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Walk With God Ministries

21 3月

第二バイオリンを弾く招き  ビル・ヨント  3月21日


第二バイオリンを弾く招き

ビル・ヨント


ピリピ2:3-11「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」


「私のために第二バイオリンを弾いてくれませんか?」

今まで自分の賜物や召命に従って忠実に主に仕え、重要な役割を担い、人々に祝福を与えてきた多くの人々にむかって、今、特別の招きが与えられているのを私は感じています。その招きとは、今まで神様のオーケストラの中で「第一の場所」(それを「第一バイオリン」に例えてみます。)で演奏することを許されてきた油注ぎのある人たちにむけて出されているのです。神様の御国の中で第一の場所を占め、特にソロで弾くような働きをしてきた人の上には、すべての人の目や耳が集中しますし、敵はその人に間違った音を出させようと日夜働きかけますから、その人には強いプレッシャーがかかります。

私が見た一つのヴィジョンの中で、第一奏者を照らしていた天のスポットライトが、だんだんと暗くなるのが見えました。そして、今までスポットライトが当たっていた多くの人たちに、「へりくだって他の人の下で働きなさい。彼らがあなたよりもっと高められるように助けて彼らを建て上げる役目を担いなさい。それが御国の中でもっとも偉大なものになることですから。」というプロモーションの招きが出されているのが見えました。

自由さと創造的な油注ぎは第二バイオリンから起こってくる!

ソロを弾く主役の演奏者(第一バイオリン)よりも、脇役の第二バイオリン演奏者のほうが実際もっと自由に創造的に様々な音を弾くことができるということは興味を惹きます。彼らは第一バイオリンが一番素晴らしく聞こえるように自由にハーモニーを造りだすことができるのです。聴衆は気がつかないことが多いですが、彼はスポットライトを浴びている主役の多くの間違いを自分の創造力でカバーしているのです。

ヨセフはエジプトの宮廷で、パロや自分の家族の下になって第二バイオリンを弾く地位に引き上げられ。エジプト全土は天のハーモニーを聞くことになった。

創世記41:40「『お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。』
…41:43 ヨセフを王の第二の車に乗せると、人々はヨセフの前で、「アブレク(敬礼)」と叫んだ。ファラオはこうして、ヨセフをエジプト全国の上に立て、…」


創世記50:18-22「 やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、」

第二バイオリンを弾くことは実はプロモーションである

詩篇75:6-7「 高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。」

神様が誰かの地位を下げるのは格下げだと、私は前は思っていました。でもそれは神様の見方ではありませんでした。それは私たちをもっと大きな目的にむかって昇格させるための神様のプロセスの一段階なのです。ヨセフに彼はどうやって宮廷の地位にまで昇格したのか聞いてごらんなさい。彼はきっと穴や牢屋に入れられたことが大切なプロセスであったと説明してくれるでしょう。また、ポティファルの妻から逃れるためにどれほど速く走ったかも! 神から与えられた夢が現実となるために必要な誠実な人格や徳を、ヨセフには持っていました。彼は賜物や夢により宮廷まで到達しましたが、そこのとどまることができたのは、彼の人格によってでした。

神様が私たちを低い位置に置かれるのは、私たちを私たちの目からではなく神様の目からみてもっと高く上げてくださるためなのです。神様はご自分の身体の中に沢山のメンバーをもっておられますから、一部の人だけをいつも使われることはありません。もしそんなことをしたら私たちは燃え尽きてしまいます。もしあなたが今低いところにいるならば、元気を出してください。今からあなたは昇っていくのです。もしあなたが今大いに用いられているのなら、あなたの賜物と人格を精錬するために主があなたをへりくだらせるような位置に落とされるかもしれませんから、そのときは驚かないでください。第二バイオリンの奏者になりたい人はいますか? すべてにおいて主イエスが第一の席に着かれますように、そして主にすべての栄光があるように他の人を高く上げることができますように。主もそれをされたのですから!(終わり)


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