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17 8月

主とのモーターバイクの旅 リック・ジョイナー    2014年8月17日


主とのモーターバイクの旅

リック・ジョイナー(2014年8月3日日曜礼拝説教からの抜粋)

 

私はこの7月にモーターバイクで旅をしました。これからそのお話をさせていただきます。私は仕事で東海岸にいましたが、その仕事を終えた後、休暇を取って、メキシコ湾沿いにあるいつもの場所で家族と落ち合う予定でした。

ところが私の車が故障してしまいました。修理工場に持って行きましたが、どうしても故障の原因を突き止めることができませんでした。それは神がある目的のためにそうされたからでした。

 

車が修理できないことを知らされて、まず私が考えたのは、「オーケー、じゃあ飛行機で行こうか、それともレンタカーにしようか」ということでした。そのとき、主が鮮明に語られたのです。「モーターバイクで行きなさい。」と。850マイルほどの行程です。私は「主よ、こんな長距離をバイクで行くのは、ティーンエイジャーでも大変ですよ。」と申し上げました。モーターバイクで1マイル行くのは、車で何マイルも行くくらい大変です。確かに車よりずっと楽しいですが、すごく神経を使い、集中しなければならないし、エネルギーを使います。普通でしたら100マイルも走ると疲れ果ててしまいます。しかも私は膝が悪いのです。「主よ、800マイル以上あるんですよ..」ともう一度抗議しました。しかし主がモーターバイクで行くようにと言われるのを私は明確に聞きました。「わかりました、やります。」と私は答えました。

 

「多分3日か4日かかるだろう、途中で宿泊しながら行こう」と考えました。結果として、そのモーターバイクの旅は私の人生で最も重要なことを主から受け取る時となったのです。 もし、私がその時主に従わなかったならば、私はその召しを逃していました。もしモーセが燃える柴を見たとき、自分が行こうとしていた道から逸れてそこへ行かなければ、主からの使命を逃していたのです。モーセは自分がしていたことを中断して道を逸れて行きました。そして主から人生最大の召しを受けたのです。(出エジプト3:3 あちらへ行って turn aside)私はもしあの時私が従わなかったならば、それをミスしていたと信じます。主は1年後、又は2年後にまたチャンスを下さるかもしれませんが、下さらないかもしれないのです。私は以前もう少しでチャンスを失いかけたことがありました。

 

雅歌5章のシュネムの女が寝る用意をしてベッドの中にいる時に、愛する人が戸をたたきました。彼女はほんの少し「ためらった」だけでした。彼女は床の中でとても心地よかったので、愛する人のために起きるのをほんの一瞬ためらったのです。彼女が気を変えて戸の所に行ったときには、既に愛する人は去っていました。これと同じことが幾度私たちに起ることでしょうか。私たちは最近「とても心地よい、pretty comfortable」と感じて暮らしているのではないでしょうか。主は 時として心地よくないことをするようにと言われるのです。そしてそれは私たちのためにです。

 

まず私は息子の誕生日を祝うために娘のいる250マイルほど離れたチャールストンに行き、そこで一泊しました。まだ600マイルほどあります。翌日は、フロリダ州のジャクソンビルかレイクシティーまで行きたいと考えていました。ジャクソンビルに行くまでに、嵐に2回遭遇しました。雷や大雨を伴うひどい嵐でした。モーターバイクで嵐に遇ったら、ガソリンステーションや高架の下などで嵐が過ぎるのを待つのが常識です。でも私は主がはっきりと「走り続けなさい。」と言われるのを聞きました。「これは大変だ、容易いことではない」と思いました。このスピードで走ると雨は銃弾のように肌をさすのです。でも 不思議にあまり痛くありませんでした。私は半ズボンとサンダルといういでたちでした。(笑)確かにバカでした。でも南に下って行くからきっと暑いと思ったのです。ガスステーションや高架を通りすぎる時、そこで雨宿りをしているバイカーたちがみんなあきれ顔で私を見ているのがわかりました。2つ目の嵐に遇った時には、私はもう「嵐が大好き!」という感じでした。全身びしょぬれでしたが、とても涼しいので最高でした。70マイルで走っていると嵐を過ぎればすぐに乾きます。(笑)私は嵐に遇うのが楽しみになってきました。「主よ、もう一つ嵐をお願いします。」という感じでした。

 

ジャクソンビルを過ぎましたが、主は走り続けるように言われました。「主よ、わかりました、出来るだけ頑張りますけど、私は膝が悪いのです。」と申し上げました。レイクシティーに着きました。主は「走り続けなさい。」と言われます。私は「オーケー」と言い、高速からおりて走り続けました。その時に主は今まで私が聞いたことがなかったほどはっきりと、又違う調子で語られました。私は以前から啓示や夢、幻を沢山受けましたが、主からこれほどの親しい語りかけを受けたのは始めてだったような気がします。 私は主がモーターバイクの後ろに乗っておられるのがわかりました。主は後ろから私の耳もとに語ってくださったのです。主は目的地までこのまま走り続けなさいと言われるのです。私としては今日はタラハシまで行くのがやっとだろうと思っていました。でも主は「大丈夫、最後まで行ける。」と言われます。私は「主よ、私の膝を癒して下さらねば無理です。」と申し上げました。もう膝が限界だったからです。すると主は癒してくださいました。(拍手)行けば行くほど膝が良くなりました。まだ完全ではなく80%くらいでしょうか。もう少しバイクで旅行をせねばならないということでしょうね。(笑)

 

タラハシに着きましたが、私はとても元気でした。早くまた出発したいという感じでした。私は夕食をとりガソリンを入れて出発しましたが、どんどんとすばらしい走行となりました。今までで一番すばらしいモーターバイクの旅でした。行けば行くほど快適になりました。650マイルを一日で完走して目的地に着いたとき、私は疲れもなくピンピンしていました。それは主の臨在があったからです。

 

そして主は私を昇格させてくださったのです。 主と私はずっと会話をしていました。私は「主よ、私はこの本は絶対に書き上げます。」と言うと、主は「労働は安価です。友は高価です。でも息子はとても貴重でお金では買えません。Labor is cheap, friends are expensive, but sons are priceless.」と言われたのです。そして「あなたはもうわたしに仕えるのではありません。わたしは今日からあなたを友と呼びます。」と言われました。

 

私は主の時を知り、その時にするべき事を知る知恵を得るために、イッサカルの油注ぎを下さいと、主にずっと願っていました。主はそのためにはイッサカルがしたことをせねばならない、と言われました。イッサカルは苦役を強いられる奴隷となりましたから、私もよい奴隷となるように長い間一生懸命務めました。私がよい奴隷になったというわけではありませんが、出来る限りよいしもべ、よい奴隷になるように主に仕えてきました。でも今主は「わたしはあなたを奴隷のメンタリティーから解放します。もはやあなたは奴隷ではなく、わたしの友です。」と言われたのです。

 

考えてみると、今まで私が主のもとに行くときは命令を受けるためでした。よい兵士は王から命令を受けて、それを忠実に遂行するのです。その意味で主と私は友達ではありませんでした。主は「あなたはもう奴隷のメンタリティーを捨てなさい。あなたがここに到達するために奴隷の道を通るのは必要でした。でも今は変ることを学ばねばなりません。」と言われるのです。私にとって主と友になるのは、ぎこちなくておかしな気持でした。私は神のベイビー友達です。全く新しい主との関係に入ったばかりなのです。沢山の預言的な人から私が近々何らかの転機を迎えることは告げられていました。でもこれは私が思っていたよりもずっと深いことでした。主はまた、「自分で勝手に『私は神の友だ』と思いこむことはできません。わたしが友と呼ぶまでは待たねばなりません。あなたが奴隷として仕えることを充分に学んだので、わたしはあなたを友と呼ぶのです。」と言われました。私が良い奴隷だったというわけではないのです。主は恵みと憐れみによってそのように言ってくださるのです。

 

私はこれからは主の最良の友になりたいと願っています。今始めたばかりです。そして「息子」になるのには又かなりの道のりがあるでしょう。皆さんは、「リックは今まで40年も信仰生活をして来た。そして今やっと友に昇格したと言っている。私には到底無理ではないだろうか?」と思っておられるかもしれません。でも皆さんは私のように頑固ではないかもしれません。(笑)私のように沢山の召しをミスしてはいないかもしれません。私はある時は自分のしたいことで頭が一杯で、主が召しておられるのも聞こえませんでした。主の一日は千年、千年は一日ですから、私には40年かかったことが、あなたは一日でできるかもしれません。時間の長さではないのです。時間のメンタリティーから抜け出さねばなりません。それは奴隷のメンタリティーです。何年服役するかということではないのです。大切なのは私たちが変るということです。新しいクリスチャンが私よりずっと早く主の友となれるかもしれません。

 

聖書にはこの行程が書かれています。私たちはボーンアゲインせねば神の御国を見ることはできませんが、ボーンアゲインしたから神の御国が見えるとは限りません。実際のところ、ほんのわずかな者だけしか神の御国を見てはいないのです。ボーンアゲインした者は、「神のベストフレンドになり、息子となる力を得る道」を歩むことができます。男性がキリストの花嫁になれるのですから、女性も神の息子になることができます。(笑)私たちは常に神の御声を聞いて召しを受け取ることができるようにアンテナを張っていなければなりません。

 

「労働は安価である」:しかし、私たちはよりよい働き手になる必要があります。主の業に従事しているクリスチャンは多くはありません。真の弟子であるクリスチャンは少ないのです。 私もしもべでなくなったわけではありません。それは土台ですからなくなることはなく、毎日その上を歩むのです。

 

「友は高価である」:皆さんは何人友達がいますか? 神はあなたの友ですか? もしそうならば、その友情のためにあなたはどの位、時間や労力を注いでいますか。この世の友情でもそれを保つには、意図的に努力をせねばなりません。電話をしてランチに誘ったり、一緒に何かをします。何度断られてもあきらめません。意図的に努力をすればするほど、よい友情が育まれます。これはどの人間関係にも言えることです。神との友情も意図的でなければなりません。

 

あなたがもし神のしもべならば、あなたはしもべの権威を持っています。神の御前に出て、神から指示やインストラクションを頂くのです。でも神の御前に友として出るときは、それとは全く違うレベルの権威を持つことになります。

私は最早しもべとしてではなく、友としていつでも神のところに行ってお話ができます。私はそのことにまだ慣れていません。でもとてもすばらしいです。又、主は「あなたがもし神の息子ならば願わなくてもよい-ただ宣言すればいいのです。」と言われます。 宣言をよくするクリスチャンもいますが、彼らはまだ息子ではないので、あまり何も起りません。たまに何かが起ることもありますが。神との関係によってあなたの権威のレベルが変るのです。

 

 私はある場所で集会をするためにモーターバイクで行く時は、一直線にその場所に行くのではありません。その町の回りをぐるっと巡ってとりなしをします。主はその町で何が起っているのか、どのようにとりなせばいいのかを語ってくださるようになりました。主の御こころを打ち明けてくださいます。そのような絶え間ない主からの啓示や語りかけは今まで経験したことがありませんでした。

 

 

主が友と呼ばれたボブ・ジョーンズ師が息を引き取ったとき、マグニチュード4.1の地震がありました。それは偶然ではないと思います。彼の一番好きな聖書箇所は黙示録4:1でした。「...天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここに上れ。この後、必ず起る事をあなたに示そう。』」

私たちはもっと高く上らねばなりません。すべてのものは管理を怠ると崩れていきます。

一番大切なことは主との関係です。主との関係を意図的に深めていかねばなりません。どんどんとすばらしいものとなります。ある時には自分にはできない、と思われるような旅に出るようにと主が言われるかもしれません。でも私はもっともっと記録を延ばして長距離のモーターバイクの旅をしたいと思っています。常に記録を破ってさらに進み続け上に上って行かねばなりません。(終)


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