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17 11月

イラク戦争は神の御心であったのか 坂 達也  11月17日


イラク戦争は神の御心であったのか

 今回のアメリカの中間選挙では、民主党が共和党を抑えて圧勝し、両院とも過半数を勝ち得ました。今回の選挙はブッシュ大統領に対する、ひいてはイラク戦争に対する国民の判決が下ったと言うのがメデイヤ一般の見方です。

ブッシュ政権がイラク戦争に踏み切ったことは、国益に反して間違いであった、という判断をアメリカ国民が下したことは、それなりに理解できます。しかし、それでは「イラク戦争は神の意思には反した行為であったのかどうか」ということを、この際私たちクリスチャンは改めて問う必要があると思います。皆さんはクリスチャンとしてどう思われますか。

創世記を読みますと、イラクを含むアラブ諸国がどのようにして生まれたかが書かれています。アブラハムには二人の子どもがおりました。最初の子は、主の約束が待ちきれなくて、人間的な判断と方法でサラの女奴隷ハガルに産ませた子どもであるイシュマエルです。そのいきさつは創世記16章に書いてあります。その14年後に、主は約束通りにサラから奇跡の子イサクを生まれさせました。

勿論アブラハムは父としてどちらの子どもも愛しておりました。神の愛の偉大さはここにあります。神は、アブラハムとサラの信仰の至らなさのゆえに神の御心ではなく生まれて来たイシュマエルに対しても、同じように愛と憐れみを持たれたのです。神はアブラハムに忠実な方であられたので、イシュマエルの子孫も大いなる国民にすると約束されました。(創世記17:20,それに21:12,13、18)
勿論総てのことに神は最初からご計画を持っておられますから、アブラハムとサラが待ちきれないで人間的な子どもを先に生むことは当然知っておられました。このアブラハムの子、イシュマエルは主の御使いによって次のように預言されました。
「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」(創世記16:12)
この預言はイシュマエルに対して与えられましたが、それは彼の子孫に受け継がれて行きました。これによってアラブとイスラエルが後にお互いに相容れない怨念の仲となっていることは皆さんよくご存知のことです。この宿命的確執は初めから神のご計画であり、今までの歴史ではその通りになっています。

しかし、人間として生まれてくる者がみな救われることを神様は望んでおられ、イエス様は総ての人間の罪を赦すために十字架にかかられました。それにはアラブ人も含まれ、神は彼らが悔い改めるのを待っておられます。
そうであれば神は、彼らに西洋諸国と同じようにその悔い改めのための福音を聞く機会を与えたいと計画しておられても当然であると思います。
しかしながら歴史的に見て、今まではそのような機会があまり与えられてはいないように見受けられます。とすれば、この終末の時が押し迫る現在において、今こそアラブ諸国に大々的なリバイバルの機会が与えられなければおかしいと言う気がするのです。つまり、アラブ諸国にも他の国と同じようにリバイバルが来ないままで世の終わりが来るとはとても考えられません。

その意味において神は、その福音の使者としてアメリカを、特にブッシュ大統領を先駆けとして起用されたと私は信じております。イラクはフセイン大統領と言う悪魔的な暴虐専制君主によって長い間抑圧されておりました。この専制弾圧政治から国民を解放することが歴史的に見てどれ程重要なことであったかは、これからの歴史が証明すると私は確信します。それは単に大量破壊兵器が発見されたとか、されなかったからと言うような議論のレベルの問題ではないと思います。 

ところが解放後のイラクは、今内乱によってその民主化安定政権の誕生は一見絶望的に見えますが、実際は報道陣の報道以上に民主化は進んでいると言われています。少なくともイラク国民がどれ程デモクラシーを望んでいるかは、選挙の投票に多くの民が命の危険を犯して参加したことからもはっきり見えたと言われます。又、あまり報道はされませんが、福音が一般市民の間で伝えられ始めております。
安定政権樹立の道は決してなまやさしいものではないにしても、世界が忍耐を持って支援をし続けるならば、かならずイラクの民主化は成功すると言う信念を持つブッシュ大統領の政策は、神のご計画にそって行われていると信じるクリスチャンも少なからずおります。その一人がリック・ジョイナー師です。

彼は神の御心についてイザヤ書19:19-25を挙げています。この預言は歴史的に未だ実現していないと師は言われますが、多くの聖書学者も同意見です。
「その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。 そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。 主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。
23(節) その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。 万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」


先ずエジプトについての預言がなされ、最後の23-25節ではエジプトとイラクがハイウエイで結ばれ、真ん中のイスラエルと共にこの三国が主の御名を共に称える時が来ることが預言されています。ここに出てくるアッシリアとは現在のイラクです。しかも歴史的に見てイラクこそ文明の発祥地であることも注目に値すると思います。
ここにおいて、神がアブラハムに約束された「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)が実現されるのではないでしょうか。
この預言が実現するためには、今こそイラクの民を独裁政治から解放することが神のご計画であると言っても、それは充分納得できるように思えます。

世界、特にアメリカ

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