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16 6月

神の御心は喜ぶこと ビル・ジョンソン 6-16-2009


神の御心は喜ぶこと

ビル・ジョンソン


使徒行伝16:22—28 「群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。」

1986年に私と妻のベニは、教会の人たちと一緒にイスラエルとイタリヤへの旅に出かけました。その時に訪れた場所の一つはある地下牢でしたが、それはただ地面にあけられた穴でした。それは使徒パウロが実際に入っていた地下牢でした。今まであなたが持っていた牢獄のイメージを捨てて、ただ地面にあいている穴を頭に描いてください。 かび臭く、冷たくてじめじめしているのです。囚人たちはそこに文字通り投げ入れられたのです。使徒パウロは実にこの穴でピリピ書を書いたのです。それは牢獄に入っている者が書くにはおよそ似つかわしくない「 喜び」というテーマを持っていました。ピリピ4:4には次の言葉があります。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい!」

使徒行伝16章を見ると、パウロの「喜び」は並大抵ではない試煉に会ったことがわかります。さて、もし私が牢獄に入れられていた時に地震が起こり、私の手足から鎖がはずれ扉が開いたならば、私は「ジェホバ・ジャイラ、神はまたもや私のために道を備えてくださった!」と叫んでいることでしょう。これは神の御心だということは明らかですから、私はものすごいスピードでそこから逃げ出して行くでしょう。「主を賛美します!私の賛美はやっぱり効果があった。牢獄を揺るがした!」と言いながら。

しかし、パウロはそうしませんでした。彼が神を礼拝していると地震が起こり、その力が非常に強烈だったので手足の鎖が解かれ、彼らは地に倒れました。扉が開き、パウロは「私はここに入れられていたが、真の自由を所有し、囚人ではなかった。今扉が開いたが、それで私がもっと自由になるわけではない。今、魂の収穫が起ころうとしているようだ。捕まえられる魚がいるようだ。私の人生の一番の目的は魚を捕まえることなのだから、この魚場(穴場)は確かに風変わりだけれど、ここに留まる事にしよう。あの、もしもし、自殺しようとしているのですか?私たちは皆ここにいますよ。」というように考えたのでしょう。これは十分な信仰の証しとなりました。看守もイエスを知りたいと願い直ぐにイエスを信じ、全家族も救われました。超自然的な喜びには、大変 素晴らしい貴い実を結ばせる何かがあるのです。

聖書の中にはいくつかの喜びに関する箇所がありますが、私にとってはこれが最高にユニークで顕著なものです。

数年前に聖書の中の3節を6ヶ月の間、実際どのように実行すればよいのかを学ぶようにと主から示されたように感じました。それは1テサロニケ5:16—18です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」私はこの3つの命令をいつも思い巡らし、実行するようにと努めました。

私は一日中この聖句を暗唱したり黙想したりしていました。「いつも喜んでいなさい。」私はどんな時でも喜ぶことを選び、それを表すように努めました。それが簡単に出来る時も、また難しい時もありました。それから「絶えず祈りなさい。」です。このためには私は常に主との交わりを保たねばなりませんでした。次に「すべての事について感謝しなさい。」ですが、これは本当にすべての事なのですから大変です。間違う余地はありませんでした。この3つのことを常にするのです。すべてのことに関していつも感謝し、いつも喜び、いつも祈っているのです。

人びとは私のところに来て「 私の人生に対する神の御心を知りたいのです。」と言います。

私はこう答えます。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト*イエスにあって神があなたに望んでおられることです。」

「まあ、そうですけど、、、でも私はこの仕事をするべきか、ポートランドに住むべきか、サンホゼに住むべきかを知る必要があるのです。」と彼らは言います。しかし、もしあなたがいつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝するならば、あなたがどこで何をするかはあまり問題ではないのです。

「たしかに、、、でもどんな仕事をすればいいのかわからないのです。」と彼らはいうでしょう。でも、ガソリンスタンドで働いても、医者になってもいいのです。でもいつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝していてください。これが神の御心です。他のすべての事はこれに較べたらどうでもいい事です。どこで何をしても勝利です。ただいつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝していてください。(終わり)


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