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Walk With God Ministries


16 11月

その後のジュディス・グルーバー夫人と祈りのお願い 11月16日


その後のジュディス・グルーバー夫人

先回グルーバー師夫妻はミニストリー旅行に共に出発すると報告しましたが、その日になって夫人の容態が悪化し、出発を見合わせました。それ以来様子を見て来ましたが、結局旅行に出られるまで体力が回復しないまま、旅行をキャンセルすることとなり、その後自宅で静養しております。グルーバー師も今は出来るだけ傍を離れず、インシュリン注射を助けたりして夫人を見守っております。

 今朝の電話ではグルーバー師も今までにない沈んだ声で、夫人が一進一退の中で体力と共に気力も衰えていること、家の中での歩行もあまりしなくなっている様子を語ってくれました。夫人はしばしば痛みを訴えるそうです。
 皆様、どうぞ主に示されるままに一層のお祈りをお願い申し上げます。坂 達也

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15 11月

何にも思い煩うな ビル・ヨント  2008年11月15日


何にも思い煩うな

ビル・ヨント


「何にも思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」ピリピ4:6

「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」三ヨハネ1:2

今天から放たれているものを受け取るためには、まず自分の魂そのものが繁栄し幸いを得ていることが必要であると思います。自分の人生について神が何を語っておられるかを聞き、神の口から出る一つ一つの「今の」言葉によって生きることが大切です。神が語られるとき私たちは生きるのです! 主の言葉は私たちの身体を健やかにし、骨の髄となります! 主の言葉は純金より尊いのです。もし神が税金を払うには「魚釣りに行け」と言われるならば、魚の口に金貨が見つかるでしょう!

この文で私は、健やかに生きるのに必要である「魂に繁栄を得させる」人間関係の大切さについても話したいと思います。それは癒されようと必死でがんばることに勝るものです。私はこれまで人々の愛と祈りによって癒しを受けてきたことを知っています。また、神が私のために選んでくださった、思いもよらない人々を通して、物質的な祝福を受けてきました。私たちが築いた人間関係は大きな利息をもたらすのです!

主がかつて語られた言葉、今語っておられる言葉を固守せよ

私はハートアタック(心臓病発作)を患いましたが、主が5年前に語られた言葉を私は決して忘れることはないでしょう。主は「息子よ、おまえはこれから癒しのアタックを受け始めるだろう。癒しはおまえの家系に流れるものだからだ!」とその時言われたのです。そのような言葉を聞いたのは初めてでした。主はまた、その癒しは徐々に起こることも教えてくださいました。そしてその理由は、瞬間的に癒されるよりもその方がいつも主から目をそらさないで生きていけるからではないかと、私は思っています。「信仰のテスト」の谷間を長く歩けば歩くほど、私は癒しに関してもっと深く学んだように思います。

過去5年間に遣わされたすべての教会で私が最初に証することの一つは、「私は癒しにアタックされています!」と言うことでした。そうすると人々の中に「自分も癒しにアタックされている!」という信仰が直ちに湧き上がるのを感じることができるのです。敵は何度も私の肉に働きかけ、実際には癒しなんか起こっていないと思わせようとしました。

しかし、敵はうそつきだと知っていましたから、私はもっと大胆に神が語られたことを人に話しました。あるとき私は大胆さと決意に満たされ、「証をする」という域を超えて自分の癒しを「預言する」霊の領域にシフトされたことがわかりました。

教派の壁を越えることによって天からの健康を保つプランを得なさい

政府が党派を超えて働かなければヘルシー(健全)でないように、クリスチャンが天からの「ヘルスケア」(健康管理)や主の「救済プラン」を国として受けるためには教派を越えねばなりません。いままでの人生を振り返ってみると、神ご自身のご配慮で以って、今ある私にするために私を多くの異なった教会や教派に送られました。私が子供のときに発病した時ですら、主は道を備えられ、私は少し変わったところに行くことになりましたが、そこで癒しがおこったのでした。

それは7歳のときのことですが、私は脳腫瘍になり、神の導きによりペンシルバニヤ州のピッツバーグにあるマーシー病院に送られました。そこはカトリックの病院でした。母はすべての修道女や神父たちに私のための祈りをお願いしました。母は物事を神の目を通して見ているようで、神を信じる人が天使のようにどこにでもいて、必要なときに助けてくれると思っていたようです。神は主権をもって奇跡のようにそのカトリック病院を選び、そこの修道女や神父を用いて私のために天を開いてくださいました。そして医者が手術をする前に私の腫瘍は消えてなくなったのです!

神が働いてくださる(癒しが起こる)場所とか教会を自分で勝手に判断して制限するときに、私たちは神を制限してしまうのだと思います。

多くの教派によって養われた幸い

私は、ファースト・チャーチ・オブ・ゴッド、チャーチ・オブ・ゴッド、メソジスト、フリー・メソジストなど、聖霊派やそうでないところの両方で育ちました。振り返ってみて、それはとてもよかったと思います! 私が今日神の望まれるところまで来れたのは、これらすべての教派が必要だったのだと思うのです。神はどこでもお好きなところ(即ちすべての教会!)にご自分の力を顕わすことができることを、私は学び感謝しています。

地球から上に高く昇れば、州や国家の境界線は地図に書かれたようには見えないといわれます。神は私たちを霊で高く昇らせてくださり、神のようにものごとを見せてくださっているのです。キリストの身体の中には教派の線や壁はありません。主にむかって鼓動する心を持った人々を、主はすべての教会や交わりの中に持っておられるのです!

私の母は、ある教会を訪ねて礼拝が始まる前に椅子に腰掛けて待っていたときに癌がいやされた、という証を持っています。後になってから、そこは癒しを信じない教会だったことがわかりました。それはどうであれ、神がその教会におられたことに間違いはありません!

数年前母が足の切断手術を免れて癒されたのは、ペンシルバニヤのピッツバーグの長老派の病院においてであり、それは神の奇しいご計画によってでした。それはアメリカで最も優れた病院の一つでした。長老派の人たちを神に感謝します! つまり、神はあるときは病院や医者を用いられて癒しや奇跡を起こされることもあるということです。イエスは「医者ルカ」を弟子の一人とされました。

最近、私は長年連絡していなかったある友人に電話をしました。ずっと以前、癒しに関する聖書の言葉の見解がくいちがい、彼は他の教派の教会に移っていったのでした。私は心臓のカテーテル検査のためにある病院に行くことになったのですが、彼も同じ病院にテストに行ったことがあるのを知っていたので、話を聞いてみようと思ったのです。会話が終わりかけたとき、彼は私の回復のために祈ってもいいか、と尋ねました。私は勿論「お願いします」といいました。

彼が祈り始めたとき、私は彼の人生と祈りの上の注がれている主の油注ぎに驚きました! そして私の癒しのために彼が信仰の祈りをし始めた
11 11月

神の新しいハイウェイ チャック・ピアス   11月11日


神の新しいハイウェイ

チャック・ピアス


ユダヤ暦5768年が終わり、私たちは5769年を歩み始めました。
「8」という数は常に「新しい始まり」と関係がありますが、「9」は
「孕んだものを産み出す」ということに関連しています。

それでは5769年には神が私たちのために備えられた「新しい何か」に入ることはできないのでしょうか? そんなことはありません! 主の恵みは朝ごとに新しいのです!しかし、今は国家が急激に変化しているときです。もし今私たちが今歩み始めた新しいシーズンにおいて、主を見出せるうちに捜し求めることを怠るならば、私たちが国家としてそのチャンスを逃してしまう可能性はあるのです。

主からの預言的言葉「わたしはハイウェイを造っている」

先日の火曜の朝の祈り会において、主が語られました。「今わたしはハイウェイを造っている。今までおろかで罪人であった者を、わたしはこのハイウェイに招く。もしわたしの招きに応じるならば、彼らが再び迷い出ることのない道をわたしは備えよう。

今のシーズンにあなたが歩むべき道の道標がわかりやすいようにとわたしに願え。今までわたしと共に歩くことが出来なかった捕らわれ人が開放されるように願え。前のシーズンには捕らわれていた者たちが、今のシーズンにあなたの道に来ることができるようにわたしに願え。今まで敵によって占拠されていた倉庫を開ける鍵を、わたしから求めよ。

今日の損失に目を留めずに、あなたのためにとっておいた倉庫の鍵をわたしに求めよ。損失に力を落とさず、むしろ倉庫を開ける鍵をわたしに求めよ。あなたのためのハイウェイとその途中に用意されている休憩場所を見ることをわたしに願え。あなたのためにわたしが備えた物資の倉庫に行くためのハイウェイからの出口のサインが、よく見えるようにわたしに願え。

新しい創造的アイディアをわたしは与えようとしている。又、あなたのために開こうとしている新しい場所を既に用意してある。わたしが繁栄させようとしているマーケットプレイスを求めよ。今わたしに願え。失われたものをいつまでも話さずに、今から開かれようとしているマーケットプレイスをわたしに求めよ。」

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神の御霊は又言われました。「わたしこそがあなたがたを動かすムーブメントである。天の領域におけるわたしのムーブメントは、地の領域であなたの霊を動かし立ち上がらせる。わたしが求めているのはわたしと共に動くことを切望している人々であり、わたしは既にその者たちを創造してある。わたしは前進していく人々を切望している。わたしが御座から語る言葉を大声で叫ぶ民をわたしは探し求めている。

わたしは、わたしに従い続けて新しい領域にまで着いて来る民を探し求める神である。わたしの羊はわたしの声を聞き、わたしが御霊を吹きかけることによって開く多くの扉を通ってわたしに従う方法を知っている。彼らは裏の扉から入ってくることはしない。たとえ人より遅くなっても御霊の風が吹くまでじっと待ち、風にしたがって入ってくる。

あなたがたの多くは新しい道から招き入れられるであろう。わたしがすでに閉じようとしている扉に目をむけてはならない。あなたがたの未来への扉を開くわたしの風の動きをよく見張っていなさい。」

次に私は魚が卵を産み付けるためにやってくる池を見ました。神は言われました。「あなたの未来を孵化する卵を産みつける時がきた。あなたの思考プロセスを変えなさい。倍増する資産の管理者として召してある投資家たちにわたしは言う。『わたしが投資しようと切望しているものを見よ。注意深く見守れ。あまり急速に動いてはならない。』」

次に主は、7日以内に管理と投資のパターンを教えはじめられると言われました。主は言われました。「あなたがたが今までどうすれば繁栄できるかわからなかったところで繁栄する方法を聞き始めるであろう。この世の罠にはまってはいけない。わたしは今バビロンのシステムを立て直している。なぜならば、わたしがこの世のシステムを支配する王国を持っているからである。わたしが繁栄をもたらす風の音を聞きなさい。この世が自らの欲と恐れと制限によって耳がふさがれ聞くことができない時に、あなたはそれを聞くことができるからだ。」(終わり)


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06 11月

ジュディス・グルーバー夫人への祈りのお願い 11月6日


ジュデイス夫人に関するその後の報告

10月14日に来日したヘンリー・グルーバー師は、11月17日までの日本滞在予定を中断し、10月30日アイオワの自宅で療養中の夫人からの緊急の要請により急いで帰国されました。それはジュディス夫人の容態が悪化したからでした。
 
 夫人は今自宅療養中ですが、必要に応じて医師の診療を受けております。当面の問題は肺にたまった液体により肺の半分から2/3がふさがっており、数歩歩くと息が切れる状態であることです。前にしていた注射針でこの液を抜くことを医師は最良の方法と認めず、むしろ薬寮で放出する方法を取っており、少し良くなったと言っています。しかし、問題はむしろ心臓にあり、4箇所クワドルプル・バイパスの手術を早急にする必要があると医師から強く勧められております。そこで夫妻と五人の子供が集まって家族会議を開いた結果、夫人はやはり手術をしないで、信仰で神の癒しを期待する道を選びました。

 そして、明後日から約2週間夫人はヘンリー師と共にミニストリー旅行に出ることになりました。それは家にいるよりも、夫と共にいて、夫の集会に出ることによって主の臨在の中に入る方がより好ましいとの判断からでした。旅行は大型のバンですから、いつでも横になれます。どうぞ引き続きお祈りいただけますようお願いいたします。

 それに併せ、グルーバー夫妻の娘さんのベッキーが子宮ガンであることが(早期)発見され、11月24日に手術を受けることになりましたので、ベッキーさんのためにもお祈り下さい。以上よろしくお願い申し上げます。 坂 達也


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03 11月

神は花嫁の中に宿られた ポール&ワンダ・デイビス 08年11月3日


神は花嫁の中に宿られた(Tabaernacled)

ポール&ワンダ・デイビス 


はじめに

この文は、最近では最も重要なときの一つに出されるものだと思います。9月29日の日暮れから、ユダヤ暦の新年であるロシュ・ハシャナに入り、次に贖罪の日と仮庵の祭りが続きます。旧約聖書に書かれているこれらの祭りは、肉のイスラエルによって行われたものですが、その預言的重要性は今の世代にとっても変わりはありません。

歴史的に見て、重要な啓示や洞察は聖書的に聖なる日と関連して私たちに与えられてきました。私たちはもはや律法の下にいないことは明らかですが、これらの聖なる日を私たちは注意深く見守り、神の時とシーズンがどのように展開するかを見る必要があります。次のシーズンは非常に物事が加速的に進み、実りの多いときであり、神の基準に合わせて自らを整えた者たちにとって恵みの時になることを私たちは信じています。

7年のサイクルが終わり、新しい7年のサイクルが始まろうとしています。次の7年の大部分は神の民の進み方いかんによって決められるのです。これは霊的にも政治的にも経済的にもそうです。私たちが破れ口に立って祈り、賛美し、預言的宣言をして義しく神の権威を実行するならば、聖霊が明確に働いてくださり、生活のすべての領域において道を備えてくださるのを私たちは見るでしょう。

私たちはニュースや世界情勢によって心を悩まされるべきではありません。私たちはそれよりも優れた揺るがされることのない御国の国民なのです。私たちがするべきことは次のことです。
イザヤ60:1-2 聖書箇所

神は神の民の中に宿られた(Tabernacled)

教会を歴史的観点から見て、現在、キリストの身体全体で起こっていることを一言で表せば、トランジション(過渡期、推移)でしょう。私は拙著「Angels That Gather」 の中でこのことを詳しく取り上げています。

時が経てば、今のシフトやキリストの花嫁がどのようにすればよいかということが、もっと鮮明に理解できるようになると思います。勿論私たちはこの数年に与えられてきた霊的傾注アウトポアリングの現れを喜ぶものです。しかし、これらの「リバイバル」は、今の時代に主から約束されているものの成就ではなく、又、私たちのミニストリーが勝ち取ろうとしてきたものでもありませんでした。

天の花婿と地上の花嫁の目に見えない結合を心から求める、勝利する世代の霊的DNAの中には、何かユニークなものが織り込まれています。彼らの求める「リバイバル」は、いままでに教会の歴史の中で起こったものとは違う特質キャラクターを備えているでしょう。その特質とは、もっと顕著な力と権威が現れるために道を備える情熱と純粋さです。それは即ち、主ご自身が主の民の中に完全に宿られることです。

このトランジションは、イスラエル国にとっては歴史的に重要なときであり、彼らがアブラハム、イサク、ヤコブの神を礼拝するとコミットするときとなるので、容易に判別できます。仮庵の祭り(収穫祭)は7ヶ月目の最後の祭りであり、今の時を象徴しています。

農作物の収穫を中心とした収穫の一年のサイクルが終わるとき、イスラエル人は喜びと祝いの時をもちました。主からの指示に従って、彼らは自分の住まいを離れて仮小屋を作り、そこに住みました。それは、主が千年王国に永続的に住まわれる前に、主の民の中に短い期間主ご自身が住まわれることの預言的型でした。「小屋」”booths”は約束の地に着くまでに彼らが住んだ仮住まいの象徴でした。

1994年に私が長期の断食をしたとき、主は仮庵の祭りの重要性について詳しく教えてくださいました。それから14年経過しましたが、そのとき語られたことの多くが成就されようとしているのを私は今見ています。

年に三回
イスラエル人は年に三回エルサレムに上り、主の祭りを行うことが決められていました。過ぎ越しの祭り、ペンテコステ、仮庵の祭りはそれぞれ収穫のサイクルに合わせられていました。これらの祭りには多くの預言的な意味があり、それは現在の私たちが歴史上どのような位置にいるのかを把握し、神の民は今何をすればよいのかを知る手掛かりとなります。

出エジプト23:16-17聖書箇所
第一の月の祭り・・・・過ぎ越し
1.過ぎ越しの祭り
2.種なしパンの祭り
3.初穂の祭り

第三の月の祭り・・・・ペンテコステ
1.七週の祭り
第七の月の祭り・・・・仮庵
1.ラッパの祭り
2.贖罪の日
3.仮庵の祭り
血の注ぎ
1.過ぎ越しには血は扉に振りかけられる
2.ペンテコステには血は人々と契約の書に振りかけられる
3.仮庵には血はあがないの蓋に七度振りかけられる

霊のイスラエル

明らかに、主の教会は霊のイスラエルです。歴史上でイスラエルに起こったことは、教会時代に何が起こるかを示す型であり影です。まず肉のものが来て次に霊のものが来るのです。パウロはこのことを非常にはっきりと述べています。
第一コリント10:11 聖書箇所
第一コリント15:46 聖書箇所


三つの祭りは、一つ一つ神の民の中に、又神の民を通して、実際に現れなければなりません。そのうち二つの祭りがキリストと教会のうちにすでに歴史上で成就されたという証しは、新約聖書に沢山書かれています。私たちは今、主の再臨を迎える最後の祭りが成就される瀬戸際に立っているのです。それは第七の月の祭り、即ち収穫際であり、仮庵の祭りです。

終末の収穫

私たちは今、最後の収穫のときに生きています。イエスはこの時代の終わりには収穫があり、そのとき主は「収穫の御使い」を主の王国から遣わすといわれました。彼らはつまずきを与えるものや不法なものをすべて集め、正しい者たちが天の父の御国で太陽のように輝くようにするのです。(マタイ13:41、43) これは神の娘、息子たちの現われであり、教会史上いまだなかった力と栄光を現す者たちです。

それは主イエスが花嫁の中に宿られて(tabernacled)神の御国と神の御性質を現されることを意味します。終わりの日にはますます真理と栄光が大きくなります。私たちは、主の完全な顕れと、十字架の御業の故に主が私たちを通して大きな業をされるのを見るというご褒美に対して、希望と期待を据えたのです。

仮庵の祭りは安息の祭りとしても知られています。これはヘブル書で言われている約束された安息です。
ヘブル4:9-11聖書箇所

旧約の預言者たちには聖霊の油はある一時注がれましたが、神の命令が達成さ
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