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Walk With God Ministries

24 12月

超越した生き方     フランシス フランジペン         2012年12月25日


皆様、2012年のクリスマスを心からお祝い申し上げます。このすばらしい祝日を記念して、今年はフランジペン師のメッセージをお伝えします。

 

超越した生き方

フランシス フランジペン

私がクリスチャンの究極の目的(デスティニー)は「キリストに似た者になること」であると言いますと、ほとんどの人は確かにうなずいてくれるのですが、その人たちの大半は、それが私たちクリスチャンの生きる真の理由であると本当には信じていないことが私にはよく分ります。なぜなら、もし本当に信じているなら、彼らはもっと違った計画を立てて生きて来たでしょうし、もっと真剣に自分自身が変えられることを求めたはずです。

クリスチャンが自分の人生目標(デスティニー)について考える時、先ず思いつくことは、神のために何かしたい―神からいただいた自分のユニークな賜物を生かして、ミニストリーでよい働きをして神に貢献したい―と言うことではないかと思います。しかし、私たちに与えられた賜物とか召しに生きることが、クリスチャンの生きる中核の目的ではないのです。主のために「何かをする」ことではなく、主に対して私たちが「どのような人間になるか」の方がより重要な課題であり、それは、私たちの心を主に明け渡し、私たち自身を放棄することに他なりません。この神に対して私たちの魂を意識的に明け渡す時に、私たちは自分の真のデスティニーに一歩前進し、近づいて行くのです。

確かに私たちは人生において、それぞれの責任と仕事が与えられ、皆それぞれ違った人生を歩んでいます。しかし、そのような表面的なことを越えた私たちの人格の奥深いところで、もっと重要なことがなされなければならないのです。私は66歳になります。私の人生で私は色々な仕事をして神に仕えて来ました。チャーチ・プランテイングとか、霊の訓練学校とか、あるいはコンピューターのセールスマンを含む様々な仕事をして来ましたが、私は自分の本来の人生の目的とその時々の召しを混同したことはありません。

悲しい事実ですが、ミニストリーで大変パワーフルな賜物と召しを与えられ、天そのものを地上に持ち込むかと思えるような、クリスチャンの心を魅惑する働きをした優秀なリーダーたちが数多くおりますが、そのような人々の中には後で最も恥ずかしい罪を密かに犯していたことが明るみに出されてショックを受けることをしばしば経験しました。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。

それは、自分の賜物と召しを追うことを第一とし、自分の内面の人格形成を高めることを二義的に考えて疎かにした結果であると思います。そのような人は悪魔の惑わしに堕ちる危険性を常に持っています。真の命は、自分の召しを求めることから来るのではなく、「召される主」ご自身を求めることから与えられ、増し加わって行きます。主が愛しておられる皆さん、「神は人をご自分のイメージimage にかたどり、神に似せてlikeness 創造された。」(創世記1:27、英語訳よりの意訳)とありますが、神のイメージとはキリストです。そのキリストのイメージに似るようになることが私たちの存在目的です。私たちは群集が拍手してくれるパフォーマンスを必要としてはいません。キリストのイメージを追い求める時にこそ、私たちは人生の意味を自分のものとすることが出来るのです。(終り)


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