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Walk With God Ministries

01 4月

リック・ジョイナー師の幻とデイビッド・ウイルカソン師のメッセージ 坂 達也 4月1日


リック・ジョイナー師が見た幻とデビッド・ウイルカーソン師のメッセージ

 私はつい最近、アメリカの代表的クリスチャンリーダーとして預言的な働きをされている著名な二人のメッセージに接することが出来ましたので、ご報告したいと思います。
 二人のメッセージに共通した点は、どちらも教会に対して迫り来る終末への警告と、教会が今なすべきことは何かと言う本質論に触れていることです。最初に、リック・ジョイナー師の記事をご紹介します。

最新号のモーニングスター・プロフェティック・ブルティンに、リック・ジョイナー師が最近見た幻について書いていますので、それを手短に要約します。

彼が幻の中で一つの道が二つに分かれる分岐点に立っていると、そこにトーチを掲げ生きた「自由の女神」のような人がいることが分かりました。しかしその灯は弱々しく、顔は困惑と混迷に満ち、歩いている足はほとんど前に進んでいませんでした。彼女は分岐点からどちらの道に進めばよいかで迷っておりました。道の傍らに標識があり、それには「一方の道を進めば国は益々弱まりやがて破局を迎えるが、もう一方の道を選べば国は強くなり、前よりももっと輝く将来がある」と書かれていました。問題はどちらの道がそうなのかが書かれていないことでした。その標識には又、「この分岐点に長く立ち止まって迷えば迷う程、間違った道を選ぶ可能性が強まり、その道が強いられる」とも警告されていました。そしてこの自由の女神のような人は今にも間違った道を選ぼうとしていることが明らかでした。

よくよく見ると自由の女神がそこまでたどり着いた道には多くの過去の偉大な国とか帝国が歩いた足跡があり、この分岐点で皆立ち止まり、そして皆が間違った方向に進んで行った足跡が見えました。しかし、もう一方のもっと繁栄すると言われる道には誰の足跡を見ることが出来ませんでした。そこで間違った道の方をよく見ると、その道には次の曲がり角までは道がよく見えるように街灯がつけられていて、この道こそが正しい道のように思えて来るのでした。それに反し片方の道は暗くて狭く険しい道のように見えました。

迷っている自由の女神のような人は、弱り切った手に持ったトーチが重そうで、今にも掲げているその手を下ろしそうでした。そしてかろうじて掲げているそのトーチの光は非常に弱々しいものでしたから、明るい街灯がついている道を選んでしまう誘惑に勝てそうもありませんでした。それを見てたまりかねた私は、彼女の側に駆け寄り、今にも落としそうなトーチを掲げている手を握りしめ、もっと真っ直ぐ上に掲げるのを助けました。すると弱々しかった光が輝きを取り戻し、暗い道に光が当り始めました。

私は次に彼女がもう一方の手に抱えてはいるが今にも落としそうな書き板(タブレット)をしっかり持ちなさいと励ましました。今の彼女に必要なものは確かなビジョンと自信と決意(やる気)であることが私にはよく分かりました。

私は彼女がここまで到達するために過去にやってきた業績を称え、これからも道を間違えなければ、今までどの国もどの帝国も成し遂げたことのない輝かしい将来に進むことが出来ると言って彼女を励ましました。彼女はそれを聞くと顔を明るく輝かせました。しかし、彼女はどちらの道に進むかの決断を躊躇しており、それが間違った道への選択に彼女を追いやらんとしていることが明らかでした。

この幻の解き明かしとして、ジョイナー師は自分が見た幻は明らかにアメリカを指し、アメリカは今、国の興亡に係わる重要な分岐点に立っていると言います。そして幻に現われた彼自身は、現在の教会を代表しているような気がすると言っています。以下はジョイナー師の文章の要約です。

「それはちょうどアロンとフルがアマレクに勝つためにモーセの挙げている手を支えた(出エジプト17:12)のに似ていて、今のアメリカに必要なのは教会が国家のためにもっと祈りとりなしをすることです。又、この国が今必要なのは預言であり、それによってアメリカが将来に対する確固たるビジョンを得ることです。それによって、険しくて孤独ではあっても勇気をもって正しい道を選ぶことが出来るからです。そのために自由のトーチを掲げているのであって、今こそそのトーチを高く掲げなければならない時です。

アメリカは神の御国ではありません。又神との特別な約束(契約)の関係にある国でもないので、国が滅びないという保証はありません。神が特別の契約をしている国はイスラエルと教会(ホーリー・ネイション、神の御国)の二つしかないのです。

しかしながら、アメリカは建国の時に建国の父たちによって主に捧げられた国であることにおいて、他の多くの国と違います。神に捧げられたものは総て聖いので、アメリカが神の名を冒涜するような国になるのであれば、神はそうなる前にアメリカを滅ぼされるでしょう。又、神に捧げられた聖い国であるがゆえに、他の国がそれをしても神の怒りを逃れられることでも、アメリカがすれば許されない場合が多いのです。

神はアメリカを神に捧げられた「聖い国」として扱われるので、それだけ厳しい懲らしめを受けねばなりません。しかし、そのことはむしろ喜ぶべきことであって、神が懲らしめるのは神に見捨てられていない証拠です。

そのことがヘブル12:7-13に書かれています。『訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。足なえの人も関節をはずすことのないため、いやむしろ、いやされるためです。』

主はこれから益々アメリカを厳しく懲らしめるでしょうが、それ

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