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Walk With God Ministries

29 6月

主との交わり       坂 柚実子         6月29日


主との交わり

私たち夫婦は、ほとんど毎日一緒にいます。主人が家で仕事をするようになった数年まえから、かなりそういう感じではありましたが、ハワイに来てから特にそうなりました。そして、日本伝道旅行のときなどは全く24/7の状態となります。飛行機の中、電車の中、車の中、レストランの中、教会の中、祈りの歩行中、ホテルの中等々すべて一緒です。ホテルの部屋に二人でいて、それぞれが静かな時間を持ちたいときなど、お互いが邪魔なような感じをもったことも以前はありますが、今はそれにもすっかり慣れてしましました。電車の中で空いている席が並んでないときは、やむなく離れて座りますが、どちらかの席の横があくと、もう一人がそちらに移動して一緒になります。(別に一緒にいて何をするわけでもなく、4時間くらいの道中の間、一言も話さなかったこともあります。全く日本的な夫婦ですね。)

主人とはこのようにいつも一緒にいるのですが、では、私はイエス様をどのくらい身近に感じているかなと、考えます。まだ結婚する前に聞いた一つの話を、私はなぜかいつも思いだすのです。それは一人で住んでいるクリスチャンのおばあさんの話です。近所の人が「おばあさん、一人暮らしで寂しいでしょうね。」というと、おばあさんは「いえいえ、私はいつもイエス様と一緒だから、寂しいことなんかありませんよ。」と答えたという、それだけの話です。これを聞いたときは、理解できなかったし、信じられませんでした。つまり、私はクリスチャンではありましたが、イエス様の存在をそんな身近に感じることができるという信仰を持っていなかたし、知りもしなかったからです。

その話を聞いてから40年以上経った今、主の臨在に関して少しずつ理解を与えられていることは感謝なことです。この数日、ウェイド・テイラー師の「The Secret of the Stairs」 という本を読んでいました。サブ・タイトルは「雅歌による霊的成長への手引き」というものです。テイラー師はアメリカで主との親しい交わりを自ら体験し、それを教えることのできる第一人者だと思いますが、この本の中で主の臨在についての説明を書いておられます。

彼は主の臨在には二種類あることをはっきり理解しなくてはならないといいます。一つは、イエスを救い主と信じた者すべてに与えられる内住の聖霊の臨在(abiding presence)であり、もう一つは主が現れてくださる顕現的な臨在(manifest presence)であるということです。 そして、ヨハネ福音書の14章21節後半の「…わたし自身を彼に現します。」(新改訳)、「之に己を顕すべし」(文語訳),「and (I)will manifest myself to him.」(KJV)」はこの特別な主の現れを指しているとのことです。(今週の「主と個人的に深い交わりを持つためのメッセージ」欄に紹介してありますので、ぜひお読みください。)

主の臨在を歌った賛美は沢山あります。それらは、きっと素晴らしい主の臨在を体験した人の霊から生まれた歌なのだと思います。私たちもそんな賛美を歌うときに、賛美の中に住まわれる主の臨在に触れられることがあります。私たちはそれを喜びますが、それだけではなく、もっともっと主を心から求める「主のmanifest presenceを待ち望む者」になりたいと思わせられた本でした。(終わり)


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