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09 10月

四つの風と三本の柱(その1)


四つの風と三本の柱(その1)

    -モーニングスター・ハーベスト・カンファレンス 

        9月29日 日曜礼拝でのメッセージ -

 リック・ジョイナー     2013年10月9日

 

私はこのカンファレンスの直前に御使いの訪れを受け、変化の風がこれから吹いてくると言われました。今世界的に大きな変革が来ようとしていると言う知らせはよいことであると思います。

そこで先ず、黙示録 7:1を見てみたいと思いますが、そこに大地の四隅から吹く「四つの風」が出て来ます。「 この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。」【新共同訳】

 

ここで、出来るだけ手短に人間の歴史を振り返ってみたいと思います。このことは前にもお話しましたが、二十年ほど前に、主が私にこの四つの風が何であるかを示して下さいました。それは人間が築いて来た世界文明の歴史の中で、文明を変えるほどの大きな革命的な変化を起こさせたのがこの四つの風であると言われたのです。それは天からの霊的な風ではなく、地上で人間とか国々の間に変化を起こす力の風です。最初の強い風は武器と武力で相手を征服する軍隊のパワーでした。次に起ったのが宗教間の戦いをもたらす宗教のパワーです。三番目が政治的な争いの力-すなわち封建君主制から民主主義、共産主義等の力の台頭とその争いです。そして最後に来るのが経済力-エコノミカル・パワーです。これら四つの力が、それぞれの時代に、主な力となってその力による闘争が見られ、一つの力が表立って強力な風として吹く時に、他の三つの力はそれに従属的に働きます。

 

二十世紀に入ってからは、世界を支配する力の闘争は主に経済力によるものに変わって来ました。それが世の終わりが近づくに従ってより明瞭になります。ハーベストの時とは世の終わりの時、すべてのものが成熟して刈り取られる時です。悪魔が世界を支配しようとして起こす経済力による戦いが頂点に達し、すべてをマネーが支配し、金融と通貨の力によって世界の国々の景観が今過激的に変わりつつあります。

 

そこでこれから終末に向かっての大きな問題の一つは、黙示録に出て来る「獣の刻印―mark of the Beast 」を受けるか受けないかです。その刻印を受けなければ誰であっても「買うことも、売ることもできないようになる」と黙示13:15-17に書かれています。そうなると、私たち世界中のすべての人間は、世界を経済的に完全に支配するかに見える「獣」の支配下に入り、その印しを得なければ生きていけなくなります。

 

しかし、この刻印を受けない方法が一つだけあります。それは簡単です。それは「主の刻印」を受けることです。(訳者注:黙示7:3)なぜなら獣は主の刻印が付いている人の上に獣の刻印を付けることはしないからです。獣の刻印を受けることそのものは罪ではありません。獣を礼拝することが罪なのです。しかし、獣の刻印を受けると言うことは即ち獣の経済力を頼りにすることの証拠ですから、獣を礼拝することになるのです。これが理由で私たちクリスチャンは神を礼拝します。神だけがすべてよいもの、必要なものの供給者であり、その源であることを信じるからです。

 

大きな変革の風がやって来ます。ダニエル書2章に書かれているネブカデネザル王の夢を解き明かしたダニエルは、王が夢で見た「一つの大きな像」が人間の王国の歴史を表し、最後にイエス・キリストの王国を表す「ひとつの石」があらわれ、その像の足を打って像を打ち砕き(ダニエル2:31-45参照)その石は大きな山となって全地に満ちると言う預言が成就する時がいよいよ近づいて来ました。

神の王国(御国)においては国の政府が無くても国の経済は存在します。しかし、この世では強力な政府がなければ経済は存在しません。基本的に神の王国を理解するには神の経済を理解しなければなりません。今は経済の力がすべてを支配する時代ですから、特に私たちクリスチャンは、イエス・キリストの「王国の経済」のことをしっかりと理解しなければなりません。かといって経済学を改めて学ぶ必要はありません。すべて聖書に書かれています。神がすべての財源であることさえ理解していれば充分です。王国の経済 kingdom economy はこの世の経済とは違った通貨を持っています。その通貨とは愛であり、信仰です。

 

このことに関連して主はかなり以前に「この世の中で最も成功する方法を教えよう」とおっしゃったことがあり、私は待ちました。そして教えられたのが1コリント13:8の「愛は決して絶えることがない。 Love never fails. 」と言う愛の法則でした。(訳者注:この言葉のギリシャ語の原語 ekpipto の意味の中には「失敗することがない、無能であることはない」という意味があります。意訳すれば、英語の訳のように文字通り「愛をもってすれば、決して失敗しない、必ず成功する」の意味になり、Joyner 師はそのように解釈しています。)

あなたが新しくビジネスを始めるとき決して失敗しないやり方があるのです。それは、あなたは先ずあなたが扱う商品を心から愛することです。そしてその商品の仕入先の会社を愛し、お客さんを愛し、あなたの会社の社員を徹底的に愛するのです。そして、その商売に関連するいかなる事とかそれに関わる人たちを愛するならば、あなたの商売は決して失敗しないと神はおっしゃるのです。

私はその頃、とてもビジネスでうまく行っていました。私が投資したり売買する株で随分儲けました。一番安い時に買って一番の高値で売ることが出来ましたから、儲かるのは当たり前でした。しかし、主はそのような私に言われました。「あなたは一番高い時に売っているがそれはよくない unrighteous なことです。それよりも、程ほどの儲けが得られる時に売りなさい。」と言われ、続いて「わたしの経済は愛です。刈入れ時に貧しい人が来て落穂拾いが出来るように少しは畑に残しておいてあげるのが愛です。根こそぎ自分のために収穫を全部刈り取ってはいけない。」と主は言われました。そして主は「あなたが株を最高高値で売るのではなく、あなたの株を買った人がそれを売るときに少しは儲けられるチャンスを与えなければいけない。」と諭されました。

 

さて、元にもどりますが、主は黙示7:1の後、2、3節を指摘されました。「2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、3 こう言った。『我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。』」【新共同訳】

 

神の刻印を受ける人とは、神の「しもべ bond servant 一生を主人のどれいとして仕える召使い」になる人です。私たちクリスチャンとは、聖書の標準から見れば皆この「しもべ」になっているはずですが、実際に真の「しもべ」となる人は非常に少ないです。それは丁度大宣教命令で主が「あらゆる国の人々を弟子 disciple としなさい」と命令したのに対して、実際にはほとんどのクリスチャンが単なる「改心者 convert 」でしかないのと似ています。

これは主が期待している真の「クリスチャン」に対する、ひどい「思い違い」か「惑わし」とも言えることであり、あるいは経済用語で言う「平価切下げ」を意味し、聖書と神の言われることの価値を勝手に大幅に落としている由々しき問題です。

 

「弟子」とは主と共に住んで主から学び、主に似た者になることですが、「しもべ」とは、それより一歩進んで、自分の人生をもはや自分のものとして生きるのではなく、主のために一生を尽くす人のことを言います。そのような人は、朝目が覚めてすばらしい日であったときに「こんな良い日に、今日は何をしようか」と思う代わりに、「このようなすばらしい日を与えて下さって感謝します。今日私は主のために何をすればよいかお命じ下さい。」と言う人です。「今日もすばらしいあなたの日です。私の時間はあなたのもの、私はあなたの『しもべ』です。」と言うのです。そのような「しもべ」は給料日に自分のものとして、大きな金額を期待しません。お金も持ち物も、すべて主人のものです。主のために最も良いように使います。すべてを主のために生きるのがbond servantです。

 

又、そのような人は毎日のすべてを「キリストの愛 love of Christ 」で生きます。あなたはクリスチャンとして、そのように毎日を生きていると言えるでしょうか。あなたが判断し決めることがすべて「キリストの愛」によっているでしょうか。

主はある時「ほとんどのクリスチャンが地理的に正しい(御心による)場所に住んでいない。」と私に言われました。あまり物事がうまく行かないとすれば、私たちが主の望まれる場所に住んでいないことが第一の原因である可能性が大きいのです。

多くの人が私のところに来て「私の住むところにはよい教会がありません。」とか「親しくコイノニヤの関係になるクリスチャンがいません。」とこぼします。私は「そんなところになぜあなたは住んでいるのか」と聞き返したくなります。その場所を選んだ理由が多くの場合「そこによい仕事が見つかったから」とか、「そこが住みやすいところであると思ったから」と言う話を聞きます。すべて自分のしたい、自分の都合で決めていないでしょうか。その場所に行くことが本当に主の御心であるのか、あるいは、あなたに対する主の御計画に沿ったものであるかどうかを主に確かめて決めているでしょうか。私は仕事の理由だけで転地した人と話をすることがよくあります。その人に「仕事はうまく行っていますか」と聞くと、うまく行っていると答えます。しかし「家族の皆さんはどうですか」と聞くと、崩壊しかかっています」と言う答えがよく返ってきます。「その他の面であなたの人生はうまく行っていますか」と聞くと、「うまく行っていない」と言う答えが多く聞かれます。

 

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ 6:33)と言う御言葉がありますが、私たちは何事においても先ず主に御国のプランを聞くことです。住むところに関しても、仕事で転任の場合でも必ず主のお考えを聞くことが第一です。そうすれば後のことはすべて主が与えて下さいます。あなたの人生は、自分でやろうとするよりも主にお任せした方が余程うまく行く事を経験されたことのない方はいないと思います。(続く)


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