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Walk With God Ministries


03 11月

神は花嫁の中に宿られた ポール&ワンダ・デイビス 08年11月3日


神は花嫁の中に宿られた(Tabaernacled)

ポール&ワンダ・デイビス 


はじめに

この文は、最近では最も重要なときの一つに出されるものだと思います。9月29日の日暮れから、ユダヤ暦の新年であるロシュ・ハシャナに入り、次に贖罪の日と仮庵の祭りが続きます。旧約聖書に書かれているこれらの祭りは、肉のイスラエルによって行われたものですが、その預言的重要性は今の世代にとっても変わりはありません。

歴史的に見て、重要な啓示や洞察は聖書的に聖なる日と関連して私たちに与えられてきました。私たちはもはや律法の下にいないことは明らかですが、これらの聖なる日を私たちは注意深く見守り、神の時とシーズンがどのように展開するかを見る必要があります。次のシーズンは非常に物事が加速的に進み、実りの多いときであり、神の基準に合わせて自らを整えた者たちにとって恵みの時になることを私たちは信じています。

7年のサイクルが終わり、新しい7年のサイクルが始まろうとしています。次の7年の大部分は神の民の進み方いかんによって決められるのです。これは霊的にも政治的にも経済的にもそうです。私たちが破れ口に立って祈り、賛美し、預言的宣言をして義しく神の権威を実行するならば、聖霊が明確に働いてくださり、生活のすべての領域において道を備えてくださるのを私たちは見るでしょう。

私たちはニュースや世界情勢によって心を悩まされるべきではありません。私たちはそれよりも優れた揺るがされることのない御国の国民なのです。私たちがするべきことは次のことです。
イザヤ60:1-2 聖書箇所

神は神の民の中に宿られた(Tabernacled)

教会を歴史的観点から見て、現在、キリストの身体全体で起こっていることを一言で表せば、トランジション(過渡期、推移)でしょう。私は拙著「Angels That Gather」 の中でこのことを詳しく取り上げています。

時が経てば、今のシフトやキリストの花嫁がどのようにすればよいかということが、もっと鮮明に理解できるようになると思います。勿論私たちはこの数年に与えられてきた霊的傾注アウトポアリングの現れを喜ぶものです。しかし、これらの「リバイバル」は、今の時代に主から約束されているものの成就ではなく、又、私たちのミニストリーが勝ち取ろうとしてきたものでもありませんでした。

天の花婿と地上の花嫁の目に見えない結合を心から求める、勝利する世代の霊的DNAの中には、何かユニークなものが織り込まれています。彼らの求める「リバイバル」は、いままでに教会の歴史の中で起こったものとは違う特質キャラクターを備えているでしょう。その特質とは、もっと顕著な力と権威が現れるために道を備える情熱と純粋さです。それは即ち、主ご自身が主の民の中に完全に宿られることです。

このトランジションは、イスラエル国にとっては歴史的に重要なときであり、彼らがアブラハム、イサク、ヤコブの神を礼拝するとコミットするときとなるので、容易に判別できます。仮庵の祭り(収穫祭)は7ヶ月目の最後の祭りであり、今の時を象徴しています。

農作物の収穫を中心とした収穫の一年のサイクルが終わるとき、イスラエル人は喜びと祝いの時をもちました。主からの指示に従って、彼らは自分の住まいを離れて仮小屋を作り、そこに住みました。それは、主が千年王国に永続的に住まわれる前に、主の民の中に短い期間主ご自身が住まわれることの預言的型でした。「小屋」”booths”は約束の地に着くまでに彼らが住んだ仮住まいの象徴でした。

1994年に私が長期の断食をしたとき、主は仮庵の祭りの重要性について詳しく教えてくださいました。それから14年経過しましたが、そのとき語られたことの多くが成就されようとしているのを私は今見ています。

年に三回
イスラエル人は年に三回エルサレムに上り、主の祭りを行うことが決められていました。過ぎ越しの祭り、ペンテコステ、仮庵の祭りはそれぞれ収穫のサイクルに合わせられていました。これらの祭りには多くの預言的な意味があり、それは現在の私たちが歴史上どのような位置にいるのかを把握し、神の民は今何をすればよいのかを知る手掛かりとなります。

出エジプト23:16-17聖書箇所
第一の月の祭り・・・・過ぎ越し
1.過ぎ越しの祭り
2.種なしパンの祭り
3.初穂の祭り

第三の月の祭り・・・・ペンテコステ
1.七週の祭り
第七の月の祭り・・・・仮庵
1.ラッパの祭り
2.贖罪の日
3.仮庵の祭り
血の注ぎ
1.過ぎ越しには血は扉に振りかけられる
2.ペンテコステには血は人々と契約の書に振りかけられる
3.仮庵には血はあがないの蓋に七度振りかけられる

霊のイスラエル

明らかに、主の教会は霊のイスラエルです。歴史上でイスラエルに起こったことは、教会時代に何が起こるかを示す型であり影です。まず肉のものが来て次に霊のものが来るのです。パウロはこのことを非常にはっきりと述べています。
第一コリント10:11 聖書箇所
第一コリント15:46 聖書箇所


三つの祭りは、一つ一つ神の民の中に、又神の民を通して、実際に現れなければなりません。そのうち二つの祭りがキリストと教会のうちにすでに歴史上で成就されたという証しは、新約聖書に沢山書かれています。私たちは今、主の再臨を迎える最後の祭りが成就される瀬戸際に立っているのです。それは第七の月の祭り、即ち収穫際であり、仮庵の祭りです。

終末の収穫

私たちは今、最後の収穫のときに生きています。イエスはこの時代の終わりには収穫があり、そのとき主は「収穫の御使い」を主の王国から遣わすといわれました。彼らはつまずきを与えるものや不法なものをすべて集め、正しい者たちが天の父の御国で太陽のように輝くようにするのです。(マタイ13:41、43) これは神の娘、息子たちの現われであり、教会史上いまだなかった力と栄光を現す者たちです。

それは主イエスが花嫁の中に宿られて(tabernacled)神の御国と神の御性質を現されることを意味します。終わりの日にはますます真理と栄光が大きくなります。私たちは、主の完全な顕れと、十字架の御業の故に主が私たちを通して大きな業をされるのを見るというご褒美に対して、希望と期待を据えたのです。

仮庵の祭りは安息の祭りとしても知られています。これはヘブル書で言われている約束された安息です。
ヘブル4:9-11聖書箇所

旧約の預言者たちには聖霊の油はある一時注がれましたが、神の命令が達成さ
21 10月

永遠が押し入ってくる! ジェフ・ジャンセン 10月21日


永遠が押し入ってくる!

ジェフ・ジャンセン(グローバル・ファイヤー・ミニストリーズ)


最近私は主と出会うという経験をしたのですが、そのとき主は時が迫っていて永遠が非常な勢いでやってくることを示してくださいました。この経験を通して私は、アモス書にある「耕す者が刈るものを追い越す」という意味を理解することが出来ました。永遠という領域が、文字通り自然の時間を追い越すのです。

私たち、キリストの身体は、新しい時代に突入する瀬戸際に立っています。神の栄光で満ちた、時のない領域では、加速的に強まる力があるのです!神の栄光の領域が自然の領域に入り込むと、奇跡、癒し、しるし、不思議、創造的力が大いに加速されます。

2000年近く前に、ヘブル書の著者はユダヤ人信者に対して、キリストに関する初歩の教えや基礎を離れて、成熟を目ざして進むようにと勧めています。(ヘブル6:1参照) 皆さん、今日私はあなた方が神の御座の前に大胆に確信をもって進み出て(成熟へと進んで)神の栄光の新しい領域と出会うようにと強くお勧めします。

今は神の栄光が、キリストの身体の中や身体を通して現されるときです。宮の後の栄光は、先のものよりまさるのです。(ハガイ2:9参照)

今からは残りの者の集団、打ち勝つ信者たちの身体、栄光の世代が起こされ、彼らは王として新しいレベルの権威で御国を偉大な力で統治し、キリストの身体の身丈にまで達するのです。この残りの者は地上から起こってくる新しい人です。キリストの身体が成長するので、イエスの復活の力が完全に現されるのを私たちはもうすぐ見るのです!

デスティニーの種が刈り取られようとしている

主は私たちが今加速の時代にいることを示してくださいました。アモス9:13にある「耕す者が刈り入れる者を追い越す」という時代にすでに入ったのです。永遠がそのまま現在の中に注がれて、私たちを加速的に進ませているのです。過去に蒔かれた種、デスティニーの種、が良いものも悪いものも十分色づいて刈りいれを待っています。

永遠の領域が現在と交ざり合わされたので、様々な出来事が最高潮に起こっています。まだされていないことも、キリストが来られるまでに完成されるでしょう。通常10年かかっていたことが、10ヶ月、あるいは10週間で起こるようになるでしょう! キリストの雲が下ってきて私たち全体を覆うので、キリストの身体は急速に成熟するでしょう。このシーズンはやってくるのではなく、すでに今ここに来ているのです!

現在、栄光のうちに神は任命を下し、マントルや奇跡を開放されています。力と増加の霊が地上のすべての信じるキリストの身体の上に注がれています。それは世界的な大収穫のためです。今、私たちは今までに無かったような御国の力と栄光の顕れを見るようになります。

それに加えて、今主は主の計画と目的のために主の民が自分を聖別することを要求されています。完全に従順であり情熱的に聖さを保つことが絶対必須条件です。熱烈なワーシップと信仰のライフスタイルは、この世代にリバイバルの火をつける燃料であり、生けるキリストの火のような臨在の中で完全に焼き尽くされ聖められる者とならねばなりません。

時のない栄光の領域

栄光の雲は人々を覆う天蓋のようであり、すべての人がそれに触れられます。栄光の雲が臨むとき、天との直接的なコンタクトが起こるので、啓示が増し、霊的視野が開け、賜物が活性化され、奇跡がそこら中で起こります。
アダムが神に創造されたときは、彼には時もなく、不老で、永遠の存在で、時のない神の栄光の中に置かれました。人は病気や死もなく、神の栄光の時のない領域の中で生きるように造られました。

通常全治するのに何週間、何ヶ月とかかる怪我は、神の栄光に触れられるとき瞬時に癒されます。実に時というものは、天の市民としての自分の権利を知り理解している者たちに仕えるように作られたのです。時のない領域を経験するときに、私たちは栄光の領域を経験するのです。
栄光の雲の中にいるとき、私たちは主のみ言葉を宣言し、それが超自然的に顕れるのを見るようになります。ヨブ22:28の「あなたが事を決めると、それは成る」という領域に入るのです。神は私たちを天の倉に入らせてくださり、すべての必要なもの、奇跡、賜物、マントル、祝福、恵み、その他なんでも取り出させてくださいます!今のシーズンに私たちが栄光の新しい領域に入るとき、私たちは自分が語る言葉がすばやく成就するのを見るでしょう。今は物事を宣言するときです、それは成就されるでしょう。

私たちの任務

私たちはプレイズとワーシップを通して新しい栄光の領域に踏み込むようにと、主から任命されています。 私たちがこのことを共にするならば、力と栄光に満ちた御国が顕れるのを見るのです。神の御国が地上で主権を持つようになり、すべての敵の要塞を取り払っていきます。詩篇149:6に「彼らの口には、神への称賛(ハイ・プレイズ)、彼らの手にはもろ刃の剣があるように。」とあります。キリストはすべての敵をその足の下に置くまで支配されるのです。(第一コリント15:25)

ハイ・プレイズを通して私たちは敵の計画を打破し、まだ顕れていない栄光の新しい領域をこの地にもたらすのです。私たちは時のない領域に踏み込み、想像もできないような奇跡を主の臨在の中で見るのです。天にむかって進み続けるとき、私たちは自然の領域に存在する制約を打ち破り、古いパラダイムを振り落とします。

天の扉は今までになかったほど広く開けられています。そして私たちはデスティニーの巻物が解かれるのを今見ています。目に見える世界も見えない世界も共に栄光から栄光へと変えられています。そしてすべてのものが、ますます増加する神の栄光によってトランスフォームされていっています。

祈りましょう。「父よ、新しい栄光の領域へと導いてくださってありがとうございます。どうか私たちの心の目を開けて聖徒の受け継ぐべきものがいかに栄光に富んでいるかを体験できるようにしてください。どうか感じることのできるあなたの臨在で私たちを覆ってください。キリストの身体をあなたの栄光の雲で覆ってください。モーセの叫びが私たちの心の中で響きますように。『どうかあなたの栄光を見せてください!』と。
父よ、どうか私たちの前を通り過ぎるあなたの善をいつも見させてください。イエス様、あなたの花嫁をあなたのみ言葉で聖め、あなたが憩われる聖なる住まいとしてください。あな たはご自分のために栄光の教会を用意されます。聖霊よ、今急速のときが来ていますから、私たちに栄光の領域でどのように動き働けばよいのかを教えてください。そして私たちが信仰の一致によって立ち上がり、神の御子を知る知識により、今までになかった力の栄光の御国の顕れを見ることができますように。私たちは現れた神の息子、娘であり、栄光の世代なのです。 イエスの御名により、アーメン」 (おわり)


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14 10月

打ちひしがれた魂はどこに神を見出すか フランシス・フランジペン 10月14日


:打ちひしがれた魂はどこに神を見出すか

フランシス・フランジペン


イエスは今の終わりのことを表すのに、非常に厳しいタイトルをつけておられます。主はこの期間を「大艱難時代」と呼ばれたのです。艱難という言葉は「過酷な苦痛、災難。霊的な圧迫、重圧」を表します。今私たちはこの時代の終わりに近づいているのですから、人間への破滅的な災難や圧迫が増加することを予期せねばなりません。

現代はますますストレスが大きくなるのに加えて、政府や一般社会はモラルの低下に歯止めをかける意欲をだんだん無くしています。世間のかなりの割合の人々が、神に真っ向から逆らっている時代に私たちは生きているのです。詩篇2編にある預言は、私たちの眼前で現実となっています。「地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と主に油そそがれた者とに逆らう。」(2節) この世はモラルの価値を捨て去り、活動家たちは「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」と叫ぶのです。(3節)

イエスは今の時代に関して「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24:12)と警告されました。もしあなたが暗さを増すこの世の中で、その流れに抵抗してきた者たちの一人であるならば、この戦いがどれほど激しく、又多くの戦いの最前線で戦わねばならないかをご存知でしょう。コミュニティーの中の不正を正そうとする戦いであれ、家族が一致するための努力をしているにせよ、一歩事が前進したかと思うと、今度は五つくらい問題がすぐに出てきます。

いくつかの都市でブレークスルーが起きているにもかかわらず、善良な人たちの多くは気力を失っています。彼らはただ毎日同じルーティーンを繰り返しているだけです。預言者ダニエルは、敵が「いと高き方の聖徒たちを悩ます(疲れさす)ダニエル7:25」時代のことを警告しています。今の時代に勝利者として生き残るには、詩篇91で神が与えてくださっているリアリティーまで登っていかねばなりません。いのちが再び満たされる場所がそこにあるのです、そこは私たちが宿ることができる永遠の命の泉です。聖書はこの場所を「いと高き方の隠れ場」と呼んでいます。

エリヤ:私たちと同じ人間

エリヤは私たちと同じように情熱をもった人でした。そして私たちと同じように霊的戦いをしました。彼はイスラエルの魂のために戦い、イザベルとその夫アハブ王とのたくらみに対抗しました。しかし、彼の一番激しい戦いの相手は目に見える敵ではなく、自分自身の落胆に対する戦いでした。

エリヤは勇敢な人でしたが、逃亡者として洞穴や隠れ場所を転々としなければなりませんでした。イザベルは主の預言者たちの大多数を殺害し、彼らからの神の影響の代わりにバールやアシュラの祭司からの暗闇の悪魔的な力を受けていました。 しかし、新しい指令が主から発せられました。エリヤとバールの預言者たちは、それぞれが仕える神の祭壇を築き、祭壇に火をもって答えられる神こそが彼らの主であると認められるということになったのです。 
アハブ王とイスラエルはこの戦いを見に集まってきました。そして、いかにバールの祭司たちががんばっても、悪の偶像バールからの応答はありませんでした。それとは対照的に、エリヤが祈ると火がたちまち天から下り、いけにえをなめ尽くしました。これはエリヤが勝ち取った最大の勝利でした。イスラエル人は神の力を見て地にひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」(第一列王記18:39)と叫びました。

しかし、主がされることはまだあったのです。バールの祭司たちを死刑にしたあと、エリヤはカルメル山頂に行き、顔を伏せて雨が降るように7回祈りました。 そして、とうとう3年間の旱魃を終息させる大雨を主がもたらされました。この日一日で火と雨が奇跡的に天から下ったのです!
このすばらしい出来事がイスラエルの歴史上の他の時代に起こったのならば、イスラエルは悔い改めたでしょう。しかし、それは起こりませんでした。バール礼拝はここで終わるべきでした。しかし、続いたのです。実際、何も変化が無かったのです。エリヤが心に描いていたリバイバルとは全く反対のことが起こりました。怒り狂ったイザベルは主の預言者を皆殺しにすることを誓い、エリヤはあわてて荒野に逃げ出しました。えにしだの木の下で、エリヤは疲れ果て意気消沈して倒れてしまいました。 疲れ果ててエリヤは「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」と祈りました。(第一列王記19:4)

エリヤは出来る限りの努力を主に捧げました。この日は彼の人生が絶頂に達した日でした。エリヤはイスラエルが主こそ彼らの神であることを知るようにと祈り、それに答えて主はイスラエルの「心を翻して」(第一列王記18:37)くださったのです。しかし、先の預言者たちと同じように、エリヤはイスラエルのリバイバルを引き起こすことは出来ませんでした。落胆が彼を圧倒しました。彼はもう十分だったのです。

あなたも霊的にも感情的にも疲れ果てて、「もう十分です。」と言ったときがありましたか? それは自分の家庭を良い方向に変えられなかった自分の力不足に落胆したときだったかもしれませんし、あるいは、あなたの教会や社会のために断食して祈ったにもかかわらず、何もこれといった変化が見られなかった時かもしれません。あなたは全力を出し切ったのに、なんの成果も見られなかったのです。エリヤのように落胆して疲れ果て、あなたのすべてを使い果たしてしまったのです。

エリヤは横になって眠りました。すると御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」といいました。(第一列王記19:5) 彼の頭のところにパンと水がありました。人生に疲れ果てていたエリヤは、それを食べてまた眠りました。

もう一度御使いが彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから(too great for you)。」と言いました。(7節) 私たちのヴィジョン、計画、プログラムに到達するための旅もまた、「too great, 大きすぎる、まだ遠い」のです。実に私たちの旅は、自分一人でするには大きすぎるように神は作られたのです。神なしで成功できるような計画を、主は私たちのために立てられることはないのです。私たち神のほうに助けを求めて駆り立てるように、人生は組み立てられているのです。

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「そこで、彼(エリヤ)は、起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山
26 09月

神の友 キム・クレメント 2008年9月21日


神の友

キム・クレメント 



最近我が家でバイブルスタディーを開いたのですが、そこには私の子供たちと様々な年代の人たちが集まりました。そこでいくつかの興味深いポイントが話されましたので、皆さんにもお分かちしようと思います。

どうして神は男と女を創造されたのか?

神が地からちりで人を創り息を吹き入れた理由は多くありますが、その中でも一番興味深い(魅力的な)理由は、そしてそれが人間的にもっとも受け入れ難いことなのですが、友情です。
神と私たちの間で友情が可能だなどと、どうして信じられるでしょうか? 友とは何なのでしょうか? 友情にはどんな要素が必要なのでしょうか? (この質問に対するみんなの答えは、沢山のことを私に示唆してくれました。)

友情の要素

楽しみ:友達は一緒に楽しむ
秘密:友達はお互いに秘密を打ち明け合う
興味:友達は同じ興味を持つ
話をする:近くにいても遠くにいても友達はお互いに連絡し合い話し合う

友達はお互いのために何をするか?

お互いに忠実である
お互いに忍耐強い
お互いに赦し合う 欠点をかばいあう
お互いに正直である 「ただの友達はあなたにいつも賛成する、真の友は討論する」
お互いに同等である 「愛は友情と違う。愛は反対のことや極端なことを要求する。友情は同等性を要求する。」

さて、これを私たちと神との関係に当てはめてみましょう。箴言16:28には「陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。」とあります。(創世記1:26-28も読んでください)

人を創られたとき、神は毎日園を歩き彼らに友として話しかけるのを常としておられました。そのときひそひそと陰口とたたくものが、神と人との友情を裂くために園にやってきました。
創世記3:1「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。『あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない。』と神は、ほんとうに言われたのですか。」
蛇に対する女の返答は正しいものでした。つまり彼女は神の言われたことを正確に知っていたのです。次に蛇は、いろいろな疑いを抱かせるような言葉を使いました。悪魔という言葉はdiabloですが、これは文字通り「分裂させるために話す、分裂を起こさせるためにささやく」という意味です。

サタンの唯一の目的は、自分のすべての息を、分裂や疑いを起こさせ、団結や契約を破るために使うことです。蛇が創世記3:4で「あなたがたは決して死にません。」と言ったとき、彼は神の言われたことを曲げ、神が二人をだまし、損をさせたのだとほのめかしたのです。
彼らがうそに乗ってしまった時点で、彼らと神との友情は破れました。というのは、もはや「神と、霊と霊で話が出来る」という同等の立場でなくなったと彼らが感じたからです。神が彼らと話すために園に来られたとき、何が起こりましたか?

アダムはあわてて身を隠しました。友情は破れて、それ以来、人は神を恐ろしい、よく理解できない、悪意を持って腹を立てているモンスターとして見るようになってしまったのです。これは真実ではありませんが、彼らは神をそのように見たのです。そしてもっと悪いことには、彼らの裸はもはや自然美ではなくなり、恥になってしまったのです。

驚くべきことに、それでも神は友とされる者を幾人か探しだされました。彼らの話を読むと、そこにはすばらしいパターンがあり、神が人を友として話されることを望んでおられることを証明することができます。
アブラハムは神によって「わたしの永遠の友、アブラハム」と呼ばれました。出エジプト記32:7-14には、神がイスラエル人を滅ぼそうとしたときにモーセが論争をしたことが書かれています。神は実際モーセに「わたしの邪魔をするな」といわれ、神がイスラエル人を滅ぼすままにさせよ、と言われたのです。そのときモーセは、まことの友がするような行動を取ったことを見てください。モーセは神に、もし民を滅ぼせばエジプトから民を連れ出したのは、山地で殺すためだとエジプト人が言って神の評判が落ちると言ったのです。
もしあなたが普通しないことをして評判を落としそうになったときに、あなたの友はどうするでしょうか?

友であるならば、あなたの前に立ちはだかってあなたの行動の結末を警告して、腹を立てているあなたを止めようとするでしょう。友とはそういうものであり、モーセは神に対してそういう者、即ち、友だったのです。聖書によると、神はイスラエル人のした悪に対して気持ちを和らげました。即ち、もっと寛大になり同情的で赦す気持ちになったのです。モーセは神の友として、文字通り神がもっと寛大になり同情をしめし、気を静めるようにしたのです。

次にイエスが友情について何と言われたかを見てみましょう。 ルカ12:1-4で、イエスは数え切れないほどの群集に囲まれました。あまりにも大勢の人で、互いに踏みつけあうほどでした。イエスは群集に話すかわりに、まず弟子たちに話しました。4節で、イエスは弟子たちを「わたしの友」と呼ばれ、群集には話さないことを彼らには話されました。ですから、イエスが主の主であり神の一人子であるにもかかわらず、弟子たちとイエスは友人関係にあったことが明らかです。

ヨハネ15:15「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。・・・わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」
神が私たちを創造されたのは、沢山の理由がありますが、友とされるためであったということを証明する上で、私はこの聖書箇所が非常に好きです。聖書の中で友という言葉が意味するところを理解するならば、現代の友人関係(ほとんど見られなくなっていますが)の概念とは随分違うことがわかるでしょう。私たちは簡単に「この人は私のベスト・フレンドです。」といって人を紹介しますが、実際には他の多くの人をベスト・フレンドと呼んでいるのです。

聖書の基準において「友とは何か」を私たちは本当に知っているでしょうか。神にとってダビデは目の中の瞳のように大切な者と呼ばれました。アブラハムは永遠に神の友であると呼ばれました。「友 friend」という言葉は二つに分かれます。Phileosという言葉ですが、これはPhiとlogosから成り、話しかける相手ということです。神は話しかける相手を持つためにあなたを創造されたのです。とてもうれしい気持ちになるではありませんか。

イエスはご
21 09月

新しい使徒的組織が2012年までに立てられる  ボブ&バニー・ジョーンズ 9月21日


新しい使徒的組織が2012年までに立てられる

ボブ&バニー・ジョーンズ、ジェフ・ジョンソン


最近、私たちは地上に神の大いなる力が現れるのを見ました。病人が癒され、家族が回復され、テレビから語られた言葉を通して死人がよみがえりました。また、あらゆる創造的奇跡も見ました。盲人が見えるようになり、聾者が聞こえるようになり、癌が消えました。

神の栄光がすさまじい勢いで顕されるので、神の息子、娘たちは急速に霊的成長を遂げています。しかし、これらの御国の力ある業は「来るべきものの予告編」にしかすぎないのです!

バニー・ジョーンズの夢

最近の夢の中で、バニー(ボブ・ジョーンズの妻)は主の訪れを受けました。夢の中で主がバニーのもとに来られ、彼女を旅に連れて行きました。最初に行った場所は、人の身体の部分や内臓がいっぱい入っている巨大な倉庫でした。主はバニーに右手(信仰をあらわす)を倉庫の中に伸ばして、そこにある様々な臓器や手や足をさわるようにさせました。彼女は神への信仰(faith in God)ではなく、神の信仰(faith of God)を持つように主が教えておられることを感じました。

主は更にバニーを次ぎの場所に連れていきました。それは橋でしたが、それから鉄道の線路上に立ちました。橋と線路は十字に交差していて、「義と公正」を表していました。
次に22番街に行きました。主はイザヤ22:22「わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」にあるダビデの鍵をバニーに渡しました。彼女が目を上げて見ると、遠くにスペリオル湖(Lake  Superior 五大湖の一つ)が見えました。主は最近私たちが経験したことよりもずっと優れたこと(far superior)をされようとしているのでした。

次にバニーは一枚の地図を手にしていました。それには「9番街で右に曲がれ」という指示がありました。彼らが9番街で右に曲がったときに、夢は終わりました。
バニーはオハイオ出身なので、夢から覚めたときエリー湖は知っていましたが、他の五大湖の場所は知りませんでした。そこでアトラス地図を調べて自分が夢の中でスペリオル湖を遠くに見たときの位置を見つけました。それはウィスコンシン州の北のはずれにあるコーノコピア(Cornucopia)という小さな村でした。コーノコピアは「神の祝福、開かれた門」を意味しています。スペリオル湖から真っ直ぐ見ると22のアポストル諸島(Apostle Islands)があります。興味深いことに新約聖書に記録されている使徒の数も22です。

真の使徒たちの出現

バニーが夢の中で主と出会い、見た内容は、主がされていることの比喩です。今のシーズン、主は真の使徒職を地上に回復しておられるのです。使徒の組織が現れ確立されるとき、主は新しい鍵をくださいます。それは、今までのどの世代にも無かったほどの御国の権威を持つ新しい統治の鍵です。

主がこの新しい統治組織を堅く設立され確かなものとされるとき、創造的奇跡、しるし、不思議が今までにはなかったように起こります。私たちが今までに見たり聞いたりしたものとは全く違うものです。地上に変動や揺さぶりが起こりますが、それは霊的に起こっていることをー肉のものが霊のものを宣言することによってー確認するものです。

これから主がされようとしていることは、今までよりずっと優れたことです。創造的奇跡、腕、足、身体の部分、そして臓器などが天から下ってきます。それは弱まることも終わることもありません! 天に資源があり、天の倉は開いているのです。キリストの身体に身体の部分が与えられますが、これを監督する管理組織が必要です。それは一人のリーダーとか一部のリーダーたちではなく、教会全体の組織(チャーチ・ガバメント)であり、一致して機能するキリストの身体です。これが起こることそのものが奇跡です。

2012年までに新たな使徒の組織が出来る

過去30年の間に預言の働きが回復され、教会に真の預言者が与えられるのを私たちは見てきました。そして今度は使徒的な働きが回復され、真の使徒が起こされようとしています。預言者は主からの啓示をもたらし、使徒がそれを実際に適応するのです。
これらの新しい使徒たちはジョシュアのような男女でしょう。彼らは残りの者たちを約束の地に連れていくのです。彼らは人からではなく、神から直接任命されます。実際に、彼らの多くは私たちが「使徒(的)」と呼ぶ人たちとは全く異なるでしょう。この新しい種類の使徒たちは、自分の評判を落とすとか、新聞がどう言っているかとかを全く恐れず、真実のニュースを語ります。この世的新聞が教会を裁くのではなく、その反対になるでしょう。

あなたは神の油注ぎや栄光を迫害してはならないのです。もし迫害すればあなたはそれを手に入れられないでしょう。これらの新しい使徒たちは世界の国々に語りかけ、霊的にそして目に見えるところでシフトを起こすでしょう。リバイバルが起こり、主が新しい統治制度を確立されるので新しい地域が変革されていくでしょう。これは人間ではなく神がされることなのです!

2012年までに全く新しい使徒の組織が現れるでしょう。そのとき、教会が一つになり、神の御霊の住まいに成長していくのを見るでしょう。「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:21-22)

大統領選挙とユニオン(団結)という名に天使

今選挙のために祈ることは非常に重要です。変革の風が吹いています。神を愛する副大統領候補のために祈らねばなりません。9月は差異が生じる月です。9月からすべて始まるのです。ユダヤ暦の新年であるロシャ・ハシャナは9月29日の夜から始まります。
現在、神は大収穫のために収獲する者たちを刈り取られています。2012年までには、真の使徒組織が出来上がっているでしょう。それからは他の人たちがその組織の下についてきて、それぞれが命令にしたがって行動するでしょう。

今私たちは史上最大の変革の一つが起こりつつあろ時代の只中にいるのです。もし教会が権威をもって進み、神の義なる人々が選出されるならば、これからの8年間は喜びに満ちたものとなるでしょう。
中絶を合法化した「ローとウエイド裁判」が覆されるでしょう。今はアメリカ合衆国を呪うのではなく祝福するときです。ボブ・ジョーンズは
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