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Walk With God Ministries


04 04月

神との関係を深めるには  ジョン・ポール ジャクソン  4月4日


神との関係を深めるには          
                    ジョン・ポール・ジャクソン

 聖霊様と深い交わりを持ちつつ生きるようになるのは一朝一夕にできるものではありません。それは恋におちいるのに似ています。…
 ある人と恋におちいるときもそうですが、神の霊と真の恋におちいるのには、時間と、集中する努力と、コミットメントが必要です。神の臨在を経験し、神とのより深い愛の関係を持てるようになるにはいくつかの方法があります。可能性は無限ですが、一つのシンプルな方法は、神がどれ程あなたを愛しておられるかを、真に理解してそれを信じることです。 「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。(1ヨハネ4:19) そのために下記のことをお勧めします。

一時間、静かに神の前で祈る

 あなた自身について、今主が何をあなたに知ってもらいたいかを主に聞いてください。そして主があなたの心に静かに語ってくださることを書きとめるのです。どんなに奇異に思われることでも構いません。そうすることが自己中心的だと思う必要もありません。あなたは、あなたに関する主のご計画、主の思いをお聞きしているのですから。
 この簡単なエキサーサイズがあなたの人生を変えてくれます。主のお心の深いところへあなたの目が開かれると、主がどれほどあなたのことを思っておられるかが分かります。 あなたは神にとってとても大切で大きな関心事なのです。ほとんどの人はそのことを理解しておりません。又、実際にそれを信じて生きている人は少ないのです。

私は神が私のことをどう思っているか訊ねました

 数年前のことですが、私はラスベガスからダラス・フォートワースに向かって飛んでいる、ある会社の専用機の後ろの方の座席に座っておりました。そこで私は神にうかがったのですが、そのとき神が答えてくださったことを書きとめた8ページのノートを今でも持っております。
その飛行の途中、神の私に対するあまりにも大きな愛に圧倒されて、私はむせび泣いておりました。私は他の人と離れて飛行機の一番後ろに座っていましたが、誰も振り返って私の方を見ないように願いつつ、神の語られることを精一杯早くノートに書きとめました。

 今はそのときから25年たちましたが、8ページのノートに書き記したすべてのことが実現しております。そのとき神が語ってくださったことが実現するとはどうしても思えませんでしたので、そのノートを誰にも見せる気になりませんでした。しかし、考えられないようなことであったすべてのことが私の25年の人生の中で実現したのです。

あなたは神に恋をし、神もあなたと恋におちいるように

 主とあなたの関係を深めるための、最初で、又非常に重要な方法の一つは、神のみことばをそのまま信じて神に恋をし、神もあなたに恋をして、あなたに言い寄るような関係になることです。 「それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。」(ホセア2:14)神があなたについて、驚くような、あまりにも大きくて偉大すぎると思われるようなことを語ってくださるようにしてください。そして神が語られたすべてのことを信じてください。なぜなら、神の語られるすべてのことは事実だからです。その通り実現します。

 神があなたのことをどう思っているかを語ってくださるように神にお願いしてください。エレミヤ29:11「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」 (終わり)


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01 04月

ヨシュア記に示された「祈りの歩行」と言う霊の戦い   坂 達也     4月1日


ヨシュア記に示された「祈りの歩行」と言う霊の戦い

ヨシュアに引き入れられたイスラエル人はヨルダン川を渡り、約束の地に入りましたが、この「乳と蜜の流れる約束の地」とは「神の御国」を指していると思います。
しかし、その地を本当の「御国」にするためには、先ず、今までそこの先住民を虜にして君臨して来た「この世の王」と戦い、その地を勝ち取る必要がありました。

そこで主が、勝ち取るために最初にイスラエルに与えたのが要塞堅固の町エリコでした。イスラエル軍は主の戦略とその命令に忠実に従った結果、堅固な城壁が奇跡的に崩れ落ちました。そこでイスラエル軍は町になだれ込み完全に攻略しました。その時に受けた命令は、町にあるもの総ての住民と家畜をことごとく剣の刃で「聖絶」することでした。しかも、聖絶のものを一切個人的に自分のものにすることは禁じられました。この「聖絶」の意味は最初の町を「初物のそなえもの」「いけにえ」として主にささげる意義があります、又、勝ち取った総てのものは「主のもの」「御国のもの」であることを示しています。


その地の「住民を聖絶する」ことを今の時代に霊的に当てはめれば、サタンやその手下が人々に及ぼしている力を取り除くことによって、今まで敵に縛られてきた民を解放して全員「生きたいけにえ」(ロマ12:1)としてクリスチャンにすることであると思います。

この「ヨシュアの戦い」とは、まさに今私たちがしようとしている「私たちに与えられた町、エリコ」を攻略することではないでしょうか。この世を御国にするためには、先ず自分たちの町(市)を勝ち取ることから始めなければなりません。それが王国の戦士である教会の使命です。そのための戦いとは祈りの歩行をすることであると私は信じます。

エリコを攻めるに当たって、ヨシュアは「抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っている…主の軍の将」(ヨシュア記5:13、14)である主イエスご自身と出会いました。御国建設のための祈りの歩行には、まさに主ご自身が全軍の総司令官として私たちの先に立って歩いて下さることを常に念頭に置きましょう。

そして、ヨシュアは戦いに入る前に、全員に「割礼」を施しました。これは、私たちも「霊の割礼」を受けてから祈りの歩行と言う霊的戦いに臨まねばならないことを意味していると思います。ここで「霊の割礼」とは、自分の肉の声に従わないで、「主の御声に聞き従う」ことと深い関係があることが次の御言葉からよく分かります。

「イスラエル人は、四十年間、荒野を旅していて、エジプトから出て来た民、すなわち戦士たちは、ことごとく死に絶えてしまったからである。彼らは主の御声に聞き従わなかったので、主が私たちに与えると彼らの先祖たちに誓われた地、乳と蜜の流れる地を、主は彼らには見せないと誓われたのであった。主は彼らに代わって、その息子たちを起こされた。ヨシュアは、彼らが無割礼の者で、途中で割礼を受けていなかったので、彼らに割礼を施した。」(ヨシュア記5:6,7)

祈りの歩行と言う戦いに出て、一緒に歩かれている主の御声(指令)を常に聞きながら戦うことの重要性がここに強調されています。
しかし、主の御声を聞くことは、日頃からその訓練がされていなければ、祈りの歩行中にだけ聞こうとしてもそれは難しいと思います。

私たちが主から与えられた約束の地に入る大前提として、ヨシュアとイスラエル人がしたように、洪水のように溢れるヨルダン川を、私たちは主の箱を先頭にして歩いて渡らねばなりません。この霊的な意味は、私たちが完全に全員水の洗礼を受け、「自分に死んで、よみがえった」クリスチャンになることが要求されていると言うことです。

この点を強調する意味で、主は一つの大きな教訓を私たちに示しておられます。それはヨシュア記7章に出てきますが、取るに足らないような小さな町アイを攻めた時に、敵の要塞エリコを勝ち取って意気揚々としていたイスラエル人は「まさか…」と思われる予期しなかった敗北を経験したのです。それはユダ族のアカンが、こっそり聖絶のものの一部を自分に取り込むと言う罪を犯したからでした。主は一人の罪も見逃されませんでした。ここに主の厳しさがあります。
ここで私たちが厳粛な気持ちで学ばねばならないことは、「キリストのからだ」である教会からは、主は一人でも密かな罪を犯す者が出ることを許さないおつもりであると言うことです。そして、一旦この世から主の御名で奪回したものは、総て御国に属するものであり、「王である主のもの」であることです。

これからの時代のこの世をサタンの手から取り返す最後の戦いにおいては、私たち教会は徹底して「肉に従って歩まず、御霊に従って歩む」(ロマ書8:4)者でなければなりません。このみ言葉が、戦いの前に霊的な割礼を受けることの重要さを示しております。
「割礼」とは、主イエスと主の御霊に「全き信仰と信頼を持つことによって義と認められる」こと、言ってみれば、御国の王に忠誠を誓って王との契約関係に入ることです。

確かにサタンと戦って、王国を取り返すことがどれ程厳しいことであるかは、先述のアイの町の教訓からしてもよくお分かりになると思います。しかし私たちはそれで決してビビッてはならないのです。私たちには内に聖霊様がついていて下さるのですから、私たちが「御霊に従って歩む」限り、たとえ万が一肉の誘惑に負けることがあっても、主の聖霊様に心から悔い改めることによって赦していただけるのです。ダビデが「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは幸いである。主が罪を認めない人たちは幸いである。」(ロマ書4:7,8)と言っていることが心に割礼を受けた者の特権であるのです。
ですから、へりくだってはいても恐れることなく、安心して私たちに与えられた町エリコを、「祈りの歩行」と言う戦略によって今こそ勝ち取ろうではありませんか。主は言われます。

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)ハレルヤ! (終わり)


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