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Walk With God Ministries

22 6月

語られる神       チャック・ピヤース      6月22日


神が語られるとき

          チャック・ピアス著 
               「When God Speaks」の第一章 からの抜粋

神は声を持っておられ、実際に人に語りかけられる、ということを初めて知ったのは、私が8才のときでした。私のおばあさんは大変信仰深い人でしたが、テキサス州にあった私たちの家からすぐ近くの小さなバプテスト教会へ私をいつも連れていってくれました。教会にはグリムス夫人という人がいて、彼女は非常に変わったことをいつもするのでした。説教の最中に立ち上がって手を振り出すのです。バプテスト教会ですから、これは本当に変わった行動だったにもかかわらず、牧師は話すのをやめて、「グリムス夫人、何でしょうか?」と聞くのでした。するとグリムス夫人は「主が私に語られました!」といい、牧師は「主が語られていることを教えてください。」と頼むのでした。彼女は主の御霊が語られていることを会衆に告げ、それが教会にとってどのような意味があるのかを話すのでした。

神が実際に人々に語りかけることができることを知った私は、本当にそのことに魅了されました。牧師が神について話すと、退屈で無味乾燥な感じがしましたが、グリムス夫人が語ると、いのちと躍動に満ち溢れているようでした。
私はおばあさんを見上げて、「神様があの婦人に語ってくださるなら、僕にも話してほしいなぁ。」というと、おばあさんは、「神様に何か言って欲しかったら、先ず、静かにじっと座っていなくちゃだめよ。」 というのでした。私は普通の8才の男の子でしたから、教会でじっと座っているのは苦手だったのです。

私が救われた日

その時から、神は声を持っておられる方だということを疑う気持ちは私の心から消え去りました。グリムス夫人を通して聞きましたし、日曜学校で聞く聖書の話の中でも神が語られることを知りました。でも神が直接私に語られることはそれからもずっと無かったのですが、ついに、私が11才のときにそれが起こったのです。
ある日曜日に礼拝の中で、主の御霊が私に臨まれて、はっきりと「今日はあなたの日です。」と語られたのです。そして、あたかも主の御霊に導かれるようにして私は祭壇の前まで行き、11才の子供として出来る限りのやり方で、主に私の人生を明け渡しました。

後になって聖書を調べて明確にわかったのですが、神は私たち一人一人に救いの日を定めておられます。(IIコリント6:2参照)
私たちはみな、自分の救いの日に神の声が私たちの霊に語られるのを聞いて救われるのです。それまで私たちの霊は罪の中で死んでいましたが、私たちが神の語りかけに応答し、自分の暗い霊の中に真理を照らしだしてくださるようにお願いするときに、それが私たちの救いの日になるのです。
事実、神の声が私たちに働きかけることなしに救われる人は一人もいません。耳に聞こえるような声を聞かなかったかもしれませんが、救いの真理を明らかに示すことができるのは神だけです。 ですから、イエスを主とし、救い主として受け入れた経験のある人は、そのときにはそれとわからなくても必ず神の声を聞いたのです! 又、神の言葉を、読む人に生きたものとするのも神の声です。ですから、聖書の言葉から私たちが真理を汲み取るときはいつも神の声を聞いているのです。

「わたしは回復させる」

私は11才で救われましたが、私の子供時代は問題だらけで暴力やトラウマの多い環境で過ごしました。私の家庭は多くのものを失い、苦悩に満ちていました。父がサタンからの攻撃に負けてしまったのが原因で、私がティーン・エイジャーになる頃には、家族のほとんどはばらばらになっていました。父が悲劇的な最期を遂げたのは、私が16才の時でした。18才になったころには、働きながら大学に行っていたことや夜遊びなどで、私は身体をすっかり悪くしてしまいました。

ついに私は疲労と肺炎で入院しなければならなくなりました。その入院中に主が耳に聞こえる声ではっきりと、「わたしはあなたがこれまでに失ったものをすべて回復する。」と言われたのです。その言葉と共に、主は私の身体のすべての部分に浸透してこられました。そうではないかと思っていたのですが、そのとき私ははっきりと、主が私の過去の傷をいやされるばかりではなく、私の将来をも回復してくださることを知ったのです。 

それまで私は「回復」という概念を聖書の中に見つけることはできなかったのですが、もっと深く読むうちに、神の声には回復させる力があることを学びました。(ヨエル2:25参照)
神の声を聞いた瞬間から、私の人生は変わりました。神は奇跡的な方法で私を癒され、解放し、回復させてくださいました。
神の声は私たちを過去の廃墟から助け出し、私たちのために主が定められた人生のコースに立たせてくださるのです。そのことを私はずっと昔、あの入院中に知ったのです。

あなたの証には力がある

みなさん今、この本を読むのを中断して、あなたの人生の中でどのように神の声を聞いてきたかを考えてみてはいかがでしょうか。どのようにしてあなたは救われたか、どのように神はあなたの人生や状況に超自然的に介入してくださったか等を考えてみてください。その証を書いてみるといいかもしれません。あなたの証の言葉には偉大な力があるからです。他の何よりも信仰を立てあげてくれます。

私たちの証は人間の霊の重要なはたらきの一つです。契約の箱のことを考えてみてください。いくつかの物がそこに入れられていましたが、その一つは神がモーセに与えたテスタメント(二枚の証しの石の板)でした。御言葉を通して神と交わるとき、私たちは心の奥深くに神の命令や規則を蓄え、そこで神との契約を結びます。これらの命令や規則に私たちが従い、神の真実・誠実を経験すると、私たちは敵と戦うときに偉大な力を発揮する証という武器を沢山持つようになります。
私たちがしっかりした証を持つと、敵がうそで惑わそうとするときにも、「神が私にこう語られた。今までにも神の御手が働くのを見てきた。今も神は同じようにしてくださること私は知っている。神には不可能なことはないからだ!」といって敵を論破することができるのです。

黙示録12:10には次のように書かれています。

そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。
「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威があらわれた 。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」  
             

神の声と私たちの証とが共にはたらくとき、敵はそれに耐えることができないのです。……


人生の中で神の声を聞く

父、子、御霊なる三位一体の神はそれぞれが私たちに「語ってくださり」、力強く働かれます。神の声は大いなる権威をもって命令を下し、それは無から有を創造する力を今も持っています。神の声は私たちの人生に起こってくるすべてのことに対してもそれと同じ力を発揮します。私たちの人生が混沌としているとき、それは天地が創造されたときの状態と同じなのですが、神の声がその混沌に向かって発せられると、それは闇と光をわけ、そこに秩序をもたらします。

さらに、神は私たちが気がつかないときでも、私たちの想像以上に、しばしば語られているのです。旧約と新約の聖書全体を通じて、神は人々に頻繁に語られています。王や裁き司、預言者や羊飼い、そしてイエスの弟子たちにも神は語られました。年寄りにも若者にも同じように語られました。権力のある者にも社会的には全く認められていないような者にも語られました。正しい者にも罪人にも語られました。創世記から黙示録にいたるまで、神はあらゆる種類の人たちに語られたのです。

聖書が完成したときに神が語るのをやめられたとは、聖書のどこを探しても書いてありません。人類の歴史を通して、神は人々に語り続けられているのです。もしあなたが、キリストをあなたの救い主であり主であると受けいれているならば、あなたもそのうちの一人なのです。神は人々に、指示、なぐさめ、深い洞察、矯正、励まし、約束等を今日も語ってくださいます。
黙示録2:7には「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」とある通りです。

今は主イエスの血潮が私たちを贖ってくださった故に、聖霊が私たちと父の心とをしっかりと結びつけて下さっています。しかし、聖霊は私たちに語られるだけではなく、私たちを通しても語られるのです。
神が私たちを無から有を創造する御声をもって形造られたとき、私たちを神の形に似せて造られました。そして地を支配せよといわれました。(創世記1:26参照)
私たちは神の似姿に造られ、キリストによって贖われましたから、私たちは聖霊の力によりこの地上で神の声になる力を持っているのです。私たちを通して聖霊はキリストの教会に、また、罪の中で瀕死の状態にあるこの世に対しても語られます。これこそがまさにキリストの使節になる事であり、預言するということなのです。(終わり)


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