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Walk With God Ministries

02 8月

一座建立       坂 柚実子         8月2日


一座建立

一座建立(いちざこんりゅう)とは「茶道で主客(亭主と客)に一体感を生ずるほどに充実した茶会となること。茶会の目的の一つとされる。」ことだそうです。

私も以前茶道をしていましたが、茶事、茶会で亭主をするのは、それこそ大変です。点前道具や懐石料理、軸、花、茶室、露地等々、準備するものがたくさんあります。大事な茶事であれば、何ヶ月も前から準備にかかります。それでは、それに招かれる客は楽かといえば、そうでもありません。いろいろな決まりごとがあり、一応それを会得していなければよい客とはなれません。

客の代表を務める正客に選ばれるのは、非常に光栄ではありますが、責任重大です。というには一座建立するためには、正客がどのように亭主と言葉を交わすか、どれほど他の客の気持ちを汲んでことを進めることができるかにかかっているからなのです。例えば他の客が静けさを楽しんでいるときに、正客が饒舌ではぶち壊しです。

道具について亭主に尋ねるときも、的を得た質問でなければなりません。ですから頭の知識も必要です。でも知識をひけらかすだけではよい正客とはいえないでしょう。やはり、こころの在りよう、即ち、自分中心でなくそこにいる全員のことを考慮する正客のこころの広さが、一座建立の鍵なのだと思います。茶道で私が教わった一番大切なことは、このことだったような気がします。

今の私が痛切に感じているのは、様々なミーティングの中で、自分がいつ、何を話せばよいのかをわきまえ知る難しさです。伝道者の書に「黙っているのに時があり、話をするのに時がある。」とありますが、今は黙っているべき時なのか、それとも話すべき時なのかをわきまえ知ることは、人生の様々な訓練の中でも最も大切なものの一つではないでしょうか。

ミーティングにみんなが気持ちよく参加するためには、その会の性質をわきまえ、一人の人の話しを聞くべきときならばしっかりとそれに耳を傾け、全員が意見をいうべきときであるならば自分に与えられている時間内で適切に話すことが大切です。私たちは必ずしも人間的なレベルでの「いい会」を望むわけではなく、聖霊が自由に働いてくださる会をもとめますが、そのためにも参加者一人ひとりがしっかりと聖霊に聞きながら平安の中でお互いを尊重しながら会を進めなければならないと思います。

どちらかというとアメリカ人には自己主張が強いおしゃべりが多いかもしれません。そういう人といるとこちらは話さなくていいので、楽といえば楽ですが、やはり聞くばかりだと疲れますし、こころの交わりにはなっていないことが多いと思います。 

ある日本の高校生の親への希望というのに、「父よ、もっと話してくれ。 母よ、もっと黙っていてくれ。」とかがあったそうですが、父とも母とも心からの会話をすることができない彼のジレンマが表れているような気がします。いろいろな生活の場で「一座建立」ができるならば、人間の「解りたい、解ってもらいたい」という根本的な必要がかなり満たされるのではないでしょうか。(終わり)


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