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Walk With God Ministries

02 7月

ワーシップと主の臨在     ダン•ポッター          2014年7月2日


ワーシップと主の臨在

ダン•ポッター(2013年10月モーニングスター•ミニストリー•ワーシップカンファレンスにて)

15年くらい前のことですが、神が私の人生のいろんなボタンを押し始めました。私は押して欲しくなかったボタンだったのですが、神は私の人生を変えていきました。私はフォークソング・シンガーで、のんびりとした甘い歌を歌っていました。そしてクリスチャンになったのですが、同じように甘いクリスチャンの歌を歌っていこうと思っていました。やがてモーニングスター•ミニストリーに来るようになり、そこでリック•ジョイナーと出会いました。皆さんもご存知だと思いますが、彼は社交辞令を言うような人ではありません。非常に預言的なので、霊的にあなたを揺さぶる人です。

モーニングスターで6日間のカンファレンスをすることになり、いろいろなスピーカーによる集会がありましたが、3日目の日曜の夜にコンサートのようなものがありました。数人のミュージシャンが集まって順番にステージに立ちました。ジョン•エリオット、ジュリー•ジョイナーやスジーもいたと思います。私の番は最後でした。それらの人々が次々に演奏したり歌を歌ったりしたのですが、本当にどんどん素晴らしくなっていくのです。皆さんはそのような時、「そんなに上手だと困るなあ...」と思われたことがありませんか?-自分はその後に演奏しなければならないのですから、それよりうまくないとちょっと困るのです。私は自分の演奏曲目を頭の中で何百回も並び替えました。
私がステージに上がる番になったので、私は甘いフォークソング風のクリスチャンの歌をギターを弾きながら歌い始めました。それは人生で一番惨めな経験となりました。サタンが私の耳もとで「おまえは何をしているんだ。死んでしまった方がいいのではないかい?
もう家に帰ったらどうだ? これは預言的カンファレンスだよ。おまえは本当にバカだね。」とささやき続けるのでした。

私は2曲目の半ばまで歌ったときに、あまりにも霊的に乾ききりそのドライさがひどいので、もうやめて帰ろうと思い、歌うのを中止してこう言いました。「皆さん、こういう機会を与えていただいたことは感謝しているのですが、こんなにひどい苦しみに会った経験は初めてです。敵がひどく私を攻撃して来ており、どうしてもそれを振り切ることができないのです。私はこれ以上我慢することができません。私と同じように敵に腹を立てている人はいますか?」すると、そこには2200人くらいの人がいたと思うのですが、みんなが一斉に立ち上がり、叫びながらステージの前に走りよってきました。それには私も驚きました。

しかし、私の背後にいるドラマーのマイク•メイプルはずっとたたき続け、レオナルド•ジョーンズはベースギターを弾き続けました。私が何をしたからではなく、天がその場を支配し始め、霊的戦いが始まったのです。人々は叫び、ドラムはなり続け、私はギターをかき鳴らし続けました。甘い歌を歌うつもりだったのが、もう何の歌を弾いているのかもわからなくなっていました。ただ天からの油注ぎを受けてそれに押し出されるよう弾き続けていました。少し騒ぎが収まるのに2時間かかりましたが、それで終わったわけではありませんでした。私は何度も終わらせようとしましたが、止められません。人々がこれほど敵に腹を立てていたとは知りませんでした。サタンのネガティブな声を聞いて苦しめられていたのは私だけではなかったのです。

そういうことがあったので、リックがワーシップ•カンファレンスをしようと言い出しました。そのカンファレンスは最初「ダビデのこころ」というタイトルだったのですが、最終的には「ワーシップと霊的戦い」に変えられました。ワーシップは戦いだからです。そして驚いたことに、そのカンファレンスに大勢の人が押し寄せて来て、会場はあふれてしまったのです。

それは全くクレージーなカンファレンスとなりました。聖霊が主導権をとったのです。神が介入されたのです。私は自分がすることや自分のやり方には飽き飽きしていました。神にやって欲しいのです。皆さんはどうですか?
今教会で行われているワーシップに退屈している人はいませんか?それを認めるのは罪ではありませんよ。もっと高いものに対する飢え渇きを持つのはよいことです。飢え渇きがないときには退屈にはなりません。飢え渇きがあると、「私はもっと欲しい。私は絶対にもっと必要だ、欲しいのだ。」という思いがわき上がってきます。

その後数年の間、私は多くのカンファレンスを経験し、私の人生は神によって変えられていきました。しかし私の中である一つの小さなことが起こっていたのです。これはほとんど気がつかないうちに起こっていました。

最初の「ワーシップと霊的戦い」のカンファレンスの時、臨在の雲が舞台の上に立ったことがありました。勿論みんな大喜びで興奮しました。モーニングスターはその臨在の雲のおかげで有名になりました。多くの人がワーシップ中に聖霊に満たされたり癒されたりしたときに、そのワーシップをリードしているミュージシャンたちが、「これは自分たちとは全く関係なく起こっている」と考えるのは大変難しいです。どうしても自分の演奏と主の臨在とを関連ずけてしまうからです。

その年の秋にまたカンファレンスがありました。なんと、舞台に雲を立たせるのは「私の責任」という感じになってしまったのです。(笑)そんな試みにどのくらい成功率があると思いますか?
生ける神の臨在の雲を呼び起こすことなど、人間には到底できることではないのですが、しかし、人々はそれを私に期待したのです。私は胸が張り裂ける思いでした。人々の期待に答えるために何かをした経験のある人はいますか?
主はその時こう言われました。「今日のワーシップは全くドライになるよ。あなたは何もできないのだから。」と。

私は臨在の雲を現そうと必死にワーシップを導きました。非常に苦しい経験でした。会衆はとても好意的でナイスで、私の音楽に合わせて歌い踊って「とてもいいね」と楽しんでくれていました。でも霊的には非常にドライでした。ついに神は私に歌の途中で演奏をやめるように言われました。「これはわたしではない。」と言われたのです。私は「これは神様、あなたではないのなら私ということですね、わかりました。あなたではなく私なのですから、これは本当にどうしようもないですね。どうしたらよろしいでしょうか。」と申し上げました。すると神は「『わたしに赦しを乞う』ことをしてはどうか。ワーシップを止めて、人々に『神様に何かさせようとしていたことを悔い改めましょう。』と提案してはどうか。」と言われたのです。自分の力で主の臨在をもたらそうとした経験は、きっと皆さんもあるのではないでしょうか。

私はもう主の言葉に従うしかないところまできていました。それで演奏をやめて自分が自分の力で演奏していたことを人々に告白し、悔い改めました。人々は泣き始め、私を赦し、また彼らも「神ぬきで御国を現そうとしていたこと」を悔い改めました。「御国を来たらす」ことを自分たちの力でしようとしていたのです。でもそれは絶対に起こりません。そこで私たちはしばらくの間悔い改めの時を持ちました。すると主が顕われてくださいました。2、30分の間です。そしてまたアイオワに行ってしまわれました。(笑)その残りのカンファレンスの期間は引き続きとてもドライでした。私たちはどうにかしようとして戦い苦しみました。いろいろとしましたが、うまくいかないことが沢山ありました。

神の御国には統制・管理するガバメントがあります。クリスチャンは自分たちは信じているからガバメントは必要でない、みんなそれぞれの方法で神に従えばいいのだ、と考えがちです。私たちはナイス-いい人です。でも神はナイスではありません。神は親切で慈しみ深い方ですがナイスではない。ナイスというのは、うそをつくことです。神はうそをつきません。私たちはナイスなので、誰かに「やめろ!バック・オフ!」と言うことなど考えられないのです。

神が次ぎのように言われた時のことをよく覚えています。礼拝が始まる前、ミュージシャンたちと祈ったときに、私はこのように言いました。「私は今日のワーシップがどのように進んでいくのか実際のところ予測できません。」するとみんなは「オーケー」といってそれぞれの位置につき、好き勝手に演奏し始めました。私が舵をとらなかったので、他のメンバーたちが思うようにやり始めたのです。私がいてもいなくても全く関係がなかったでしょう。私は心の中で「エー、一体何が起こったんだ!」と思いました。すると主が「あなたがワーシップがどこに向かっていくか知らないからといって、それはあなたがリードしないということではない。」と言われたのです。神の御国にはガバメント、統制、統率があるのです。ガバメントが必要であり、それは確立されねばならず、人々はそれに従わねばなりません。それがないとき、主はワーシップタイムを祝福されません。主はそこには来られません。あなたが「主よ、来て下さい!」と一生懸命にお願いするのは自由ですが、主は来られませんよ。
という訳で、私たちはひどいワーシップを続けました。人々はすごくやさしく親切で、私たちのワーシップがドライであることを非難したりしませんでしたので、私たちはわからないままに演奏を続けたのです。幾度かのカンファレンスがそんな具合でした。

しかしとうとう、バンドが集まり、みんなで私のところに話にやってきました。彼らは私の権威のもとに従うと言って来たのです。言っておきますが、それは私にそのような価値があったからではありません。私たちのワーシップチームのミュージシャンの中には素晴らしい才能をもった人たちが沢山いました。誰でも問題なくワーシップリーダーを務めることはできました。けれども理由はわかりませんが、神は私をリーダーに選ばれたのです。彼らは「私たちはあなたに従いますから、どのようにすればいいのかを言って欲しい。」と言いました。

それからみんなが、私のリーダーシップに従う訓練をされたのです。
神は後ろで歌っている人に霊の歌を与え、それと同じのを私に与えられて、後ろの人をいらいらさせることがあります。スージーが「神が私に歌を与えられて私が歌おうとする前に、どうしてあなたが歌い出すの?私のチャンスをあなたは奪ったわ!」と言って怒ったことがありました。私は「どうしてかわからないけど、多分、神様はあなたがじっと神からのタイミングを待てるかどうかテストしたんじゃないかな。」と言いました。

ステージの上で起こることの半分は、人々の中でも起こることです。ワーシップチームはキリストのからだの中で起こることを目に見える形で表すものかもしれません。あなたが耐え忍ぶことができるか、あなたが主と一致することができるか、神はみんなをテストしているのでしょう。あなたがガバメントに従うことができるか、自分をしつけることができるか、と。これは難しいことです。でも私たちは今までのように生き続けてはならないのです。一歩前進せねばならないとあなたは感じておられるでしょうか?

音楽は音楽であり、どこででも聞くことができます。しかし神が音楽を使われるとき、私たちが神の音楽をどのように取り扱うかを知らなければなりません。

主は私たちのワーシップにすばらしい油注ぎを与えてくださいました。ジャクソンビルで起こった時のことですが、ある集会に朝9時に出掛けました。神が「今日わたしはある事をします」と言われました。私は「それは素晴らしいですね。それで一体何をされるんですか?」と聞きました。勿論神は教えてくださいませんでした。私に教えたらすぐにみんなにその秘密を吹聴してしまったことでしょう。

そこに着いて、私が作曲した「Who Do You Say I Am あなたはわたしを誰と言うか」という歌を演奏し始めました。この曲を演奏したのはその時が初めてでした。歌い始めて「あなたはキリストです」と叫ぶ部分にきたとき、突然停電になり、真っ暗になってしまいました。5秒くらいで電気はついたのですが、全員がこれは停電ではなく神がされたことに気がついたのです。神がそこにおられました。その教会の人が言っていたのですが、そこには私設の発電機があって停電には絶対ならないということでした。停電になることは不可能だったのです。

停電になったとき、人々の叫びと共にいろんなことが起こり始めました。神が私に「わたしは誰が本当の勇士であることを示します。」と言われました。停電になったとき人々は慌てふためき、ミュージシャンは床に座りこんでいました。でもドラマーのマイク•メイプルはドラムを叩き続けていました。ベースのレイノルド•ジョーンズも弾き続けていました。そして、私もギターを弾き続けました。すると主が「これらが勇士たちです。」と言われました。他の人たちは全部床の上に座りこんでいました。しかし勇士たちは油注ぎのパワーの中でも機能し続けたのです。私たちはそのことを学ばねばなりません。

「油注ぎが激しくて人々は驚いて右往左往しています。」そうです。でもあなたの役目はなんですか。演奏を続けることです。「でも人々はたじろいでおろおろしてますよ。」そうです。でもあなたの仕事は何ですか。歌を歌い続けることです。「でも癒しがそこかしこで起こっています!」ええ、でもあなたの仕事は曲を演奏し続けることです。

油注ぎが激しく下ったとき、キチンと演奏することを投げ出してしまうことが何度あったでしょうか。その時主の臨在は去ってしまうのです。私たちは主の臨在をもてなしてその中で演奏を続けることが出来なかったのです。ですからどんなことがあっても演奏をやめてはいけません。主が「ストップ」と言われるまでです。簡単でしょう?
神のパワーが下るとき、おろおろしないで、もっとしっかり演奏を続けるのです。

10分くらいの大騒ぎのあと、やっと人々が落ち着き始めました。その時に10歳の女の子が救われました。それは溺れそうになっていたのが救われたのです。湖でボートに乗っていたときに水中に落ちたのですが、ちょうどそれは電気が切れた瞬間だったのです。電気がついたとき私たちは救いの歌を歌ったのですが、私は霊で感じて「誰かが救われた!」と言ったのです。その時にその女の子は水の中から救われました。それはその教会の駐車係をしていた人の娘でした。
このような小さなことの関連性はまったく無意味だと思われるかもしれませんが、神がされることはすべて重要なことで、神の目的があるのです。その目的が何であるのかをあなたは知らないかも知れません。あなたの歌う歌がまだ教会に来ていない人の耳に神が届かせているのかもしれないのです。

物事を統率するガバメントがあなたの教会においても確立されねばなりません。頭の中だけで賛成しているのではいけません。「私はガバメントに反対ではありません...私がボスでいられるかぎり。」とかね。(笑)でも一つの秘密を教えましょう。イザベルとう人物がいましたね。コントロールをする女性のことだと普通考えてしまいますが、そうではありません。それは聖書の言葉をあなたが生きている時代に合わせて変えてしまう霊のことを言うのです。彼女は「律法はすばらしい、私に適応されない限りは。」と考えたのです。「それは私には適応されないから、私は私の好きなようにするわ。」という霊なのです。

同じ霊が今の教会に来て「あなたたちは恵みによって救われたのだから、何をしてもいいのよ。不品行をしたり、偶像に供えた肉を食べてもいいのよ。」と言うのです。今教会でそれが起こっています。そしてその多くはミュージシャンを通して来ています。ミュージシャンはガバメントの下に従うことを拒否する傾向にあるからです。

恐らくこの私はそういう反抗者の頭でしょう。私を秩序の下に従わせるには長い時間が必要でした。15年間私は「どうやって私の王に仕えようか?
王よ、私は素晴らしいミュージシャンであり、あなたの御国のために素晴らしいことができるんですよ。」という風に考えて来ました。でも神は「確かにそうですね。でももう少し待ちなさい。わたしがあなたを解き放つまで。」と言われたのです。私は15年間、毎年、「今ですか?
今ですか?」と主に聞きました。でも主はずっと「ノー」と言われ続けました。50歳になっても「ノー」と主は言われたので、私はもう家に帰って何もしないでおこう、ミニストリーをもう一生できなくてもかまわない。」と思いました。すると主は「すばらしい。わたしはあなたを用いることができる。」と言われたのです。(笑)

皆さんは何かの賜物があるので、ワーシップチームに入っているわけです。でも神様があなたをひどく試されて、あなたの本性が顕われるまでになることに耐えられますか?
証明するとはそういうことです。あなたに試練を与え、厳しいストレスをかけて、あなたの本性が何であるかを露にするということです。それによってあなたは自分の性格、本性が見えるのです。自分の性格をはっきる見るのが好きな人はいますか?そんな時私は部屋の隅にうずくまって「何故私はこんな人間なんだ。」と言って泣きます。

でも主は「わたしはあなたの人生にパワーを与えるためにこうしているのです。火のバプテスマを通して。」と言われます。マラキ3:1に「あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。」とあるように、主は神殿、つまり教会に、精錬する者の火のように、布をさらす者の灰汁のように来られ、まずレビの子をきよめられて、ささげものが主を喜ばせるようにされるのです。私たちの王がそう言われます。「わたしはすばやく来る」と。火と洗濯が関係しているようですよ。まずレビ人からですね。レビ人とは主の前に仕える者たちです。

ですから私たちの人生に精錬する者の火が来るのです。ステージで煙の臭いがするならば、それは多分あなたでしょう。あなたに火がついているのでしょう。心配しないでください。水の入ったバケツと大きなブラシをもってあなたをごしごし洗ってくれる人が来るでしょうから。それはやはり嫌なことですね。でもこうされないとあなたはパワーをもって歩むことはできませんキリストにあって訓練されずにキリストと歩むことはできないのです。

ミュージシャンとして楽器を弾いている皆さんは、なんらかの方法ですでに訓練の中を通されています。練習しないで弾ける楽器はありません。皆さんは最初はうまく弾けなくても、練習を重ねてきたわけです。だからある意味で訓練されているのです。ですからもう一歩訓練をされて、キリストと共にパワーをもって歩んでください。

これから主の油注ぎのパワーが教会に臨み、教会を驚かせる時が来ようとしています。それはものすごい力なので、あなたが主にあって訓練を受けていなければ、うまく受け止めることはできません。主の臨在があまりにも濃いとき、それはあなたの身体に染み通り、あなたはどうすればよいかわからなくなります。あなたは主の臨在の中に留まることを習得していなければならないのです。主の臨在を知る訓練が必要です。自宅で何度も何度も主の臨在を知る練習をしてください。とにかく訓練し続けてください。主の御前で歌ってください。自分で歌を作ってなんでも歌ってください。

その時が近づいているのです。いえ、もうある所では始まっています。それは「収穫の音」と呼ばれています。主は失われた魂をミュージシャンを通して呼び寄せておられるのです。(終)


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