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Walk With God Ministries


09 01月

神への信頼   坂 柚実子   1月9日


神への信頼

私の母方の祖父は中村寅松といって第八高等学校の教師でした。残念ながら私は一度も会う機会はなかったのですが、生徒たちに慕われたよい教師だったようです。祖父には私の母を含め七人の娘と一人の息子がおりましたが、そのうちの一人の娘が療養生活をしていたところに祖父が見舞ったときに与えたという色紙があります。それには

   「 過去に泥まず(なずまず)
     未来を憂えず
     日々是好日 
    昭和十六年 正月」

と書かれていました。父親が療養中の娘に対して、「後のことも先のことも何も心配しないで、一日一日、心穏やかに暮らして病気を早くなおしなさいね。」ということを言いたかったのではないでしょうか。「日々是好日」というのは中国の仏教書である碧巌録の中にある言葉だそうで、茶道でも使われますし、日本人には大変親しまれている言葉です。その意味は、「悪いことでも、良いことでも、たとえ何が起こったとしてもそれを良しとして受けとめて今日を生きる」ということだと聞きました。

一方、フランスの16世紀のキリスト者であるガイオン夫人の本に、神にすべてを明け渡すことを説明した言葉があり、それは

「神に自分を明け渡すとは、過去を忘れ
             未来を神に委ね
             現在を神にささげることである。」というものです。

この二つはよく似ていますが、「日々是好日」は悟りの境地であり、明け渡しは神への全き信仰であると言うことが出来るのではないでしょうか。

過去、未来、現在をすべて手中に治めておられる父なる神に信頼してこの年を始めることができることは本当に感謝なことです。激動が予想される2006年、主と共に日々すごしたいものです。(終わり)


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31 12月

神様の刺繍  坂 柚実子  12月31日 


神様の刺繍

 2005年が終わろうとしています。生まれてからずっと、日本でもオレゴンでも年末は寒さの中で迎えてきたので、このハワイでの暖かい年末はかなり違和感があります。でも日本食のマーケットへ行くと、小さな門松やおせちが売られていますので、やっぱり年の瀬なんだ、と自分に言い聞かせています。 

 この一年、皆様にとってどんな年だったでしょうか。以前、私たちの人生は神様が天国から刺繍をしているようなものだ、ということを読んだことがあります。私たちが天国に行ったとき、神様が、「さあ、これが私が創ったあなたの人生の刺繍ですよ。すばらしいでしょう。」といって見せてくださるのです。でも今は私たちはその神様の刺繍をこの世から、つまり裏から見ているのです。だから、どうして、自分の人生の刺繍の中で、ある糸が急に遠くまでとばされているのかわからなかったり、また、ある箇所でいろんな色の糸が絡み合ってむちゃくちゃになっているのかわからなかったりするのです。でも神様はちゃんと一人一人にすばらしい刺繍のご計画があって、ある色の糸は離れているところで必要なのでぴょんと違うところにとばしたり、あるところでは沢山の色の糸を使ったりして、天国側からはとても美しい模様をつくりあげていてくださるのです。

 一月ほど前から私たちはNew Life Church Honoluluという教会に集っていますが、そこで一人の韓国人の女性に出会いました。年齢はまだお聞きしていないのですが、主人と同じくらいでしょうか。彼女は日本で生まれ、第二次世界大戦の前に韓国の大邸に引き上げ、1962年にアメリカに移住し、大学教授として長年教鞭をとって来られたそうです。一方、私の主人は、1936年に韓国の大邸で生まれ、戦後日本に引き上げ、彼女と同じ1962年にアメリカに移住しました。その二人が奇しくもハワイで同じ教会(100名ほどのこじんまりした教会です)に集うようになるというのは、神様の手で刺繍の糸がいろいろと飛び交っている感じがするではありませんか。彼女は韓国語、日本語、英語が堪能で、主を心から愛しておられますからこれからも大きく用いられようとしています。天国にいったらどんな美しい刺繍を見せていただけるのか、大変楽しみですね。

 クリスチャンとして大切なことの一つは、永遠のものさし、即ち、天国の価値観で物事を見ること、だと思います。オレゴンで教会主催の英会話クラスの先生をしていてくださるシンシア・ケニヨンさんのご主人であるブラッドさんの証を聞いたことがあります。
 それは、英会話クラスの婦人たちとそのご主人たちとを彼らの家に招いてくださったときに話してくださったのです。彼はあるとき非常に古い墓地を訪れました。アメリカの墓石にはその人の名前と、何年に生まれ、何年に死んだかという年号が彫られています。彼はそれをしばらくじっと見ていて、叫んだのです。「この人は生きていた年月より、死んでからのほうがずっと長い!」と。それが、彼にとって永遠に目を向けるきっかけとなったそうです。その彼も今は天国で自分の人生のすばらしい刺繍を見ておられます。

 私たちは、主のご計画で今の時代に生かされて、一日一日を過ごしていますが、どんなことが起こっても、いつでも天国からの見方、即ち、霊的な物の見方をしていかねばならないのだと思います。2006年を迎えるにあたり、こんなことを考えました。よいお年をお迎えください。                                                        (終わり)


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16 12月

ハワイの12月   坂 柚実子   12月16日


ハワイの12月

ハワイは大まかに言って2つの季節に分かれるそうです。「暑い夏」と「暖かい夏」の二つです。
つまり、日本で冬の時は「暖かい夏」の季節で、丁度気持ちのいい気温で大変過ごし易いです。すずしい朝夕にはカーディガンをはおるくらいです。

先日トマトの苗を買いに行きました。12月にトマトの苗を植えられるなんて、やっぱりハワイ生活は楽しいな・・・と心弾ませて行ったのですが、いつも野菜の苗がおいてある場所は、みんなクリスマス・ツリー売り場になってしまっていました。オレゴンあたりから出荷されてくるものが多く、懐かしいオレゴンの木の匂いを、しばし、楽しみました。

クリスマス・ツリーと呼ぶのは特定の(つまりキリスト教の)宗教色を出してよくないから、ホリデー・ツリーと呼ぶべきだ、なんて言う議論もアメリカではかなり出回っていますが、クリスマス・ツリーがアメリカ人(他の国のことはわからないのでアメリカに特定しますが)の心の中にどれほど深く入りこんでいるかは、日本育ちの私たちには想像以上のものがあります。彼らは物心ついたときから、クリスマスになると居間の中心にクリスマス・ツリーが飾られ、その下にきれいに包装されたプレゼントが並んでいるという、なんとも素敵な光景のなかでクリスマス気分を味わって来たわけですから、ツリーのないクリスマスは、もう、それはとても寂しいものになってしまうのです。

私は数年前、「クリスマス・ツリーは異教の習慣であり、クリスチャンはするべきではないのではないか。」というすごく説得力のあるビデオを見てしまいました。何でもすぐ影響を受けてしまう私は、「今年から我が家はクリスマス・ツリーは飾りません。」と宣言しました。子供たちはもう独立していて家には住んでいなかったのですが、クリスマス休暇で帰宅して来てそのことを知り、私の想像した以上にツリーのないことを悲しみました。彼らはアメリカ生まれですから、ツリーに対する愛着はやはり、とても強かったのです。

今はクリスマス・ツリーに対する私の気持ちは、かなりやわらいで来ました。西欧の文化の中ではぐくまれたクリスマス・ツリーに対する人々の気持ちを、むげに踏みにじることはないと思っています。しかし、やはり、クリスマス・ツリーがイエス様に取って代わってクリスマスのシンボルになってしまっているとすればそれはおかしいです。アメリカでクリスマスがイエス様そっちのけの風潮になって来ているのに抗議して、数年前から「Jesus is the reason for the season」という言葉が教会で言われ始めました。語呂がいいでしょう。イエス様こそクリスマスを祝う本当の意味ですよ、と言う訳です。私もこのことを改めて心にとめ、クリスマスを迎えたいと思います。(終わり)


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07 12月

柚実子のハワイ便り  12月7日


マーケットプレイス・ミニストリー

今回も、ラウリマ・ミニストリーのディーンさんから聞いたお話です。
ホノルルの市役所にクリスチャンが集まって、週一度の祈り会を始めたそうです。最初はかなり集まったのですが、次第に人数が減ってきてしまいました。そこで、ディーンさんが、祈り会の代わりにヒーリング・サービス(癒しの集会)をしたらどうかと提案し、その案が受け入れられました。つまり、すでに市役所で働いている人たちがランチをしている所に行って、「癒しの必要な人はおりませんか? もし、いらしたらお祈りさせていただきます。」というのです。

 第一回目は3週間前だったのですが、二人の方が「祈ってください」と言われ、二人とも癒されました。そして、2週間後に行ったとき、別の方が来て、「2週間前に、私は祈ってもらいませんでしたが、あなたが他の人のために祈っておられたとき、神様の臨在を濃く感じて、私の神経痛が治ってしまいました。この2週間の間も、ずっと痛みは戻ってきていません。」と伝えてくださったそうです。神様の臨在はなんとすばらしいことでしょう。

この日は、新しく、車いすに乗った中年の婦人が、祈ってください、と来られたそうです。ディーンさんが祈ると、神様が7歳の少女が白いドレスを着て、くるくると回りながら、楽しそうに踊っているヴィジョンを見せてくださいました。それは、彼女が障害を持つ前の姿でした。彼女はディーンさんといろいろと話すうちに、神様がどれほど彼女をずっと見守り、慈しんでおられたかを感じ、心が喜びで満たされました。神様は「あなたは、身体が不自由だけれど、それだけに他の人が感じない霊的なことをもっと知ることが出来ているのです。あなたの心は自由なのです。」と彼女に言いました。彼女はこの日は車いすからは解放されませんでしたが、心はまったく変えられ、喜んで帰っていったのです。

この秋の日本旅行でも、悩みのある方がグルーバー師に祈って頂き、暗い顔つきだったのが、祈られたあとは表情が明るくなり、微笑みをうかべ、全く別人のように変わるのを何度も目撃してきました。「主にある喜び」を霊のうちに体験されたのですね。

ハワイでは今、多くのクリスチャンがハワイのトランスフォーメーションのために各所で祈り会を持っています。その中で、始まっているのが、マーケットプレイス・ミニストリーです。教会の中に人々を連れて来なければならない、というメンタリティーから開放されて、この世に出て行って、自分たちや人々が働いている場所でもクリスチャンとして証のある生活をしていこう、というムーブメントです。 レストランで食事をするときは、いつもの食事の前の感謝の祈りの中に、そのレストランとそこで働く人々を感謝し、神が祝福してくださるようにという祈りを入れます。職場でも、クリスチャンたちが集まって、祈りをし始めています。また、一軒ずつ家を訪ねて、「何かお祈りできることはありますか?」と聞いて祈りのリクエストがあればすぐ祈ってあげるという働きもあるそうです。クリスチャンがどこでも自分の行くところに「神様の臨在」を持ち運んでいくときに、神様がすばらしいことをしてくださるのですね。(終わり)


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26 11月

パラ・チャーチ 11月25日


ホノルルのパラ・チャーチ
11月半ばに日本からハワイにもどりました。ハワイはすっかり「冬」になっていて、朝夕は涼しく、雨も多くなっています。帰国後、最初の我が家の食事は、畑から大根と人参を抜いてきて、冷凍庫の中にあった豚肉と煮てたべました。主人は日本各地でいただいた豪華なお食事が懐かしそうでしたが、それでも「おいしい。」といって食べてくれました。

さて、今回の日本旅行も、神様の恵みのうちに無事終えることができました。もう10年近く親しくさせていただいている方々との懐かしい再会や、また主のご計画で今回初めて訪ねさせていただいた教会の方々との出会いの数々は、私の心に大きな喜びを与えてくれました。主にある交わりはなんと幸いなことでしょうか。

今日は、ハワイで今週、私が参加したある集会のことをご報告いたします。
ラウリマ・ミニストリーズというパラ・チャーチ(地方教会を側面から助けるミニストリー団体)の働きで、「癒しのミニストリー」ということでした。
最初に責任者のディーンさんが、こんなお話をされました。
「個人にミニストリー(一人のひとに対して祈ったりすること)をする場合、自分の霊が力んで、『主よ、この人を祝福してください。今、どうか祝福してください。』と主に求めるときに、それはかえってサタンに働く機会を与えることになる。 自分の霊が休みに入る(安息する)ときに、主の力が働かれる。主と自分との関係、リレーションシップ、がまず確立されるときに、その結果として相手へのミニストリーが起こる。」

以前、ある伝道者からミニストリーを受けたとき、ぐいぐいおでこを押されて、内心「倒れてなるものか!」と決意したことのある私は、思わず笑ってしまいました。その時はその伝道者が人間的な肉の力でやっていると思いましたが、サタンの入りこむ余地さえも与えていたのだと知り、恐ろしいことだと思いました。考えてみると、これは個人ミニストリーの場合に限らず、すべての働きに通じる真理なのだと思わされました。だいぶ以前に聞いた「神様はご自分の邪魔をしない働き手を捜しておられる」という言葉を思い出しました。

さて、この集会での実際のミニストリーは、個人のニードに合わせて、さまざまな形で行われているようですが、普通、一人に対して二人一組のミニストリー・チームが椅子に座ってじっくりと時間をかけて対応していきます。そして、霊・魂・身体の癒しのために、カウンセリング、断ち切り、宣言、明け渡し、癒しの祈り等々、決して急がないで1時間でも、2時間でも対応するのです。このようなミニストリーの働きに熟達するには、かなりの霊的成長と訓練が必要なのがよくわかりました。
癒し、開放のミニストリーがホノルルではラウリマ・ミニストリーズ(沢山の手をつないで、という意味だそうです)として、いろいろな教会の協力のもとに行われて、多くの教会の牧師が自分の教会の中でニードのある人々をここに送り込んでいるのを知って、主を崇めました。フィジーの教会が一致し、トランスフォーメーションが起こり、多くのパラ・チャーチの働きが生まれたことを知りました。これこそ、ひとつのキリストの身体のあるべき姿なのかもしれません。
                                                    (終わり)


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