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Walk With God Ministries

30 12月

夢の草原か、悪夢の草原か      リック・ジョイナー   2012年12月31日


夢の草原か、悪夢の草原か

 

リック・ジョイナー

 

(ジョイナー師からの前書き:このヴィジョンはモーニングスタージャーナルの6.2に載せたものです。非常に多くの方がこれを今読み直し、今の世界状況に当てはまると感じておられることを知り、今回「預言の掲示板」に再び載せることにしました。これは1996年4月に発表したものと同じ内容のものです。その当時の解き明かしが今も正しいと思いますので、それも載せました。)

 

私がアメリカの 経済の将来について 祈っていたとき、長い、青々と茂った草原のヴィジョンが与えられました。これは長期間の経済的繁栄を表しているものだと私は感じました。そしてヴィジョンを見た時から現在までは、大体そのようだったと思います。1995年8月に祈っていた時、私はこの草原のヴィジョンを再び見たのですが、その時はもっと細かいところまで詳しく見せられました。長い生い茂る草原が続きますが、そのうちに霧が覆いはじめ、その霧に入ってからほどなくすると非常に険しい崖がありました。その崖の真ん中に細い曲がりくねった急な道があり、それは下るための橋のように見えました。その道は草原と同じように緑の草が生い茂りその草原の道は崖の下まで続いていました。

霧の中を歩いて行った人たちの大半はこの小道を見つけることが出来ず崖から落ちて行きました。死んでしまった人たちもいましたが、崖の下に網があったので多数がそこにひっかかって助かりました。しかしこの網は実は人々を救うためのものではなく、彼らを罠にかけて捕らえるためのものでした。又他の人たちは霧の中に注意深く入り、膝を地につけて歩き小道を捜しました。彼らはそこに小道があることを本能的に知っていたように見えました。小道を探した人の大半はそれを見つけ、膝をついてゆっくり下りていきました。幾人かはパラシュートを持っていましたので、崖から霧の中に飛び降りて行きました。

下まで下りると海があり、4種類の船が港に入っていました。奴隷船、軍艦、豪華客船、そして病院船でしたが、多くが奴隷船でした。次に多かったのは軍艦でした。病院船は5隻しかありませんでしたが、みんなきれいでよく手入れがされた港の中央にあるドックについていました。2隻の豪華客船は港の両端についていました。そのドックには溢れるような物資がおいてありましたが、ドックも船も汚くて手入れがあまりされていませんでした。戦艦はドックにはついておらず、港のなかを動きまわっていました。

 

網の中に落ちた人たちは奴隷船に乗せられました。小道を下りていった人たちの殆どは病院船のほうに行きましたが、豪華客船の方に行く人も多くいました。それらの人の中には捕らえられて奴隷船に乗せられる人もありました。

豪華客船はしっかりと護衛されていて、軍艦のコントロール下にあるようでした。軍艦はときどき奴隷船や豪華客船から取りたい人を取りたいだけ取っていき、それには誰も抵抗できませんでした。

病院船の人も他の船から人々を連れていきました。しかし、彼らは一番弱っている人や重病人、怪我をしている人でもう死ぬに違いない人しか連れていきませんでした。

病院船の乗組員は他の人たちから敬意を表されていました。それは彼らが輝くような武具をつけていたからです。崖からパラシュートでジャンプした人たちは皆病院船かそのドックに着地しました。

 

奴隷船は人で一杯になると出航していきました。行き先を知っているかのように何度も向きを変えながら進んでいきました。軍艦も非常に何度も向きを変えて進んでいくので、次はどちらの方向に進むのか全くわかりませんでした。軍艦が向きを変えた時にそこにいた船は、 攻撃され沈没しました。軍艦同士がぶつかった時は、どちらかが沈没するまで互いに攻撃しあいました。

霧のために多くの船が衝突して沈みました。海はサメが一杯いて、海に落ちた人は直ぐに食い尽くされました。混乱と絶望と恐れが霧のように深く港を覆っていました。霧が深くなると恐れも強くなっていきました。霧がわずかでも薄くなると人々の中に希望が起りはじめるのでした。 前方に開けた海が見えるまでに霧がはれたときには、船はそちらにむかって進み始めるのでした。

病院船だけが行き先を知っているかのように、混乱した港を難なくぬけて開けた海へと進んでいくことができました。そのうちの1、2隻がいつも海に出てゆき、しばらく見えなくなってから又戻ってきました。次には別の病院船が同じように出航していきました。

 ヴィジョンの中で私は病院船の一隻のあとをつけていきました。すると突然私はその船の司令室に立っているかのようでした。沖に出ていくにつれて空は晴れていきました。そして非常に高い高度をジェット機で飛ぶときにしか見たことがないようなきれいな真っ青の空になりました。私はその空に気をとられて海をしばらく見ていませんでしたが、次に海を見たときに、私たちは本当に高い高度を飛んでいるのがわかりました。

 

私たちは宇宙に飛んでいくのかと思ったのですが、やがて全く新しい世界のように見えるところに降下しました。そこには沢山の島があって、それぞれの島には違う文化、風習の人たちがいました。船に乗っていた負傷者は、それぞれ自分自身の文化の島に運ばれました。

この島々は全く平和で、島と島の間には美しい白い橋が架けられていて多くの人がその橋を渡って行き来していました。それぞれの島には偉大な都市のためのものすごく大きな基礎が作られていました。

島はそれぞれ皆違っていましたし、私が今まで見たどの場所とも異なっていましたが、私はどの島でもすぐにリラックスできました。一つ一つの島はパラダイスのようで、全く別の世界にあるように見えましたが、次に行く島も、実際は私が今去った島にとても似ていることが私にはわかりました。

 

ヴィジョンの解釈と考察

草原が尽きる所が見えるということは、私たちの経済的繁栄の終りがもう見えていることを表しています。ヴィジョンの終りの方で見たものは、私が考えたこともないほどに悲惨な状況でした。これからしばらく非常に暗い時代になるでしょう。しかしそれと同時に全く新しい世界が私たちのただ中に建てられていて、それは想像をはるかに超えたすばらしいものなのです。

    自分の人生と信仰の土台を世界経済の上に 建て上げていたのならば、私たちは非常にもろい土台の上に建てていたのです。すべて揺るがされるものは揺らぐ時が来ることを私たちは知っています。その時がくる前に私たちの与えられている時間は、備えをするための時間です。揺るがされることのない唯一のもの、即ち御国の上に私たちの希望と信頼を建て上げようではありませんか。

 

広い草原を歩いていたのと同じ調子で霧の中に入って行く人は、まわりの変化に気づかず、滅びるか、又は奴隷になっていきました。すぐに膝まづいた人は下に行く安全な道を見つけましたが、やはり下り坂でした。彼らはずっと膝まづいていかねばなりませんでした。その崖の道は非常に細く険しいので誰も立つことはできませんでした。膝まづくとは祈ることをさしています。霧、即ち混乱を見たならばすぐにそれからの一歩一歩は祈りつつ進まねばなりません。

 

すべての人が崖から下りていき、上って来た人は一人もいなかったということは、世界中が経済的な不況になることを示していると私は思います。これから起こる状況の中で生き残る人も多くいますが、現在の(生活)レベルにとどまることはできないでしょう。私たちの今までの生活水準はクレジットで保たれているものであり未来からお金を借りて成り立っていたものですが、 その未来にすでに来ているのです。借金を返さねばならない時が刻々と迫っています。それによって現在の生活水準は劇的に低下することになるでしょう。

 

奴隷船は銀行だと私は感じました。かつての大恐慌のとき、銀行はあまりにも手を伸ばしすぎたことによって多くが倒産しました。ですから今銀行は次の経済破綻をどうにか乗り越えるでしょうが、しかし彼らに負債のある者たちは(借金を返すまで)銀行の奴隷にならざるを得なくなるでしょう。

軍艦の大きさはまちまちでした。それは色々な異なる勢力・権力を表していると私は感じました。彼らは一致しておらず、他と同じように混乱状態にあり、皆互いに戦っているようにみえました。そして互い同士や他の船を強奪することによって生きていました。これからの時代には、小さな戦争がいたるところで、これと言った理由もないのに勃発すると思います。大きな勢力の道を阻むものは誰であっても困難な目に合うでしょう。

 

豪華客船は酷く汚れていて、奴隷船や軍艦よりはほんの少しだけましかもしれないというくらいに見えました。これからの贅沢は私たちが今考える 贅沢さとは違うことは明らかでした。更に豪華客船は軍艦によって絶えず強奪されており、とても堪え難い辛い場所に見えました。将来はほんの少しの贅沢も攻撃の的になるだけかもしれません。

病院船は教会であることが私には分かりました。船は白く輝き赤い十字架のマークがありました。船はとても美しく輝いていたので、ヴィジョンの中で衝撃的に際立っていました。白色は純粋さを表しています。赤い十字架は、彼らが十字架を負っていることを私に示しました。赤は犠牲の色でもあります。病院船はとても美しく、誰もが乗りたいと願うものでした。教会はこれからの世の中で最もみんなが来たいと思う場所となります。 十字架を背負い、犠牲の生き方を選びとるならば、教会は神から召されたとおりの純粋な清い船になれるのです。これからは、他のための犠牲と奉仕の人生こそがこの世でもっとも望ましいものとなり、本当に栄光ある生き方が出来るところとなるでしょう。

 

病院船に乗っている人たちは、輝く銀色の武具を身に着けていました。彼らが姿を表すときにはいつも衝撃的に際立って見えたので、すべての人は、軍艦ですら、敬意を示しました。これはクリスチャンが神の武具を身に着けることを学ぶならば、全世界の尊敬を受け、それ故に権威を持つようになることを私に示しました。

又病院船のドックは少しも汚れておらず、多くの物資で溢れていました。豪華客船よりもずっと多くの冨がありましたが、その冨は贅沢をするためのものではなく奉仕のために使われていました。病院船とその乗員は皆から大変尊敬されていたので、ドックの物資は山積みにされていて他の人たちが利用するのは自由であったにも拘わらず、それを奪おうとするものは一人もいませんでした。

 

争っている二隻の軍艦の間に病院船が入ると、軍艦は戦うのを止め彼らのうちの負傷者たちを看護船に渡すのでした。出来る限り争いを止めるのがこれら病院船の主な目的の一つのように見えました。

この混乱のただ中で、クリスチャンと彼らの船が示した威厳と決意、目的は驚くべきものでした。私が海に出て行く船の司令室に立ったとき、最高にすばらしい感覚が私を覆いました。それは「自由」という感覚でした。外海に出た途端に私たちは天のような場所に上っていったのです。霧を抜け出したならば、もはや地上を動くのではありませんでした。そして再び下に下りた時、それは一見新しい地球のようでしたが、実は私が出て来た世界のただ中であることがなぜか私には分かりました。

 

私が病院船の上で感じたすばらしい自由、解放感は、私たちが人に仕えるために自分の十字架を取り上げるときにこそ真の平安を見つけるということを表しています。そのようにする時、私たちは天のような場所に住み始めるようになるでしょう。その時私たちは地球を全く違う目で見るようになるのです。神がしておられることを見るのです。このパラダイスの島々はすでに私たちのただ中にあり、ただそれをまだ私たちは見ることができないのだと私ははっきり感じました。

 

世界がものすごい混乱状態に陥るまさにその時(それは多分経済の分野の混乱から始ると思いますが)神は人々の間に橋を架けられ、それが栄光ある未来の土台となるのです。今の時代が終りとは、即ちキリストが君臨される時代の始まりです。黙示録17:15に「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。」とあります。 預言的な言葉では、多くの場合、海は大勢の人を表します。崖の下の海がひどい混乱状態にあったということは、この世の王国がそのような状態になろうとしているということです。島々が表しているのは、それと同時に主がご自分の御国の土台を私たちのただ中に築いておられるということです。島々が混乱の海の近くにあったということは、主が地球上に建てようとしておられるタイミングが真近であることを表していると私は感じました。

 

今人々の間に橋が架けられています。橋は行き来するためのものであり、それぞれの島は何かすばらしいものを建て上げていて、それはその文化が生み出す最高のものであり、他の島々に分け与えるものだということが私にははっきり分かりました。そして都市のための新しい土台は、 地球の全く新しい始まりを表していました。今主のために、主の御国のために建てられつつあるものは、崩れることのない来るべき時代のための土台となるのです。(終り)


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