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Walk With God Ministries

21 9月

通訳       坂 柚実子        9月21日


通訳

 人間的に言えば、本当にひょんなことから私たち夫婦はヘンリー・グルーバー師の通訳をすることになったのです。1995年の6月に初めてポートランドの近くの教会での師の集会に行ったのですが、その4ヶ月後にはグルーバー師御夫妻を日本にお連れすることになりました。このスピードは全く不思議な神様の御計画としか言いようがありませんでした。

 当時の泉の森祈祷院での一回目の集会では、主人がグルーバー師の横に立って通訳をすることとなりました。 ところが、主人は頭の通訳のスイッチを入れ忘れ、全く日本語がでてきません。「おまえ、代わってくれ」といわれた私も本当に困ってしまいました。グルーバー師も日本のクリスチャンの前に立つのは始めてで、何を話せばよいのか分からない状態。とにかく、私には難しいお話をされました。見かねた英語のわかる方々が聴衆の中から助け舟を出してくださいましたが、それはもう、通訳者としては惨めなものでした。

 グルーバー師のメッセージのあとのミニストリーの時間も、幸い通訳の経験豊かな方がおられ、その方にお願いすることができました。見ていた私は、「へーえ、こんな風にするんだ、、、」と学んだのでした。それから毎年日本にグルーバー師をお連れするようになりました。グルーバー師もできるだけやさしい言葉で話すようにずいぶん努力をしてくださいました。

 グルーバー師は聖書は欽定訳を使われますが、私たちが使っている新改訳では同じようには訳されていなかったりすることも多く、師も頭を抱えられることがしばしばでした。また、主人も私も通訳をするときは、自分がはっきり理解してから訳したい、と思う性質なので、かえってもたもたと時間をとってしまったりして、聞いている方にご迷惑をかけたことも多いと思います。

 そもそも私の最初の通訳の「仕事」はとてもユニークでした。それは、エドモンド・ブショアというポートランドにある英語学校の先生に頼まれたものです。あるチャーチ・スクールで、先生が沖縄にミショナリーとしていったときは、こんな風に通訳者を使って話をしたということを子供たちに見せたいというのです。私は着物を着てくるように言われました。そして、彼が英語で話すのを日本語に訳すのですが、子供たちは全部アメリカ人ですから、私が何を言ったって分からないのです。つまり間違えてもいっこうに差し支えない「仕事」だったのです。なんか、恥ずかしいような、情けないような気持ちがしたように覚えております。でも、とにかくそれが私の通訳デビューだったのです。

 私たち夫婦はアメリカに長年住んだというだけで、通訳者としての訓練も受けたことがないにもかかわらず、神様が用いてくださっていることを感謝しています。しかし、二人とも歳のせでしょうか、一ヶ月間の通訳はだんだん疲れを覚えるようになり、他に助けてくださる方を祈り求めてきました。そして、今回、いわき市の森 章牧師がお忙しい中を後半の2週間グルーバー師に随行して通訳をしてくださることになり、主のすばらしいお計らいに感謝しております。

 今回グルーバー師は10月1日から11月6日までの予定で日本各地で伝道されます。私たち夫婦は10月16日まではグルーバー師と同行し、その後沖縄に参ります。どうかお祈りください。(終わり)


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