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30 7月

携挙のタイミングについて       マイク・ビクル          2014年7月30日


携挙のタイミングについて

 

マイク・ビクル(カンサスIHOP 国際祈りの家 ディレクター)

 

 はじめに

イエスの再臨まで賛美と祈りを絶えず続けているカンサス国際祈りの家のディレクターである
マイク•ビクル師が、携挙に関する質問に答えている談話と記事です。ご存知のように携挙に関しては
諸説ありますが、今回ここにビクル師のものを紹介させていただきます (訳者より)

 

 

 過去150年間、アメリカでは携挙の時期に関しては3つの考え方があります。そしてこの3つの考え方はアメリカの宣教師が行ったところにも広がっています。150年間にアメリカの宣教師が行っていない土地には、この考え方は顕著ではありません。まずこのことを知っていてください。アメリカのクリスチャンは世界中のクリスチャンがアメリカのように考えていると勘違いしていますが、世界的に見れば、アメリカの考え方は一部に過ぎません。

 

先ず第一番目として、過去150年の間に「艱難期前の携挙 pre-tribulation rapture」の考えがアメリカでポピュラーになりました。艱難時代の前に教会は携挙されるという考えですね。この教義はキリスト教の歴史上からすれば、かなり新しい考えです。2千年のキリスト教の歴史の中で、この考え方は、ほとんどアメリカの中だけで150年くらい前から注目されて来たものであり、それ以前は全く取り上げられなかった考え方です。99.99%そのような考えはなかったと言ってもいいのです。ですから、これはアメリカではとてもポピュラーな考え方ではありますが、 聖書的ではないと私は考えています。(艱難期前の携挙を信じているすばらしい先生方を私は多く知っていますし、彼らは神を愛し、聖書を愛し熟知し、すばらしい働きをしておられる方々ですから、私は心から尊敬しております。)

 

第二番目は、「艱難期の最後に携挙がある post-tribulation rapture」という考え方であり、私はこれが聖書的であると信じています。この考えはキリスト教の2千年の歴史を通して教会が教えて来たものであり、アメリカの宣教師が行っていない地域で信じられていることです。アメリカからの影響を受けていないところはこのように信じています。

 

第三番目は、携挙をまったく無視する考えです。「そんなことはわからない」と言って考えもしない人たちです。

 

私は携挙は大艱難時代の最後に起こると信じています。艱難前の携挙を信じている人たちは、「艱難時代は非常に恐ろしい時であり、神の裁きの時である」と思い違いをしています。艱難時代というのはほとんどの場合、反キリストに対する神の裁きの時なのです。黙示録の大部分は反キリストの艱難について書かれています。即ち、反キリストに対する神の裁きであり、教会に対する裁きではありません。

 

黙示録には400の節がありますが、(実際は403ですが、400と考えてみましょう。)その中の12の節だけが、教会に対する迫害に関して書かれています。即ち黙示録の3%だけが、教会が反キリストや暗やみの力から受ける迫害に関する箇所なのです。黙示録の97%は違います。従って黙示録の主要なテーマは反キリストが苦しむことについて書かれているのです。イスラエルの民がエジプトにいた時にモーセがパロに対して裁きを下したように、終末の教会はモーセより偉大なイエスによって、終末のパロである反キリストに対して裁きが下されるのです。黙示録に書かれている艱難はエジプトの10の災いと非常に似ています。3千5百年前にモーセがパロに対して起こした災いは、イエスが反キリストに対して起こすものの型です。

 

ですから大艱難時代というのは、教会も確かに艱難を通りますが、それよりはるかに激しく暗やみの勢力が 艱難を受ける時なのです。それは教会にとっては非常に輝かしい時です。教会が最も力を顕す時であり、最も清くされる時であり、最も一致する時であるのです。私は艱難期前の携挙を信じている方に「もし艱難期がクリスチャンが酷い苦しみを受ける時であるとするあなたの考え方もわかります。」と申し上げます。しかし艱難期がどのような時であるかに関して、違う視点を持っていただきたいのです。それは勝利の時であり、すばらしい時なのです。神の裁きを恐れる必要はありません。

 

 

終末に関して最もよくある100の質問からの抜粋

 

*質問:イエスはマタイ24:36で「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。」と言っておられます。私たちはイエスの再臨の時を知ることができるのですか?

マイク・ビクル:イエスは「再臨が起こるシーズンや世界の状況、状態を私たちが知ることは出来ない」とは言っておられません。「主が再臨される世代の教会がその日や時を知ることはない」とも言っておられません。

それがいつ始るのかに関しては、御父のことばを捜し求めねばなりません。御父だけがご存知だからです。神は初代教会がその日、その時を知ることは願われませんでした。しかしダニエルと使徒ヨハネは、「荒らす忌むべきもの the abomination of desolation」の出現から丁度1260日後にメシアが来ることを明確に示しています。(ダニエル7:25;12:7;黙示録11:2−3;12:6、14;13:5)

 

*質問:私たちは時のしるしを知ることができますか?

マイク:はい。終末の時代と時のしるしは、すべての者に理解されるように書かれています。キリスト教の歴史を通してみると、信者のほとんどは無学な庶民でしたから、聖書は彼らにもわかるように書かれているのです。イエスとパウロは終末の預言的しるしを知ることの重要性を強調しています。(マタイ24:32−34;ルカ21:25−29;第一テサロ二ケ5:1−6;第二テサロ二ケ2:1−11)私たちが再臨の時やシーズンを知ることは出来ないというのは、偽りです。

 

*質問:歴史上のすべての世代が「自分たちは終末の時代に生きている」と信じていたというのは本当ですか?

マイク:「ほとんどの世代が自分たちは終末の時代に生きていると信じていた」というのはよくある誤解です。そのように信じる人たちが各世代にいたかもしれませんが、いたとしてもそれは非常に少数(1%以下)です。世界的にみて、「私たちは終末の世に生きている」と数十年に渡って皆が信じていた世代が一度だけありました。それは初代の使徒の時代でした。

 

*質問:今私たちが再臨の世代に生きていることがどうしてわかりますか?

マイク:再臨の「シーズン、世代」を指し示している聖書箇所は多くあります。

(マタイ24:4−8) それらの幾つかを挙げます。

1.世界的な祈りのムーブメントの出現(イザヤ56:7)

  「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる...わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」

2.知識の増加(ダニエル12:4)

3.花嫁のパラダイムの啓示(黙示録22:17)

4.すべての国における魂の大収穫(マタイ24:14;黙示録7:9)

5.悪の増大(ダニエル8:23;黙示録14:9)

 

質問:最後の7年がいつ始まるのかはどうして知ることができますか?

マイク:反キリストと国々が契約を結ぶときに始まります。それはパウロが第一テサロ二ケ5:3で預言している「平和と安全」をもたらすといわれるものです。

 

 質問:ディスペンセイショナリズム(天啓時代主義)とは何ですか?

マイク:世界の歴史が7つの異なった時代(ディスペンセイション)に分けられているという考えです。それにはジョン・ダービー(John Darby)によって1830年から提唱され、スコフィールド・リファレンス・バイブルによってポピュラーになった終末論も含まれています。その終末論とは神の民が大艱難の前に「密かに携挙される」という論であり、故に教会は大艱難を通らないことを教えています。ディスペンセイショナリズムの神学の歴史は200年以下です。

 

質問:艱難期後の携挙(post-tribulation)を信じるとはどういう意味ですか?

マイク: クリスチャンは大艱難時代の最後の時、イエスの再臨の時に携挙されることを信じることです。聖書は明確にこのことを教えています。イエスはマタイ24:15−26で大艱難について説明したあとで、信者が携挙されるタイミングについて述べておられます。(マタイ24:29−31)

「だが、これらの日の苦難(tribulation)に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」

 

質問:イエスの再臨はいつ起こるのですか?

マイク:イエスの再臨は7番目のラッパが鳴る時です。(第一コリント15:52、黙示録10:7;11:15−19)再臨の行程は3段階に分かれていて、その30日間に多くの出来事が起ります。(黙示録11:2−3;12:6、14;13:5;ダニエル7:25;12:7とダニエル12:11とを比較してみてください。)

1.イエスはまず第一に、聖徒たちを携挙するために空中に現れますが、この時すべての人がこれを見ます。(黙示録1:7)

2.次にイエスはエドムの地を行進します。(現在のヨルダン イザヤ63:1−6)

3.最後にイエスはエルサレムに行進し、オリーブ山で(ゼカリヤ14:4)イスラエルのリーダーたちから公式に迎えられます。

 

*質問:イエスの再臨の行進が30日間というのはどうしてわかりますか?

マイク:大艱難時代は3年半(ユダヤ暦の一年は360日)、即ち1260日(黙示録11:3;12:6)、42ヶ月(黙示録11:2;13:5)です。大艱難は1260日続きますが、ダニエル12:11には「荒らす忌むべきもの the abomination of desolation」は1290日の間あると書かれています。それは、聖徒の艱難の期間は、地上に反キリストがいる期間より30日短いということです。ではどうしてこの30日間があるのでしょうか? 第一コリント15:52によれば、イエスは最後のラッパ(即ち黙示録11:15の第7番目のラッパ)が鳴るときに再臨されます。それから30日間、聖徒たちはイエスと共に行動します。そして「御怒りの七つの鉢」がぶちまけられます。

 

*質問:その30日の間、イエスと聖徒たちはどこにいるのですか?

マイク:30日間に幾つかのことが聖徒たちに起こります。マタイ24:31;第一テサロ二ケ4:17;黙示録11:15−18に書かれています。聖徒たちは空中に引き上げられ、復活の身体を受け、イエスからそれぞれ報いを与えられます。そして「エルサレムの戦い」の為に軍隊として調えられます。この戦いは地上のすべての国を勝ち取るための戦いとなります。これはイエスがエドム(イザヤ63:1−6、現在のヨルダン)から「モーセよりも偉大な者」として進軍して来る時であり、終末のパロである反キリストに裁きの鉢をぶちまけるのです。イエスはイスラエルを解放し、反キリストとその軍勢を殺し、それによって「荒らす忌むべきもの」(黙示録19:11−21)を止めさせます。聖徒たちはこれらの事に参加します。教会の携挙から、イエスがエルサレムへ凱旋入城し、王の王として迎え入れられるまでの劇的な出来事が30日間に起こります。

 

*質問:エルサレムに神殿は建てられるのですか?

マイク:聖書にはこれから二つの神殿がエルサレムに建てられると書かれています。一つ目の神殿は大艱難時代に入る前から用いられるもので、「艱難神殿 tribulation temple」と呼ばれます。この神殿は、反キリストがユダヤ人のすべての生け贄を止めさせ、「荒らす忌むべきもの the abomination of desolation」を打ち立てて自分が神であると宣言するので、この神殿の神聖さは汚されます。(マタイ24:15;マルコ13:14;ダニエル9:27;第二テサロニケ2:3−4)

イエスが再臨された後、主はもう一つの神殿を建てられます。これはエゼキエル40−48章に書かれている神殿で、千年間(ミレニアム)の地上でのイエスの統治の座(ゼカリヤ6:12−13)となります。この神殿は「ミレニアム神殿」と呼ばれます。(終)

 

 


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