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Walk With God Ministries


04 08月

教会史上最大の癒しの波がやってくる  ボビー・コナー 8月4日


教会史上最大の癒しの波がやってくる
   

 ボビー・コナー

私は、集会中に突然、会場中が焼きたてのパンの香りであふれるという素晴らしい経験を、今までに何度もすることができました。パンの香りがしたときは、ほとんどの場合、その後で素晴らしい癒しの御業が現れるのでした。イエス様は、癒しは子供のパンだといわれました。(マルコ7:27参照) 病気や痛みのある人のために与えられるパンの香りは、天からのパンであられるイエスのご臨在のしるしです。主は癒し主であられるからです。今、聖霊は大いなる癒しの油を注いでいてくださいますが、それは「キリストのからだ」なる教会に与えられようとしています。

主が私に預言的に訪れてくださったとき、こう言われました。「教会に告げなさい。あなたたちが準備ができていてもいなくても、わたしは今あなたたちを訪れます。わたしは手に贈り物を持って行きます。それは癒しの贈り物です。それは個々の人に与えられるのではなく、キリストのからだ全体に与えるものです。

癒しの素晴らしい賜物がある個人の上にとどまって働くのを、私たちは今まで見てきました。例えば、ベニー・ヒンは癒しと奇跡の大いなる賜物を用いてミニストリーをしています。それは素晴らしいことです。 神の器たちを主が用いて大いなるみ業を彼らを通してなさるのを感謝しています。しかしながら、これから起ころうとしていることは、それよりもずっと偉大です。信じる者すべての上に癒しと奇跡の力ある油が注がれるのです。

ずいぶん前のことですが、私はベニー・ヒンへの預言を主から託されました。私は彼に会いにいき、「間もなくあなたが持っている油注ぎを子供たちもいただくときが来ます。」と告げました。それを聞いたときの彼の言葉を私は忘れることができません。彼は目を輝かせて大喜びで、「ボビーさん、知ってます。主が私にもそのことを話してくださいました!その日が今来るように祈りましょう。」と言ったのです。

私たちは教会史上最大の癒しのムーブメントが今にも起ころうとしている時を迎えているのです。この癒しの油注ぎが起ころうとしている理由の一つは、私たちがそれを必要とするようになるからです。教会の集会で天からのパンが与えられるようにと皆で祈らねばなりません。病人のために祈り、油を塗り、信仰の祈りをし、主が癒しのための天からのパンとして現れてくださるのを期待するのです。

罪人と飢えた人のためのパン

出エジプト記16章に、主の民が荒野を旅していた際にパンを求めて叫んだ民へ主が答えられたことが記されています。飢えた民がぶつぶつと荒野の不平を言ったとき、神が天から降らせた白く丸い純粋なパンは、イエス・キリストの前ぶれとも言うべきひな型でした。即ち、それは神が天から下しました。それは純潔を表わす白い色をしていました。それは永遠を表わす丸い形をしていました。また、キリストご自身が自分は天からのパンだと言われました。

「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)」
イエスという素晴らしい天のパンを下さった神に、私たちはどれほど感謝していることでしょうか。主を食べるときにのみ、私たちは真のいのちを持つことができるのです。私たちは世の光でありいのちであるまことのパンをいただいているので、荒野を旅するときも飢える者は一人もなく、暗やみで躓く者もいないのです。

天のパンを分け与える

今は天のパンを、飢えて傷ついている人々に分け与える時でもあります。この世界は、天のパン、即ち生けるキリストを求めて飢え渇いています。第二列王記の7章に非常に興味のある出来事が記されています。ここに大飢饉の只中に置かれた人々の有様を見ることができます。この飢饉はかつてなかったほどに悲惨なもので、人々は自分の子供の肉を食べるまでに身を落としていました。(6:25-29参照)

このような悲惨な状況の中で第二列王記7:1に記されている預言が神の民に与えられました。預言者エリシャは立って大胆に宣言しました。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉1セアが1シェケルで、大麦2セアが1シェケルで売られるようになる。』」 これは何という大胆な宣言でしょうか!恐ろしい大飢饉の只中で、この預言者は明日には食糧がただ同然で与えられるほど満ち溢れると宣言い切ったのです。

「あなたは主を信頼するならばゆるがされないであろう、預言者を信じれば繁栄するであろう。」と教えられています。(第二歴代誌20:20参照) 第二列王記7:2には愚かな侍従が多くの言葉で、たとえ神の介入があったとしてもそんなことはありえない、と言ったことが記されています。

それに対してエリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」と答えます。この結末は第二列王記7:17-19にあります。侍従は民が神が与えられた食物に殺到するのに踏みつけられて死んでしまいました。この偉大な奇跡を起こすために神がどのような人たちをどのように用いられたのかは驚きに値します。 私たちの弱さの中にこそ完全に神の力は現れることを忘れてはなりません。私たちは弱い者ですが主は強いお方です。

私たちも第二列王記7:9のらい病人のようでなければなりません。彼らは死にかけている惨めな病人でしたが、ある決断をして状況を一変させました。彼らは「どうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろう?」と自ら問うて、立ち上がり、前進し、変革を求めたのです。病状の進んだ4人のらい病人たちが、病に犯された足で立ち上がる姿を想像してみてください。お互いに助け合いながら、弱弱しく震える身体を支え、今の状態よりは何かましなものがあるであろうと未知の世界に足を引きずりながら歩き始める姿が、目に浮かぶようです。

あなたはどうですか? あなたは霊的食物に飢え渇き疲れ果てていますか? あなたは立ち上がって未知の世界に進んで行こうとしていますか? 「私はここにすわってこのまま死んでしまうのだろうか?」と自分に問うてみる必要はないでしょうか? もし現状に満足してしまっているならば、私たちは変化を求めはしません。

エルサレムを包囲していた敵の兵士たちの陣営にらい病人たちがたどりつくと、そこは全員が急いで逃げ去ったあとでした。敵 は恐怖に襲われて、食糧ばかりかすべての持ち物もそのままにして逃げていきました。4人の弱弱しいらい病人たちが手ごわい敵に一体どうしてこのような恐怖心を起こさせることができたのでしょうか? その答えは第二列王記7:5-7にあります。主なる神が、強大な軍隊が攻めてくるような響きを敵に聞かせたのです。ですから4人が到着したときには、敵は一人もいず、ただ食糧と多くの財宝がテントの中に残されていました。

4人は、まず自分たちの空腹を満たしました。すると彼らは別の空腹感を覚えたのです。それは自分たちが見つけたものを他の人たちに分け与えたい、という思いでした。見つけたパンを他の飢えている人々にも分け与える責任を自分たちは持っていることを彼らは悟ったのです。それと同じように、天からのパンをすでに与えられた私たちは、そのパンを他の人たちに分け与えねばならないのです。私たちが、この世の中の傷つき飢え渇いている人々に天のパンを分け与えることができるように、主が大きな恵みを注いでくださるようことを、私の心は切望してやみません。アーメン!(終わり)


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02 08月

引越し   坂 柚実子  8月2日


引越し

このハワイ便りもずいぶんとお休みをしてしまいました。
皆様、お元気でしょうか。
私は何をしていたかというと、引越しをしていました。
引越しの前はずっと家を売りに出していました。
オレゴンの家は7年間も売りに出していましたから、それにくらべれば非常に早く、7ヶ月目に売れました。

家を売るというのは、アメリカ生活ではご存知のように日常茶飯事みたいなところがあります。不動産屋からお客さんを連れて家を見に来るという連絡が8時間以上前に入るので、いざっという感じで家と庭をきれいにします。勿論いつでもきれいにしている人はこんな必要はないわけですが、我が家はそうはいかず、不動産屋からの電話があったら掃除、というパターンで暮らしました。だいたい週に一回くらいで丁度よい間隔でした。

主人と私とで暗黙の了解のもと受け持ち分担して、電話があるとさっと作業にかかります。オレゴンの家のときは、私が家の中、主人が庭という分担でした。というのは、一応庭が一つの見せ所になっていたからです。しかし、ハワイの家の庭はどうっていうことのない庭でしたので(ライチの実がたわわに実ったくらい)主人は寝室(片隅に主人の書斎がありましたので)と付随したバスルーム、私はキッチンと居間、という受け持ちでした。

そして約束の時間の15分前には家を出なければなりません。家の持ち主がうろうろしていては、お客さんも気兼ねして細かいところまで見ることができないからです。私たちは裏山に散歩に行ったりして時間をつぶしました。そして頃合をみて家にもどるのですが、あるときはどう見ても誰も来た形跡がなかったりします。連絡なしのドタキャンです。そんな時はもともと掃除の嫌いな私は「何のために掃除をしたのか!」とおなかの中から怒りがじわっと湧いてきます。でも気を取り直して「家がきれいになって気持ちがいいね。」と自分を慰めたりしたのでした。

こんな生活を7ヶ月して、ある日あっけなく家をとても気に入ってくれた人が現れました。それが5月の半ばでしたが、6月末に家の引渡しと決まり、あわてて新しい住居を探し始めました。(続く)


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