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Walk With God Ministries

08 2月

2008年は人々を最終目的地へと解き放つ年  キャロル・ケリー  2月8日


2008年は人々をその人に定められた人生のゴール(最終目的地)へと解き放つ年

キャロル・ケリー 

新しい年、新しいシーズンを迎えるのは心楽しいものです。昨年の初頭には、主はたくさんの預言者を通して、2007年は多くの人々にとって変化と移り変わりの年になると言われました。ボビー・コナーは「急速な変化が起こることを予期せよ」と預言しました。私は「変化」を特に好むわけではなく歓迎するわけでもありませんが、昨年はこの預言の言葉を心に受け止めて、これから起こるであろう変化にうまく適応できるよう、力を与え助けてくださいと主に祈りました。

そして実際2007年には私と私の家族の上に多くの変化が起こり、その中で主は私の祈りに誠実に答えてくださいました。喜ばしく記念すべき出来事もありました。長男の結婚や次男の大学卒業、末の娘が18歳になり高校を卒業したこと等ですが、それがすべて2ヶ月の間に起こりました。また、私の母の健康状態が急激に変化しました。彼女はアルチハイマーと闘い、骨折もし、そして命を脅かすような感染にかかり、ついに12月4日に天へと卒業していきました。

人々を解き放つ

今月の初め、主が私に語られました。2007年に起こった多くの変化・・・結婚、卒業などで子供たちが人生の次のページへと進んだこと、母の容態が悪化して死を迎えたこと・・・は、すべて人々を自由にし、それぞれの人生のゴールへと解き放つことと関係があると主は言われたのです。2007年に人々を解き放ったのは、主に目に見える世界で起こったことだけれども、2008年には霊的な領域で人々をゴールへと解き放つことが加速度を増すであろうと、主は言われました。昨年、目に見える形で起こったことが、新しいシーズンに起ころうとしている霊的なことへの準備となったのです。
第一コリント15:46に「最初にあったのは、血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。」とあります。

神は聖霊の力と賜物を、今までよりもますます大きく解き放たれておられます。それを聞いてあなたは喜ばしいと思いますか? それとも他の人と自分を比べて、神は自分を見過ごされていると感じ脅かされますか? 

ローマ12:6-10には次のように書かれています。「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」

また、ピリピ2:3-4でパウロは次のように言っています。「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」

イエスは弟子たちに、主に従おうとするものをたとえそれが子供であってもとどめてはならないと言われました。(マタイ19:13-14、マルコ10:13-14、ルカ18:15-16)十二弟子の一人のヨハネは、自分の仲間ではないという理由で、悪霊を追い出している人を止めようとしました。その時イエスはヨハネに「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です。」と言われました。(ルカ9:49-50)

ヨハネは自分の仲間以外の者に対して競争心があったばかりではありませんでした。彼と兄弟ヤコブの二人は、神の御国で他の弟子より勝った特別な地位につきたいと願いました。(マタイ20:20-24、マルコ10:35-41)しかし主は、私たちの人生のうちに働いてくださっているように、ヨハネの人生のうちにも働いていてくださいました。長い年月が経ったとき、ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれるようになっていました。それは、彼が主と主の子どもたちに対する偉大な愛を持っていたからでした。

ヨシュアの人生

私たちはヨシュアが神の民を導いた偉大なリーダーだったことを知っています。しかし、彼も自分に自信がなく不安な気持ちを抱いていた時があったということは忘れがちです。彼がまだモーセの従者として「訓練中」だったとき、ヨシュアは他の者たちが預言をするのを妨げようとしました。(民数記11:24-29) 29節でモーセは「あなたは私のためを思ってねたみを起しているのか。主の民がみな、預言者となればいいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるといいのに。」とヨシュアに言っています。

もし他の人をねたんでいると、彼らに与えられた能力や賜物が神の目的のために用いられることを阻むことになります。主が私に言われたのですが、少しでも他の人へのねたみ心が自分にあると感じたならば、すぐに彼らを神から召されているゴールへと解き放ち、同時に、彼らが私よりも認められたことを妬んだり威嚇されたと感じる「権利」をも私が放棄せねばならないときなのです。
主は私たちの人生のうちに働いておられると同じように、ヨシュアの人生のうちに働いていてくださったのです。ヨシュアがイスラエルの民に約束の地を継がせることを、神は預言的に語られました。(ヨシュア1:6)ヨシュアはイスラエルの民がヨルダン川を越えて神が約束された新しい地を見出すのを助けました。(ヨシュア1:13,15 および3章)

ヨシュアは探検家でした。他の11人と共に彼はモーセによってカナンの地の探検へと遣わされました。(民数記13章)それからほぼ40年後に、今度はヨシュアがジェリコの町を調べるためにスパイを送りました。(ヨシュア記2章)パイオニアや開拓者が行く前に探検隊がまず行き、そこで発見したものをみなに告げて、彼らが勝利を得るための作戦計画を練ることができるようにするのです。

私たち全員がヨシュアのように国家や教会、または聖書研究会を導くのではないでしょう。しかし、私たちは全員、人々が神から召されたゴールに到達するように彼らを助けて解き放つことはできます。彼らが神から召された通りの者になれるように解放するのです。それは尊敬、愛、サポートを示し、主から与えられているすべての賜物を祝福し、励ますことによって出来ます。ヨシュアは神からの召しを達成するために、主だけではなく他の人々からも励ましとサポートを受けました。

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