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Walk With God Ministries

30 9月

戦士の民(2)    リック・ジョイナー    9月30日




戦士の民——–新しい教会のリーダーシップ(2)
  
リック・ジョイナー 渡橋喜代佳訳



新しい音

現在教会リーダーのほぼ90%が男性であるにもかかわらず、教会が女性的になったため
に、大半の男性が教会内で居心地の悪い思いをしたり、退屈に感じたり、教会にはあまり
関係したくないと思ったりしている。男性が教会に参加しているのは、義務感からしぶしぶそうしている場合が多い。自分の居場所を教会内に見いだせないと感じているからだ。そのため、教会出席者の圧倒的多数が女性なのである。男性は、主を愛し神に用いられたいと思っている者でさえ、多くの場合教会が好きではないし、教会に行かなくてすむならどんな事でもしようとする。一般に、今日の教会は、男性のもっとも基本的な必要の多くにきちんと答えていないのだ。これが教会の外で起こった男性たちの運動が非常な人気を博した一因である。

私たちが本来召されているような教会になるためには、現在の定義や組織を根本から変え
ていく信仰をもたなければならない。女性的でもあり男性的でもある教会となって、男女
両方の必要に答え、その必要を満たすためである。男女両方ともが、教会内で居心地よさ
を感じるべきだし、自分たちがどのように教会に組み込まれるのかがすぐにわかるべきで
ある。教会とは、本来もっとも刺激があって、喜びと活気を与える魅力的な集まりである
べきであり、近いうちに再びそうなっていくだろう。

これからの新しいメガチャーチ

教会がその真の召しに喜んで応じ、その真の性質を示し始めるなら、この地上でもっとも
尊敬される、望ましい共同体となるだろう。現在とは著しく異なった姿になり、教会
は国々の中に打ちたてられる一つの国とみなされるまでになり、実際、そうなっていくであろう。そのような変革を成し遂げた教会は、人数が急増していくので、何十人の上に立つリーダー、あるいは何百人、何千人の上に立つリーダー達が必要となってくるであろう。

自分たちがどのような者として召されているのかという本質を妥協せずに保ちつつ、今ま
で経験したことのない膨大な数の人々に仕え、彼らを受け入れる備えをしなければならない。
これは非常に難しいことであるから、聖霊によってのみ実行可能となる。人間的な
どんな組織によっても、また、どんなリーダーによっても不可能なことである。主が
教会のかしらとなられるため、かしらである主の主権に無知であったり、その主権
に服従しようとしない人々は、これからの時代には長続きしないだろう。

教会はまもなく主が計画された本来の姿に変わっていく。そうなると、この地上でもっと
も魅力的で注目される社会、すなわち、来たるべき神の国を示すものとなる。家庭崩壊がこの
時代の最大の問題の一つであるが、教会は、本来召されているような家族になっていくだ
ろう。そのとき、クリスチャンの家庭も本来のあるべき姿に変わり始める。これから訓練
やしつけが大いに強調されてくるとともに、人間関係もまた大いに強調されるようになる
だろう。それは、とくに、家庭を強固なものにし、家庭に対するあらゆる攻撃に抵抗する
ためである。

学校や他の領域での戦い

キリスト教主義の学校も、教会のもっとも重要な働きの場の一つとなり、教会や家庭を
むしばんでいる根本的な問題に対する主要な解決になっていく。しかしながら教会と同様に
キリスト教主義の学校もこの時代にあってその目的を達成するためには、数多くの根本的な
変革がなされていかなければならない。

心の形成のために子どもたちをこの世にまかせておいて、彼らの心が一新されることを期
待するのは無理な話だ。調査によれば、実に75%近くのクリスチャンの子どもたちが、大
学に入学して30日もしたら信仰を失っている。ほとんどの短大や大学において、オリエン
テーションの時からすべてのクリスチャン新入生の信仰は、まともに攻撃されることにな
る。大学教育の基本や体系そのものが信仰に反するからだ。ほとんどの者は霊的武具を身に
つけていないため、この猛攻撃にもちこたえることができないでいる。しかし、こうした事態も
容易に変えていくことができるし、また、変えていかなければならない。

大学新入生の信仰をむしばむために用いられる議論は、聖書に対する攻撃から始まる。こ
れがエデンの園で蛇が用いた戦略であり、それによって、彼はエバが神の語られたことば
に疑問を持つように仕向けたのである。そして、それ以来、悪魔はこの戦術を変えてはい
ない。非常に効果的だからだ。ひとたび学生たちに聖書が本当に神のことばであるかどう
かという疑問をもたせたなら、次に悪魔たちは、現在彼らがきわめて優勢な戦いを進めて
いる領域にその学生たちを連れて来る。科学や論証の領域がそれであり、ここでは何世紀
もの間、信仰を弱めることが具体的に計画されてきたのだ。

聖書の信憑性を否定し、クリスチャンの信仰を攻撃するために用いられる論拠は、事実の
歪曲や誇張、完全な偽りであって、容易に否定できるものだが、子どもたちもまた、はっ
きりそれを否定できるように武装していなければならない。護教論がキリスト教教育の真
の土台の一部になる時がきた。「護教論」(apolo-getics)というのは、真理を弁護する
という意味のギリシャ語の単語からとられている。私たちは、敵の投げ矢が貫くことので
きない堅固な信仰の盾を、子どもたちが自分で築くのを手助けしなければならない。私た
ちにはこのための道具があり、今それを用いなければならないのだ。

科学や教育、メディアはすべて、教会が戦って取り戻さなければならない領域である。そ
れらはみな、実際は信仰から生まれた「子どもたち」である。今は反抗的な「子どもた
ち」かもしれないが、やがて家族のもとに戻って来るようになるだろう。科学や教育、メ
ディアは真理を大いに愛するものとなり、信仰の真の味方になっていく—-このことはよ
く注意して、覚えておかなければならない。

「現代教育の父」と称されるジョン・アモス・コメニウスが「すべての真の科学は創造主
にいたる」と言っているが、この預言は、私たちのこの時代に劇的に成就している。もっ
とも優秀な頭脳の持ち主の多くが、また、真に知的に正直な科学者たちのすべてが、科学
的な根拠によって知的デザインによる創造に疑問の余地がないことを認めつつある。今後
この傾向はますます強まり、雪崩のような勢力をもつまでにな るだろう。

ウィルソン天文台の所長であり、かつては宗教的不可知論者だと公言していたロバート・
ジャストロウは、「いわゆる超自然的な力が働いているということは、今や科学的に証明
された事実だと思います。」と語っている。これは、1982年8月号の “Christianity Today”
のインタビュー記事に掲載された言葉であるが、他の多くのすぐれた科学者たちも同じ事
を語っている。ジャストロウは彼の著書『神と天文学者』(P116)で、次のような結論を
出している。

「理性の力を信じて生きてきた科学者にとっては、この話の結末は悪夢のようだ。彼は無知とい
う山を登りつめ、一番高い峰をまさに征服しようとしていた。最後の岩をよじ登ると、なんと
そこには、すでに何世紀もの間そこに座していた神学者たちの一団がおり、彼は彼らから歓迎を受けることになるのだ。」

科学や教育、メディア界にはずっと一つの見解(訳者注:信仰に対する反感)があって、そ
れがこれからも拡大していくことは予想していなければならない。彼らとある地点で一致するために妥協して半分歩み寄ることを私は薦めるわけでは決してない。しかし、理性に反するだけでなく、聖書そのものにも反する教義の誤りが私たちのほうにあるならば、それらを検討して告白する必要は確かにある。このことは、テーマとしてあまりに範囲が広すぎて、ここで取り上げる
わけにはいかないが、真理を愛するというなら、自分たちが真理を歪曲したところはどこ
でも、また、歪曲したときはいつでも、はっきりとそのことを認めなければならないのだ。

科学者は自分の新しい考えを隠さずに正直に公表するようになってきているが、大学はまだそれほどではない。なぜなら、
ほとんどの大学は、自分の専門分野においてさえも、時代の先端を行く知識の蓄積や基礎
的な流れから、現実には何十年も遅れをとっているからだ。顕著な例外はあるに
しても、大学が先端を行く学術研究や制度の革新の主役でありえた時代は、遠い昔のこと
になってしまった。

「実行できる者には実行させよ、実行できない者は教師にせよ。」という言葉がある。教える
ことそれ自体は崇高な召しなのだが、「実行するもの」と立証された者が教えるべきであ
る。今日の大学教授は、概して、何十年も前に自分たちが学んだことを今もそのまま繰り
返しており、真の時代の先端を行く思考からはますます遅れをとっている。今そうした思
考が見いだせるのは、ほとんどの場合、企業においてである。大学や教育者たちからは抗
議の声が上がるだろうが、今やこれは事実であり、日々ますますそうなってきている。最
近大学から生まれた重要な開発か、科学技術か、制度の革新が何かあっただろうか。

私はこうあるべきであると言っているのではなく、一般的な現状を話しているのである。今の教育の場において、真の創造的思考を助長し、奨励するかわりに、むしろそれを損なう力が作
してきた。一般の教育はますます時代と歩調が合わなくなってしまっている。もし、教育が、本来召されているように文明の光り輝く照明のようなものになるとしたら、根本から変わらなければならない。それには、大学や現代教育を生み出してきた教会が、あらゆるレベ
ルの教育に対する権限をもう一度取り戻さなければならないのである。

教会がこの目的のために一致するならば、はるかにうまくやることができる。私たちは、
本来召されているように「世界の光」(マタイ5:14)、すなわち、知識や真理の主要な
源にならなければならない—–しかも、あらゆる分野においてだ!1ヨハネ2:27では、
このように言われている。

「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまって
います。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことにつ
いてあなたがたを教えるように、—–その教えは真理であって偽りではありません。
—–また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとど
まるのです。」

すべてのことが油注ぎのもとで教えられるべきである。科学や数学、歴史も含めて、まさ
にすべてのことが!そもそも、この世界を創造された方以上に、この世界についてうまく
教えられる者などいるだろうか。教会がこの基本的な真理を回復するなら、私たちは、あ
らゆる知識においてあっという間にこの世を追い越すだろうし、この世は、助けを求めて
私たちのもとに道を急ぐことになるだろう。まず、大学を取り戻すことから始めなければ
ならない。大学は、教会によって始められたにもかかわらず、この世の霊に屈してしまっ
たのだ。私たちは、真理に基礎を置き、油注ぎによって教えていくような、時代の先端を
行く新しい学校を建て上げなければならない。

学校は、教会のもっとも重要なミッションである。宣教師として教師や教
授、理事たちを学校に派遣する必要がある。主の軍隊がその目的を果たし、確実な勝利を
勝ち取っていくためには、長期のビジョンをもつとともに、日々の戦いをしていくことを
学ばなければならない。実際のところ、私たちには千年のビジョンを持つ必要があるの
だ。私たちは、主とその御国の到来のために道を備えるよう、召されている。そして、そ
の備えは、今私たちが御国で生き、この全地にその御国が来るための基礎を築いていくこ
とによってなされる。 

きわめて基本的な形で、学校や政府、産業までもが、この地上におけるキリストの千年王
国の原則にしたがって建てられたり、再建されたりすることができるのだ。これが私たち
にゆだねられたことであり、召しでもある。多くの人々がこのことを悟り始めたし、御国
の福音を宣べ伝えるという、この大目的のために献身する人々も出てきている。

私たちの時代に信仰の戦いを立派に戦うには、明確な焦点と訓練、真の戦士の信仰を要す
るが、今や、ラッパの音が鳴り響き、終末の時代の軍隊が召集されつつある。教会は、真
理の敵を前にしてもう退却することはしないで、本来の召しである真理の擁護者、真の自
由の戦士になるのだ。(終わり)

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