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05 1月

新年のご挨拶     坂 達也             2013年1月5日


新年のご挨拶

                     坂  達 也

 

 

明けましておめでとうございます。

 

2013年元旦に私の心に浮かんだ御言葉があります。それは、イエスが言われた「・・わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいる・・・」(ヨハネ 14:20、新共同訳)と言う御言葉です。

考えてみれば、「イエスはクリスチャンのうちにいる・・・そして私たちも主イエスのうちにいる(住む)」と言えば、未信者には何のことだか訳の分らないことであると思います。しかし、クリスチャンにとってはこの言葉以上に重要な言葉はないと私は言い切ります。その理由は、先ず第一に父なる神とイエスとの関係がまさにそのようなものであるからです。

 

ヨハネ14:10で主は「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。」と言われ、次の11節で「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」と言われました。

ここで明らかなことは、御父とイエスの間ではすべてが通じあっていて、全く同じ考えと思いで「ことば」を話し、聞き、それを「わざ」として実行しておられると言うことです。

イエスは後日、弟子に15:4で「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。・・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」とも言われました。これはどう言う意味なのでしょうか。

 

そもそも主は最初の出会いから、弟子たちをご自分の住まいに招かれました。それは、この世における肉の「かたち」として「住み込み同居の関係」で生きなければならないことを、主は弟子たちに敢えて実行して見せたのです。なぜなら、神と私たちの究極的な関係―それは霊的かつ永遠の関係―では、「神が霊的に私たちの内に住む」ことが不可欠の条件であることを初めから徹底的にたたき込むためであったからです。それが私たち(父の息子・娘)と父との「霊的、永遠の親子関係」であるのです。

 

実はこのことを、主は弟子たちに更に「大宣教命令」として明確に命令されました。マタイ28:18-20で、イエスは弟子たちに近づいて来て、こう言われます。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 

もう一度申し上げますが、イエスの弟子たちは当時、自分の職業も何もかも捨ててイエスの元に走り、住み込んで、一切の行動をイエスと共にしたのでした。ですから彼らにとって「イエスの弟子になる」とはイコール「同居してイエスと共に行動する」ことであったのです。従って、主から「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と命令された時、それが「神と同居する関係に育て上げる」意味であることを充分に理解していたのです。私たちは本当にそのことを理解しているでしょうか?

 

私はクリスマスにあたってフランジペン師の「キリストに似た者になること」の一文をご紹介しました。その中で、フランジペン師は創世記1:27「神は人をご自分のイメージimage にかたどり、神に似せてlikeness 創造された。」を取り上げ、「神のイメージとはキリストである」こと、従って、そのキリストのイメージに似ることが私たちの存在目的であると言われたのです。

私たちは「キリストに似た者にならなければならない」と言う意味はまさに、私たちと主との関係が、密着した「住み込みの関係」でなければならないと言うことです。全クリスチャンをそうなるように育てなさいと言うのが、主からの「大宣教命令」であって、単に信者にすればよいのとは全然違います。

 

さてそこで、今まで私が言わんとしたことが黙示録19:10に書いてある「・・・イエスのあかしは預言の霊です。」の意味に通じることを申し上げたいと思います。

イエスを証しすることとはどう言うことなのでしょうか。この御言葉は、色々に解釈出来ますが、元来、旧約聖書の預言も含めて預言とは、イエス・キリストを証しすることであり、イエスにすべての栄光を帰すると言われます。であれば、新約の時代でイエスの福音を語ることも預言のうちに含まれます。すなわち私たちクリスチャンは広い意味で皆預言者であり、私たちの言動のすべてがイエス・キリストを証しするのです。

預言とは何でしょうか。「神のことばを言われた通り忠実に人に伝えること」です。そうであれば、イエスこそが最も忠実で最高の大預言者です。なぜならイエス・キリストは「神のことば」そのものだからです。(黙示録19:13)

同時にイエスは父のことばをその通り実行されました。それが「わざ」です。それでは「預言の霊」とは何でしょうか。それは聖霊を指し、その聖霊が私たちの内におられるのです。

と言うことは、イエスはすべて父が語られたことをそのまま語られ、実行したように、私たちも同じようにしなさいと言われているのです。すなわち、私たちもイエスから与えられた預言のことば、あるいは、イエスに関する福音を伝える際に、預言の霊である聖霊により、その時に与えられたことばをその通り忠実に人に語り、必要な「わざ」をすることです。それが「イエスを証しする」ことなのです。最初に引用したヨハネ14:10、11で、「ことば」と「わざ」が使い分けられていますが、ことばを伝え、それがなされるのが「わざ」であることを示しています。

 

そのために、私たちはキリスト(の霊)と同居する「真の弟子の関係」にならなければ、本当には「預言の霊」で人に福音の話をし、あるいは「わざ」でもって「イエスの証し」をすることは出来ないと思います。私たちクリスチャンはそこまで「自分の中に住まれるイエス」と親密になり、一致していなければならないと主が言われるのです。勿論私などは、まだまだ程遠いと感じていますが、主は私たち誰に対してもに「そうなれるのだからやってみなさい」と要求されておられます。一見出来そうもない私たちを助けて下さる方が万能の神である聖霊です。そうである以上私たちクリスチャン全員がやってみるべきで、これが主からの命令であるのです。実行することによってのみ、私たちは主が期待する信仰に到達出来るのではないでしょうか。

 

 皆さんがよくご存知のように、上記のヨハネ14:10,11はその後に次のように続きます。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。・・・」 (ヨハネ14:12-14)

 

2013年は「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。」と、主が約束され、私たちに期待されていることが実現し始める年となりますようにお祈りしております。そのためには私たちの内におられる聖霊と私たちが一つとなることが今年の最大の課題であると信じます。(終り)


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