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10 9月

神の臨在を尊ぶ ー その2   ビル・ジョンソン          2012年9月10日


神の臨在を尊ぶ ー その2

ビル・ジョンソン

 

人を尊ぶ

 

私たちの教会で起こっていることをお話します。

第一ヨハネ4:20に「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」とあります。これはナチュラルな肉の世界で実行出来ていないことを、目に見えない霊の世界で実行していると言うことはできないことを言っています。もし私たちが「神の臨在こそ一番尊く価値がある」と言うのであれば、私たちの個人的な生活、人間関係、団体生活において どのように人々を価値あるものとして取り扱うかが大変重要な問題となります。人に接するとき、私たちは「その人がキリストにあってどのような人か」を常に土台として接せねばなりません。

 

次の2つの理由から地上のすべての人を私たちは尊ぶべきです。

 

1.すべての人は神に似せて、神のかたちに創られている。

2.すべての人は神から賜物をいただいている。たとえ神を敬わない人であっても 美しい歌をつくることができるのは何故でしょうか。 以前私は彼らはサタンからタレントをもらっているのだと考えていましたが、そうではないのです。彼らも神に似せて創られているのであり、神が賜物を与えたのです。たとえ彼らが神を否定し、或いは冒涜したとしても、賜物は神からのものです。

 

イエスがナザレで奇跡を行えなかったのは、人々がイエスを預言者として尊ばなかったからです。彼らは神の霊がイエスに下っているのを認めることができませんでした。もし私があなたを人間的なレベルで尊ぶならば、それはよい真っ当なことです。あなたを尊ぶことを通して私は神を尊んでいるのです。

しかし聖霊があなたの上に臨んでおられる時、聖霊があなたの中で働いておられるのを見る時、又あなたの上に超自然的な神の恵みが臨んでいる時、もし私があなたを尊ばないならば、私は神を尊ぶチャンスを逃したことになります。

 

完璧主義(perfectionism)は「宗教」であり、優秀さ(excellence)は「御国」なのです。「宗教」の中では、私たちは人が完全であることを要求するのです。「人を尊ぶ生き方」では、ある人が「〜ではない、〜が完全にできない」ということに目を留めるのではなく、その人をその人としてあるがままに喜び祝うのです。

自分の子供のことを考えれば分かると思いますが、音楽の才能がある子に「お前は数学ができない」と言って叱る親はいないと思います。私たちは神が一人ひとりに下さっている賜物を喜ぶのです。

 

キリストのからだの中においても、神の霊が人の上にとどまって恵みを与えておられることを知り、そのようにお互いを取り扱うならば、多くの傷は癒されるでしょう。ある人は神の御声を聞くことができるけれど教会運営は下手だということがあります。その時は運営の賜物のある人が手伝えばいいのです。

 

教会がこの真理をつかめば大きな変革が起ります。主はまずご自分の家から変革されねばならないのです。そうすれば私たちは変革する力をもって社会に出ていくことができます。これによって私たちの住む街が変っていきます。政治、教育、ビジネルの分野ではこのことがすでに起こっています。

即ち社会の人々を喜び祝う(セレブレイトする)のです。勿論、人々がキリストのもとに来ることはどうでもよいということではありません。しかし、ビジネス界の人たちが大きなリスクをとりながら成功し社会に貢献しているのですから、その人は尊ばれるべきなのです。今まで教会はその人が救われて教会の会員にならなければ興味がないような態度をとってきました。

 

大きな犯罪を犯した人が私たちの教会で救われました。裁判官は彼が悔い改めて全く別人にようになったことを認め、本当ならば20年の刑に処せられてもおかしくないところを6ヶ月に減刑してくれました。私はその裁判官に感謝の手紙を書きました。又、古くなったアパートを建て替えて人々が住めるようにしたビジネスマンにも私は感謝の手紙を書きました。教会がこのような人々を尊ぶことは希有でした。先の裁判官も誰かから感謝の手紙をもらったことは初めてだったと言っていました。

 

私たちの街で「人々を尊ぶ」ことが始まり、例えばレストランでも私たちは励ましの言葉を語ります。よいサービスを受けたときにはウエイトレスや店主に賛辞を送り、チップも沢山します。時には食事代よりも多いチップをあげることもあります。そして私たちの街によいレストランを下さっている神に感謝します。私たちはいつも人々を喜び祝うチャンスを探しているのです。これによって人々の考え方が変革されてきています。

 

私の妻が買い物をしてレジに行ったとき、レジの人が妻のハンドバッグがすてきだと言いました。そこで妻はハンドバッグの中身を全部だして、バッグをその人にあげたのです。これは「気前がいい、generous」という以上にその人を尊ぶ、honor」ということなのですが、確かに 気前がよくなければ人を尊ぶことはできません。

 

祈り:主よ、すべての場所において人を尊ぶ姿勢を広める人となりますように。あらゆる状況の中でも主の恵みを持ち運ぶことができますように。天に住む者のように行動し生きることができる恵みをお与えください。あなたの臨在から生きる者として、人々を価値ある者として尊ぶことができますように。

主のレーマの言葉を語り、人々の心を主にひきつけることができますように。

クリスチャンに反目していた人々が作っていた壁も「人を尊ぶ生き方」が浸透していったとき、溶けてゆきました。そして街にいのちが吹き込まれました。「人を尊ぶ生き方」がどんどん伝染して広まりますように。

キリストのからだがそのマントル、油注ぎを受け取ることができますように。「 まず福音を語らねばならない」という宗教的プレッシャーをかけることなしに、人々を喜び祝うことが出来ますように。

教育、政治、ビジネスの分野にこの変革の力が解き放たれますように。(終リ)


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