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28 10月

モーニングスター・ハーベスト・コンファレンスに於ける リック・ジョイナー師のメッセージの要約(先週よりの続き)    2012年10月28日


モーニングスター・ハーベスト・コンファレンスに於ける

リック・ジョイナー師のメッセージの要約(先週よりの続き)

 

 

リック師は続けて語ります。「間も無く岸に近づき始める津波が大きな波を立ち上げようとしております。しかし、今私に聞こえて来る主からのメッセージは、私たちの準備が整っていないと言う警告です。

 

次の波はアメリカにも西ヨーロッパにも来ますが、史上最大のリバイバルがロシヤにやって来ます。一番純粋な形で来るのがキューバです。私は夢の中で見ました。キューバ中の一人残らずすべての人がイエスを愛し、一日中皆イエスのことしか話をしていないのです。そのキューバからロシヤに火が飛んで歴史上未曾有のリバイバルとなります。主はこれらの(共産)国を見捨てられたのではない、これからです。中国に火が付きます。主は本当に中国人を愛しているので、一番多く造られた(笑い)主はアジアの国々を本当に愛しています。韓国もそうです。私が世界を旅してどこに行っても韓国人に出会います。彼らはとにかく祈って欲しい、油注ぎの按手を望みます。彼らは世界で最も熱烈な人たちでしょう、地球中に主の力をふりまいています。

そして中東の国々―全く信じられないようなリバイバルが今起りつつあります。具体的なことは言うことを差し控えますが、既に神による最も偉大なムーブメントが今イスラム圏の中で起っているのです。過激派と言われる人たちの中にも主を熱心に愛する人たちが出て来て、彼らほど主に飢え渇き、主を知りたいと願い、主に従うことを欲する人たちを見たことがありません。神は彼らの前にご自身をお顕しになられるでしょう。最も偉大な使徒たちがイスラムから出てくると信じます。それからイスラエルからも。終りの日に、イスラエルにもリバイバルが起こることが聖書に書かれています。イザヤ19:19-25が未だ成就していません。」(ご参照下さい。)

 

 

愛・信仰・真理

 

リック師はここでクリスチャンがどのように霊的に準備されなければならないかと言う、今回のコンファレンスの重要なテーマに触れます。

リック師「先程から強調して来た、クリスチャンが『さらに大きなわざを行なう』ためには三つの鍵があります。それは私たちが、『愛』と『信仰』と『真理』に深く根ざし、しっかりと地下に大きな根を張ることです。しかもこの三つが一つに合わさって働く時に一番強いのです。信仰は愛によって働くと言いませんか?私たちは真理を愛さねばならないとも言われます。どんなに大きな信仰があっても愛がなければ何の値打ちもないと1コリント13章に書いてあります。しかも私たちの愛は毎日増して行かねばやがて失うのです。信仰が成長し増して行かねば失うのです。真理も同じ、私たちの真理への愛が増してゆかねばやはり失うと思います。聖書で樫の木は義の木です。その樫の木は地上で巨大に成長しますが、同じ大きさだけ地下に根を張ると言われます。私たちの愛と信仰と真理への根はどれだけ深いでしょうか。

 

私たちクリスチャンは皆、この世のことに捕らわれ、人によっては何十年も、この霊的成長を置き去りにして漂流して来ました。しかし哀れみ深い主がやって来られるのです。主にとっては一日は千年、千年は一日です。私たちが無駄に漂流して来た長い年月を主が短期間に取り返して下さるのです。主にお任せすれば主がすばやく取り戻して下さいます。しかしそれには心からの悔い改めが必要です。CSルイスが言いましたが、一旦道を間違えたらその道は正しい道に代わることはない。従って必ず曲がり間違えた所まで戻ってそこからやり直さねばならない。それが悔い改めです。私たちが正しい道を進むなら、その道は明るい光に照らされ、その輝きが増して行きます。

 

 

主は単なる改心者ではなく弟子をつくれと命令された

 

私たちは多くのクリスチャンを、真の救いに導く代わりに霊的に未熟で自己中心のままで放置して来ました。そのような教会指導を今ストップする時です。私たちは福音を曲げてしまいました。主の宣教命令は『すべての民を弟子にしなさい。そしてあなたがたに命じたすべてを守るように教えなさい。』です。クリスチャンは皆自分の十字架を負ってイエスだけを追う人のことです。

私はこのことを言い過ぎるほど言って来ましたが、アメリカのボーンアゲイン・クリスチャンを自称する人の僅か6%の人だけが聖書に書かれた生き方をしています。すなわち真のキリストの弟子と呼ばれるに値する人です。その人たちは主イエスのようになることを目標として生きる人です。

本当にアメリカで今クリスチャンが何を信じているかを知って驚きました。アメリカのエバンジェリカル・クリスチャンは世界で最も強固なクリスチャンであると信じていたら、最近の調査結果で分ったことは、彼らは非常に弱いクリスチャンであることです。一例ですが、今の若いアメリカのクリスチャンのほとんどが結婚前の性交が悪いとは思っていません。そのように教えられていないのです。他のことも押して知るべしですが、その他のこととはロマ書6:19に書かれているような不法の中で生きることです。不法がはびこると愛が冷たくなることは既に述べた通りです。身体の欲望のままに生きること、不純さが不法を招きます。私たちクリスチャンにとって最悪の状態は『愛が冷えること』です。これだけは我慢することが出来ません。

主は勿論『なまぬるいこと』すら好まれません。それに劣らず悪いのは『無関心であること』―これほど人間関係において相手を侮辱することはないでしょう。この二つになる位なら人と大喧嘩したり、明らかに冷たい態度を取る方がまだましです。主はそのような生ぬるい人を口から吐き出すと言われます。(黙示3:16)クリスチャンにとっての最悪の惑わし(あるいは思い違い)はこの『生ぬるさ』においてです。全知全能で、すべてを焼き尽くす火である神に対して、クリスチャンが生ぬるい、あるいは無関心な態度を取ることが一体あり得るでしょうか。私には考えられません。冷たくなるには、生ぬるい状態を通ってなります。愛が冷えるのは『貪欲』からと言われますが、それは色欲だけでなく名誉、権力、お金等様々な貪欲を含みます。私たちは生ぬるさに対して徹底的に悔い改めねばなりません。

今の時代はかなり有名な説教者の中にも、イエスが十字架にかかったのだから、私たちは何をしてもその罪は既に赦されている、と言うようなことを平気で言う人がおります。それは新約聖書に対する究極の欺瞞であり、イエスの流された血を足で踏みにじることになるのです。罪を犯せばどんなことであってもそれは罪です。私たちは罪を全く犯さない訳ではありません。しかしその度に心から悔い改めれば七度転んでも又立ち直れる、それが義です。主は私に、『わたしは、あなたが罪を犯して転ぶことを悲しむ以上に、あなたが悔い改めて起き上がることを喜ぶ』とおっしゃいました。主は私たちが罪を犯して言い訳することは赦されませんが、私たちがそれを心から悔い改めればその罪を赦して下さるのです。人々が罪を犯すことをOKするようになることがその国を(滅びへと)堕落させます。

イザヤ書5章にあるように、今のアメリカは悪を善と呼び善を悪と言い、不名誉な人間を名誉と崇め、名誉な人たちを不名誉と蔑む国になってしまいました。ホモ・セクシャルをはっきり罪であると言い切り、しかし、その人たちを神が愛するように愛し、はっきりと罪であると説いて分らせ、その人たちを罪から開放するのが私たちの彼らに対する愛ではありませんか。私たちは神に同意するのか、それともヒューマニズム・人間に迎合するのか、この際はっきりしなければなりません。私たちは、パウロが言うように、自分に属する者ではなく神に属する者、四六時中神に忠実に仕えるしもべbond servantであるはずです。クリスチャンは本来、主の弟子であり、その数は非常に少ないと言いましたが、真の忠実なしもべとして生きている人はもっと少ないでしょう。それは過激的に違うライフ・スタイルを生きる人たちのことです。真の忠実な主のしもべだけが、終りの時代に獣の名の刻印を受けない人です。キリストの弟子は自分の十字架を担いでひたすら主に従う人たち―それがクリスチャンの基本であるはずです。

これは主から言われたことですが、ほとんどのクリスチャンは自分の考えとか都合で、例えば良い仕事があるからと言う理由で自分の住むところを勝手に決めているが、その結果、ほとんどの人は主の御心の地理的な場所に住んでいないのです。主は、先ず第一に神の国とその義を求めよと言われるように、私たちはどこに住むかについても第一に主の御心を聞くべきです。私はこの20年の間に、多くの人が、私の近くに自分に合う良い教会がないとこぼすのを聞いて来ました。それは主の御心の場所に住んでいないからです。

 

 

神の国がやって来る

 

王がやって来ます。私たちは主を迎える準備をしなければなりません。そのために私たちは今生かされているのです。これからの数年間に多くのことをしなければなりません。私は前に救いの福音が曲げられて語られていることに触れましたが、この『王国の福音』については第一世紀以来語られていないと私は信じます。神の国の福音とは良い知らせです。世が終わるのではなく、世のすべてのものが新しく生まれ変わるのです。

パウロは使徒行伝14:22で『私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。』と言いましたが、主に感謝します。艱難な時がいよいよやって来るのです。霊的に成熟した人は艱難が来ることに興奮します。ヤコブは艱難・試練を『この上もない喜びと思いなさい。』と言います。信仰が試されることは金や銀より尊いのです。しかし人々はそれに耳を貸す代わりにもっと耳あたりのよいことだけを聞こうとします。

成熟した人は期待が膨らみます。困難と試練が来る度にそれが王国への門戸となるからです。史上最大の艱難が来る時に地球全体が神の王国に入るのです。完全なる勝利で終結します。主が来られて王国があるべき姿に回復されます。苦しみも飢えも、争いも悲しみも、宗教もユートピアのような哲学もなくなります。それは良い知らせであり、悪い知らせではありません。

 

良い知らせと言えば、主は裁くために来られることです。主は正しく裁く方です。もしクリスチャンが裁きは欲しくない、代わりにあわれみを欲しいと言えば、その人は未だ成熟していないベイビーです。なぜなら神のあわれみは、正当な裁き(正義)に基ずくものであるからです。イエス・キリストは私たちが犯した罪を誹謗するサタンに対して、天の法廷で、自らがその罪の代価を払ったのでその人は無罪であると主張し、私たちを弁護してくれる方です。私たちがしなければならないことは罪を犯したことに対して悔い改めることです。このステップを省略することは出来ません。そうすればすべての罪が赦されます。それが正当に裁かれる裁きjusticeです。

 

多くの教師は間違った教義で、クリスチャンの『古い人』を何とかよくしようとしていますが、神はそうではありません。神は、古い人をよくしようとするのではなく、殺そうとしています。私たちは既にこの世に死んだ者であって主に生きている者です。私たちは自らの十字架に着いて死んだのです。死んだ人間が自分に問題があるからと言ってぶつぶつ不平を言うでしょうか。

旧約の時代のイスラエルの祭司たちは、癒されていない傷を持つことは出来ませんでした。クリスチャンは祭司に相当するはずですが、ほとんどのクリスチャンは失格です。なぜなら癒されていない傷―すなわち人を赦さない、裁いている、苦々しく思い、心のどこかに遺恨が残っている―と言う『未だ癒されてない傷』を持っているからです。

クリスチャンの基本は『人を赦す』ことにあります。たとえ人に傷つけられても、それにくよくよせず、相手をはやく赦して忘れ、相手を恨んではなりません。イエス・キリストはご自分を苦しめ十字架にかけた人々に対して『父よ、彼らをお赦し下さい。』と乞い願ったのです。考えてみて下さい。その方に私たちは似なければならないはずなのです。(コロサイ1:9-11をお読み下さい。)

 

キリストのからだは今年一つになり始めます。今までにはなかったことが始まるのです。それも私たちとは非常に違う信仰とか教義を持つ人たちと一つになるのです。と言っても勿論、私たちは基本を正しく持たねばなりません。しかし、主はそのような人たちをも愛しておられます。

ですから、丁度主をお迎えして歓待するように、その人たちをも愛をもって暖かく迎え入れねばならない、そのような時が来ます。皆さん、信じられないかもしれませんが、今年からキリストの弟子たちは愛で知られるようになります。クリスチャンが本当に愛し合うことが始まるのです。それを現実に見た世の中の人がショックを受け、イエス・キリストは本当だと驚くのです。このようなことは王の王だけが出来ることです。

 

私は(幻で)百人位の教会が、毎週千人の新しい信者を増し加えて行くのを見ました。このことは昨年のハーベスト・コンファレンスでもお分かちしましたが、私たちは今こそ準備が出来ていなければなりません。

主はアメリカに50万人のリーダーを必要とすると言われました。彼らが基本的なハーベスターになります。その人たちのほとんどがホームグループの指導者になり、彼らがエペソの4:12『それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため・・・』を成就するのです。主は神の『ホーム』をアメリカ中に立ち上げます。小さな教会、家の教会がこれからの教会の顔になるのです。私は一方でメガ・チャーチが週に百人の信者を加えるのを見ました。そこで私は主に、小さな教会が週に千人加えるのにどうして大きな教会が僅か百人なのかと聞きました。主はその理由を、大きな教会はプログラムを設定するが、小さな教会はプログラムの替わりに人を投入するので、彼らの方がより多くの人に対応出来るようになるからであると答えられました。勿論神は大きな教会も用いられます。しかし小さなホーム教会の方がもっと多くの人をもっと速く刈り取ると言われたのです。となれば私たちには、しなければならない多くの仕事が待っています。第一、魚をとって来たらその魚をきれいに洗わなければなりません。主は主の弟子にしなさいと言われ、単にキャッチして来るだけではいけない。主のすべての命令を彼らに教えて実行させねばならないのです。

 

これをするためにアメリカで50万人のリーダーを立て上げ整えなければなりません。そして救われてくる人たちに正しい教義を教え、すべてのしばりと捕らわれから開放し、病を癒し、その上で、彼ら自身が主によって用いるために必要な教育と準備を整えます。こうして救われて来た人たちが、僅か1-2年の訓練の後に、全く信じられないようなクリスチャンに整えられるのです。そうでなければ毎週救われる千人の新しい信者に充分な対応は出来ません。

マルコム・グラドウエルの『ティッピング・ポイント』と言う本に書いてありましたが、ほんの僅かな人間、例えば100人の過激的な影響力のある人たちによって百万人のカルチャーを変えることが出来るそうです。イエス・キリストは12人の弟子を選んでこの世を変えられるのですから、リバイバルの大変革を起こすのにそんなに多くの人が必要ではないのです。

 

これから来るリバイバルでは人をキャッチする大網を必要とします。会場の後ろの壁にかけてあるのはペテロの網です。ボブ・ジョーンズ師がある夜、ペテロの網に大きな石が引っかかった夢を見ました。私は彼と一緒にボートに乗っていて、ボブの助けによって私がその石を取り除きました。ある夜の集会でボブと私がステージの上でその話をしていた時に、ある男性が一つの網を持ってステージに近づき、これがその(主からの)網だと言ってくれたのです。彼は主から示されて、フロリダからその大網を買い、主がこうこう、こう言う人に渡せと言われた通りにここに持って来たと言うのです。それは広げると円形になる網としては一番大きな投げ網です。これから来るリバイバルでは多くの人たちがこのような大網を使って多くの魚をキャッチしなさいと言う主からのメッセージです。

いよいよそのハーベストの時です。その網にはよい魚以外の色々なものが今まで引っかかって妨げていましたが、それを今取り除き、魚を捕る大きな網の用意も出来ました。

 

南アフリカのアンガス・バッキングのことをお聞きになったかと思いますが、彼は南アフリカで史上最大と言われる旱魃に襲われた時、主に示されて、からからに渇いている畑にポテトを植えました。しかし神は雨を降らされたのではありませんでした。ポテトが育つには大量の水が必要です。ですからこれは全くクレイジーな話です。しかし、収穫する時が来て、彼が掘ってみると地の中にはものすごい数の見事に育った大きなポテトが実っていたのです。

同じようなことがスイスでも起りました。私たちに親しい人がスイスでミニストリーをしているのですが、その人の息子のアンドレヤがある時農夫中心のコンファレンスを持ちました。二百人も来れば良いと思っていた集会に千五百から千八百人人もの人が集まり、ほとんどの人が未信者でしたが救われたのです。それがきっかけとなって神のムーブメントが始まりました。アンドレヤは彼らに地を祝福することを教え、その結果、彼らが植えたポテトは30cmもあるような巨大なポテトに育ち、それがニュースで報道されました。しかしそんな大きなポテトをパッケージにして売ることを中間業者が拒否したので、やむなく農夫たちは自ら直売方式で販売し、思わぬ多くの利益を上げました。その後、その地方に大きな嵐が来て、農産物に多大の被害が及びましたが、地を祝福することを知った農夫たちの中には、その嵐に向かって叱責する者がおり、その祈りの結果、そこの人たちの農地だけは嵐が避けて襲わず、作物は無事でした。

神は偉大な奇跡をされる方です。今神はめざましい奇跡をなさって人々の注目を集めています。農地を耕すことは、神の人間に対する第一の命令でした。神は人間が地を耕し、信仰を耕すことを教えています。畑は単に種を蒔けばことが済むものではありません。耕したり、水をまいたり、雑草を取ったり、常に手入れが必要です。私たちの信仰も、そして愛も、同じように耕す必要があります。ハーベストすなわち収穫は農業を物語っています。麦の刈入れの大収穫の時が迫っています。これからの数年、誰も経験したことのないような収穫が始まるのです。

 

私は今までに聖書に出てくる使徒たちに夢の中で出会いましたが、パウロとも話をしたことがあります。そんな人たちに会って話が出来るのですから私は興奮しました。しかし、相手の人たちも私に会って、私以上に興奮したのです。それは私が偉いからではなく、私が終りの時代に生きている人間であるからです。彼らは種を蒔きましたが、それが大きく成熟して最後の刈り入れの時を見てはいません。ですから彼らは私たちに会うことに、私たちが彼らに会いたい以上に大きな興味を持っているのです。

皆さんは、私たちが今の終りの時代に生かされていて、考えられないような機会を与えられていることがどれほどの特権であり、名誉なことであるかに気がついておられないと思います。

その時が今来ています。この地球上で神の最大のムーブメントがなされる時が近づいています。私たちはそのためにいるのです。すべての試練と苦難が、私たちが最後の時を迎える用意をしてくれました。今こそ私たちは王国に入り、王国を必要としている人たちに、そのよい知らせを説く時です。」(終り)

訳者あとがき

リック・ジョイナー師のメッセージは以上ですが、その内容はとても深く、又現在のクリスチャンにとって最も必要でかつ厳しいメッセージであると思います。私の拙い翻訳文のせいで、実際に語られたリック師の上に溢れるように注がれた主からの油注ぎを充分にお伝え出来なくて残念です。訳者としての私の願いは、皆様、このような長い文章ではありますが、どうぞ通り一遍に通読されるだけでなく、必要なだけ内容を丁寧に噛みしめて、霊的に充分把握された上で、得るものを得ていただきたいことです。日本にも主の大きなリバイバルが間も無くやって来ることを信じます。皆様がそれぞれ主から委ねられた地で主によって大きく用いられますよう、心からお祈り致します。主に感謝します。― 坂 達也


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