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Walk With God Ministries

26 2月

坂 達也による「2013年―2015年の3年間への預言」先週からの続き   坂 達也        2013年2月26日


今回は先週に掲載しました坂 達也による「2013年―2015年の3年間への預言」の続きです。もし前回のメッセージをご覧になっていない方は、ぜひ前回の文章から先にお読みいただくようお願いします。

尚、この二度にわたる私のメッセージは、2012年末に行なわれたモーニングスター「ニューイヤーズ・コンファレンス」においてリック・ジョイナー師を中心に、特にカマル・サリーム師とポール・キース・デイビス師が、今年から始まる三年間に関する非常に重要な預言的メッセージをされました。そのサリーム師とデイビス師のメッセージは私たちWWGMの1月20日、27日、2月1日に掲載しましたので未だご覧いただいてなければそれをご覧下さい。これに対して私は前回と今回で、この二師のメッセージの要点を私なりにコメントさせていただきました。

                                                               坂  達 也

前回よりの続きーー

2015年秋に何が起るのか(サブタイトル)

 

サリーム師は一団の人たちがヨルダン川を渡って約束の地に入るのは、今回は天に向かうと言い、デイビス師はそれは教会がこの世からいなくなることを意味すると解釈しておりました。しかし後でデイビス師は、「2015年に何が起るか自分にはよく分らない」とも言っています。

一方、ジョイナー師は「真の信仰を持つ者たちは、津波が来る直前の今の時は、天の御座の主の元で主と共に過ごす時である」と言う意味のことを言われました。それは霊的な意味であって、今はそれほどまで私たちが主と密接な関係に入る時であることを強調されたと私は解釈しております。

 

少し違うかもしれませんが、私も昔からブラザー・ローレンスのような経験を持つことが夢でした。現に今生きている人で複数回「霊の形で天に行った経験を持つ」人がいます。私が知っている範囲でも、ボブ・ジョーンズ師を始め少なくとも数人はいますから、世界的な規模からすれば、恐らくかなりの人数の方が、天国体験をされているように思われます。中には継続的に経験されている人もいるのです。しかし、それはあくまで、その人たちの霊が天国に上るのであって、肉の形では未だこの世に留まっている人たちです。

聖書にはパウロもそのような経験者であることが書かれています。2コリント12:2-4に「・・・この人(彼自身)は十四年前に──肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、──第三の天にまで引き上げられました。・・・パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。」

実際にパウロは「それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知らない」と言っていますから、そのようなどちらともつかない、しかしリアルな経験があり得ることは確かです。

従ってこれから三年間霊的に準備された一団の人たちが、特に2015年の仮庵の祭りに天から召集され、肉体を離れた形であるのか、あるいは肉体のままで行くのかはともかく、集団として天に挙げられる可能性は充分あり得ると思います。

 

そこで、私がそう思う理由を申し上げたいと思います。実は、霊的に成熟して大人になった複数の男子が、天の御座に引き上げられることが聖書に書かれているからです。下記に、それを見てみたいと思います。それは黙示録12:1-5です。

 

「1また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。2この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。

3また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。4その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。

5女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。」

 

この聖句に関して私は今まで20年近く、その意味するところが何であるかに大きな関心を持って来ました。私の調べた範囲では、ほとんどの注釈書がこの12:5に出てくる男の子はイエス・キリストご自身であると解釈しています。しかし、イエス・キリストがマリヤから生まれて来たのは二千年も前のことであり、最後の時代に起こることが書かれている黙示録の流れの中で、突然イエスが誕生して天に引き上げられると言うのは、どう考えてみても無理があると思います。

 

そこで、そのような一般の解釈とは異なる解釈をしている方にマービン・バイヤーズ師がおられますのでご紹介します。師はユダヤ系アメリカ人で、聖書の霊的学びに関しては、私たち夫婦の最も尊敬するメンターの一人です。

この方の解釈によれば、1節にある「ひとりの女」とは、ひとりと言う単数形であっても、複数の人数を代表する「教会」を象徴的に表していると言います。そしてその女である「教会」は、単数形の一人の「男の子」をみごもっており、出産直前の産みの苦しみと痛みで叫び声をあげました。この場合の「ひとりの男子man child」は、やはり象徴的に、複数の成熟した男子huiosを表しており(但しこれは男性に限らず女性も含みます。)「鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはず」の人たちです。この「鉄の杖を持つ人」のことは黙示19:15に書かれているように、本来はイエス・キリストを形容しています。しかし黙示録2:26,27に書かれている「勝利を得る者」も同じように「鉄の杖をもって諸国の民を支配する」と書かれていますが、この人たちはイエス・キリストでないことは明らかです。そうであれば、彼らは「イエスに似た勝利者」であり、又「神の成熟した子どもたち」を指していると師は言われます。従って、そのキリストの身丈にまで達した「神の成熟した子どもたち」がキリストと共にすべての国々の民を牧すると言う考え方です。

 

パウロは「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいる」とロマ書8:19に書いているように、終末にこの「神の成熟した子どもたち」が現れることを期待しております。そうであればこの「神の成熟した子どもたち」を産んで育てたのが「教会」であると言うことになります。{それがコロサイ1:27で言う「あなたがたの内に(生まれて成熟した)キリスト、栄光の希望」です。)

この成熟した神の子(子どもたち)が「神のみもと、その御座に引き上げられた」と12:5で書かれているのですから、これを文字通り取れば、その人たちが主がおられる天の御座にまで引き上げられることが起こるはずです。

 

天空の徴

 

ここで、デイビス師の言われる天空の徴し、特に月食、日食が二年続けて2014年と15年のユダヤの祭日、特に仮庵の祭りに起こると言われたことを思い出して下さい。そのことついては、NASAの資料等で調べても間違いのない事実のようです。

又、主イエスが誕生された時も天に異例な徴が現れたことを併せて思い出して下さい。この二つのことから、あるいはその他の聖書に書かれている多くの天の徴のことも含めて考えられることは、天に異例の徴が現れる時は、イスラエルあるいはイエス・キリスト、教会に関する重要なことが起こることは充分にあり得ると言うことです。

 

そこでもう一度黙示録12:1を見てみますと、天に「巨大なしるし」が現れることが書かれています。「太陽と月それに12の星を身に着けた」女が先ず現れます。

それ以降にバイヤーズ師の解釈を当て嵌めてみますと、「女」とは「真の教会」で、産みの苦しみの後に、ついに真のイエスに似た、イエスのように鉄の杖ですべての国民を牧する「神の成熟した大人の子どもたち」を産みます。(12:5)その生まれた「神の子どもたち」が天に上げられると言うのですから、私はこの黙示録12:1-5は終末に起こる最も重要な事件の一つであり、無視出来ないと思うのですが、いかがでしょうか。バイヤーズ師の解釈をもっと詳しくご紹介したいと思いますが、今回はこのあたりでとどめます。

 

しかし、それが文字通り起るのか、あるいは霊的な意味であるのか、それはデイビス師が言うように私にもよく分りません。しかし、もし起るとすれば、それが天に徴が現れる2015年の秋の「仮庵の祭り」に起る可能性は充分にあり得ると思います。

但し、この「御座に引き上げられる」ことが一般に言われる「携挙」ではないことは恐らく間違いないと信じます。なぜなら、天に上げられるこの勝利者たちの一団は教会の一部であって、地上に残る教会が存在するからです。そのことが12:6に書かれています。

 

そこで、この選ばれた一団の教会がもし一度天に挙げられるとしても、彼等は地上での最後のハーベストに主の軍隊として実際の刈入れにたずさわる人たちですから、もう一度、地上に戻って来なければなりません。それについては、私の知る限り、聖書は触れていないと思いますが、考えられることとしては、黙示録7章と14章に出て来る144,000人がそうではないかと言う可能性です。

その理由は「 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。」(黙示録14:4、口語訳)と書かれているからです。「女にふれたことのない者」とは、この世的なものに一切興味がない霊的に純潔をキリストにささげる人たち、と言う意味でしょう。又、「神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者」とある「初穂」が12:5で天に上げられる「神の子man child」を意味するにふさわしい人たちであり、同時に、長男と穀物の初穂は神にささげられねばならないという律法に(出エジプト記13:13、22:19、23:19)マッチするからです。

又、この144,000人がイスラエルの12部族の人たちであるとはっきり書かれている点ですが、それは肉のイスラエル人だけではなく、霊的に接木された異邦人のイスラエル人であっても霊的・質的にイスラエルのそれぞれの部族のルーツにふさわしい人である限り含まれる、そして数的にも神は人数制限をしない方ですからこの数字より多くなっても問題ないと解釈出来ると思います。(少なくともバイヤーズ師はそう言います。)

その144,000人が黙示録14:1で「また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。」と書かれているのですから、これが主と共にこの人たちが最後の刈入れの前にシオンの山に帰って来ることが充分あり得ると私は思います。

 

但し、以上のことはバイヤーズ師の聖書解釈に私の考えを「一つの可能性」として述べさせていただいたものに過ぎません。(バイヤーズ師は必ずしも12:1-5で、神の子man childが天に上げられるとは言っておりませんし、144,000人がそうだとも明言はしていません。)ですから、私もデイビス師と同じように「よく分りません」と申し上げておきます。

なぜなら、終末に何がいつ起こるかと言う期日の憶測はクリスチャンとして慎むべきであると信じるからです。私は、主が言われた再臨の時を含めた「世の終わり」が来る「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」(マタイ 24:36新共同訳、使徒1:7参照)と語られたことを尊重します。しかしその反面、主はマタイ24:32、33で「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」又、24:44で、「だから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのですから。」と言われるように、時に聡くありたいと願っております。それ故に、今がどんな時であるか、特にこれからの三年間の重要性を皆様と共に祈って正しく理解したいと願うものです。

 

それに、もし2015年秋にこの選ばれた「教会」が肉の形で天に上げられなくて、この世に残る(但し霊的な形では天に一時的に集められる)としても、それこそこの世にとどまり彼らがイエスの栄光を輝かせるのですから、教会全体にとって彼らは大変大きな祝福となります。

最後に、どうぞ皆様、黙示録12章につきましては、これは聖書に書かれた世の終わりに関する重要な解釈の問題として、ぜひお祈りしていただきたいと思います。(終り)

 

 

 


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