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31 01月

「主を見つめて待つ」祈り(2)  坂 達也 2009年1月31日


主を見つめて待つ」祈り(2)

坂  達 也

この年の初めに当たり、多くの方がなさったように私も断食をしました。その時に感じたことがあります。
それは、断食をしていると段々体力が弱り、特に今回は「考える」頭のエネルギーが不足してくるのを感じました。 

聖書を読んで、参考書を見たりしながら(知らないうちに)深く考えこんでいると、エネルギー不足で段々考えられなくなってしまったのです。そこでやむなく、考えるのを止めて休みました。そして主をぼーっと見上げ何となく主に浸っていると、一つの、それもかなり深い「思いと考え」がすーっと心に入って来ました。その時気がついたことは、自分は全く安らかな気持ちであって、少しも自分自身のエネルギーが使われていない、むしろリフレッシュするような新鮮な力すら感じたのです。

 私はその時、成る程断食のよさの一つはこれだと思いました。今回断食をして主から改めて示されたことは、日頃「自分の考えに死ぬ」「頭で考えるのを止めて、それよりも主に聞け」と自分に言い聞かせていながら、実際にはなかなか自分で考えることを止めていないと言う事実でした。そして、それがいかにエネルギーばかり使う「徒労」であるかと言うことを、今回はっきり肉の形で主から教えられました。


さて、心を静め、総てのことを忘れて主の御前に立つ時に、クリスチャンとして最もすばらしいことの一つが起きます。それは、心の中に愛と喜びが溢れ出てくることです。

1ペテロ1:8、9に「 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」とあります。

「魂が救われている」と言うことは、心の内が、言葉では言い表せないほどすばらしい喜びに満ちあふれている状態です。ですから、これを経験されてないクリスチャンはいないと思いますが、残念なことに、それがいつもそうであるとは限りません。毎日の生活の中で色々なことが起き、しばしば失望したり、怒りがこみ上げてきたり、いらだったりします。

そこで、いつも喜びの中に生きるための秘訣があります。それは、自分の廻りに起こる一切のことが、神が許されて私たちに下さっていると信じて疑わないことです。特にいやなこと、悪いことが起こった時にそう信じて感謝することです。このことを頭の中で理解しておられる方は多いと思いますが、本当に信仰で実行している方は案外少ないのではないでしょうか。第一、この信仰に堅く立っていなければ、どうして総てを安心して主に委ねることなど出来るでしょうか。

朝一番に主の御前に立って、主を喜び、主の愛と喜びのうちに主と共に過ごす時間がいかに大切で、必要なことであるか、この祈りをする方はよくご存知です。この祈りをすることによって、その日一日の総てを主に委ねて、安心して迎える用意が出来ます。
特に、自分には不可能でどうすることも出来ないような厳しい状態にある方にとっては尚更です。そのような試練の一日を「まるで人事のように、鼻歌まじりで」過ごせるようになります。いや、そうなることが目標です。何故なら、私たちが主に一切を委ねたのなら、何が起ころうと総てが「他人事―イエスが私の代わりに生きて、解決して下さる」からです。

「主を見つめて待つ祈り」は、朝とか夜に主と静かな時を持つだけではなく、それを延長して一日中出来るようになることが理想ではないでしょうか。そのやり方は、出来るだけ多くの時間を、たとえそれが瞬間であっても、とにかく主を思い浮かべて、主と交わることです。電車に乗っている時間、車を運転している時間、あるいは人と話している時とか、仕事中でもそうするのです。

特に何か一大事が起こっている最中には(かえってそのような時の方が主を思い浮かべ易いでしょうが)慌てずに本当に「まるで他人事のように、鼻歌まじりで」対応して下さい。相手の言うことに余裕を持って「自分の言いたいことを主張せずに」、人事のように「そうですね。ごもっともですね。」と言いつつ、心の中で「主にお任せしてありますからハレルヤ!」という気持ちを持っていればよいのです。

これが出来るようになれば本当に人生を「主と共に歩く」ようになれますね。人生が楽しくなります。自分で悩むことから開放されるからです。私が持つ人生の最終目標はこれです。私は今は未だ全く至らない者ですが、いつかエノクにならって「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記5:24)と書かれているように、私も生きたままで主と共に歩いて天に取られたいのです。

天の父は私たちに必要な総てのものを与えて下さいます。それは良いことだけでなく、一見悪いこと、多々の試練も含めてです。私たちが本当に「総て主が下さったもの、甘んじて喜んで受けます。」と思えるようになれば、御言葉にあるように、総てに感謝し、絶えず祈り、総てに喜べるようになります。(1テサロニケ5:16-18)これが「主を見つめて待つ」祈りをお勧めする所以です。

ダビデは詩篇16:11でうたいます。

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」 (終わり)

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13 01月

ナタニヤフ元イスラエル首相との電話対談 ジョエル・ローゼンバーグ  1月13日


ベンジャミン・ナタニヤフ元イスラエル首相との電話対談

ジョエル・ローゼンバーグ

イスラエルのエルサレムで1月12日、25分間の電話対談に加わりましたので、その時のナタニヤフ元首相の発言を下記のようにまとめてお伝えします。

元首相は「イスラエルは今順当な戦争をしているが、ハマスはイスラエル国家を抹殺しようと言う不法な目標をかかげ、それをイスラエルの無実の市民に向けてロケット弾を打ち続けるという不法なやり方で達成しようとしている。」

「私たちのハマスとの戦いは後ろにイランがいるテロリストととの戦いである。彼らはここ数年イラク、アフガニスタン、レバノン(ヘザボラによる)、ニューヨーク、ワシントン、その他世界中で、手段を選ばない残虐なテロ行為をして来たミリタント・イスラム過激派であり、今私たちイスラエルはそのテロリストの矢面に立たされている。イランは二つの前線(ガザとレバノン)の一つで既にへザボラを使って勝利したと言えないか。イスラエルはそのようなイランがガザに陣取るのを決して許してはおけない。長期的な目標は、イランの脅威を手遅れにならない前に食い止めることにあり、短期的にはガザでのロッケット砲弾からの脅威をなくすることである。」 

私(ローゼンバーグ)の「ユダヤ系人、あるいはエバンジェリカル・クリスチャンとして今起こっている戦争で私たちがどのようにイスラエルを助けることが出来るのか」という質問に対して、ナタニヤフ元首相は次のように答えました。
「イスラエルに好意を持つ友人たちが出来る今最も重要なことは、真実が何であるかを世界に語って欲しいことである。イスラエルに対して「うそのキャンペーン」が世界中で張られている。その中には、「今回のガザ戦争はイスラエルが仕掛けた。」(本当はそうではない)「イスラエルはパレスチナの無実の市民を狙って打ち、負傷者、苦しむ市民への救援物資を入れないようにしている。」等。(それは事実ではない)本当の事実がどうであるかをこの際世界に向かってはっきり言って欲しい。」

「ハマスはこの8年間イスラエルに向かってロケット弾を打ち続けている。想像できますか。私たちはそれに何の反撃もして来ていない。それが8年間も。もしメキシコがアメリカのサンデイエゴに向かってロケット弾を打ち込んで来るとしたら、アメリカは8年間そのままなされるままに何もしないでいるでしょうか。いや8ヶ月も待つでしょうか。彼らは恐らく8分と待たずに反撃するでしょう。
ハマスはモスク、病院、小学校、大学のキャンパスからロケット弾を打ち上げている。それはイスラエルの反撃に対して無実の市民を隠れ蓑に使っているというのが事実だ。私たちは一般市民に向かって発砲しているのではない。しかし不幸にして市民が犠牲となって死傷者を出したことを本当に遺憾に思う。もし皆さんがイスラエルの友であるなら世界に向かって真実を声高くはっきりと語ってください。」

その後で、アラブ側とイスラエルの和平交渉についての意見を聞かれたナタニヤーフ元首相は「今すぐ最終的な合意に達すると考えるのはリアリスッテイックではない。私たちは2005年に当時エリヤル・シャロン首相の時、ガザ地区をただでパレスチナ人に手渡してしまった。私はその時の内閣の一員であったがそれを機にその職を辞任した。そのような過去の間違いを二度と繰り返すべきではない。イスラエルが今後、これ以上パレスチナ側に領地を手渡すようなことを国際会議で迫られるなら、その前にイスラエルは次の四つの政策・戦術を追い求めるべきだ。
1.イスラム過激派とは断固として戦う
2.イスラム穏健派を強化する
3.イスラエルの総ての国境の安全保障を再確立する
4.ウエスト・バンクとガザ地区のパレスチナ人住民のための経済開発を急ぐ。」

「ハマスが今抵抗を続けているのは就任間近なオバマ新大統領に期待をかけているからであると思うか」という質問に対して、「私はつい最近オバマ氏がロケット弾の被害を蒙っている南イスラエルのSderot地区を訪ねたことを憶えている。その際に、オバマ氏が『もし私の二人の娘が住んでいる家にテロリストによるロケットが打ち込まれたら、私は私の出来る限りの力でそれをストップさせるであろう。』という意味の発言をした。ですから、私はアメリカは、どこであろうとテロ行為を阻止する意思は十分に持っていると考えている。」と答えています。

「イスラエルにとって最も大きな脅威はハマスでもヘズボラでもない、それは核兵器を持つイスラム過激派テロリストたち、あるいはその国家であり、イランが大量破壊兵器を持つようになることは悪夢のシナリオである。彼らはすぐさまパキスタンを支配するに違いない。」

続いてナタニヤフ氏が2月10日の首相選挙で勝てば「具体的なイラン危機への対策は」と言う質問に対して、直接は答えませんでしたが、「今、時間は逼迫している。西側は手遅れになる前に断固とした処置に出なければならない」と言う意味のことを強くほのめかしました。

 最後にナタニヤフ氏に質問できなかったことが残念でしたが、現況のイスラエルのガザ地区への進攻においてオルマート首相がこれからどう言う手段に出るかについて、私なりの考えを述べてみたいと思います。今のイスラエル軍は確かに、予備軍まで投入してハマスが立てこもる市街の中心部に迫まりつつあります。しかしそこでフルスケールの追い込みの攻撃に入ろうとはしていないで、ためらいがあるように見えます。オルマート首相はむしろエジプトと国際的仲裁による休戦交渉の呼び掛けを待っているかのようです。

今イスラエルの多くの人たちは、オルマート首相が2006年にレバノンでヘズボラに対してしたと同じように早過ぎる休戦交渉に応じてしまうのでないかということを恐れています。イスラエル国民はこの際、今までの16日間に出した多大な犠牲が無駄になるような中途半端な休戦に入り、後日再び同じ状況に戻ることだけはあってはならない、そのためには妥協をせずハマスを完全に撃破し、ロケット弾がこれからは飛んで来ないようにするためにしっかりとした決着をつける事を望んでいます。私もその考えに賛成です。(終わり)


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08 01月

時を知る(続)    リック・ジョイナー  2009年1月8日


時を知る(続) 

リック・ジョイナー

ヘブル書12章には、すべての揺り動くものは揺り動かされることが書かれていますが、そのような時に私たちは今突入しています。堅固な基盤の上に立っていないクリスチャンは、この世が揺り動かされる時にはそれと一緒に揺り動かされてしまうでしょう。主はエジプトを根底から揺るがされましたが、それは主の民を解放することを目的としていました。聖書ではエジプトはしばしばこの世の隠喩として使われていますが、この世が今土台から揺り動かされているのも又、同じく神の民を解放するためなのです。 エジプトで奴隷だった神の民を解放するには、神の力が大きく顕される必要がありました。今はそれと同じ筋書きの最初のステージに私たちは入っているのです。
多くの者が「キリストにいのちを捧げた」はずなのですが、その後は今まで通りに自分のために生きていて、人生を神の御国の上ではなくこの世の王国の上に建てています。主は私たちを愛してくださっている故に この世を揺り動かされていますが、それは私たちを自由にするための神の恵と憐れみのみ業です。

しかし、正しい道を歩んでいる知恵者たちは、次第に輝きを増す光の中ですべての物事をはっきり見て判断することができるでしょう。私はかつて自分のビジネスを失い、財産を失い、持っていたものすべてを失ったのですが、それによって本当にすばらしい気分になりました! 何年ぶりかで私は解放されたのです。それを経験しているときは確かに大変でした。実際のところ、それは私が経験した最悪のことの一つでしたが、すべて済んでしまった時には、この揺さぶりによって私が変えられた事や、すばらしい解放感を得たことを心から感謝しました。その一年前まで、私は多くの飛行機を所有し、自分のジェット機で飛び回っていました。しかし、ビジネスを失った時、家族と家財道具全部が小型車に収まってしまうほどでした。しかし、ジェット機で飛び回っていた時よりも、私はもっと楽しい気分でした。それまで住んでいた夢のような家を出て、前の家の一つの寝室の広さくらいの小さな家に移ったのですが、家族は前より幸せでした。これによって今まで歩んでいた暗く混沌とした道から、輝きを増す光の道に戻ることができただけでも、それは本当に価値ある幸いなことでした。

私は皆さんも同じような経験をしなければならないと言っているわけではありません。私は皆さんよりもずっと頑固で反抗的だったので、主が私の注意を引くのに苦労されたのかもしれません。しかし、もしも自分の所有しているものが主よりも大事だと思うならば、それを失うことは最もすばらしいことです。主が私たちの過ごす人生をどう思われているかよりも、この世での自分の地位とか名誉の評価の方をもっと気に懸けているとすれば、人の尊敬を失うことによって神の御前で尊敬を得るほうが、あなたにとって最高にすばらしいことです。

今年は非常にエクサイティ ングな年になります。それは即ち、今年は様々な事が起こり揺れ動くということです。神への信仰が成長していない人たちは脱落しはじめるでしょう。神への信仰が成長している人たちは、他の多くの人の信仰が自分と同じように成長するように助けるでしょう。私たちはそのために自分を整え、次に何が起こるかを把握せねばなりません。

信仰に歩む者、即ち義の道を歩むものは、先を見越した行動をとり、多くのことを達成し、勝利するでしょう。なぜならば、彼らは自分が進んでいくところを鮮明に見ることができ、先見の明で決断することができるからです。

箴言4:18−19にはっきり書かれています。
「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。」

そして次の 3節は揺り動くことのない御国の上に建てられた勝利の人生を歩むための鍵を教えてくれます。
「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。」箴言4:20−22

今年、どうか神の御ことばを知り、それに従うことに自分を捧げ努力してください。聖書を毎日最低一章は読むことを決意してください。嵐が来ても倒れない家を建てる者とは、主の言葉を聞きそれに従う者であることを忘れないでください。自分の聖書が棚の上でほこりをかぶっているのに、「主は私に語ってくださらない」と言って不平を言う人たちが大勢います。主を探し求める者が主を見いだすのです。

勿論、この文を読んでおられる方は神の言葉を求めておられるでしょう。しかし、もし私たちが輝きを増す光の中を歩んでいるのなら、ますます主を求め主のなさり方を理解しなければならないのです。私たちは一週間に一度ではなく、毎日新しいマナを集めなければなりません。今どれくらい神の言葉を知り従っているにせよ、今年はそれ以上にそのために時間を使うことを決意してください。さあ、今から始めてください。どの投資よりもこれが一番大きな利子を生み出すことでしょう。(終わり)


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07 01月

南イスラエルからの戦況速報 ヨエル・ローゼンバーグ  1月7日


南イスラエルからの戦況速報

ジヨエル・ローゼンバーグ

状況は非常に逼迫しています。ハマスは過去10日間に500発のロケットをイスラエルに向かって打ち込み、南イスラエルに住む50万人以上の人たちが死の恐怖にさらされています。

イスラエル軍の死者は今のところ6名ですが、国民はその犠牲者の為に国を挙げて嘆き悲しむ一方、過去二年半の間ハマスの執拗なロケット砲撃というテロ行為に対して(この間に6、300発以上のロケットが打ち込まれたにもかかわらず)ほとんど何もして来なかったイスラエル政府がついに強硬な反撃に踏み切った事を圧倒的に支持し胸をなでおろしています。

このガザ地区には約150万人のパレスチナ人がハマスの人質状態でハマスのテロ行為の犠牲となって住んでいますが、一番最近では、反撃して来るイスラエル軍に対して、ハマスは国連経営の学校に立てこもり、そこから白砲弾を発砲して来たためイスラエル軍はやむなくその学校を空爆し、42人の死者と50人余りの負傷者を出す結果となりました。

これに対して世界はハマスに向かって怒りを発する人がいないのはどうしてでしょうか。パレスチナ人はハマスから自由になる事を必死で願い、内々ではイスラエル軍がテロのリーダーたちを打ち負かすことを歓迎しています。

ロケットを発砲するのをやめるようにハマスに圧力をかける代わりに、国際的な圧力は、ガザにおけるハマスのリーダーたちとテロの下部組織が破壊される前に、何とか一時的な停戦をするようにイスラエル政府に大きな圧力をかけてきます。エジプトとフランスの大統領が昨日紅海のリゾートで会って即刻停戦の決議案をプッシュして来ました。アメリカのライス国務長官もそれを支持する声明を発表しています。

トップリーダーたちとその精鋭軍の多くが殺されて打撃の大きいハマス側は今必死で停戦を望んでいます。弾薬庫とか政府の建物が既に爆破され、又エジプトとの国境にある彼らにとって重要な密輸のトンネルも破壊されました。エルサレム・ポスト紙の報道によれば、ガザ地区におけるパレスチナのジャーナリストが月曜日に「一般的な見解としては、既にハマス政府は事実上存在(機能)していない。総ての政府機関は破壊された。」と伝えています。ハマスのリーダーたちは今ではちょうどアルカイダのオサマ・ビン・ラデンとアイマン・ザワヒリのようにふるまっていて、彼らは人前に現れず、アラブ・テレビ局を通じて録音されたメッセージだけが報道されていると言います。

こういう状態にあるのですから今ハマスを生きかえらすことなく、イスラエルは断固としてエジプト・フランスの停戦案を拒否すべきです。……

イスラエル国民は、過去に国際的圧力に何度もだまされて来ましたが、幸い今回は又同じような停戦の圧力に屈しようとはしていません。チャンネル2ニュースの世論調査によれば、81%のイスラエル国民は彼らの政府がロケット発砲をストップしハマス組織を破壊するために、ガザを空爆だけでなく陸からも軍隊を出動させてたことは適切な処置であったと信じていると報じています。そして、60%の世論がハマスとの停戦交渉に反対していると言います。

私は今回現地に来てイスラエル人と話した結果、彼らは今回こそはハマス軍とその政治的リーダーたちを完全に撃破して、南イスラエルがロケット弾、ミサイル、白砲弾からの脅威から開放されるまで戦うことを望んでおり、そのゴールが達成しないで中途半端に妥協することは、今まで以上に悪い結果をもたらし、それは事実上ハマスに勝利をさせ、イスラエルの敗北を意味するという国民感情であることが分かりました。

しかしながら、そのような国民感情にもかかわらず、オルマート首相とそのイスラエル政府は一時的な早過ぎる停戦を受け入れる可能性も十分あります。事実、2006年にはこの政府はレバノンにおいて同じような一時停戦を妥協して受け入れています。又、ユード・バラク防衛長官は早期停戦を望むという考えを当初から発表しています。これからの数日間でオルマート政府が今回はどのような決意をしているかがはっきりするでしょう。(完)

著者紹介
ジョエル・C・ローゼンバーグ
「最後の聖戦」などでニューヨーク・タイムズのベストセラー作家となる。 イスラエルや中東の戦争やテロの犠牲者を人道的立場から救済するための非営利団体、ジョシュア基金の創設者。 祖父母は20世紀始めにユダヤ人迫害を逃れて米国に亡命。 シラキュース大学を卒業し、テル・アヴィヴ大学に留学した。
 コミュニケーションの専門家として、元イスラエル首相ベンジャミン・ナタニアフなどとの仕事を経験した。福音的教会であるワシントンDC近くのマクリーン聖書教会に所属。 


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20 12月

「主を見つめて待つ」祈り(1)   坂 達也  12月20日


「主を見つめて待つ」祈り(1)

                           坂 達也


哀歌3:25-26に「主はおのれ(主を)を待ち望む者と、おのれ(主を)を尋ね求める者にむかって恵みふかい。主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。」と言う御ことばがあります。
又、詩篇でダビデは次のように歌っています。「1 主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。2 まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。3 イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。」(詩篇131:1-3)

最近は「主を見つめて待つ」祈りをされている方が日本でも増えて来ていることが今回の(2008年秋)日本旅行でよく分かりました。それは本当にすばらしいことです。それにつけても、このお祈りの秘訣は「自分の心をいかに静めるか」の一事にかかっているように思います。

先ず、このお祈りをするのに一番適した時間と言えば、その日の活動が始まる前の早朝のひと時か、あるいは周りが寝静まり、一日の活動から解放された夜の遅い時間ではないでしょうか。しかし夜はその日一日の労働・心労のざわめきが残っているので、朝の寝覚め時の魂の状態の方がより休まっていると言う点で私は朝を好みます。 

次に祈る時の姿勢ですが、椅子、ソファに背筋を出来るだけ真っ直ぐにして、しかし楽に長続きする姿勢で座ります。(あるいは座禅をするようにあぐらをかいても可)私の場合はベッドの高さが63cm、下部が25cm程空いていますので、そこにひざを入れ、小さな15-17cm高の木の安座にお尻を置いて(ひざまずくように)座ります。腕でベッドの上にひじをつき、疲れたら上半身をベッドに寄りかかるようにします。しかし出来るだけ背筋を真っ直ぐに保ちます。顔は少し上向け、目を閉じて上を見つめます。これが私にとって一番楽な姿勢ですが、それでも30-40分が限度です。その後はベッドの上に背中をヘッドボードに(枕をかって)もたれかかるようにし足を延ばして座ります。疲れたらソファーに座るのもよいと思います。但し、病気の時以外は出来るだけ横になって寝る形を取らない方がよいと思います。

こうして主と対面します。最初は特に主の臨在感が無い時が多いのですが、それでもやさしい主が前におられることを信仰で意識し、心から主への敬愛と礼拝の気持ちを持つようにします。そしてその気持ちを心でやさしく主に語りかけ、あるいは手を上げて(声を出しても出さなくても結構です)主を心から感謝し賛美します。しばらくこうして主に語りかける時間を過ごした後は主の語りかけを期待して待ちます。

主の前に出ているのですから、主だけを思い、出来るだけよそ事を考えないようにします。しかし、そうしている積りでも、心のどこかで心配事や、その日にやって来る、あるいは既にやって来た大事なことから心を完全に引き離し全く幼児のように無邪気な心で主の前に立つことは、意外に難しいことがお分かりになると思います。

人間の持つ意識の状態は実に微妙に働くようです。例えば、少しでも「急ぐ気持ち」とか「何かをしよう、しなければならない」と言う思いがあると、気持ちに「気負い」が出て心が静まった状態にはなりません。
昔仕事をしていた頃に接待ゴルフをやっていましたが、ゴルフは心の思いが如実に影響するスポーツです。飛行距離を延ばそうと思えば、腕から力を抜いて只クラブを握っているだけの状態にして腰の回転に自然について行くようにすると、振り子の原理でクラブの先では大きな遠心力が働き、球は思いがけないほど遠くへ飛んで行きます。しかし実際は、遠くへ飛ばそうと思えば思うほど力んで腕に力が入り、遠心力による加速を殺してしまう結果、かえって飛ばない経験をされた方は多いと思います。腕の「力を抜け」とよく言われましたが、痩せて非力の私には、飛ばしたい一心からでしょうか、どうしても腕の力が抜けないのです。

主を見上げる祈りには、何かしらゴルフの飛行距離の秘訣に通ずる点があるようです。それは「自分の力でやろうとしてはならない」と言う点です。「自分(肉)に死んで神の力(霊)に総てを委ねる」クリスチャンの生き方の基本と似ています。

本当に自分の魂を静めるためには、先ず、私たちの魂が詩篇131を歌ったダビデのようであるべきです。万軍の敵を前にしたダビデは、主の前に心から「へりくだり」、自分の力で戦って勝てると言うプライド(力み)と憂慮を捨てて(アバンダンメント)自らを解放し、静かに只主だけを見上げました。これが聖い、静まった「主への全き信頼」の心であると思います。そうすれば主は必ずその信頼に応えて下さいます。それが上記の哀歌で言う「主の救を静かに待ち望むこと」でありましょう。ここでぜひもう一度上記の二つの御言葉をじっくり味わってみて下さい。

このような静まった心になった時に主からの平安が来ます。いや、来ると言うよりも、元々私たちの中には主が内在されているのですから、主の平安があるはずです。私たちは日頃忙しくしていると気が付かないのですが、本当に静まった時にはその平安を感じることが出来るのです。その点主の御声も同じです。主は私たちに親しく話しかけて下さっていても、霊的な声は「静かな小さい声」(still small voice)ですから私たちの魂が騒いでいる間はそれが聞こえて来ません。
御声と言えば、私たち被造物はみな、元々創造主である主が言葉で語って造られたのですから、その創造主の御声を聞くと、むしろ懐かしい親しい気持ちがしてもおかしくないと思います。

主イエスは父の御前にいつもおだやかな心と、全き信頼をもって立たれました。そうすると主には天の父がされていることが見えるのです。それをヨハネ5:19、20で主はこう説明してくれます。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです…。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。」ここに主を見上げて待つ祈りの究極の姿があるように思います。

ここに天の父と父の最愛の一人子であるイエスとの関係が見事に表されています。そしてそれは取りも直さず、主イエスと私たち主の花嫁との 関係であるのです。「父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになる」のと同様に、夫である主は私たち花嫁を「愛して、ご自分のなさることをみな」私たちにお示しになろうとされておられるのです。私たちはその主の期待に応えて、主をいつも見上げて待ち、示される総てを受け取ろうではありませんか。

その主が私たちに言われます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」」(マタイ11:28-30)と。
私たちは、そのような主の前に出る時、総てを主に委ねているのですから何の心配もいらない、本当に心から安心出来るのです。肩の力を抜き、心の底からリラックスして下さい。自分の心に「リラックスしよう」とやさしく語りかけて下さい。これが秘訣です。

こうして心が静まった状態で主の前に立つと、多くの場合、主が既に待っていて下さり、主の愛とすばらしい臨在に包み込まれます。神様とはこんなにすばらしい愛に溢れ、やさしい方であると言うことが実感され、誰でも感激しない人はいないと思います。「愛の父」と「やさしい主イエス」とに個人的に対面出来るのです。私たちの心にある総てを理解して下さり、こんなにやさしく思いやりがあるすばらしいお方は他にはいません。思わず「主を愛します。」という言葉が心の奥底から出続けて止みません。

それはヨハネ15:5で主が言われた「…人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっている」状態であると思います。そうなれば「そういう人は多くの実を結ぶ」ようになるのです。

パウロと言う人はこの祈りをよくした人の一人であると思います。彼は本当に主と個人的に深い関係で交わる人であったでしょう。エペソ3:12-19で「12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰(別訳では「キリストの私たちへの忠実さ」)により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」と書いていますが、これが上記ヨハネ15:5と同じ状態を指しています。つまり私たちがキリストといつも結ばれた状態にある時、私たちは大胆に主の御前に出てこのお祈りをすることが出来るだけではなく、そうすることによって主の豊かな愛の中に入って行けるのです。それをパウロは続いて次のように形容してくれます。
「…14 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。…16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかりそれによって満たされるように。

私はキリストの愛の深みをここまで実感できるのは、この祈りをする人の特権であると確信します。17節に「あなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とありますが、それは最初に主を信じた時に聖霊が内住されることを意味するのではなく、既に内住されているキリストと深い親密な交わりの関係に入ることを意味します。ここにおいてキリストと結ばれ(Union)ます。そして「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされる」までに到達出来るのです。それがこの祈りのゴールです。

この祈りは神との個人的なコミュニケーションで、しかも全く霊的なものですから、最初からうまくは出来ません。しかし出来ないからと言って決して落胆し、急いだり焦ったりしないで下さい。主が現れて下さるのを期待して気長に待つのです。そして諦めずにたゆまず毎日実行して下さい。それが秘訣です。

私たちの前に現れたくてしようがないのは、実は主の方です。しかし主は私たちを真に肉的な者から霊の人間に変えるために敢えて時間をかけて下さるのです。現れて下さらないのも主の愛からです。
くりかえしますが、始めたら直ぐ主の臨在が実感されなくても決してがっかりしないで下さい。むしろ主が私たちを訓練されているのですから感謝して下さい。私たちに必要なのは忍耐と言いますが、人生でこれ程「やりがい」「待ちがい」のあるものはありません。喜びを持って忍耐して祈り続けて下さい。その意味ではスポーツとかお稽古事と同じで、たゆまない訓練が必要です。

信仰生活の実践において、私たちに最も必要なことはこの「主を待つ」ことです。何故ならそれは「自分では何もしないこと」の訓練であるからです。(続く)


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