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Walk With God Ministries

10 7月

天からの振込を受け取る ジョン・ベルト 7月11日


天からの振込を受け取る

 

ジョン・ベルト

 

ルカ10:42 「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

 

神は 天から私たち一人ひとりに振り込むものを毎日用意しておられます。イエスは「明日のための心配は無用です。労苦はその日その日に、十分あります。」と言われました。もし私たちが明日のことを心配するならば、今日の祝福をのがしてしまいます。もし私たちが今という時を慈しむことを学び、それを最大限に生かし、自分の毎日の生活の中に神が語りかけるのを許すならば、私たちの人生は今までになかったように主の平安で満たされることでしょう。

 

諸々の声や物事が神の御声を遮るのを許してしまうならば、私たちは人生上の様々な事柄の中で空虚さと混乱に陥ってしまうでしょう。私たちの出来る最良のことは、一瞬一瞬を聖霊の御声に敏感に生きるという「神との場所」を見つけ出すことです。神は決して(私たち一人一人への)言葉が足らない方ではなく、私たちへの導きが足りない方でもありませんし、又、私たちの思いの中から遠く離れていたいと思われる方でもありません。なぜならば実際に神は私たちから遠く離れておられることは決してないからです。神は常に私たちの内側におられるのです。

 

私たちは旧約のパラダイム(型)によって生きているのではなく、キリストが御業をすでに完成されたという立場から生きているのです。多くのクリスチャンは、神は天におられて、私たちは下から神の扉を叩いているのだという観点で生きています。これほど真理からほど遠いものはありません。イエスは弟子たちに「わたしは今あなたがたと共にいるが、あなたがたの内にいるようになるでしょう。」と言われました。もし私たちが真に主のものであるならば、主は私たちの内におられまあす。パウロが「聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(第二コリント13:13)」と言ったのはこのことなのです。今私たちは新しい命を持つ者という立場で生きているので、私たちの霊と神の御霊とは私たちの心の内庭でつなぎ合わされているのです。

 

第一コリント2:9−12「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。』神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のこと(人が知っていること)は、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神の(その人に対する)みこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。」

 

私たちの霊と聖霊との聖なる結びつきを通して、神はご自分のもっとも深淵な願い、即ち「私たちの中に栄光の望みであるキリストがおられること」に即して私たちを建て上げることが今やお出来になるのです。神は遠くから神を眺めるだけではなく間近で親しく個人的に交わる人たちをずっと待ちこがれておられたのです。これらすべてのことが、今は、キリストによって実現されたのです。

 

もっと親密な場所に入っていく

 

以上のことを心に止め、マルタのように自分の業によって主を喜ばせようとあちらこちらと走りまわって忙しくする前に、マリヤがイエスにしたように神との時間を取ってください。自分の業から休息して主に身を委ねて、十字架上で完成された主の御業の中に入ってください。 立ち止まり、主を見上げ、主が言われておられることに耳を傾けることを学ぶならば、私たちはもっと多くのことを成し遂げることが出来るのです。以下に、毎日主と更に深く更に親密に交わるためのいくつかの具体的なステップを書きます。

 

1.ゆったり出来るところで横になる

2.主を賛美礼拝する

3.自分の思いを静める(必要なことを思い出したような場合は急いでメモに書

  いて、それを忘れる)

4.主の愛を受け取る

5.しばらく後に、魂が静かになったと感じたら、主があなたに言われていることを書き留める

 

一日を通していつでも、自分がしている仕事を5分くらいやめ、神にあなたの心の中に入ってもらう時間をつくるのは、とてもよいことを覚えておいて下さい。主はいつも私たちが主に目を向けるのを待ち望んでいてくださいます。問題は「私たちが(主と同じように)いつも主を待ち望んでいるか?」ということです。

 

神の富は計り知ることができません!(終わり)


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