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Walk With God Ministries

04 6月

娘の亜理子からのその後のご報告  坂 達也 2011年6月5日


娘の亜理子からのその後のご報告

先回、私たちの娘が仙台に参りましたことをご報告しましたが、その後、娘がおります森郷キャンプに大勢の皆様から救援物資を お送りいただきありがとうございました。遅ればせながら娘に代わりまして厚く御礼申し上げます。

その後娘は元気でボランテイアの仕事を始めております。以下は娘からの3回目のレポートです。 本人は日本語を何とか読めますが、書く方が完全ではありませんので、英語で書いたものを母親の柚実子が日本語に訳したものです。ご高覧いただければ幸いです。どうぞ引き続き皆様のお祈りをよろしくお願い申し上げます。尚、物資の方は今のところ特別に必要な品目はないようです。今後ともよろしくお願いします。  坂  達 也

 

ニュースレター 2011年5月29日

先週、森郷キャンプ場から14人のボランティア全員で 石巻市に行ってきました。石巻の小さなキリスト教会(10名)が被災者に支援物資を配る準備をするための助けを必要としていたからです。物資を仕分けして配置するだけで木曜日一日かかりました。幾部屋かと廊下は天井まで人々から送られてきた物資の箱で一杯でした。大きな部屋を「お店」にして、缶詰、飲み物、石けん等の生活用品、学習用品、下着などの部門に区分しました。「お店」が開いたら、「お客さん」は一人につき7品を選ぶことができます。

私は牧師のお嬢さんにどうして7品だけなのかと聞きました。彼女の答えはこうでした。以前は15品、次に10品選べるようにしていました。でも自分が何を欲しいのか選ぶのにみんな時間が懸かりすぎて、多くの人に利用してもらえなかったのです。それで7品と決め、一度に6人だけ「お店」に入ってもらうと一番効率よく、その結果沢山の人が「買い物」が出来るということが分かったのです。又、それぞれが 一番必要なものを自分で選ぶ自主性を尊重しているということでした。

「お店」が金曜日の正午に開店することを知らせるチラシをそこら中に貼りました。朝の5時から並んでいた人たちがいたのですよ! 近所の人たちが多かったですが、自転車で2、30分かけて来た人も沢山いました。長い列が出来ましたが、みんな礼儀正しく辛抱強く待っていてくれました。私の役目は待っている人たちに冷たいお茶を配り、話をすることでした。いいお天気で大分暖かく、待ち時間が長かったので、沢山の人がお茶を受け取ってくれました。そしていろいろな人と話をすることができました。

CRASH Japanでは被災者と話すときは彼らの気持ちを尊重し謙虚に耳を傾けるようにと教えています。彼らが大変に恐ろしい経験をしてきたことを、私たちは絶えず覚えなければなりません。愛する人や家を失ったかもしれない事に気を配らねばなりません。私たちは正面切って どんな体験をしたのかと聞くことはしません。でも私たちに彼らの話を心から聞く姿勢があることがわかると、自分が通ってきたことを堰を切ったように話してくださいます。カタルシスなのでしょう。CRASHは「こころのケア」と言っていますが、被災者はまず食料や寝る場所など基本的な必要が満たされた後、次にはこころのケアを必要としているのです。

私が最初に話した女性の方は、津波の中を泳いで助かったことを話してくれました。彼女が難を逃れてある 家屋に入っていくと、そこには他の人たちも避難してきていました。お互いに見ず知らずの8人が次の4日間、 大きな水のボトル一つとりんご一個だけで身を寄せ合って暮らしたのでした。彼女は現在避難所で暮らしていますが、その日の朝早くに仮設住宅のくじの結果を見に役場に行きました。そして「今回も当たらなかった。自分は独身なので 仮設住宅に入れるのは多分一番最後になると思う」と言っていました。彼女は、管首相が8月末までにすべての人が仮設住宅に入れなければ首相の座を退くと言った言葉をしっかりと見守ると言っていました。

又、山口さんという男性の方は、私がハワイから来たことを他の人に話しているのを耳にして、彼が何年も前にハワイに来たときのことを熱心に私に話し始めました。それがすむと彼の被災経験を話してくれました。彼は新幹線で東京から石巻に帰るところで地震にあいました。列車は停まり電気は消え、各自が自分でどうにかせねばなりませんでしたが、津波で東北地方の多くの道路は流されてしまっていました。彼は 神奈川県の実家になんとか辿りつき、そこで一週間をすごしたあと、やっと石巻まで連れて来てくれる人を探すことができました。その間ずっと奥さんや子供と連絡がとれず、彼らの生死もわかりませんでした。でもやっとある知人が電話をしてきてくれて、彼の奥さんと子供が無事で友人宅にいることを告げる貼り紙をある避難所で見たと教えてくれました。彼は東京から沢山の必要品を持ち帰って家族と再会することができました。

この日の写真はありません。というのは、被災者の気持ちを尊重することの一つとして、写真を撮らないことがあるからです。彼らにとってこれは大災害後の現実であり、見物の対象ではないし、 思い出にしたいようなものでもないからです。「お店」で人々がトイレットペーパーとか靴下のように基本的なものを未だに選んでいるのを見て、私は彼らの置かれている現実を新たに知りました。東北地方の人たちが普通の生活に戻るためには長期にわたる援助が必要であることを感じました。

先週私は、 森郷キャンプでやり始めたヴォランティアのスケジュール表を完成するために東京で仕事をしました。CRASHの東京本部がヴォランティアを希望する人に対してどのように対応するのかを学ぶ必要もありました。 東北地方にある他の3カ所のCRASHのベースキャンプでもこのスケジュール表が使えるように適応させようと思っています。これからの数週間は、時々は被災現場での活動もしながら、主にCRASHのためにいろんなチャートやマネージメントを助けるものを作っていくことになりそうです。

私は少しホームシックになりかけで、先週は風邪もひいてしまいました。でも6月4—11日は韓国旅行に行くので楽しみです。次のニュースレターで報告させていただきます。元気になって帰ってきてヴォランティアの仕事を心新たに頑張れるようと願っています。

 

東北より愛をこめて 亜里子


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