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Walk With God Ministries


12 01月

鳥インフルエンザについて  坂 達也  2008年1月12日


鳥インフルエンザについて

 昨年12月27日に「アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ」で紹介したリック・ジョイナー師の「備えなさい」というメッセージは、元々「The Judge is comingさばき主がやって来る」という題名の文章の後半だけを訳したものでした。なぜそうしたかと言いますと、前半は主にアメリカに関する内容であったからです。

それは主に昨年秋、アメリカの東南部を襲った旱魃に関するものでしたが、この災害はそれ以前に大きな被害をもたらしたカタリーナ台風(ハリケーン)と同じ地域に起りました。カタリーナ以後、人々はもっぱら水害への対策をしていたところに予想に反して逆の気象現象である「パーフェクトな美しい天気」によって旱魃が襲ったのです。そればかりではなく、アメリカはこの数年来、水害、旱害、竜巻という気象異常による天災と共に各地に地震、山火事による大きな被害が起っていることをジョイナー師は指摘し、その意味について言及したものでありました。師は、この一連の異常気象がもたらした被害はアメリカに対する主からの重要な警告を意味するものであり、アメリカに対して主は「罪に目覚めて悔い改める」ことを要求していると言われます。みことばによれば、洪水以外の雨は主からの祝福であり、旱魃こそがのろいであると師は指摘します。

今のアメリカの教会はちょうどヨナのようであると言います。「神はアメリカの教会に対して明らかになすべき仕事を指示しておられるにもかかわらず、アメリカのクリスチャンは主の言われることを行おうとせず、自分のしたいことをしている。嵐はアメリカと言う船を異教徒(未信者の意味で)が多いから襲おうとしているのではなく、その船にいる預言者の目を覚まそうとしているのである。実際に異教徒たちが、嵐の中で寝ているヨナを起してあなたの神に祈れと懇願したように、間もなくアメリカの異教徒たちが教会にもっと祈って何とかせよと言う時が来る。ヨナの話の最後でいやいや連れて来られたヨナが伝えた神のメッセージによってニネべの最も悪い異教徒たちが悔い改めたように、アメリカの教会こそが目を覚まして真の神からのメッセージを伝えるときに、それまでどうしても聞く耳のなかった未信者たちが神に立ち返るであろう。…誰もトラブルが起きると言うネガティブな預言をすることを好まない。しかし、神が警告を発しているときに霊の目と霊の耳をもってそれに呼応し準備する人だけが災害を免れることが出来るのである。」と師は述べています。

そして師は、へブル12:5-7「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」を引用して、主が災害と言う形で「さばき」の警告を与えるのは、子を愛しているからであり、滅ぼそうとしているのではないことを強調しています。


さて、私たち夫婦はこのジョイナー師が「Y2Kに関して私の予測は正しかったですし、今回のこと(鳥インフルエンザに対する予測)も私は正しいのです。」(師の12月27日のメッセージの最後の方で言われた)とはっきり言い切る「警告の預言」を100%信仰で受け取りました。そして今、家内は少なくとも三ヶ月分の食料を備蓄する買い物を始めております。
私も実は、今書いているメッセージを正月早々に載せる積りで用意し始めていたのですが、まさか新春早々からこのようなメッセージをお伝えすることに気が引けましたので1-2週間待つ考えでおりました。しかし私が危ぶんだような事態が既に起っていることをお伝えせざるを得ない状態になりましたので、もうお気付きの方も多いと思いますが下記の日本の新聞のニュースを念のためお伝えしたいと思います。

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鳥インフルエンザ、日本で64万人死亡(の可能性)も 
中国で人に感染

(1月11日21時35分配信 産経新聞)

 中国で10日、鳥インフルエンザの人から人への感染例が初めて確認されたが、このウイルスが人に移りやすく突然変異して「新型インフルエンザ」として上陸したら、どうなるのか。日本では64万人が死亡し、経済的にも損害が約20兆円に達すると未曾有の被害が予想されている。一部企業は極秘で対策を進めているが、欧米系企業と比べ、大半はまだ危機管理の意識が薄いようだ。(津川綾子)
 鳥インフルエンザが人から人に感染し死者が出たのは、これまで東南アジアを中心に数例報じられていた。中国衛生省が10日、南京市の男性が、鳥インフルエンザ(H5N1)に感染・死亡した息子から感染したと発表。専門家の間では鳥インフルエンザが人に感染しやすく変異した「新型」の発生が時間の問題といわれており、日本上陸も現実味を帯びてきている。
 実は、日本でも最悪のケースを想定して、シミュレーションがされている。
 《1人のビジネスマン(東京在住)が海外出張先で鳥インフルエンザの「新型」に感染して帰国。だが、感染に気づかず電車で会社に通勤した場合、帰国から10日目には首都圏で22万4000人が感染。京阪神にも飛び火し、2万4000人が感染する》
 国立感染症研究所はこのように、人に免疫がない「新型」がまたたく間に全国へと広がると予測。厚生労働省は国内で1人の発生から2500万人が感染して病院に行き、約2カ月で64万人が死亡すると推計している。
 外資系企業では、従業員対策として、「住友スリーエム」(東京)が社員約3000人に1人10枚ずつ、高機能なマスクを備蓄、ファイザー(東京)は社内マニュアルで従業員の20%が感染して欠勤した部署は部員全員を休ませるなどの方針を定めるなど、具体的に進めているところが多い。
 これに対し、日本企業は、顧客への対策を含めて、「予期せぬインフルエンザには何もしていない」(在阪の電鉄会社)、「地震などの災害マニュアルでなんとかする」(全国展開の大手スーパー)と危機意識に乏しい例が目立つ。
 「大幸薬品」(大阪)が平成19年11月、社内マニュアルを作成、「新型」の感染者が出たら、来訪者の立ち入り場所を制限し、来客用のマスクを用意するなどを規定しているが、こうしたケースはまだ少数派といえる。
 このように各企業
21 11月

2007年秋の日本旅行から帰って来て  坂 達也 11月21日


2007年秋の日本旅行から帰って来て

坂 達也

 今回私たち夫婦は先ず沖縄に飛び、その後、関西から東北地方まで合わせて16の教会を訪れながら、丁度一ヶ月かかって日本の各地を旅行して来ました。この間、教会の建物の外でも個人的に多くの人にお会いしました。こうした触れ合いを通して強く感じたことは、日本にもいよいよ聖霊が顕著に働かれていると言うことでした。それは教会の集会とか礼拝で主のご臨在を今まで以上に強く感じたと言うことではありません。

それはむしろ、多くの教会での親しい方たちとの交わりを通して、その中の何人かの方が、おやっと思うほど霊的に変えられ、強められていることを感じたのです。
ある姉妹は体中に転移した末期の癌でいつ倒れてもおかしくない状態でしたが、行き倒れになることを覚悟の上で、遠くで病に伏せる二人の人を励ますために別々の機会にお見舞いに出かけて行きました。その人は主から個人的にそうするようにと指令を受け、旅費をあてがわれ、主の大使として出かけて行きました。

又、大きな主の奇跡を体験した人ともお話しする機会がありましたが、その方からは、主を個人的に知っている人に特有の信仰の自信と余裕-それは主がその人の中に生きておられることが分かる「主の薫り」―を感じました。又ある方は、自分が神の「永遠の命」の中に生かされていることを堂々と証されておりました。それは下手な牧師の説教よりも説得力がありました。
そのような人たちは、それぞれが受けた試練・艱難を通して、自分の人生を「主に委ねる」ことを学んだ人たちであると思います。彼らの顔は輝いていました。主を個人的に体験している人たちには、主に従うときにだけ味わえる「信仰の味」が分かるのです。その美味しい味を一度覚えた人は、もう止められなくなります。

 「自分の人生を自分で生きている」ことに何ら疑問を持たず、神を思うのは日曜日や必要が生じた時だけという、言ってみれば、困ったときの神頼み的クリスチャンが、ある日突然自分で生きることの拙さ加減と、力の無さ、あるいはその味気なさに気がついたらどうなるでしょうか。その人は自分の神に対する考え方が根本的に間違っていたことに気がつかされるでしょう。

 人々にそう気づかせる業を、今、聖霊が世界中でなさっておられます。多くのクリスチャンが、今聖霊から霊的な挑発(プロヴォーク)を受けているのです。それは

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

の信仰で生きることへの挑発でありチャレンジです。

このチャレンジをしっかりと受けとめるには、自分で生きるのではなくキリストに生きていただく味を知ることが必要です。これがイエスからいただける真の福音なのです。多くのクリスチャンは今まで、頭の中では「自分に死なねばならない」ことを学んではいても、それを実際に生きる経験を持ったことがなかったのです。ところがそのようなクリスチャンが、父親としての神の愛を始めて個人的に経験したと言いましょうか、自分と神との距離が急に縮まるのを感じ始めたのです。彼らは全面的に神に生きていただくことのすばらしさに気がつき、それを人生のゴールにすると言う希望を見出したのです。

その意味で、今回、多くの方が主ご自身に対して魅力を感じ、引き寄せられ、慕い、飢え乾くことを覚え始めていることに気がつきました。私は本当に勇気づけられ、励まされました。
これからそのようなクリスチャンが日本でも爆発的に増えることを期待します。教会とはクリスチャン個人の集まりです。その個人が聖霊によって変えられて行く顕著な兆しを見るときに、日本中で教会のトランスフォーメーション が起る日が間近いことを肌で感じた次第です。(終わり)

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11 10月

クリスチャンという名のコイン  坂 達也  10月10日


クリスチャンという名のコイン

 ある朝、主の前に出ていると、通貨であるコインが示されました。そして、主は「わたしがコインの表側は造るが、裏側はあなたたちが造るのです。そのように両面が完成しなければ、そのコインは使いものにならないのです。」と言われました。

そして、直ぐ思いに浮かんだのが「十字架」という名のコインでした。そのコインの表側は、主イエスが先ずご自分を十字架にかけてその御業を完成されましたが、裏面は、そのコインを差し出された私たちが、自分をその十字架につけて歩まなければ完成されません。

 次に、招かれる者と選ばれる者で一枚のコインが造られていることが浮かんできました。マタイ22:14に「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」とあります。招かれるのも選ばれるのも父なる神ですが、真に選ばれた者になるためには、私たちが主を「選んで」「婚礼の礼服を着て」(マタイ22:11)選びにふさわしい者にならなければ裏面が完成されません。

 信仰という名のコインもそうです。表側は、主のすべての「命令」の御言葉で造られていますが、それを聞いて忠実に従って実行しなければ、そのコインは完成されません。
愛というコインも同じですね。表面は「神が先ず私たちを愛してくださる」のですが、裏面で、その愛を受けた私たちが神を愛さなければそのコインも完成されません。

 コインには色々な種類があります。金貨、銀貨、銅貨、ニッケルで出来たものもあります。この世の中でコインさえ持っていれば、どんなに額が大きくても小さくても、総ての支払いが出来ます。
 通貨としての機能から見れば、どのコインも皆必要です。特に、一番小さな一円のニッケル製コインがなければ、多くの場合支払いに支障をきたします。小さな額のコインほど、それがなくては通貨としての用が足せませんから、その重要さに私は気がつかされました。そして、「キリストのからだ」であるクリスチャンも同じではないかということにも気がつかされた次第です。

 その通貨としてのコインはすべて神が造られるものです。しかし、神は裏側の字の彫り込みは私たちに委ねておられます。裏面を私たちが完成させなければ、そのコインは「使いもの」にならないのです。(終わり)


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18 07月

バプテスマと漬物   坂 達也   7月18日


バプテスマと漬物

聖句の解釈でよく問題になるものの一つにマルコ 16:16があります。

「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」

  この聖句の最初の部分を文字通り解釈すれば「救われるためには、信じてバプテスマを受けねばならない。」と言っていることになりますが、この御言葉によって、「救われる」ためには、バプテスマを受けねばならないのか、受けなければ救われないのか、と言う疑問が出て来て、それが色々と議論されて来ました。

 私は最近、ストロングのコンコーダンス (用語索引辞典)を見ていて「バプテスマ」の原語baptizo の意味を初めてよく理解することが出来ましたので、今回それをお分かちしたいと思います。

バプテスマbaptizo とはどう言うことかと言えば、ものを水とか液体にずっぽり浸けること、あるいは大波などが上から覆いかぶさってずぶ濡れになることを言うそうです。又、このbaptizo に似た言葉にbapto があります。これは普通「ちょっと浸す」と言う意味で、この二つのギリシャ語の使い方の違いが紀元前200年に書かれた漬物の作り方の文献に載っていたそうです。
それによれば、当時漬物にする野菜は、先ずさっと熱湯に浸し 、直ぐ引き上げてから、酢の中に漬けてしばらく放置すると書いてあったそうです。
熱湯にさっと浸けるのはbapto で、その後しっかり酢に漬けることがbaptizo なのだそうです。この説明で明らかなように、bapto は一時的・表面的に変わっても中身までは変わらないことを表わし、一方、baptizo の方は一旦沁みこむと永久的に中身まで変質する漬かり方であると言うことがわかります。

 これは、トランスフォーメーション と言う言葉(英語)の動詞であるトランスフォームと言う言葉の原語には”metamorphoo” と”metaschematizo” の二通りあり、最初の”metamorphoo”の意味は「内側が変わること(変質)によって外側・外見が変わる」(ロマ書12:2)ことをさし、一方 metaschematizoは、中身が変わらないで外見だけが一時的に変貌・変装する(2コリント11:13-15)と言うのに似ています。

要は「変えられる」と言っても、私たちは見せかけだけ変わる(成長したように見せる)クリスチャンであってはならない、身も心も永久的に質的変化を遂げた(中身が霊的に成長した)クリスチャンにならなければならないと言うことです。そして、中身が変わるから、外見も変わって来るのです。

バプテスマを受けると言う意味もこれに似ています。洗礼とは、肉の人間から霊の成熟した人間に変える(トランスフォームする)、あるいは「イエスに似た者にする」ためのプロセスです。大根をぬか漬けにすれば単なる野菜の大根ではなくなります。つまり肉の人間を色々な霊の液体に浸けて「霊の漬け物」としてキリストのからだに完成させるのです。
これを作る漬け方の一つのレセピーはバプテスマのヨハネによる漬け方で、マタイ3:11に書いてありますので、それを下記にご紹介します。

「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けてい ますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」

 真の救いを得るためには、先ず徹底的に「悔い改める」ことによって人間の古いアク(悪)を取ります。そのために「アクぬき」の方法として水に漬ける(水のバプテスマ)のです。これは漬物の素材をよくするためです。次に聖霊と言う液体にどっぷり漬けて「聖霊漬け」にします。霊の漬物とは基本的に「聖霊漬け」です。これに漬ける時間が長ければ長いほど上質な出来上がりとなります。そして最後は火に漬ける(通す)洗礼でしめて完成させます。これは一切の不純物を取り去る最終的な仕上げのプロセスです。

その他聖書では洗礼についての色々な漬け方を教えてくれていますので、その主なものを下記に二つ三つ挙げてみます。
1コリント10:2によれば、「みな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け」と書かれていますから「モーセにつける(結びつける)洗礼」があることが分かります。又、ロマ6:3によれば「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 」とありますから、「イエスにつく水のバプテズマ」とは「自分を死に浸す」バプテズマであることが分かります。

又、ガラテヤ3:27では、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(新共同訳)とあるように、私たちキリスト者の最終目標は「キリストに結ばれ」「キリストを着る」ことにあります。あるいは次の28節にあるように 「キリスト・イエスにあって、一つ」になるバプテスマを受けるのです。
要するに私たちは基本的に「聖霊漬け」にされつつあるのですが、その目的は「キリストにどっぷり漬けられる」「キリスト漬け」であり、長く浸けられる間に、私たちの中身がキリストに変質しなければなりません。

 結論から言えば、マルコ16:16は全くその通りなのです。私たちはイエス・キリストを心から信じるだけではなく、聖霊によって、私たちの中身がキリストに似た者に変質されるまで「キリスト漬け」にすると言う長いプロセスのバプテズマを受けて救われる、と書かれているからです。

 ところでマルコ16:16は、一般に「イエスによる大宣教命令」( the great commission)と言われるマタイ28:19のマルコ版です。ですからマタイ28章に出てくるバプテスマとマルコ16章のバプテスマは同じ意味です。
そして、マタイ28章でイエスは、弟子たちに世界に出て行って、彼らを弟子とし、 「父、子、聖霊の御名によってバプテズマを授け...」と書いてありますが、「この御名によって」の「よっての」の部分の原語はeis ( 英語でinに当る )です。先程引用した1コリント10:2とかガラテヤ3:27でも同じeis が使われていますが、英語ではそこはinでなく into, untoと訳されています。ですから、マタイ28章でも厳密に言えば、単に「御名において」と言うより「御名(その神のご性質を代表する)につく」「御名に結びつける」「御名と一つにする」と訳した方が意味としてはより分かり易いと思います。
 と言うことはバプテスマとは一回水に浸かればよいと言う単なる儀式だけのものではないのです。

皆さんはキリスト漬けが進んで、
01 04月

リック・ジョイナー師の幻とデイビッド・ウイルカソン師のメッセージ 坂 達也 4月1日


リック・ジョイナー師が見た幻とデビッド・ウイルカーソン師のメッセージ

 私はつい最近、アメリカの代表的クリスチャンリーダーとして預言的な働きをされている著名な二人のメッセージに接することが出来ましたので、ご報告したいと思います。
 二人のメッセージに共通した点は、どちらも教会に対して迫り来る終末への警告と、教会が今なすべきことは何かと言う本質論に触れていることです。最初に、リック・ジョイナー師の記事をご紹介します。

最新号のモーニングスター・プロフェティック・ブルティンに、リック・ジョイナー師が最近見た幻について書いていますので、それを手短に要約します。

彼が幻の中で一つの道が二つに分かれる分岐点に立っていると、そこにトーチを掲げ生きた「自由の女神」のような人がいることが分かりました。しかしその灯は弱々しく、顔は困惑と混迷に満ち、歩いている足はほとんど前に進んでいませんでした。彼女は分岐点からどちらの道に進めばよいかで迷っておりました。道の傍らに標識があり、それには「一方の道を進めば国は益々弱まりやがて破局を迎えるが、もう一方の道を選べば国は強くなり、前よりももっと輝く将来がある」と書かれていました。問題はどちらの道がそうなのかが書かれていないことでした。その標識には又、「この分岐点に長く立ち止まって迷えば迷う程、間違った道を選ぶ可能性が強まり、その道が強いられる」とも警告されていました。そしてこの自由の女神のような人は今にも間違った道を選ぼうとしていることが明らかでした。

よくよく見ると自由の女神がそこまでたどり着いた道には多くの過去の偉大な国とか帝国が歩いた足跡があり、この分岐点で皆立ち止まり、そして皆が間違った方向に進んで行った足跡が見えました。しかし、もう一方のもっと繁栄すると言われる道には誰の足跡を見ることが出来ませんでした。そこで間違った道の方をよく見ると、その道には次の曲がり角までは道がよく見えるように街灯がつけられていて、この道こそが正しい道のように思えて来るのでした。それに反し片方の道は暗くて狭く険しい道のように見えました。

迷っている自由の女神のような人は、弱り切った手に持ったトーチが重そうで、今にも掲げているその手を下ろしそうでした。そしてかろうじて掲げているそのトーチの光は非常に弱々しいものでしたから、明るい街灯がついている道を選んでしまう誘惑に勝てそうもありませんでした。それを見てたまりかねた私は、彼女の側に駆け寄り、今にも落としそうなトーチを掲げている手を握りしめ、もっと真っ直ぐ上に掲げるのを助けました。すると弱々しかった光が輝きを取り戻し、暗い道に光が当り始めました。

私は次に彼女がもう一方の手に抱えてはいるが今にも落としそうな書き板(タブレット)をしっかり持ちなさいと励ましました。今の彼女に必要なものは確かなビジョンと自信と決意(やる気)であることが私にはよく分かりました。

私は彼女がここまで到達するために過去にやってきた業績を称え、これからも道を間違えなければ、今までどの国もどの帝国も成し遂げたことのない輝かしい将来に進むことが出来ると言って彼女を励ましました。彼女はそれを聞くと顔を明るく輝かせました。しかし、彼女はどちらの道に進むかの決断を躊躇しており、それが間違った道への選択に彼女を追いやらんとしていることが明らかでした。

この幻の解き明かしとして、ジョイナー師は自分が見た幻は明らかにアメリカを指し、アメリカは今、国の興亡に係わる重要な分岐点に立っていると言います。そして幻に現われた彼自身は、現在の教会を代表しているような気がすると言っています。以下はジョイナー師の文章の要約です。

「それはちょうどアロンとフルがアマレクに勝つためにモーセの挙げている手を支えた(出エジプト17:12)のに似ていて、今のアメリカに必要なのは教会が国家のためにもっと祈りとりなしをすることです。又、この国が今必要なのは預言であり、それによってアメリカが将来に対する確固たるビジョンを得ることです。それによって、険しくて孤独ではあっても勇気をもって正しい道を選ぶことが出来るからです。そのために自由のトーチを掲げているのであって、今こそそのトーチを高く掲げなければならない時です。

アメリカは神の御国ではありません。又神との特別な約束(契約)の関係にある国でもないので、国が滅びないという保証はありません。神が特別の契約をしている国はイスラエルと教会(ホーリー・ネイション、神の御国)の二つしかないのです。

しかしながら、アメリカは建国の時に建国の父たちによって主に捧げられた国であることにおいて、他の多くの国と違います。神に捧げられたものは総て聖いので、アメリカが神の名を冒涜するような国になるのであれば、神はそうなる前にアメリカを滅ぼされるでしょう。又、神に捧げられた聖い国であるがゆえに、他の国がそれをしても神の怒りを逃れられることでも、アメリカがすれば許されない場合が多いのです。

神はアメリカを神に捧げられた「聖い国」として扱われるので、それだけ厳しい懲らしめを受けねばなりません。しかし、そのことはむしろ喜ぶべきことであって、神が懲らしめるのは神に見捨てられていない証拠です。

そのことがヘブル12:7-13に書かれています。『訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。足なえの人も関節をはずすことのないため、いやむしろ、いやされるためです。』

主はこれから益々アメリカを厳しく懲らしめるでしょうが、それ
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