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10 8月

預言の矛盾        カービー・クレメンツ           2015年8月10日


預言の矛盾

 

カービー・クレメンツ

 

預言とは神が人を通して 神の目的、意図を私たちに語られる方法です。終末に関する預言もありますが、個人に与えられる預言もあります。預言は必ず吟味されねばなりません。

 

預言の出所を見極めること、意図を知ること、どのようにそれに応答するかが重要です。出所は、神か、サタンか(サタンも預言ができる)、それとも人間か(人間も自分の霊で預言ができる)です。その預言がどんな口調で語られるかで判断してはなりません。重々しく荘厳であるから神が語っているとは限りません。

 

また、預言の意図はなんでしょうか。多くの無駄な、意味のない言葉が連ねられることがあります。また一つの預言だけで事を決めてはなりません。その預言は励ましであるか、矯正であるか、インストラクションであるかも見極めねばなりません。その預言に対してあなたはどのように対応、応答するのかも大変重要なポイントです。

 

預言には二つの次元があります。

一つは「預言のミステリー」であり、もう一つは「預言のクライシス(危機)」です。

ミステリーとは預言で明らかにされないで隠されている部分です。神は初めから終りを告げることができるお方ですが、その間のことを言われないことがあります。それが教会にフラストレーションを与えるのです。例えば、神はパウロにこう言われるでしょう。「『あなたは異邦人に福音を伝えるわたしの選びの器です』とわたしは言いました。でもわたしが言わなかったことがあります。あなたは打ち叩かれ、町から追い出され、兄弟から裏切られ、マルコは途中で帰ってしまい、バルナバとは別行動をするようになり、銀細工人に暴動を起こされ、、、ということは言いませんでした。」と。神はパウロが人生おいて経験する途中のプロセスを全部は明らかにはされませんでした。

 

「預言のクライシス(危機)」というのは、預言を受けた者が予期するものと、実際に起ることの間に違いがある時のことです。私たちが予期し期待することは、必ずしも私たちが受けるものとは違うのです。預言を聞いたとき、私たちはその言葉の意味することは分かったと思ってしまいます。「主は私を繁栄させると言われました。だから私は繁栄するのです。」と考えるのですが、次に起るのは破産だったりするのです!

あなたは主に「私を繁栄させると言われたのではないですか?」と訊ねます。すると主は「わたしはあなたを確かに繁栄させているよ。」と言われます。つまり主はあなたを繁栄させるためにプロセスを通されているのです。プロセスとはある時は経済的繁栄のために必要なものであり、それは困難や問題をあなたに与えることかもしれないのです。

又、神が「わたしは何々をする」と言われるとき、神お一人が何かをしてくださるというのではありません。神とあなたが共にそれをするのです。神は「今日」とか「直ぐに」「とても早く」「一日で」とか言われます。しかし主の一日は千年かもしれません。第二ペテロ3:4にあるように「キリストの来臨の約束はどこにあるのか、先祖たちが眠った時からこのかた、何年も創造の初めからのままではないか。」という人たちが出てきます。それに対してペテロは「あなた達は主の方法、主の時、シーズンというものを知らない。」と言っています。

皆さんの中にも神の時、シーズンが分からない人がいるのではないでしょうか。ここに預言の解釈の問題があります。あなたが何かがもう起るはずだと思い、期待して待っているとき、それが起らないのです。

期待したことが起らない時、あなたはどうしてフラストレートするのでしょうか。それは私たちがすべて基本的な必要を持っているからです。

一つは、受け入れられるということです。拒絶されるのを好む人はいません。あなたは保証、確信が欲しいのです。

二つ目は、私たちがすべての面で満たされたいと思うからです。経済的にも家庭的にもすべてがうまく行っていることを願います。そうではないと自分は不幸だと思います。経済が保証され、車が故障せず、子どもがいい子ならば、あなたは幸せなのです。

三つ目は自由です。私たちは基本的な3つの心配をかかえています。

1.神は私を癒してくださるだろうか。

2.私は暮らして行くのに十分なお金を得られるだろうか。

3.私は残されて一人ぼっちにならないだろうか。

 

私の愛する妻サンドラは一ヶ月前に亡くなりました。でもこれはすべての人にいつかは起ることです。知ってますね。人は生まれ、そして死ぬのです。私たちはそれを考えないようにし、無視してあまり話さないようにします。私たち夫婦もそうでした。でも3年前に主が私の心に、サンドラがいなくなる時のために用意を始めなさいと語られたのです。うちでは彼女がすべてのビジネス関係の経理や保険のことなどを管理していたのですが、主は私にそれらのことをちゃんと聞いておきなさいと言われました。サンドラが天に召された今、私はそうしたことを感謝しています。

私たちは残されて一人になることを考えたくありませんが、これは私たちが持つ基本的な問題であり問いなのです。

 

もし不治の病にかかった時、神は癒してくださるだろうか、と私たちは疑うのです。言っておきますが、神は今も癒し主です、神は今も世界を治めておられます、今も地を治めておられます、神にとって不可能なことはありません、神は無から有を創られる方です、神があなたに一言語られるとあなたの世界は変革されます。サタンは「本当に神はそう言われたのですか?」とあなたにささやくのです。「神があなたと共におられるのなら、どうしてあなたはそんな問題を抱えているのですか?」とか「あなたは忠実に神に仕えていたのに、なぜ人々はあなたから離れていくのですか?」とサタンは言います。

往々にして私たちは、結果で善し悪しを決めるような信仰を持っています。でも真のキリスト教はご利益宗教ではありません。もしあなたが何かを得られるから神を信じているのならやめてください。それはサタンの教義です。

「私たちの賛美が天に上ると、祝福が下りてくる」という歌が以前よく歌われました。でももし祝福が下りてこなかったらどうしますか。私たちは物事がうまく行っているときにだけ賛美するのです。私は教会が賛美をするときの様子で、その教会に問題があるかどうか直ぐわかります。証しというのは物事が順調なときにするものではありません。「このような問題が起ったが、私は主を信じます。」というのが証しです。「私は人生で大事なものを失いましたが、神に対して何の疑問や不満もありません。」というのが証しです。私の妻が召されたことに対して私は神に対して何の疑問も不満もありません。

 

まずあなたの神学、教義が正しいかどうかチェックしてください。神はあなたを決して離れず、見捨てません。皆さんの中には神に見捨てられているように感じている人がいるでしょう。神に従った結果が全く裏目に出たという人がいるでしょう。その時私たちは「私は本当に神から聞いたのだろうか?」と疑問を持ち始めるのです。

神はあなたの父であられ、あなたの最善を願っておられます。あなたに耐えられないような試煉を与えられません。のがれる道を備えてくださいます。神はあなたを見捨てることはありません。神はあなたが取るべきではない道は閉ざされ、行くべき道を示してくださる方です。願う道が閉ざされた時、あなたはサタンが阻んだと思うかもしれませんが、神がそうされるのです。ですから道が閉ざされたときは神に感謝してください。祈りが聞かれなかった時も感謝してください。神はもっとよい事をしてくださるからです。

 

私たちが一つの教会を始めた時、その教会はすばらしい働きをするという預言を神からいただきました。そして多くのすばらしいことが起きました。メンバーが一万二千人のアメリカで最初のメガチャーチとなり、様々な活動をしました。しかしある時、問題が起きたのですが、人々は悔い改めをしませんでした。その結果、教会は神の預言とは違う状態になったのです。これが預言の矛盾です。人々は教会を去り始めました。それで私のミニストリーは終ったのでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。

預言がその通りに実現しなかったとき、神は私を見捨てたのではないことを私は自分に言い聞かせました。

 

みなさんの教会も預言が実現しないということを経験しているかもしれません。しかし神様はジグザグに進む神様です。ミニストリーにいろんな変化がある時、それは油注ぎのレベルが上がったということです。預言者は物事を目の前に見るので「直ぐに起る、もう起っている」かのように語ります。そして直ぐに起らなかったとき、私たちは時の法則(いつがその時か?)を知らねばなりません。場所の法則(神の選ばれた場所はどこか?)もあります。人間のつながりの法則(誰が集うのか?)もあります。経験の法則(プロセスとして経験せねばならないことは何か?)もあります。

神はあなたの献身をご存知です。神はあなたに豊かに報いてくださる方です。ですから、どのような時も喜んで神が最善をしてくださることを信じていてください。(終り)

 

これは3週間前に私たちのLiving Hope Christian Center (Pastor Benjamin Robinson) に来られた時のメッセージです。師の略歴は下記の通りです。

Dr. Kirby Clements Sr. received a B.S. in Biology from Morehouse

College; a Doctor of Dental Surgery from Howard University School; and

became the first African American to receive a master degree in

prosthetic dentistry from Boston University School of Graduate

Dentistry.

 

Under the leadership of Bishop Earl Paulk, and a host of pastors,

Clements helped Cathedral of the Holy Spirit expand into a fast

growing multicultural mega ministry with over 12,000 members and

outreach functions that touched the world.

 

Along with his wife, Sandra, Clements founded the Clements Ministries

in 1994 to provide Bible-based ministry seminars, workshops and books

with provocative words of wisdom that can be easily applied in all

areas of life. He was ordained as a bishop in 1999.

 

Dr. Clements has authored 11 renowned books and hundreds of papers

dealing with spiritual and practical issues of the Christian faith and

church structure. He has ministered extensively, both nationally and

internationally to countries in Africa, Asia, Australia, the

Caribbean, Europe, North America, and South America.

 

Currently, Dr. Clements is bishop of The Community of the Holy Spirit

in Decatur, Georgia which he organized, and presides as CEO of The

International Connection of Ministries, an outreach organization that

provides training and support to ministry organizations worldwide.


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