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10 1月

安息のオペレーション・システム    ボブ・ハートレイ         2012年1月11日


安息のオペレーション・システム

ボブ・ハートレイ

 

2011年から2020年への神の希望に満ちた見解

 

地上では様々な問題やチャレンジが起こっている今、主は、地上で起こるすべての問題の解決法を示し、 2011年から2020年のための希望に満ちた預言をキリストのからだに与えておられます。主ご自身が解決です。主は私たちをいろいろな方法で調えられ、それによって私たちが主の住まわれる住まいとなり、 ビジネスや教育機関、又家庭の中で主の臨在と希望を顕す器となるようにしてくださっています。主は私たちに今シーズン、「希望に満ちた眼鏡(天からの主の希望に満ちた視点で正しくものを見る能力)」と、「希望に満ちた補聴器(希望の神である主の御声を正しく聞く能力)」、そして「正しい武具(すばらしい仲間と、愛と希望に満ちたコミュニティーで自分を囲む重要さ)」で調えていてくださいます。そして今、主は「安息に基づく希望に満ちた新しいオペレーション・システム( 働き方)」を与えてくださるのです。

私と娘はこの新しいシステムを預言的に表すものについて 話合ったのですが、その時、私は主との親しい関係からではなく任務を遂行する義務感から働いていたことがわかりました。 この啓示は初め私個人に与えられものですが、その後、神は夢を通してもう少し詳しく教えてくださり 、キリストのからだ全体への言葉とされました。これらの夢が示すポイントは 、主と新たなパートナーシップを組む重要さであり、 私たちの人生にストレスと煩雑さを与えるものをはっきり見つけ出し、私たちの焦点を主を愛することに向けることにより、私たちが安息の達人になることです。今までキリストのからだは任務を遂行するために頑張り、ストレスや不信仰の中で機能していましたが、主はもっとすぐれた道( 主との親しい関係の中で安息し働く道、 主と共に主の解決法を天から見る道)を私たちに教えるために来てくださるのです。

出エジプト記33:15で、モーセは神に「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」と言っています。新しい機能システムの中核は、神の臨在を他のすべてのものよりも尊ぶことでありましょう。

 

 

安息という新しいオペレーション・システム

神は、臨在にある安息の中で働くこの新しいオペレーション・システムにと私たちを召しておられます。神はこのシステムを落ち葉の山の夢を通して私に説明してくださいました。この夢は私がミニストリーのために長年がむしゃらに働き、心身ともに疲れ果てていたときに見せられたものです。自分がとるべき次の道を求めていた時、神は夢という形でそれに答え始めてくださいました。夢は「10の落ち葉の山」から始まりました。

 

夢の中で、私はドイツのある村にむかって歩いていました。すると、一人の女性に出会いました。彼女は自分の庭の落ち葉を掃き集めて10の山にするようにと私に告げました。そこで私は彼女の言葉通りにしようとしました。しかし風が強く吹いていて、私はあちらこちらと走りまわって落ち葉をかき集めようとしましたが、混乱して疲れてきました。主が次のことを教えてくださいました。「10の落ち葉の山」は、現在キリストのからだが直面している必要や課題であり、確かに現実に存在していますが、それらは神に委ねなければならないものです。

 

夢の中で、私にはやるべきことがあまりも多く、進むべき方向もあまりにも多くありました。私は次第に疲れてきましが、何もはかどりませんでした。丁度その時、隣の家からめがねをかけた金髪の女性が私のところにやってきて、「10ではなく、一つの焦点」と言い、10ではなくて一つだけ落ち葉の山をつくるようにと告げました。「主の目を見つめる一つの焦点」と彼女は言いました。そこで、私は彼女の指図に従って残りの落ち葉を掃き集めると、安息をもって楽々とすることができました。

 

一つの焦点:主の臨在

夢の中で、神は「30年のための30日」と言われました。それは、「私が主に30日を捧げるならば、私は新しい軌道に乗る事ができ、新しいオペレーション・システムは私を変え、次の30年間私が機能する方法を変えることができる」という意味であると主は言われました。そして同じ約束がキリストのからだのためにも与えられていると言われました。この夢の中の眼鏡をかけた金髪の女性のことを、ある親しい友人に話したところ、彼は「私はその場所とその女性を知っています。」と言いました。

それから数ヶ月してから、私はその友人が教えてくれたドイツにある保養所に行きました。私は「安息に基づく希望に満ちた新しいオペレーション・システム」に入り、私の身体と心を回復させるために行ったのです。そこに到着すると、私は夢の中の眼鏡をかけた 金髪の女性に会いました。彼女は保養所の経営を助けている人でしたが、彼女は夢の中で私に言ったのと同じ言葉で 語りました。彼女は「一つの焦点」と、私がそこに滞在している30日間、何度も繰り返し言いました。「一つの焦点、主を見つめることによって、ミニストリーが、残りかすから細々とではなく、安息の希望の場所から溢れるように流れる」と。

 

そこでの滞在中に、神は「安息に基礎を置く、一つだけの落ち葉の山を作る、神だけを見つめるという意味の一つの焦点」というこの新しいオペレーション・システムをだんだんに明らかにしてくださいました。神はこれから私たちがこのシステムによって機能することを望んでおられるのです。この一つの焦点はエペソ4:4にあるキリストのからだへの召しです。エペソ4:4−6に次のようにあります。「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちのおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」 神への唯一の焦点です。

 

天国の健全な希望センター

この新しいオペレーション・システムに入るために、主は「天国の健全希望センタ−」にあるいろいろな部屋を私に見せてくれました。そこで神は、この新しいシステムを開く鍵となる4つの部屋を見せてくださいました。即ち、主に安息する部屋、父祖を愛し敬う部屋、魂を養う部屋、身体を養う部屋の4つです。

 

安息の部屋

私たちが最初に入るのは「安息の部屋」です。この部屋で、私たちは新しいリズム、新しい焦点、愛と希望だけを求めて主の臨在に入り留まる新しい方法を学びます。ここでは、今までまとまらない焦点や主につながっていなかった状態から、明確に、集中して主にしっかり結びつくようになるのです。バビロンの混沌と混乱を後にして、ヘブル4:9−11に書かれている安息日の休息、即ち主の安息のリズムへと入っていくのです。

「したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順な例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」

この「安息の部屋」に入るときには、私たちは希望の神に信頼せねばなりません。即ちエレミア31:25で「わたしが疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満たすからだ。」と言われる神を信頼するのです。私たちは「主を待ち望む者は新しく力を得る(イザヤ40:31)」ことを信じなければなりません。エレミア6:16にあるように 、私たちは四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、私たちの魂のいこいを見いださねばなりません。

 

20年ほど前にジンバブエに住んでいたとき、私たちはお互いの他は何も持っていませんでした。何も妨げるものがないので、私たちの間には深い愛と親密さが生まれました。私が特に鮮明に覚えているのは、私が妻と一緒にいつも散歩をしたジンバブエ通りです。散歩をしながら私たちの親密さは深まり、親密な関係が育って行きました。

「安息の部屋」で、主は私たちと「ジンバブエ通り」のような関係を求めておられます。そこで私たちは親密な関係を深める目的のためだけに歩いたのです。ヨハネ15:15でイエスは私たちに「わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」と告げておられます。主は私たちに友として語られます。私たちが主にお返しできる一番の愛の行為は、主の御声に耳を傾けることです。その時にはじめて私たちは主の安息に入ることができるのです。

 

多忙という名の巨人

ジンバブエから帰る飛行機の中で、私は夢を見ました。夢の中で神は、私たちの国への約束を語られ、その約束を得るために戦わねばならない巨人たちを私に見せてくださいました。そのうちの一人は「バビロンの多忙、いのちのない活動」という巨人で、私の夢の「10の落ち葉の山」のようなものでした。キリストのからだのうちにある日々の必要や課題に関わって「10の落ち葉の山」を作っていると、私たちの焦点は定まらず主から切り離されてしまいます。私たちが主の心と結ばれていないで、その日の活動という動きだけをするようになるからです。

 

ずっと昔、私は海辺でライフガードをしていたのですが、私の当番の日に一人の少年が溺死してしまいました。この出来事は私に深い影響を与えました。それから何年も経ってから、神が、あの時と同じライフガードのスタンドに私がいる姿を見せられて、そろそろ私が自分で自分に課した責任の場所(スタンド)から降りてくる時間だ、と言われました。世界中のすべての人を救う(キリストのからだのすべての必要や課題に取り組む)のは私の役目ではないと、主は言われたのです。 少し経ってから、主が再びライフガードのスタンドを 見せてくださいました。しかしその時ライフガードとしてスタンドにいたのは主であり、私は主の横に座っていました。神は私たちキリストのからだに対して、私たちは主のパートナーであるけれども、スタンドにいるライフガードは主であられることを、はっきり区別し認識するように強調しておられるのです。

 

キリストのからだへの召し

神は私たちを「一つの落ち葉の山」に戻るようにと召しておられます。主は私たちを主の臨在の中の安息から働く新しいオペレーション・システムへと召しておられます。それは「天国の健全な希望センタ−」の中の幾つかの部屋を主のあとについて行く時に主が教えてくださるシステムです。

主を敬慕 adore することを忘れないでください。主がどのような方であるか、又主があなたの人生の中でどのように希望の神であったかを宣言してください。主はあなたをどのように見ておられるのか、これからの希望に満ちた日々のためにどのようによいことをあなたのために備えておられるかを、主に訊ねることを忘れないでください。主はあなたがこの「安息の部屋」に入るのをどれほど願っておられるかを訊ねるのを忘れないでください。この主があなたのために備えた新しいオペレーション・システムを通して、主がどのようにあなたを見ておられるか、どのように良いことを備えておられるかを訊ねてください。(終わり)

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