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Walk With God Ministries


06 12月

奇跡の乗法的増加のシーズン ギャリス・エルキンス 12月6日


奇跡の乗法的増加のシーズン

ギャリス・エルキンス


最近のウォール街での株価の値下がりは、多くのアメリカ人に家計や将来に対する不安を抱かせました。経済安定の基礎が今、揺るがされています。

この世の王国は、普通の足し算や掛け算の数学を基盤に動いている組織です。それは、人間の目で実際に見ることができ、人間の頭で理解できるものからのみデータを集めるシステムです。しかし神の御国は、今まで知られてきたものを侵略し、普通の足し算掛け算の法則を「奇跡の掛け算」によって覆すものなのです。

奇跡の掛け算によって変えられる地

聖書の中でもっとも興味のある物語の一つに「5千人の給食」があります。マルコ6章によると、イエスは一人の子供のランチを取り、多くの群衆(女性や子供もいたことを考えると、2万人以上だと思われる)への奇跡のご馳走に変えられたのです。

6:34 イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。35 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。36 みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」


この群衆は何時間もイエスの後に付いて来ていたのですが、そのための食料を何も用意していませんでした。私たちが何かがなくて大変困惑するのも、しばしば人里離れた何もないところにいるときだということに気づかれましたか?マルコ6章ではまさにそれが起こったのでした。キャンプ用具が入ったリュックサックもありませんし、食料を買う店もありませんでした。群集はイエスについて田舎を歩いていたのです。町からは遠く離れていたのに必要はとてつもなく大きかったのです。

弟子たちは大群衆の大きな必要を見て、自分たちなりの解決法を考えました。彼らはイエスに「人々を解散させてください。」と言いました。つまり、「私たちは疲れてお腹もすいたし、もう忍耐力も尽きてきました。この群衆に関する問題を無くしてください。」と言ったのです。しかし、イエスは今から起こそうとしておられた奇跡に、弟子たちも参加するように招かれたのでした。

奇跡的掛け算は今持っているものから始まる

6:37 すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」

これは自然界の普通の足し算と掛け算から発せられる言葉です。「何を食べさせるのか?」という言葉は、見渡すかぎり何もないへんぴな場所で、奇跡は見えるものを通してだけ起こると私たちが考えてしまっているときに、口から出てくるのです。

イエスは38節で一つの質問をされました。
6:38 するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」」

あなたの今の人生の中で、へんぴで何もない場所はありますか? 老後のための資金が急速に減ってしまいましたか? 結婚生活が危機に面していますか? ミニストリーの支援者が減っていますか? 次にどの方向に進めばよいかわからなくなっていますか? 今の必要を満たすには程遠いほんのわずかの物しかない、しかもへんぴな場所に立っている自分を、あなたは発見するかもしれません。

奇跡の掛け算は、今すでに持っているものから始まります。人里離れたところに何千人もの空腹な人がいたのです。弟子たちはどのくらい食料があるか調べてみました。その結果、いわしのような小魚が2匹と、マフィンのようなパンが5つ見つかりました。これだけの大勢の群衆の中で、見つかったのはこれだけでした。

6:39 イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。40 そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。42 人々はみな、食べて満腹した。43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。44 パンを食べたのは、男が五千人であった。

奇跡の掛け算的増加は驚きと喜びの叫びを起こす

50人とか100人のグループが全部でいくつあったかを考えてみれば、この奇跡のごちそうを全員に配るには数時間はかかったとみるのが妥当でしょう。奇跡が起こっているのだ、ということが人々に分かり始めたときの喜びと興奮の渦を想像してみてください。この奇跡の掛け算的増加は一瞬にして終わったのではなく、次ぎから次ぎへと続いたのです。

私たちが奇跡的掛け算の環境の中で生きることを始めると、あの日丘の上で響いていたに違いない声が聞こえるようになるでしょう。それは、神の奇跡の御業を見て驚き喜ぶ人々の叫びです。

神の愛をまだ知らない人たちの間で喜びの叫びが起こるシーズンがやってこようとしています。神はまず教会に奇跡的掛け算をもって与えてくださり、次にそれが街へと広がり、スーパーナチュラルな福音伝道が起こるのです。

街の広場で奇跡的掛け算の御業が起こったならば、街全体がどう変えられるか想像できますか? 御国について人に知らせるには「神の慈しみ」を用いるのが最善の宣伝方法です。聖書には「神の慈しみが人々を悔い改めに導く」と書かれています。

奇跡の掛け算的資源は天に用意されている、見上げなさい!

自分がへんぴで何もないところにいると分かったときに私たちがとる姿勢には、2つの選択枝があります。
1. 下を向く。イエスは人々に食物を与えるようにと弟子たちに言われました。私たちも弟子がしたように下を向いて、手に持っているランチを見、「一体何を食べさせるのか?」とつぶやくこともできます。膨大な必要性を目の前にして、自分の欠乏だけを見てしまうのです。

2.上を見上げる。イエスは別の姿勢を示されました。主は上を見上げました。マルコ6章で、イエスは少年のランチを手に取り、天に上げ、祝福してから人々に与え始められました。主はそのへんぴで何もない場所から上に手を伸ばされて天に触れたのです。

私たちの資源 は、自分の手に持っているものではありません。また、ウォール街が告げるものでもありません。私たちの資源は天にあり、私たちがそれを掴み取り自分の人生の中に取り込むために用意されているのです。私たちの存在すべて、また、必要すべては、神の御座の周りにあるのです。

もしも自分の資源は現在の不景気な世の中にだけあると思うならば、私たちはその限られた資源に手を伸ばすでしょう。しかし、神は私たちが、経済問題、病気、崩れた人間関係をすべて天に向かって上げて祝福することを選びとるようにと願っておられるのです。自分の必要を天に上げて祝福すると、その必要は神の栄光と結びつけられるのです。

主の栄光こそが私たちの持っているわずかなものを溢れるばかりの豊かさへと変えるものです。私たちの必要が天の衣のすそにひとたび触れるならば、それは天の栄光を帯びて地上に戻されるのです。少年のランチが神に捧げられないならば、それは手の中でランチのまま残り、奇跡の大宴会とはなりません。

へんぴな場所でもうなすべき術がないと思えるようなとき、私たちは神からの奇跡が必要です。教会はこの世と同じように恐れの中で生きることも出来ます。しかし、愛なる天の父が私たちが持っているわずかなものを、神の栄光によってスーパーナチュラルなトランスフォーメーションのために変えてくださることを期待して、それを天に差し出して祝福することも可能なのです。

今日、あなたの必要を満たすものがどんなにわずかであっても、それを天に上げて祝福することを選びとってください。そして御座に上げられたあなたの必要に神が触れてくださるように頼んでください。そして、その必要をへんぴな何もない場所に戻して、それを人々に分け与え始めてください。あなたが持っているものに天が触れてくださるのは、あなたが所有するためではなく、周りの人へ解き放っていくためです。あなたが与えるものは増え続け、それはやむことのない供給源となっていくでしょう。

あなたの中で恐れが頭をもたげようとするときには、いつも恐れに向かってこう宣言してください。
「私は今の状況を天にすでに差出し、神が私の必要に触れてくださいました。私は天から私が持っているものの奇跡の掛け算的増加を引きおろしています。この世が不可能だというところで奇跡が起こることを私は知っています。神にとって不可能なことはないことを信じています。少年のランチを奇跡的掛け算の宴会に変えることさえも可能です。」 (終わり)


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29 11月

新たなハーモニー、新たな音 チャック・ピアス 08年11月29日


新たなハーモニー、新たな音、新たな軍隊が地上に起こる!

チャック・ピアス 


変えられている聖徒の皆さんへ

今は多くのことが変化しているときですが、その中で主が「凱旋する予備軍」について私に語ってくださいました。それを日曜日の集会で人々に話したとき、神の御霊が臨在をもってみんなを圧倒し、預言の言葉と新しい歌とを与えてくださいました。これから新しいシーズンに入るに当たって、これを読んで心にしっかり受け取ってください。

凱旋する予備軍

主の言葉。「わたしが今まで整え備えてきた予備軍を呼び出す時が、今こそ来た。予備軍は“舞台のそで”や“棚の上”で、彼らを荒野から呼び出すわたしの言葉が発せられるのを待っていた。時は今だ! 時は今だ! 時は今だ!

予備軍は、待つことによってそれまで持っていなかった力と栄光を身に帯び、ついに今、意気揚々と進み出てくる。整列した軍隊は美しさに輝いている。多くの者が『この荒野から上ってくる人は誰だろう?』と言うであろう。 
彼らが閉じ込められていた牢獄から解き放たれて行進し始めると、今まで見ることができなかったような強さと力で彼らは輝くであろう。彼らは変えられたレムナントになる。あなたも凱旋する予備軍の一人として指名されているのだ。

あなたは大混乱の真ん中に立つであろう。そしてあなたを取り囲む主権者たちにむかって、ヨセフの虹色の外套のように、大いなる恵みと知恵が豊かに示されるシーズンがくるであろう。
わたしが来るときには美しさがもたらせる。このマントルはあなたの前で広げられ、あなたを新しいやり方で被い包む。あなたは自分の自由と栄光のマントルが今までは人に見えないようにたたまれていて、わたしの真の民が誰であるかをこの世が見ることができないようにして来たことを今まで理解できなかった。

わたしはこれからの14ヶ月のうちに様々な変化をもたらし、それによってマントルが見えるようにする。わたしは人がするすべての決意・決定を見逃さない神である。わたしは歴史の神である。わたしは現在の神である。わたしは将来の神である。わたしは過去においてなされた多くの決定を見て来たが今それ(その結果)が現れる始めている。しかし今、わたしが過去と現在とを取って、あなたの未来が目で見えるように顕すのをあなたは見るであろう。 

わたしは、今詮索され攻撃されている、“あなたが相続するもの”が確保できるようにするために、新しい指令を下す。あなたの聖なる住まいに帰りなさい。なぜならばあなたは自分の感情のほしいままに千じに乱れ、収拾つかなくなるまでに放置したからだ。今というときにわたしのレムナントが、わたしがひろげているマントルを着るためには、聖さが必要なのである。」

新しい歌が湧き出た

「変革の音が今ここに
変革の音が地を満たす
知恵の声が流れくだる
恵みの声が花の冠のように降りてくる
変革の音が今ここに
変革の音、新たな日
わたしは勝利の地へとあなたを呼び戻す
安息の地へと呼び戻す
勝利の地へと呼び戻す
安息の地へと呼び戻す
愛は私の過去には気をとめない
愛が振り返るなと言う
愛が主の御腕の中にあなたを包む
愛は私の過去に気をとめない
愛は振り返らない
出て来なさい、出て来なさい
わたしはあなたを愛しているのだから
愛が私の過去を覆う
愛が私の過去を覆う
私はもう後ろを振り向かなくてよい
主がわたしの過去を覆うため死んでくださったから」
(メレディス・モウルデン&ジョン・ディックソン)

神の安息の場所に戻る

「 この地でわたしの民がするべき聖なる帰還がある。彼らは後ろに下がって、わたしが彼らの前を行くのをよく見てその後についてゆかねばならないからだ。わたしはあなたの先を行く神であり、わたしがこの日に行くべき道を知っている神であることを認識しなければならない。行く手の道が分かれて軍隊が正しく進めなくなる前に、後ろに下がりなさい。下がってあなたの安息の場所に戻りなさい。
わたしのうちにある聖なる安息の場所に戻りなさい。閉じ込められ栓をされていたあなたの中の信仰を、わたしは目覚めさせ、重要な時と場所にあらわれるようにする。わたしはあなたの使命を新たにする。聖なる帰還が起こる。

わたしの民は住まうべきところに留まらねばならない。敵があなたをわたしの住まいからおびき出す時には、それがどのように正当な理由に思えても、わたしの臨在の力の外に出るならば、あなたは敵が様々な領域に入りこみ忍び込む権利を敵に与えてしまう。それを許してはならない。もし許せば、敵に治める権利を与え、敵の管理体制に入ってしまうであろう。

わたしは今、新しいやり方で人々をわたしが召し出すことができる場所まで彼らを帰還させているときだ。新しいワーシップのかたちがある。わたしの心の中には人々に礼拝の仕方、いけにえを捧げる方法を変えてほしいと叫ぶ思いがある。わたしのもとに来て新しい聴き方をせよ。熱心に耳を傾けよ。 

今はあなたが立ち上がらねばならない時である。未踏の高嶺まで昇ってこなければならない。膝をかがめてワーシップし、上に昇って来なさい。今、(わたしに完全に)服従することなしには、この地上でのわたしの霊の動きを見ることはできない。

わたしは覆っている

わたしは地上の多くの場所をひなをかえすように覆っている。政府、経済、又、霊的組織の上を。そして今までそれらの組織が機能していた構造を変革している。あなたのこころの中で、わたしより上の位置をしめているものを取り除きなさい。わたしより上に置かれているすべての画策や目標は取り除かれなければならない。

これからはあなたがたの心に「自由」がなければならない。その新しい自由はわたしがあなたがたに示す道を進ませる。自由への叫びとワーシップをしたいと求める叫びは、これからの時代にあなたがたを救うであろう。あなたは今まで自分たちの国の権威というかさの下で自分の自由を得ようとして来た。しかしわたしは言う、もっと真の自由とはどういうものであるかを理解することができる、より優れた道を悟りなさい。あなたたちはこの世の政府のする業がどんなものであるかを本当には理解していない。

立ち上がれ。あなたの自由は人間の声の中にあるのではなく、わたしの声とあなたとのリレーションシップ(関係)の中にあるのだから。聞け、聞け、聞け。今はわたしの声を知らねばならない。束縛からお前を導き出すのはわたしだ。未来
21 11月

輝かしい時に備えよ カル・ピアス  2008年11月21日


輝かしい時に備えよ

カル・ピアス 



世にあっては艱難がある

世の中は今、すべて揺り動かされるものは揺り動かされているようです。しかし、キリストの身体である教会は落胆するのではなく、これから神がされることに奮い立つべきなのです。主はこれに関してヨハネ16:33で次ぎのように語っておられます。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話すのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

私たちは世にいるけれども世のものではないことを、忘れてはなりません。(ヨハネ15:19)全く別の領域に住み、神の王国に属するものです。ヨハネ16:33で神は「神のいない世界は立ち行かなくなるが、神の民は嵐の中でも平安を持つことができる。だから勇敢でありなさい」と告げておられます。私たちに必要なものはすべて神の国から与えられるのであり、イエスと神の国だけに目を留めていれば、平安を保つことができるのです。

御国にある資源―主に信頼せよ

この世ばかりに目を留めていると、私たちは目に見えるものによって生活してしまい、人間の業に信頼を置いてしまいます。すると私たちは敵の罠にはまって、敵が信じさせようとするものを信じてしまいます。しかし、神とその御心にだけ焦点を当てると、私たちは神の御国と神が持っておられる資源に心を合わせることができます。箴言3:5-10で神が語っておられることを聞いてみましょう。

3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7 自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。
3:8 それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。
3:9 あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。
3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。


まず神は「こころを尽くして主に拠り頼め」と言われます。神は人間社会の経済の動きを心配してはおられません。神は「天で行われるように地でも行われるように」と望んでおられる御国の経済体系をもっておられます。(マタイ6:10)自分の悟りに頼らないで、すべてのことに主を認めるならば、主はあなたを導かれる、と語られています。

言葉を変えれば、神の御国に入る鍵は、主を認め信頼するときに手に入れることができるのです。御国の資源は信仰によって信じるもののところに運ばれるのです。もし私たちが回りの状況を見て歩むならば、恐れが生じます。 それは信仰で歩いているのではでありません。箴言3:25-26に次ぎのように書かれています。

3:25 にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。
3:26 主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。


私たちが主に信頼し、主に確信を置くならば、主が私たちを敵のわなから守ってくださいます。もしこの世の経済に焦点を置くならば、私たちは恐れを持っておびえてしまいます。箴言3章で「自分の富をもって主をあがめよ。 そうすれば私たちの倉は満ち溢れる」と言われています。

神は私たちがまず種を蒔き、その結果として収穫を得て勝利することを望んでおられます。私たちは蒔けば収穫するのです。これが「持っているものを手放す」という御国の方法です。「手中の種をしっかり握っていよ」というこの世のやり方とは反対なのです。御国が天にあるように地にも来るようにと言うことは、もし私たちがそれを所有しなければ何の役に立つでしょうか。イエスは「神の国は近づいた(at hand)」といわれました。それはすでに手を伸ばせば届くところにあるということなのです。

最も輝かしいときが来た

今は「握りしめて離さない」ときではなく、神の御国の資産を癒しや回復のために絶望している世界に解き放ち与えていくときです。この世は今までよりもっと人生の答えを探求するようになることでしょう。ですからこれからは私たちにとって最も輝かしいときとなるのです。イザヤ60:1-3に書かれています。

60:1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。
60:3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
さあ、勇気を出してしっかり準備をしてください!
(終わり )

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15 11月

何にも思い煩うな ビル・ヨント  2008年11月15日


何にも思い煩うな

ビル・ヨント


「何にも思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」ピリピ4:6

「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」三ヨハネ1:2

今天から放たれているものを受け取るためには、まず自分の魂そのものが繁栄し幸いを得ていることが必要であると思います。自分の人生について神が何を語っておられるかを聞き、神の口から出る一つ一つの「今の」言葉によって生きることが大切です。神が語られるとき私たちは生きるのです! 主の言葉は私たちの身体を健やかにし、骨の髄となります! 主の言葉は純金より尊いのです。もし神が税金を払うには「魚釣りに行け」と言われるならば、魚の口に金貨が見つかるでしょう!

この文で私は、健やかに生きるのに必要である「魂に繁栄を得させる」人間関係の大切さについても話したいと思います。それは癒されようと必死でがんばることに勝るものです。私はこれまで人々の愛と祈りによって癒しを受けてきたことを知っています。また、神が私のために選んでくださった、思いもよらない人々を通して、物質的な祝福を受けてきました。私たちが築いた人間関係は大きな利息をもたらすのです!

主がかつて語られた言葉、今語っておられる言葉を固守せよ

私はハートアタック(心臓病発作)を患いましたが、主が5年前に語られた言葉を私は決して忘れることはないでしょう。主は「息子よ、おまえはこれから癒しのアタックを受け始めるだろう。癒しはおまえの家系に流れるものだからだ!」とその時言われたのです。そのような言葉を聞いたのは初めてでした。主はまた、その癒しは徐々に起こることも教えてくださいました。そしてその理由は、瞬間的に癒されるよりもその方がいつも主から目をそらさないで生きていけるからではないかと、私は思っています。「信仰のテスト」の谷間を長く歩けば歩くほど、私は癒しに関してもっと深く学んだように思います。

過去5年間に遣わされたすべての教会で私が最初に証することの一つは、「私は癒しにアタックされています!」と言うことでした。そうすると人々の中に「自分も癒しにアタックされている!」という信仰が直ちに湧き上がるのを感じることができるのです。敵は何度も私の肉に働きかけ、実際には癒しなんか起こっていないと思わせようとしました。

しかし、敵はうそつきだと知っていましたから、私はもっと大胆に神が語られたことを人に話しました。あるとき私は大胆さと決意に満たされ、「証をする」という域を超えて自分の癒しを「預言する」霊の領域にシフトされたことがわかりました。

教派の壁を越えることによって天からの健康を保つプランを得なさい

政府が党派を超えて働かなければヘルシー(健全)でないように、クリスチャンが天からの「ヘルスケア」(健康管理)や主の「救済プラン」を国として受けるためには教派を越えねばなりません。いままでの人生を振り返ってみると、神ご自身のご配慮で以って、今ある私にするために私を多くの異なった教会や教派に送られました。私が子供のときに発病した時ですら、主は道を備えられ、私は少し変わったところに行くことになりましたが、そこで癒しがおこったのでした。

それは7歳のときのことですが、私は脳腫瘍になり、神の導きによりペンシルバニヤ州のピッツバーグにあるマーシー病院に送られました。そこはカトリックの病院でした。母はすべての修道女や神父たちに私のための祈りをお願いしました。母は物事を神の目を通して見ているようで、神を信じる人が天使のようにどこにでもいて、必要なときに助けてくれると思っていたようです。神は主権をもって奇跡のようにそのカトリック病院を選び、そこの修道女や神父を用いて私のために天を開いてくださいました。そして医者が手術をする前に私の腫瘍は消えてなくなったのです!

神が働いてくださる(癒しが起こる)場所とか教会を自分で勝手に判断して制限するときに、私たちは神を制限してしまうのだと思います。

多くの教派によって養われた幸い

私は、ファースト・チャーチ・オブ・ゴッド、チャーチ・オブ・ゴッド、メソジスト、フリー・メソジストなど、聖霊派やそうでないところの両方で育ちました。振り返ってみて、それはとてもよかったと思います! 私が今日神の望まれるところまで来れたのは、これらすべての教派が必要だったのだと思うのです。神はどこでもお好きなところ(即ちすべての教会!)にご自分の力を顕わすことができることを、私は学び感謝しています。

地球から上に高く昇れば、州や国家の境界線は地図に書かれたようには見えないといわれます。神は私たちを霊で高く昇らせてくださり、神のようにものごとを見せてくださっているのです。キリストの身体の中には教派の線や壁はありません。主にむかって鼓動する心を持った人々を、主はすべての教会や交わりの中に持っておられるのです!

私の母は、ある教会を訪ねて礼拝が始まる前に椅子に腰掛けて待っていたときに癌がいやされた、という証を持っています。後になってから、そこは癒しを信じない教会だったことがわかりました。それはどうであれ、神がその教会におられたことに間違いはありません!

数年前母が足の切断手術を免れて癒されたのは、ペンシルバニヤのピッツバーグの長老派の病院においてであり、それは神の奇しいご計画によってでした。それはアメリカで最も優れた病院の一つでした。長老派の人たちを神に感謝します! つまり、神はあるときは病院や医者を用いられて癒しや奇跡を起こされることもあるということです。イエスは「医者ルカ」を弟子の一人とされました。

最近、私は長年連絡していなかったある友人に電話をしました。ずっと以前、癒しに関する聖書の言葉の見解がくいちがい、彼は他の教派の教会に移っていったのでした。私は心臓のカテーテル検査のためにある病院に行くことになったのですが、彼も同じ病院にテストに行ったことがあるのを知っていたので、話を聞いてみようと思ったのです。会話が終わりかけたとき、彼は私の回復のために祈ってもいいか、と尋ねました。私は勿論「お願いします」といいました。

彼が祈り始めたとき、私は彼の人生と祈りの上の注がれている主の油注ぎに驚きました! そして私の癒しのために彼が信仰の祈りをし始めた
11 11月

神の新しいハイウェイ チャック・ピアス   11月11日


神の新しいハイウェイ

チャック・ピアス


ユダヤ暦5768年が終わり、私たちは5769年を歩み始めました。
「8」という数は常に「新しい始まり」と関係がありますが、「9」は
「孕んだものを産み出す」ということに関連しています。

それでは5769年には神が私たちのために備えられた「新しい何か」に入ることはできないのでしょうか? そんなことはありません! 主の恵みは朝ごとに新しいのです!しかし、今は国家が急激に変化しているときです。もし今私たちが今歩み始めた新しいシーズンにおいて、主を見出せるうちに捜し求めることを怠るならば、私たちが国家としてそのチャンスを逃してしまう可能性はあるのです。

主からの預言的言葉「わたしはハイウェイを造っている」

先日の火曜の朝の祈り会において、主が語られました。「今わたしはハイウェイを造っている。今までおろかで罪人であった者を、わたしはこのハイウェイに招く。もしわたしの招きに応じるならば、彼らが再び迷い出ることのない道をわたしは備えよう。

今のシーズンにあなたが歩むべき道の道標がわかりやすいようにとわたしに願え。今までわたしと共に歩くことが出来なかった捕らわれ人が開放されるように願え。前のシーズンには捕らわれていた者たちが、今のシーズンにあなたの道に来ることができるようにわたしに願え。今まで敵によって占拠されていた倉庫を開ける鍵を、わたしから求めよ。

今日の損失に目を留めずに、あなたのためにとっておいた倉庫の鍵をわたしに求めよ。損失に力を落とさず、むしろ倉庫を開ける鍵をわたしに求めよ。あなたのためのハイウェイとその途中に用意されている休憩場所を見ることをわたしに願え。あなたのためにわたしが備えた物資の倉庫に行くためのハイウェイからの出口のサインが、よく見えるようにわたしに願え。

新しい創造的アイディアをわたしは与えようとしている。又、あなたのために開こうとしている新しい場所を既に用意してある。わたしが繁栄させようとしているマーケットプレイスを求めよ。今わたしに願え。失われたものをいつまでも話さずに、今から開かれようとしているマーケットプレイスをわたしに求めよ。」

.
神の御霊は又言われました。「わたしこそがあなたがたを動かすムーブメントである。天の領域におけるわたしのムーブメントは、地の領域であなたの霊を動かし立ち上がらせる。わたしが求めているのはわたしと共に動くことを切望している人々であり、わたしは既にその者たちを創造してある。わたしは前進していく人々を切望している。わたしが御座から語る言葉を大声で叫ぶ民をわたしは探し求めている。

わたしは、わたしに従い続けて新しい領域にまで着いて来る民を探し求める神である。わたしの羊はわたしの声を聞き、わたしが御霊を吹きかけることによって開く多くの扉を通ってわたしに従う方法を知っている。彼らは裏の扉から入ってくることはしない。たとえ人より遅くなっても御霊の風が吹くまでじっと待ち、風にしたがって入ってくる。

あなたがたの多くは新しい道から招き入れられるであろう。わたしがすでに閉じようとしている扉に目をむけてはならない。あなたがたの未来への扉を開くわたしの風の動きをよく見張っていなさい。」

次に私は魚が卵を産み付けるためにやってくる池を見ました。神は言われました。「あなたの未来を孵化する卵を産みつける時がきた。あなたの思考プロセスを変えなさい。倍増する資産の管理者として召してある投資家たちにわたしは言う。『わたしが投資しようと切望しているものを見よ。注意深く見守れ。あまり急速に動いてはならない。』」

次に主は、7日以内に管理と投資のパターンを教えはじめられると言われました。主は言われました。「あなたがたが今までどうすれば繁栄できるかわからなかったところで繁栄する方法を聞き始めるであろう。この世の罠にはまってはいけない。わたしは今バビロンのシステムを立て直している。なぜならば、わたしがこの世のシステムを支配する王国を持っているからである。わたしが繁栄をもたらす風の音を聞きなさい。この世が自らの欲と恐れと制限によって耳がふさがれ聞くことができない時に、あなたはそれを聞くことができるからだ。」(終わり)


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