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Walk With God Ministries


23 04月

今という時のための預言「備えよ!」 チャック・ピアス  2009年4月23日


今という時のための預言「備えよ!」

チャック・ピアス 

今という時のための預言

主が言われる。「リフォーメイション(改革、刷新)の声をあなたの内に響かせよ。わたしの霊があなたを覆い抱くのを感ぜよ。わたしの霊が混沌とした地上をかつて覆ったように、わたしはあなたの混沌を覆うことができる。わたしの改革の計画をはっきり見透せるように、あなたの霊を完全に服従させよ。多くのミニストリーが変革されている。人びとの人生が変革されている。都市が変えられている。教会の集会が改革されている。 物事が急激に終わりを告げ、また、急激に始まることが地上で今起こり、それによってわたしの計画が完全に遂行されつつある。」

「どんどんと今それが進んでいる。あなたが改革されるのを天使たちがしっかり守っている。あなたの周囲の生活 、ライフシステムが変化している。陶器師のろくろに乗っている粘土に水がかけられろくろの速度が増している。あなたは準備を調えてわたしの方に上ってこなければならない。わたしは途中まで下りて行きあなたを迎えよう。あなたが上るときわたしはあなたを覆う。わたしはあなたを覆い、いままでの混沌からあなたを抜け出させる。準備をせよ。上がって来なさい。上って来てあなたの混沌の状態が終わるのを見よ。」

「今わたしはあなたを整えている。わたしがあなたを整えているのをじっと見ていなさい。わたしと共に素早く行動する備えをせよ。素早く決断をする備えをせよ。わたしと共に動き前進する備えをせよ。三日目(the third day)のために備えをせよ。変革のための備えをせよ。新しい任務に就く備えをせよ。わたしと共に機動する備えをせよ。備えよ、あなたの上に三日目が来ていてあなたを覆っているからだ!」

「わたしはあなたの人生の中に働き、あなたを整えている。ペテロの姑のように、今まであなたを床に臥させていた熱から起き上がって備えよ。わたしに仕える備えをせよ。任務を受ける備えをせよ。その変革のための備えをせよ。前進する備えをせよ。わたしが遣わす道でわたしの力を顕わす備えをせよ。」

「あなたの人生にまさに起ころうとしている変革のために備えよ。備えよ!身を聖別し自分を整えよ。今はわたしがあなたを素早く召し、あなたの状況を素早く変え、あなたを立ち上がらせる日だからである。今まで向かっていた方角からあなたは直ちに向きを変える。備えよ、変革が来ている、突然に。わたしは歌う。『突然に!突然に!』と。わたしと共に歌い素早く行動する備えをせよ。」

「召集のために備えよ。あなたのともしびを絶えず用意しておけ。あなたのうちに油をいつも満たしておけ。用意をせよ。備えよ。わたしがあなたを召すとき、わたしと共に前進せよ。召しが今あなたのところにまさに届こうとしているからだ。召しの時が遅れているので多くの者は倦み疲れている。しかし、備えよ、変革の日が訪れるからだ。正しいことをすることに倦み疲れてはいけない。ともしびの芯をいつも整えておけ。わたしの訪れの時は近づいている。眠らないで備えよ。機動する用意をしていなさい。」

今日、あなたの希望を守れ

「今日わたしはあなたの状況を再編成し整えている。回りの状況はあなたの希望ある雰囲気を侵害しようとしてきた。今わたしはその状況を再編成し整えている。いままでの18ヶ月間に、あなたは物事が再編成、再構成されるのを見て、それに抵抗してきた。今わたしは事を再編成して整える。わたしがこれから起こす事にあなたを連れて行くのを見ていなさい。変化の時をしっかりと悟り、備えよ。わたしのことばを知り、練習しなさい。あなたの回りの暗闇にわたしのことばを携えて入って行きなさい。」

「あなたが入っていくべき入り口の門が今形作られている。一段レベルが高い啓示がやってくる。備えよ。油を再び満たしなさい。わたしと共に素早く行動する備えをせよ。あなたのともしびを手にとり、『主よ、わたしはおろかな娘になりたくありません。』と言いなさい。わたしのことばをもって備えよ。その時のためのわたしのことばで備えよ。自分を聖別せよ。あなたの心をわたしで満たせ。備えよ。」

「もしも義のために苦しむことがあったとしても、あなたは祝福される。脅迫を恐れたり、悩んだりするな。あなたを悩ませるものをすべて取り除く用意がわたしにはある。解放がやってくる。わたしはわたしの民から心配を取り除く。解放がきているからだ。」

「あなたの心を聖別し、あなたのうちにある希望の理由を弁護するための備えを常にせよ。希望を涌き上がらせよ。希望を弁護することばをあなたの舌に整えよ。あなたのうちにある希望を守る備えをせよ。希望の炎を消してはならない。もしも希望が消えて行くのを許せば、あなたの回りに築くべき防御が崩れさる。自分を希望で満たして、うちなる希望を守れ。」

「敵が来てあなたを守りの姿勢に追い込んだ。だから今日、あなたの希望を守れ。後ろに退いたり、敵と妥協してはならない。敵はあなたから希望を絞り取り、信仰の盾を捨てさせようとした。今日あなたの希望を守れ。わたしのことばが新しくあなたの口に形作られるように自分を整えよ。わたしのことばはあなたの口の直ぐ近くにある。それはあなたの口の中で形作られ、今日話すべきことばが出てくる。」

素早く機動する備えをせよ。

「今日、新しいことばがわたしの民の唇の上に整えられることを、御国全体に布告する。わたしの民は的確なことばを話し、人びとは彼らを受け入れる。わたしの民は受話器をとり電話をする。人びとは電話が鳴るとそれに答える。わたしの民は次の電話が鳴って次の任務を受ける備えをする。あなたの弱々しい姿から直ぐに起き上がり、仕えるために備えをせよ。」

「わたしのことばは再び生きたものとなる。癒される備えをせよ!自分の弱々しい状態に妥協してしまった者がいる。あなたは臥したままでいて、癒されるための備えができていない。わたしはことばを送り人びとを癒した。わたしのことばはあなたの直ぐ傍にある。」

「あなたの解放は近い。自分を整えよ、解放が近いのだから。備えよ、敵が新たな方法でわたしの民を狙っているからだ。守りのことばを持って備えよ。わたしは、わたしの民にむかって敵が突然襲撃して来る計画を持つている。」

「これからの5ヶ月間は非常に激しい時となる!常に自分をわたしのことばで整えていなさい。あなたのうちの希望を守れ。わたしは今日あなたのまわりの状況を並べ変え、リフォームする。素早く機動
17 04月

パーフェクト・ストーム (完全な嵐) ラリー・ランドゥルフ  4月17日


パーフェクト・ストーム (完全な嵐

ラリー・ランドゥルフ


このメッセージは最近のリック・ジョイナー師のMorning Starミニストリーで行われたProphetic Equipping カンファレンスで、ゲスト・スピーカーとして預言者ラリー・ランドルフ師が語ったものを翻訳(要約)したものです。少し長くなりますので2回に分けて掲載いたします。 坂 達也


2005年でしたが、ある夜気が付くと誰か知らない人(エンジェル)が私の寝室に来て、ベッドの端に座りました。それが確かなのはそこのところのベッドがぐーんと沈んだのです。しかし、何も言わずに出て行きました。初めての経験でした。そこで私はボッブジョーンズに聞いてみると、それは「見張りの(watching)エンジェル」だと言うのです。そのエンジェルはしばらくして必ず帰って来て、その時あなたに何かを語るであろうと言われました。それから4-6ヶ月経った頃、夜中の2時ごろにそのエンジェルが現れました。その時はエンジェルが過去のこととか将来に起こることについての色々なビジョンを見せて説明してくれました。そうしているうちにヴィジョンで突然私は森の中にいました。そして私は手に持っている何千年も経った貴重な古い本を落としてしまいました。その本は暗い森の中で谷間に向かって転げ落ちて行きました。それを追っかけて私は長い下り坂を走りました。下に降りれば降りるほど暗闇が増し、ついには何も見えなくなり、私はしゃがんで手探りで地面に触れるとそこにその本がありました。すると上の方からエンジェルの声がして、間もなく経済的、社会的にも、あるいは霊的にも一つの嵐が起こるが、それはちょうどこのように社会全体が長い下り坂を転げ落ちて行くような下降線をたどって起こると言いました。

その時は2005年で、まだ景気もよい時でしたので、未だこのメッセージを語るタイミングではないと言う思いがして、一部の人には話しましたが後はノートに取ってそのままにしておりました。すると数年後の2008年6月になって主がその嵐「パーフェクト・ストーム」がいよいよ来て、この秋から社会経済の落ち込みが顕著になるので、皆それを避ける避難所に入る準備をするようにと言われました。これは経済恐慌に突入する訳ですから、悪いことが起こることを意味します。しかし同時に、そのような預言は、神がなさることである以上、崩壊しつつある人間社会を救いに導き、回復させる意図と目的を持っているはずですから、その意味では良いことが期待出来ると言う点で私は興奮しました。

その翌週、ジャン・ポール・ジャクソンに会った時、彼が主からパーフェクト・ストームが来ると言う預言を受けたと話してくれました。そこでこれは大変だと、又ボブに電話すると彼はその話なら既に3年前に主から聞いていて、私が毎年出す預言の小冊子「シェパード・ロッド」(羊飼いの杖)に書いてあると言われました。(笑い)全くボブを驚かすことは出来ません。主は重要な預言は少なくとも複数、数人に分かち合われるようです。

そして、主はどのようにこのストームを切り抜けるかについて話してくれました。それはちょうどホッケーとかフットボールの競技で、パックとかボールを前を走っている味方に向かってパスする時に、その相手がその時いる場所に投げるのではなく、必ず走っている相手にボールが届くと予想される、かなり前方の地点に向かって投げるのと同じであり、私たちは先を予測して行動しなければなりません。 

1.世の中が変わり状況が変化することを予測し、それを受け入れる心の準備をする。
2.その時、状況がどんなに悪くなっても、慌てず、常に希望をもってポジティブに対応する態度が必要。
3.あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方にオープンな心構えを持つ。
4.自分が今まで親しんで来た箱の中でぐるぐる廻ることから飛び出して、新しい御国の生き方をする。
5.あなたは予測しないことが起こる事を予期し覚悟する。
6.ものごとに成功する可能性を大きくする。

さて、上記の1.について考えたいと思いますが、イザヤ書43:19「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。...」と2コリント3:18「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」の二つの聖句を見てみたいと思います。聖書の多くの場所で「神は新しい事をなさる」ことが書かれています。しかし、その時に覚悟しなければならないことは、神が新しい事をなさる時、それは多くの場合大異変(破滅的な)が伴うのであって、その異変を乗り越える人もいるし、乗り越えられない人も出て来ると言うことです。乗り越える人は、その大異変を通ることによって、自らが変えられ(トランスフォームされ)「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられ」て行く人です。私たちの神は「よりよく変える神であり、変えることによって真の救いと回復をもたらす神」であるのです。

ですから皆さんはすばらしいミニストリーをされていて、既に天に宝を積まれているかも分かりませんが、神はもっともっと私たちを高いレベルに上げようとされておられるのですから、私たちは今までに自分が到達した成果に甘んずることなく、もっと大きな目標に向かって突き進んで行かねばなりません。

そのためにはリスクを伴うと思われるかもしれませんが、やって来る大きな災害と変革の中で、何が起こるかわからない不確かさと不安に信仰で立ち向かい、それを乗り越える覚悟が必要です。その意味で、今もう既に来ている経済恐慌は、自分が栄光から栄光へと変えられるための神が下さる又とないチャンスなのです。
 
この変革のシーズンを通るには大きな忍耐が必要です。今私たちは過去と将来の間にある渡り廊下に立っています。ある人が言いましたが、パウロが言う上記の「栄光から栄光へと変えられる」には栄光と栄光の間に狭間があり、そこを通らねばならないのです。その狭間は過去の栄光にも次の栄光にも触れることが出来ない暗い不確かな通路です。そこは何が起こるか分からない不確かさと不安の場所であり、そこを通過するには神を信頼するしかありません。そして「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」しかないのです。それはイスラエルの民が通った荒野であり、ヨルダン川です。それを通ってこそ約束の地に着けます。それは大変険しい難しい
11 04月

「イスラエルよ 聞け!」と主が言われる ジェロミー・ロペズ 4月11日 


「イスラエルよ 聞け!」と主が言われる

ジェロミー・ロペズ 



次の言葉は一月の預言カンファレンスにてシカゴのジェロミー/ロペズ(Identity Network Internationalの創立者)に与えられたものです。

主は言われる。「イスラエルよ、聞け。あなたの神、主が、あなたのもとに再び来る。もう一度あなたのただ中を歩き始める。雌鳥がひなを集めるように、わたしは1948年にあなたを集めた。あなたはわたしのほまれであり、わたしのこころ、わたしの情熱である。あなたを再び生き返らせるためにわたしは来る。わたしの一人息子という炎が2000年前にあなたのただ中を歩いた。そして、わたしは言う。彼は再びあなたのただ中を歩くであろう。なぜならば、彼は二千年前に来たのと同じ肉体をもって来るのではなく、彼の花嫁のからだを着て来るからである。もう今、わたしはわたしの花嫁の心をあなたの方に向け始めている。イスラエルよ、わたしは再びエルサレムの街を歩き始める。ヴィアドロロサをもう一度歩き始めるであろう。」

炎があなたがたの街の通りを再び歩くであろう、イスラエルよ

「イスラエルよ、わたしはあなたの町々やそのまわりにおいて十字架の上で贖われた希望という宝を呼び覚まし始める。あなたの街や通りにわたしの情熱、わたしの愛、わたしの心、わたしの救いをもって入る!わたしの炎である花嫁は、あなたの町に待ち望んでいたメッセージを携えて入っていく。それは、約束された者、メシヤのメッセージである。あなたが心の中にそっと秘め、『エホバの神主よ、あなたが来られるという約束は一体どうなったのですか?』と言っていたことだ。しかし、わたしは今までずっといつもあなたと共にいたのだ。花嫁なる教会を通してあなたがたのただ中で動いていた。わたしの花嫁は、あなたの若者や年寄りをしっかり胸に抱いてわたしの愛を あなたに告げるであろう。イスラエルよ、あなたのためのヴィジョンは、わたしを、真のわたしを、わたしの一人子メシア/イエシュアを通して知ることである。」

「モーセの時代のように再び勝利するわたしを知れ。しかし、今回は新たに(初めて)、わたしをあなたの救い(主)として知れ!それこそあなたが何千年もの間、知り、楽しみ、経験することを待ち望んで来たことだ。これまであなたは出エジプトのことを聞いたり読んだりしてきたが、今出エジプトの時が再び戻ってきたのだ。しかし、今度はしもべモーセを通してではなく、また古き時代の預言者たちを通してでもなく、わたしの花嫁を通してなのだ。花嫁はわたしの愛するもの、今わたしのマントルを着るものだ。人類の心が壊されて陶器師の畑で死んだままに放っておかれた姿を、心を開いて花嫁に見せてもらいなさい。それから、その壊され泥まみれになった人類の心をわたしが拾いあげ、どのように修復して再びわたしの胸に抱いたかを教えてもらえ。」

主が言われる。「わたしは再びヤコブの井戸に戻ってくる。イスラエルよ、何故あなたは毎日ヤコブの井戸に来て何千年も同じ水を汲み続けているのか。わたしはまもなくあなたに会うためにヤコブの井戸にくる。丁度わたしがサマリヤの女に会ったときのように。しかし、今度はわたしのかわりに花嫁を遣わし、ちょうど母親の雌鳥が雛鳥に言うようにこう語る。『イエシュアはあなたの渇きを止める水を持っている。彼はあなたの渇きを満たすために必要なものを持っているのだよ。』と。」

イスラエルよ、わたしは情熱の炎を再び燃やすために来た

「今この時に、わたしは花嫁とあなたのところに戻ってくる。花嫁はわたしのひとり子が持つ光と愛と希望をあなたに食べさせるであろう。わたしは陶器師のろくろを使い、国々がお前に与えた傷を癒し回復させよ。あなたは死んだ者として見捨てられた。しかし、わたしはあなたを新しい命によみがえらせる。あなたの壊れ果てた心に、わたしのひとり子の命、イエシュアの血潮を再び入れさせてくれ。それはモーセがしっかりと胸に抱いたメッセージと同一であり、『贖い主がその子等のところに来られる』というものだ。」と主が言われる!「あなた達は心の中で『彼らがメシアと呼んでいるイエスは、本当に神の子なのか?』と言ってきた。」

「わたしが今も、またこれからも常に『あってあるもの』であることをあなたに示すために、花嫁はわたしのひとり子を通してあなたの前で偉大な業をする。なぜならば、花嫁は失われた者を探し出し救うためにわたしのメッセージを携えてくるからだ。イスラエルよ、あなたがその失われた者である。あなたを誤解し、あざけり、憎んだ国々からあなたは投げ捨てられたのだ。」

「わたしはあなたの街々を歩き、泣いた者たちのために泣き、嘆いた者たちのために嘆き、道に迷った者たちを呼ばわった。わたしのもとに来なさい、イスラエルよ。父のところに行く道を教えよう。なぜならば、わたしが道であり、真理であり、命だからだ。わたしは再びあなたの町々に情熱の炎を燃やすために来たのだ、イスラエルよ。わたしの言うことを聞きなさい!わたしこそあなたが捜し求めていた鍵なのだから。わたしの炎は再びあなたに帰ってくるであろう!世界の軍隊があなたに呪いをかけ立ち向かってくるにしても、わたしがあなたの避け所となる。」と主が言われる。「エルサレム、エルサレム、わたしはあなたを再び抱くことをどれほど待ち望んでいるであろうか。」

わたしの深みからあなたの深みに呼ばわる

「あなたはわたしを退け、あざ笑い、唾したけれども、わたしは決してあなたを忘れなかった。だからわたしは、わたしのひとり子イエシュアの十字架の希望と喜びと力をもって、あなたのただ中で炎のように燃えはじめるのだ。わたしはあなたの町の古き門や扉を開き始め、わたしの炎を再び送る。それはあなたのわたしへの信仰と希望と喜びを新たにするためだ。」と主が言われる。「わたしがモーセが見た柴の中でどのように燃えたかを思い出しなさい。 イスラエルよ、今度はわたしの花嫁が、あなたへのわたしの愛の情熱で炎となって燃える柴となる。わたしの火を受けよ。その火とはわたしの花嫁だ! わたしの花嫁はあなたを養い抱いてわたしの元に回復させるために来たのだから。」

「わたしの花嫁は、わたし、エルシャダイの養う霊を持っている。わたしの深い淵からわたしはあなたの淵に呼びかけあなたのデスティニー(神から約束として与えられている 真の目標、目的、到達地)を呼び覚ます。イスラエルよ、あなたのデスティニーがあらわれる!わたしはあなたを養い、あなたが
03 04月

楽観か失望か? グラハム・クック 2009年4月3日


楽観か失望か?

グラハム・クック


神は、単に私たちが目指す目的地に到達するのを助けたいとは思っておられません。主は私たちがどのようにして目的地までたどり着くかに関心があり、その旅路に同行したいと願っておられるのです。ルカ24章で主はエマオに行くために弟子たちと一緒に歩いたのではありません。主は 共に歩くことを楽しみ、ご自分の復活というよい知らせを彼らに分かち合いたいと思われた故に、一緒に歩かれたのです。

私たちが神に何かを素早くしてくださいと願うときに、主は大抵の場合「ノー」と言われます。ほとんどの人は、自分の抱える問題が一晩で解決し、元通りの平穏な生活に戻ることを望んでいます。しかし、神は決してそのようなことはされないのです。主は私たちと共に道を辿り、知恵や啓示、そしてご自分の臨在を与えたいと思われるのです。

この旅路において、私たちには二つの選択肢があります。楽観的であるか、または失望するかです。自分の意志でもって前向きに考えるか、それとも気分的にとか怠惰から否定的になるかです。失望は私たちの心にそっと忍びより、自分で何が起こっているのかわからないうちに、その中に落ち込んでしまいます。私たちはハッピーであることを選び取らねばなりません。

物事がうまくいかない時でも、私たちはポジティブであることが出来るのです。「今、本当に落ち込んでいます。」というより、「静かに期待して待っています。」と言う方がいいのです。これは単に言い方を変えただけではなく、物の見方を変えることです。私は静かな期待のうちに生活しています。私の目標は常に信仰をもって生きることであり、それを助けてくれるのが聖霊が本来持つ朗らかさです。

霊の戦士は決してへこたれないで、襲ってくるどのような衝撃にも耐える必要があります。この地上でもっとも衝撃を和らげるものは安息です。物事がうまく行かなかったときでも、私たちはそこから素早く立ち直って、神にある体制に自分を再び正さねばなりません。私は時々思うのですが、罪とは私たちが倒れることというよりは、起き上がるのを拒絶することではないでしょうか。倒れてもすぐに起き上がるバネの強さは、神と出会い、神のご性質を知っている者の心が持つことができるものです。イエスが私たちにとってどのような方であるかという証と、イエスが何をしてくださったかという証拠は、どのような状況の中でも私たちに勝利を与えます。(黙示録12:11「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」)この確実な二つの出来事が共に働き、私たちの心を恐れのない大胆さで満たすのです。

逆境をはね返す力は、 自分の意志をしっかり確立させることにより、自分の思いが、まわりの 状況にではなく霊によって動かされるようにすることによって得ることが出来ます。そうすると、私たちの思いは自分の口を用いて賛美し、証し、神の偉大さを宣言するようになります。

主の偉大さをほめたたえるか、それとも今自分を悩ませている状況に焦点をあてて大変なこととして扱うか?―私たち各自がこれを選択できるのです。主をほめたたえることこそ否定的な思いを取り去る解毒剤です。霊で生き私たちの内なる人を顕していくためには、私たちの存在のすべてが一致していなくてはなりません。魂、霊、身体という自分のすべてによって信仰は表現されねばならないのです。思いの同意と感情の服従によって、意志による行動は霊が目指すものに従い、神がどのようなお方であり何を望まれているかということに一致していくのです。この一致が起こるや否や、ブレークスルーが起こり始めます。(終わり)


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28 03月

恐れの根を取り除く キャシー・ペルトン 2009年3月28日


恐れの根を取り除く

キャシー・ペルトン 

「たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。」詩編27:3


主は私を様々な方法で取り扱ってくださるので 、 その主のなさり方に私はいつも驚嘆させられます。主の愛と導きがなければ 決して行くことはないところに、主は私を連れていかれるので、私はいつも驚くのです。神は最近、また私を取り扱ってくださったのですが、それは私の個人的な危機がきっかけでした。皆さんの中にもおられると思いますが、私の家族も現在の経済危機の中で打撃を受けました。主人のセールスの仕事はなくなり、長男は先月建築関係の仕事を無くしました。そして私の給料も一月の初めからもらえなくなりました。しかし、「成熟したクリスチャン」として私たちは恐れではなく信仰に堅く立っていた、、、と私は思っていました。

初めの2、3ヶ月は、 予期しなかった特別な方法で神が必要を満たしてくださるのを見ながら、私たちはこの「危機」を過ごすことができました。しかし、月日が経つにつれ、貯金も底をつくと(仕事が見つかるあては全くありませんでした)口から出る言葉こそ信仰的であれ、私は恐れによって突き動かされる言動をとるようになりました。勿論、私はそれをあからさまに表さないで、恐れてはいても「落ち着いた」姿勢をとろうとしました。このような状況の中でも忍耐強い主人に対して、 履歴書をもっと多くの会社に出すようにと、「ほんの少しだけ」私は圧力をかけたのです。そして次には、この危機から家族を助けるために彼が出来ること(私の意見では、彼がするべきこと)を何気なくほのめかし始めました。

あなたの恐れは神にとって些細なことではない

この前の土曜日の朝、私が起きると、主人がすばらしい朝食をすでに用意していてくれました。しかし、私はその祝福を感謝して喜ぶどころか、席に着くやいなや、 どのくらい私が提案したことをやったかと彼の問いただしたのです。それに対して主人は何も説明せずに、私を見つめて「私たちは今いい関係にはないようだから、話さないほうがいいだろう。」と言ったのです。

私はショックでした!よくそんな事が言えたものです!私は大切なことを聞いただけじゃないのですか?この危機に家族が責任のある決断ができるように助けようとしただけじゃないでしょうか?

主がその時 直ちに、彼に提案した(実際、私は提案ではなく要求したかったのですが)ときの私の真の 心の動機について語りかけられました。私が彼に提案したのは主の導きに従ったのか、それとも自分の恐れからであったのか、と主が聞かれたのです。勿論、それは恐れからでした。そうでなければ、ほのめかすなどという小細工は必要なかったはずです。主は次に、「あなたがほのめかした提案は、あなたの夫にも私にも些細なことではなかったのです。彼もわたしもあなたが恐れていることを知っています。」

主人と私の結婚生活でずっと大切にして来た二つのことを、私はないがしろにしてしまっていたのです。その一つは、何か行動を起こす前には必ず主からの導きを待つこと、自分たちから決してことを始めないことです。主の知恵を待つだけではなく、主のタイミングも待つのです。二つ目は、お互いを肉だけではなく霊で知ることです。人間関係 は霊と霊とをもって結びたいのです。私の中に起こった恐れのために、私は神の知恵とタイミングを待つのではなく、自分の知恵と自分の時間表によって事を始めようとしてしまったのです。

また、主人は私を「霊によって」知っているので、私の言葉は表面的には正当に聞こえても、私の心の中には恐れとコントロールしようとする思いがあることを主人は感じ取れるということを私は忘れていました。私がほのめかしていた提案は、主人と神にとっては高く鳴り響く警報のようであり、「イエス様が万が一何もしてくれないときのために、とにかく何かしてよ!」と叫んでいたのです。

自分の書いたものから学ぶ

皮肉なことには、先月の私の記事の題が「静まる平安」だったことです。私は人生の嵐の中での平安と信頼について書きました。私が何かを書いたりそれについて教えたりするときは、必ず私自身もそのことを学ばなければならないはめになるのです。真理を話すときは、それを自分が生きねばならないのです。そして私が何かについて書くときは、私がそのテストを受け、その結果それが私の人生の中でも真理になることがよく起こるのです。

私の心の奥深くにはまだ恐れの根があり、それが困難に出遭うと「自分は見捨てられてしまった」という思いを私に与えていることが明瞭になり、神にそれを取り扱っていただく必要があることがわかりました。主にどうすればよいのかを尋ねたところ、主が最初に示してくださったのは、恐れからくる行動をすべて断つということでした。私のすべての人間関係にそれは必要でした。夫、子ども、友人、そして特に主との関係においてそうでした。私にはあと一歩で大人になろうとしている5人のティーンエイジャーがいるので、これはチャレンジでした。
私が子どもたちに した「カウンセリング」も、信仰を土台としていたというよりは、本当はむしろ恐れから出ていたのであり、私はこれからは神からのカウンセリングだけを子どもたちに語らねばならないことを悟りました。私よりももっと彼らを愛しておられるお方に子どもたちを明け渡さねばなりませんでした。

私は、自分が他人をコントロールしようとする者だと思ったことがありません。しかし、私の言動の根が明らかになるにつれてはっきりわかったことは、わたしの心にある恐れというものが、いつも必ずと言ってよいほど人をコントロールし、操ろうとする言動を取らせていると言うことでした。その言い方は他人には「微妙にほのめかす」程度に聞こえるかもしれませんが、神にとっては、また、敵にとってもそれは微妙ではないのです。私たちが宗教的マスクでそれを隠そうとしても、敵は決してごまかされません。

自分のあかりに火をともすな

「見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、火をつけた燃えさしを持って歩くがよい。このことはわたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。」イザヤ50:11

10年前、私はとても困難な時期を過ごしていました。その時に神は、子ども時代の
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