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Walk With God Ministries

13 6月

清められ、備えられる    ボビー・コナー       2014年6月13日


清められ、備えられる

 

ボビー・コナー

 

備えの時

愛する皆さん、私たちは今、聖霊の働きが大いに増し加わる時代のまっただ中にいます。キリストのからだは、神の新しいご計画が始る日のために今、調えられているのです。神の御霊は今、新しいことをしておられますから、私たちが聖霊と共に働くためには調えられる必要があるのです。(イザヤ48:6、7)このプロセスが完了するまでに長くかかるかもしれませんが、神はこの日のために長年の間ずっと私たちを準備してこられました! この世の基が築かれる前から神が私たちのために用意されておられたデスティニーへと、今私たちは動いているのです。

 

今は準備のシーズンです。真理の御霊は信じる者たちを深く取り扱っておられ、 私たちが今まで持っていなかったような聖さで一心にキリスト・イエスご自身に近づくようにと、私たちを召しておられます。主の民は燃える火のような主の臨在の中で主とお会いできるように調えられているのです。 心をつくして主を捜し求める者はすべて神を見出すことができ、またその者たちのうちに神は見出されるのです。(エレミヤ29:12、13)

 

まことに「淵が淵を呼び起こす(詩編42:7)」のです。今は中途半端でなまぬるいままでいる時ではありません。今は深みに入って行き、使徒パウロと共に「キリストを知りたいのです  that I may know Him(ピリピ3:10)」と叫び、主の似姿に変えられ、主の臨在を持ち運ぶ者と変えられるべき時です。花嫁はキリストとの真の結合を経験するために調えられています。それは主と親密になり主を深く知り、私たちの霊、魂、身体、すべての面において主と似る者となるためです。

 

聖さの啓示

の啓示それでは、私たちはどのようにして変革されているのでしょうか? 真理の御霊は私たちが純粋で正しいことを強調されています。それは私たちが皆、真の聖さを持ち主を恐れかしこんで歩むためです。(2コリント7:1)これは律法的に生きるということではなく、王なるキリストへの愛と忠誠から生まれる聖さです。

 

確かに今キリストのからだは、単に 「イエスが救い主である」という教義で主を知的に知るだけでは最早満足していません。この主の民の飢え渇きに主は応答してくださり、 私たちの霊の内にイエスというお方を顕してくださっています。今まで「頭の知識」として理解していたものを、私たちは霊的啓示を通して経験し始めるのです。そして私たちの心の目が開かれるので、私たちの人柄、性格、ライフスタイルが変革されていくのです。(エペソ1:17、18) 誠実さ、正直さが一番大切になります。私たちは毎日の生活をそのように歩みはじめ、主はそれを見て喜ばれます。(コロサイ1:9、10)

 

作戦、戦略の啓示

主のためにより深く聖められた結果として、多くの者が今の重要なシーズンに用いるべき神の戦略を受け取るでしょう(ヨハネ16:13)。 主の求めならば何でも応え、ためらわずに主のことばを聞くと決意したすべての者に、真理の御霊は啓示的洞察を解き放っています(ヤコブ1:22)。神のご計画と目的がますます進展して行くのをあなたは見るでしょう。 聖さと力を持ち、キリストの絶対的権威の中で生き、動き、存在する人々を、神は持たれるでしょう。

 

デスティニーの啓示 

今あなたが「自分はデスティニーの中を歩んでいる」と感じているかどうかにかかわらず、あなたは王の王なる方によって主の良き目的のために調えられています。あなたは神によって選ばれ、永遠の昔からデスティニーを与えられているのです。どうしてでしょうか? 主はあなたを御自分のパートナーとして神の御国の将来を共に造る者として召しておられるからです(2コリント6:1)。これはあまりにもすばらしくて信じ難いことですが、神のことばなのです。エペソ2:10にこう説明されています。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」

 

「神の作品」とはどういう意味でしょうか? 「作品 workmanship」と訳されているギリシャ語は「poiema」で、英語の「poem (詩)」もこの言葉に由来しています。まさに私たちはずっと昔に書かれた神のポエム(詩)であり、地上での神の臨在の生きた証しとなるように書かれたものです(詩編139:16、17)。すべてのクリスチャンは例外なく、神があらかじめ備えてくださった良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって創造されたのです。

 

油注ぎの啓示

多くのクリスチャンは「あなたのみわざをあなたのしもべらに見せてください(詩編90:16、17)。」と必死で叫んでいます。幸いなことに、神の油注ぎは イエスに従う聖く正しい者たちの上にとどまり、私たちは 地上の主の目的を果たすことになるのです。神は私たちのために良い行ないを備えてくださったのみならず、それを達成するために必要な恵みをも与えてくださっていま

す(ピリピ4:13)。私たち一人ひとりは神の目的を果たすために油注がれています(使徒1:8)。

 

私たちが今、神からの啓示を敏感に受けとるシーズンへと入っていくとき、私たちの召しとデスティニー(即ち人生の第一の目的)は、愛するイエス・キリストのうちに留まり、主にだけ目を留め続けることだということを決して忘れてはなりません。私たちは主の光の中にだけ光を見ることができるのです(詩編36:9)。主の臨在の中にだけ、私たちは喜びと聖い心を持つことができるのです(詩編16:11)。

 

聖い心のリーダーたち

喜びと聖さという成熟した徳は、多くのクリスチャンの中に見られますが、特にリーダーたちがキリストのからだのために更に高い基準を示すことは大変重要です。私たちが主を見るためには、心の聖さと動機の純粋さが必要とされます(ヘブル12:14)。地上で神の御国を打ち立てることを唯一の目標としている神から選ばれたリーダーたちが、今現れてきています。

 

心の聖さはすべてのクリスチャンやリーダーにとって絶対に必要とされるものです。なぜならば、かつて経験したことのないようなしるしと不思議のシーズンに入っているからです。しかし、警戒する必要があります。超自然的なことは、聖霊だけからではなく暗やみの勢力からも現れるからです。聖書は、終りの時には惑わしが強くなると警告しています(マタイ24:24)。敵は多くの者を惑わそうとしますが、キリスト・イエスはさらに大きなわざをなすために調えられた人々を、ご自分のために持つようになります(ヨハネ14:12)。

 

キリストのからだなるクリスチャンやリーダーは、「どうせ今までとあまり変ったことは起きないだろう」というようないい加減な気持でいてはなりません。今から進んで行こうとしているところは、今まで行ったことのないところだからです(ヨシュア3:4)。この先にあるもののために私たちは皆準備をしなければなりません。それは全能なる神への畏敬を胸に抱くようにという召しです。すばらしい主への畏敬の念が神の民に戻り、それによって神の知恵が解き放たれています(詩編111:10)。これから何百万という人々の心が神の力によって触れられ変えられていきます。それは神の民がキリストへの熱狂的な愛へと戻るからです。(終)

Bobby Conner
Eagles View Ministries


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