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24 8月

愛の順序(その一)     ベンジャミン・ロビンソン       2015年8月24日


愛の順序(その一)

 

ベンジャミン・ロビンソン

 

 

すべての真理が正しく用いられるためには順序が大切です。真理が正しい順序でなければ、それは偽り、惑わしと同じになります。私たちが経験する人生上の多くの問題は、私たちが真理を持たないからではなく、真理が正しい順序で行われないからです。「これを解決するのはものすごく大変だ」と思う問題でも、実はほんの少し真理の順序を変えるだけで解決することが多いのです。

今日は愛の順序について話したいと思います。

 

マタイ22:36−40 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、これと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

 

この二つの戒めは、それぞれに順序が正しくなければならないのです。もし順序を間違えるならば、あなたはこの命令を守ることができません。

 

それでは、まず第一の戒めから見てみましょう。

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」です。これは本当に大変難しい命令です。皆さんはこれを実行しようと思ったことがありますか。「私は自分の心に神を愛せよと命じよう、自分の思いに命じよう、自分の知力に命じよう。」とがんばったとしても、フラストレイトするだけです。これは私たちには不可能な命令だからです。この命令を行うためには私たちが知らねばならないことがあります。

 

第一ヨハネ4:10「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

第一ヨハネ4:19「私たちは(神を)愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」

 

ここに書かれているのは、第一に神が私たちを愛され、次に私たちが神を愛するという順序です。イエスは「神を愛せよ。」と言われましたが、その意味は「まず神の愛を受け取りなさい。そしてその応答として神を愛しなさい。」ということです。

 

多くのクリスチャンは、神は「神の御国」という会社の社長で、自分はそこに雇われている社員だ、と考えています。神は御国のために働く適当な人材を求めておられ、私たちは自分がするべき仕事を与えられて果たすというのです。もしよい仕事をしなければ、神はあなたを必要としないというわけ(メンタリテイー)です。私が育った教会はそのように教えていました。

 

しかし、神は社長ではなく父です。もし神が父であるならば、あなたは自分が子として創られた本当の目的を知るべきです。地上の両親が子どもを持つ理由はなんでしょうか。家事を手伝ってもらいたいとか、庭仕事をしてほしいから、という理由ではないですね。また老後の面倒を見てほしいからというのでもないでしょう。

 

私たち夫婦は子どもが欲しいと8年間祈りました。二人が持っている愛を注ぐ対象が欲しかったのです。8年の間には多くの失望と痛み、悲しみを経験しました。8年目の終り頃には私の心の痛みは非常に深く耐えられないほどになりました。ある時、ある教会の集会に招かれたとき、神が会衆の前で妻に油を塗り、「あなたは子を妊ります。」と預言して、彼女が子が宿す準備をしなさいと言われました。私はそのようにし、会衆に「私の妻が妊ることはあなた方も実を結ぶというしるしとなります。」と宣言しました。

 

それからしばらく経った2008年11月4日のことでしたが、私は子が与えられないことの痛みで耐えられないほどでした。朝の祈り会で、私は神に「子を与えていただかないでは、私はもう一日も生きていけません。」と申し上げました。神は「どうして泣いているのですか。わたしの愛は10人の息子にまさるものではないですか?」と言われました。それを聞いて私は泣き崩れて「もう子どもが与えられなくてもかまいません。私にはあなたの愛があるからです。」と言い、本当にすべてを神に委ね解放され、喜びで満たされました。

 

その日のお昼ころに、妻から電話があり、ひどく気分が悪いから帰ってきてほしい、そして途中で妊娠テストキットを買ってきてくれ、と言われました。お分かりでしょうが、私たちは妊娠テストキットは8年間に数えきれないくらい使用したのです。でもいつもネガティブ、妊娠していない、という結果が出ていました。でも今回は「妊娠している」という紫のプラスのサインがでたのです!

本当に夢のようでした。その日の朝私が泣いたときに主は「あなたの妻はもう妊娠しているから元気を出しなさい!」とは言われなかったのは、興味がありますね。主は私から取り上げられた日に、与えられたのです。神は取り上げられる神ではなく、与えられる神なのです。

 

その次の日、私は中国に行きました。3つの州の地下教会で話をするためです。ビルの地下での集会でしたが、とてもすばらしい経験でした。集会の途中で妻からメッセージがあり、出血があり医者から流産をしたと言われたという文面でした。私は本当に打ちのめされました。主に「どうしたらいいでしょうか?」と聞くと、主は「あなたの妻は流産したのではありません。家に帰って彼女のお腹に手をあてて、あなたの子にむかっていのちを語りなさい。」と言われました。帰った時私はそのようにしました。神の御霊が彼女の中にくるのを感じました。

 

翌日流産をしたと言った産婦人科の医者のところに行き、超音波で見ると、8週間目の心臓が動いている赤ちゃんの姿が見えたのです。その心臓を見た瞬間、私の中にある愛は「愛する対象」を持ったのです。私と妻の中に有り余っていた愛は、その対象物を与えられたのです。そこに写っていた小さな赤ちゃんは、まだ何もしていませんでした。私たちのために一日たりとも何かをしてくれたわけではありません。スクリーンの中のほんの小さな光に過ぎませんでしたが、私たちにとって、それで十分だったのです。私たちは愛する対象を持ち、娘はその時にすでに愛される対象という目的を果たし始めたのです。彼女が愛とは何かを知る以前です。

 

生まれてから、娘は昼も夜もよく泣きました。私たちは娘をいつも抱いて過ごしました。背中をさするよりもぽんぽんと叩くのが娘は好きでした。私は何時間も娘を抱いてその背中を優しく叩いていました。忘れもしません、彼女が一歳になったころ娘が私の背中をぽんぽんと叩き始めたのです。彼女は自分に知っている方法で私を愛してくれたのでした。私が頼んだわけではありません。

 

娘がニ歳になったとき、今度は背中を撫でられるのが好きになりましたので、私はいつも撫でてあげました。三歳になったころ、私が彼女を寝かせるために彼女と一緒にベッドに横になったのですが、私が先に寝てしまいました。気がつくと娘が小さな手で私の背中を撫でてくれていました。15分くらいもずっとです。彼女は自分が受けた溢れる愛を流し出したくて、自分が知っている方法で私を愛してくれたのです。それは彼女に喜びを与えました。

 

イエスが「あなたの心と思いと知力を尽くして神を愛しなさい」と言われたとき、あなたがまず、神の愛を受け取ることを前提とされたのです。もしその順序を間違えるならば、「私は十分に神を愛していない、神への愛を私は持っていない、感じない」という自責の念にかられます。あなたはまず、神の愛を受ける対象として自分を捧げねばなりません。そうすればその愛を反射して神にお返しすることができます。もし神をもっと愛したいならば、神があなたをもっと愛することを許さねばなりません。神の愛を受けるのを妨げているものがあなたの心の中にないかを調べてください。神の愛があなたに的中するようにしてください。

 

もしあなたが私を傷つけたいならば、簡単です。私は悪口を言われても平気です。身体を傷つけたいなら、気をつけてください。私の身体は大きいですよ。しかしもし、あなたが私の娘のところに言って「あなたのお父さんはあなたをもう愛していないよ。」と信じさせるならば、それが一番私を悲しませ傷つけるのです。「あなたのお父さんは、『あなたはいい子ではないし、私がして欲しいことをしなかった。どこかに行って私を喜ばせる方法を考えついたらまた来てもいい。』と言っていたよ。お父さんが来たら逃げてどこかに隠れるようにした方がいいよ。」とあなたが娘に言うとすれば、私は本当に傷つくでしょう。

 

娘は私の神経をいらだたせることがよくあります。これからも沢山の間違いを犯すことも知っています。しかし私たちは娘を愛することを止めることは決してありません。それと同じように、神が私たちに求めるのは完璧さではなく、私たちの心の態度です。神は私たちの目を見て、私たちがすべてのことを神への愛からしたことを見てくださるのです。私たちが神からの愛を一杯に受けて、その愛で神を愛することを喜んでくださるのです。ですから私も間違いを犯すことを恐れません。神は私が神を心から愛していることを知っておられるからです。

 

このように愛の順序が大切なのです。神はあなたを愛しておられます。そして神から愛されているあなたは、神を愛することが出来るのです。(続く)


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