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Walk With God Ministries

15 12月

指輪の話 ジュリー・ジョイナー Dec. 15, 2012


指輪の話

 

ジュリー・ジョイナー

(2012年11月3日モーニングスター・女性カンファレンスでのメッセージから抜粋)

 

15年前ほども前になりますが、私にとってとても意味深い出来事がありました。私は主の花嫁であることを、主がとてもパワフルな方法で教えて下さったのです。

その時私は友人とロンドンに旅行していました。ある朝早く起きて、友人と二人でポートベラ・マーケットに買い物に出かけました。娘のために指輪を探すのが目的でした。 アンティークでかわいい指輪がいいと思いました。いろいろと見て回っているうちに、 とてもすばらしいダイヤモンドの指輪に目がとまりました。「すばらしい指輪ですね。ちょっとはめてみてもいいですか?」と店員にことわってはめてみると、本当に美しい指輪でした。そして値段を見てみると、高価で私にはとても買う事はできないと思い、指輪をもとの場所にもどしました。

それから2時間あまり、その指輪のことが頭から離れませんでした。最初は「絶対にあんな高価なものは買えない。」という思いでしたが、そのうちに、「絶対買えないってことはないかもしれないわ。」となり、次には「もしかして買えるかもしれない。」というように変っていきました。私の頭はそのような思いでぐるぐる回っていました。

 私はもともと宝石類にはあまり興味がない方です。今している真珠のネックレスは母の形見で、母の思い出に身につけているものです。他にはあまり宝石は身につけていません。ですからこの指輪をこのように真剣に自分のために買うことを考えるということは、私にとっては普通ではなく、簡単なことではありませんでした。でも何故かこの指輪のことが頭から離れず忘れることができなかったのです。

 

翌日私たちは、イギリスの戴冠式につかわれる宝石類の陳列を見に行きました。それは大層立派なものでしたから、あの指輪はそれにくらべればそう大げさなものではない、買ってもいいかもしれない、 主人もこの前モーターバイクを買ったし、と思いました。(笑) そこで私は家にいる主人に電話をして「ちょっと妙な話なんだけど、この指輪をどうしても買わなくてはならないという気持ちがするのよ。私を呼んでいるような気がするの。買ってもいいかしら?」とたずねました。主人は「私はそこにいないからわからない。あなたが決めればいいよ。」と言ってくれました。私は数日あの指輪のことばかり考えていました。 高価な指輪を自分のために買うのは崖から飛び降りるような気持ちでした。

 

私たちは小さなホテルに泊まっていたのですが、トイレは部屋にはなく、廊下の突き当たりにありました。その日の夜中に私がトイレに行くために廊下を歩いていると、主が私に語られました。「あなたの手を見てごらんなさい。」と。それで私は自分の両手を見てみました。右手の指には私が高校を卒業したときに両親からもらった指輪がありました。小さなダイヤモンドが幾つかついているもので、 とても大事で大好きだったので、 もらってからずっとはめていました。そして左手の指には結婚記念日に主人がくれた指輪をしていました。結婚した時主人は指輪を買うお金がなく、ずっと後になってくれたものです。私たちの5人の子供に因んで5つの小さなダイヤモンドがついています。

主が言われました。「あなたの手を見てごらんなさい。右手の指輪はあなたが両親から受けたもののシンボルです。それはすばらしく良いもの、美しいものです。左手の指輪はあなたが夫から受けたものを表しています。それも又すばらしいものです。でもこの指輪はわたしがあなたに与えるものであり、わたしがあなたの人生にあたえるもののシンボルです。それはあなたが両親から受けたものや夫から受けたものとは別のものであり、区別されるべきものなのです。そしてあなたがこの指輪を人生のすべての日にはめていることは、とても重要なのです。わたしのあなたへの愛、ただあなたへの愛がどれほど大きく、どれほど偉大であるかを、指輪を見ることによっていつも忘れないでいることが、あなたにとってとても大切です。」主の言葉を聞いて、私は深く感動しました。そしてこの指輪を買ってもいい、否、買わねばならないと決心したのでした。次の日、私からの連絡を受けて宝石屋が指輪を持って来てくれました。「一つの指輪を買うのにこれほど考える人はいませんよ。」と言っていました。

私はこの出来事により、 私たちがどのような所に立つ者になることを主が望んでおられるかに関する新たな思い、新たな理解、新たな洞察を得たのです。私はまだまだそのような者にはなっておりませんが、主は私をそこへ今日も導いておられます。毎日この指輪を見ることによって私はそれを忘れないでいることができます。この指輪は他の2つよりも大きくて、大きなダイヤモンドのまわりに12の小さなダイヤモンドがついているのです。

 

私は多くの人々に出会う機会がありますが、殆どの女性は自分の価値を計るのに、自分の人生の中の男性、即ち父親とか夫、が自分をどのように評価しているかを基準にしていて、いつもそれを気にしています。でも主は、このような思いから私たちを完全に解放したいと願っておられます。もしあなたがこのことについて考えたことがないのでしたら、一度じっくりと考えてみることをおすすめします。 主は私たちがそのような基準で自分を評価するようには全く計画されていなかったのです。

私たちの多くは、自分は人の役に立っているというよりは、人のお荷物になっているのではないか、と感じています。多くの者は、自分は計りにかけられて「足らない」と言われたように感じているのです。でも主は、そのような私たちの理解、思いを完全に変えたいと切に願っておられます。私がロンドン旅行から帰ってから、ずっと主は私に語ってくださっています。少し前に主は「あなたは女王です」と私に言ってくださいました。ボブ・ジョーンズ師は毎朝鏡を見て、「私はまことに美しい」と言うそうですから、彼がそう言えるのなら私も「私は女王だ」と宣言できるのではないかと思うのです。(笑)私たちは自分を卑下するような思いから解放してくださいと主にお願いせねばなりません。

 

私は人からよくこんな質問をされます。(皆さんは絶対しないでくださいね。)「ジュディーさん、リック・ジョイナーさんと結婚しているというのはどんな感じなんですか?」(笑) リック・ジョイナーは確かに素敵で私は彼を心から愛しています。彼はすばらしく驚くべき人だと思います。結婚して35年たちました。でも彼は神様ではないのです。(笑)彼は主ではありませんし、私の主でもありません。これはとてもシンプルなことですが、これを悟るのに私は随分長くかかったのです。というのは、私が彼と結婚したのは19歳の時でした。私は彼にどこまでもついて行こうとしましたし、彼が私のすべての必要を満たしてくれることを期待しました。彼を私の主としてしまっていたのです。それで私は自分と主との関係を深めるという努力をしませんでした。

そのような主人との関係は少しの間はうまく行きました。でもやがてうまく行かなくなったのです。うまく行くようには始めから計画されていないからであり、神が私たちのために備えられた道ではないからです。主は私をそのような場所からもっと前進させたかったのです。

 

主は第2コリント6:18で、「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。」と言われています。また、ホセヤ2:16では「その日、—主の御告げ。—あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。」とあります。

主はこのお言葉通りに私たちの父となり、私たちの夫となりたいと思っておられます。私たちの人生の中で、実際にそうなりたいと願っておられるのです。主はあなたの夫になりたいのであって、バアルにはなりたくないのです。私は夢の中でバアルを見たことがあります。それは本当にいやーな姿をしていました。夢の中で私はバアルに殺されそうになりましたが、一人の人が来て私のために命をささげ、バアルの霊と戦ってくれました。その人の姿はイエスのようではありませんでしたが、私にはそれがイエス様だとわかりました。イエス様は私がバアルの霊に打ち勝つように命を捧げてくださったのです。

 

バアルの霊はあなたをさげすみ、あなたを押しつぶそうとします。そしてあなたが自分を計りにかけて「自分は足らない者だ」と言うようにするのです。

みなさんの今までの人生がどうようなものであったか私はわかりません。一人ひとり違う人生を歩んできたと思います。酷い父親だったけれど、夫はすばらしい人かもしれません。やさしい父親だったけれど、夫は酷い人かもしれません。あるいは酷い父親で酷い夫かもしれないし、すばらしい父親ですばらしい夫かもしれません。或いは父親がなかったかもしれませんし、夫がいないかもしれません。

でも、そういうことはまったく関係ないのです。すべてのことに対する解決、答えはみな同じです。すべての傷の癒しがあり、傷に塗るギルアデの乳香があるのです。あなたは癒されて前に進むことができるのです。過去のことはもう終ったのです。

神が私たちの父であり、夫であることを知ればいいのです。神は絶対にあなたを虐待しません。神はすべてにおいて完全なすばらしいお方です。このことを神はあなたにしっかりと知ってほしいと切に望んでおられます。(終)

 


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