます。私の携帯には千個くらいそれがたまっています。メロディーも同じようにします。何か旋律やコードが私の頭に浮かんでくると直ぐに携帯に録音しておきます。このようにすべて与えられたものを記録しておくのです。そうでないと忘れてしまいます。一つの表現、一つの旋律が人々を解放する可能性を持っているのです。ですからすべて覚えておかねばなりません。

私の歌は一つ一つがとても違います。自分のスタイルを作ろうとするのではなく、ただ主に聞いて作るからです。主を待ち望めば主は歌を下さいます。主と共に時間をすごして、深い本物の歌をいただいてください。(終り)

 


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