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09 3月

神の予知に従って選ばれる ウエイド・テイラー    2012年3月10日


神の予知に従って選ばれる

ウエイド・テイラー

 

 

父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ....第一ペテロ1:2

「従うように..選ばれた人々」:私たちが選ばれるのは、 私たちの内に霊的可能性があると主が見られる結果です。神は「予知」によって 、主に喜んで従い、従順に応答する者たちをすでに知っておられます。

もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。イザヤ1:19

自分の奥深くに隠されている能力を実現させるだけのキャパシティーと堅忍力があると、主が「 予知」によって見られる者たちを、主は選ばれるのです。

主は今も大いに働いておられます。主に対する純粋な思いを持ち、 あらゆるプレッシャーや人生のあらゆる状況下の問題に打ち勝つことを喜んで「選ぶ」者たちを、主は今調えておられます。私たちに必要なのは、揺るぎない霊と従順な心です。

 

パロの戦車の馬

 

天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。マタイ25:14−15

 

「予知」により、主は私たちが生まれる前から私たちが(おのおのその能力にしたがって)する選択を知っておられました。ですから主は、私たちに対する御心と目的に私たちが向かっていくように、静かに導かれるのです。

わが愛する者よ。私はあなたをパロの戦車の雌馬になぞらえよう。雅歌1:9

 

この箇所は 正しく理解するならば、非常にパワフルで意味深い賛辞となるのです。パロは当時世界で一番偉大な支配者でした。彼の使者たちは当時知られていた世界全域に遣わされて、まだ未成熟で「可能性を持つ」子馬を捜し求めたのです。それらの子馬の中からパロの戦車を引かせるための馬が、激しい訓練としつけを受けて調えられました。

そして、特別の機会には、それら注意深く選ばれた馬たちはパロの戦車に繋がれて、地上の美、力、調和をあらわす華麗なる姿で戦車を引いて行き、 堂々とした 栄光の パロの姿を民衆の前に示したのです。

 

それと同じように、主も又、王の王なる方の戦車に繋がれる可能性を持つと主が(予知によって)見る者たちを、今調えておられるのです。彼らは天の美しさ、力、調和を輝かしく映し出し、「その日」 堂々とした栄光の主の姿を世界の国々の前に表すのです。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。使徒行伝1:8

ここでいう「証人」とは、「私たちがしていること(what we are doing)」ではなく、「そのようになった者(what we have become)」であることに注目してください。

 

わたしの「選び」

 

招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。マタイ22:14

 

1944年に、私はジョージア州サヴァナの西にあった陸軍のキャンプにいたのですが、ある日、そこにあった小さなチャペルに入っていきました。他に誰もいないことを確かめてから、私はひざまずいて祈りました。「神様、この戦争で私が死なないようにしてくださったら、軍隊を出たときにはミニストリーをします。」と。

 

この出来事は深く私に影響を与えました。私はこのような事を言うつもりはなかったのですが、チャペルを出たとき、私は何かものすごいことが起こったように感じたのです。私はニュースを聞くためにPX(軍の物品販売店)に走って行きました。というのは、もしかしてヒットラーが降伏したかもしれないと思ったからです。でもその時は何も変ったニュースはないのを知って私はがっかりしました。

 

その時の私には、非常に重要な何かが確かに起こったことを理解する力はありませんでした。私は主に自分の人生を明け渡し、主がそれに答えられたのです。「予知」によって主は、私の人生が主に捧げられ、この文章が何年もあとになって書かれるのを知っておられたのです。

 

チャペルでひとりで祈っていたとき、ひとつの「選び」が行われ、その日から私の人生は私が気づかないうちに主によって変えられ導かれていったのです。主の私に対するご計画と目的を邪魔したり妨げたりする状況や物事も、主によって道が開かれたり、変えられたりして行きました。

「予知」によって主は、私が主を選び正しく応答することをみられたので、それによって私の人生に対する主の「選び」は確立されました。

 

主は私のこころの意図(すべて願うこと、そうなりたい姿)を知っておられます。そして、私たちがそれよりも高いレベルの主の御目的のためにそれを明け渡すかどうかを知っておられるのです。主の「選び」は主によって決められる一方的な選択ではなく、むしろそれは、主が私たちの人生の終りを始めから見ておられるという事の結果です。主はアルファでありオメガです。

 

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子をあわせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12:1−2

私たちに要求されることは沢山あります。そして主は私たちが正しく応答するかどうかを知っておられるのです。

 

「あなたは忘れたがわたしは忘れなかった」

勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。黙示録3:21

私たちにとって「勝利する」とは、主に正しく応答し、私たちが主と共に歩くことを妨げるすべてのものを「越える」ことを意味しています。

今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界がわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」それで、モーセは民のことばを主に持って帰った。出エジプト19:5−8

 

民の意図は良かったのですが、彼らは自分たちが言ったようには行動しませんでした。よい意図だけでは十分ではありません。私は主に「もし主が私の命を守ってくださるならば主に仕えます。」と申し上げました。私は1945年の秋に陸軍から解任されました。それからの5年間、わたしは殆ど教会に行きませんでした。主との約束を全く忘れていたのです。

けれども、今日私は主に仕えています。それは私が忘れていたことを主は覚えておられたからです。主の予知と選びがないならば、私は今のような主との関係は持つことはできなかったのです。

 

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。エペソ2:10

 

その時から私は「神の作品」となり、主は私の人生の状況を深く取り扱うのに非常に忙しくなられました。私は大変儲かるビジネスの経営者となっていたのですが、人生にはもっと何かがあるのではないか、となぜか感じていたのです。私はそのビジネスを売り、人生を主に捧げ、聖書学校に行きたい、という思いに心が引き寄せられるのを感じ始めました。

主が私の内にこの願望を置かれたのです。それは「その時」になったならば、 主が私の人生に割り込み主の思い通りにされるのを私が許可することを、主は知っておられたからです。

 

私は軍隊にいたときに私がした主への約束を完全に忘れていました。しかし、 主が私の霊を引き寄せられたときに私は応答し、 主を人生の第一としました。ビジネルを売却した当日、主は私の記憶を呼び起し、「あなたは忘れたけれど、わたしは忘れなかった。」と言われました。私が軍のチャペルにいたあの日に、主は私が繁盛しているビジネスよりも主を選びとることを見ておられたのです。

私たちは一人ひとり、主がどのように自分の人生を捕らえられたか、どのように自分は主の「選び」によって現在のところに導かれたかという証しを持っているのです。

 

あなたの現在の霊的経験を越えたところに主が導かれることを、あなたが許可することによって、あなたの人生における主の「選び」が100%完成されますように祈ります。そしてあなたが王の王なる方の戦車に繋がれ、すべての膝がかがめられるときに人々の前に主をお連れすることができるようにと祈ります。(終り)

 

Wade E. Taylor
Wade Taylor Ministries

Email: wade@wadetaylor.org

 


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