WWGM

Walk With God Ministries


01 01月

クリスマスの信仰  坂 達也  12月31日



クリスマスの信仰
 
 主のご誕生をお祝いするクリスマスがやって来ますと、ルカの福音書1-2章に親しむ機会が与えられます。この二つの章は何度読み返しても、その都度新しい真理と恵みが与えられ、そのことを主に心から感謝申し上げます。
 今年私が特に示されたことは、この世で起こった最大のイベントであるイエス・キリストのご誕生が「主によって語られた御ことば」と、それを聞く当事者の「必ず実現すると信じきった」信仰によって実現したと言う事実でした。私はこの主によって語られる御ことばと信仰の相関関係が、私たちの信仰生活を成功させる鍵であると思います。

 先ずイエス様の誕生に当たってルカ1章での登場人物は、ザカリヤとエリサベスそしてマリヤ、それに御使いのガブリエル、その後2章の最初で登場するのが羊飼いたちです。
 
 不妊の女であったエリザベスには子供が無く、長年子供が与えられることを祈って来た夫のザカリヤは、既にかなり年老いていました。しかし「その願いが聞かれた」と御使いに言われた時に、彼は、彼らの肉体的現状にだけ目が向いていて、神の偉大な力を信じることが出来なかったと言うところに彼の不信仰さが現れているように思えます。「祈りは必ず聞かれる」と云うことを信じているつもりでも、実際には「必ず実現すると信じきった」確かな信仰で祈っていないと言う(私も含めて)典型的なクリスチャン像を彼に見ることが出来ないでしょうか。

 神様がご計画を進める時に、そのような信仰の無さは邪魔になります。そこで神様は彼がそれ以上不信仰の言葉を口にしないように、一時的にものが言えないようにしました。これは主による愛の「しるし」であり、又愛の懲らしめ(ヘブル12:10)でありました。これによってザカリヤは悔い改め、無言のままで主に心からの祈りと感謝をささげ続け、彼の信仰は本当のものになったと思います。
 一方妻であるエリザベスは、すばらしい信仰の持ち主であったことがうかがわれます。それがゆえに主はマリヤをエリザベスのところへ送り、三ヶ月ほど時を過ごすことを許されたのであると思います。

 ここで重要なことは、御使いガブリエルが直接現れてはっきりとメッセージを伝えたことです。御使いが話す言葉を聞くこととは神様からのおことばを聞くことです。つまり「神の御声を聞く」ことと同じです。

さて、同じガブリエルから声をかけられた時、マリヤは何のことかよく分からず、とっさに戸惑いましたが、それは不信仰からではありませんでした。ガブリエルがさらに説明を加えたことに対して、恐らく完全には理解出来なかったと思いますが、「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(1:38)と答えました。この答えこそが、常に主に従順でありたいと願うクリスチャンの持つべき理想的な信仰の態度であると思います。そこには100%主を信頼し、主に委ね、主のなさることに大いに期待して生きる信仰者の姿があります。

そのことを、聖霊に満たされたエリサベスが「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(1:45)と称えました。まさに主によって語られたこと=御声を聞いて、それが必ず実現すると信じきる信仰によって主はことを運ばれるのです。

私はここに最も重要な信仰の法則があると信じます。それは先ず「主の御声を聞くこと」(主の命令、御心の表示を直接聞く)によって、それが実現することが心から信じられるようになる信仰が与えられると言うことです。

ペテロが水の上を歩いたのも、この法則によるものでした。
[弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」(マタイ14:26)


 私はこのお話から学ぶところは非常に大きいと思います。ペテロは水の上を歩いておられる主を見て、とっさに自分も同じように水の上を歩いて主のところまで行きたいと言う思いを持ちました。しかしそれを実行する前に、先ずそのことが本当に主の御心であるかどうかを確かめたいと思ったのでしょう。そこで、改めて主ご自身の口から、「水の上を歩いてここまで来い」と具体的に命じられることを求めたのでした。主から直接みことばを語っていただきたかったのです。

 私たちは日常生活の中で何かをしたいと言う思いがよく来ます。しかしそれが主から与えられた思いであることがかなりの確かさで信じられる時でも、もう一つ確認をしたいと思うことが多くあるのではないでしょうか。そのような時に「もし(この思いを下さったのは)あなたでしたら、今私が実行したいと思っていることを『しなさい』と私にはっきりお命じになってください。」とペテロのように主にお願いすることによって主からの確認がいただけると思います。しかもそれだけではありません。はっきりと御言葉(御声)で命令を受ける時に、それを実行する上で必要な確かな信仰もいただけることを私自身も経験しております。
後はペテロが回りの状況に眼が行って不信仰になってしまったことを教訓として、私たちがあくまでも「疑わない」信仰を持続することです。

 実はこのペテロのお話で主は、マリヤの持つ「主によって語られたことは必ず実現すると信じきる」信仰の実地訓練を弟子にされたのであると思うのです。主からの命令を聞いて、それを「疑わずに」「必ず実現すると信じきって」実行すれば、たとえそれがどんなに超自然、不可能と思えることであっても実現することを、主が先ず肉の形で弟子たちに見せたのです。それは、主が昇天された後、弟子たちが同じことを霊の形で行う、つまり霊で御声を聞き、それを実行するための信仰の訓練でした。(1コリント15:46)

もう一つの例を挙げたいと思います。それはマタイ8:5 -13です。
『イエスがカペ
20 12月

神の国の福音とトランスフォーメーション  坂 達也 12月20日


「神の国の福音」とトランスフォーメーション 
 アメリカにおいて、ここ5年位でしょうか、今まであまり聞かれなかった新しいクリスチャン用語、例えば「マーケット・プレース・ミニストリー」とか「四つの壁から出る」とかいう言葉が「流行って」います。また、多くの人が「キングダム」(王国)と言う言葉を強調するようになりました。又、今世界的なクリスチャン用語となりつつある「トランスフォーメーション」と言う言葉も、比較的最近のクリスチャン慣用句であると思います。

そこで考えてみますと、イエス様は常に「天の御国」のことを頭においておられたことが聖書からはっきり分かります。主が宣教を始めて最初に言われた言葉は何だったでしょうか。 それは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)でした。そして自分たちのところにイエスをひきとめようとする人たちに対して「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を述べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」(ルカ4:43)と言われました。明らかにイエス様はご自分が天の御国の王であることを明確に意識して私たちにお話をされました。

 私たちは今、終末の時代に間違いなく突入しています。それはイエス様がもう一度この世に帰って来られる日が近づいていることを意味します。しかも、今度帰って来られる時は、天の御国の王として来られることを思い出して下さい。いよいよ「天の御国が近づいた」のです。
私は、これからのクリスチャンと今までのクリスチャンとの生き方に何か差があるとすれば、それはこれからのクリスチャンは本当に御国メンタリティーを持たねばならないと言う一点であると言う気がします。

 主は、私たちに祈りを教えられた時に「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように…。」(マタイ6:9-10)と祈るように指示されました。この祈りは明らかに「天の御国の実現」のための祈りです。この地上に神の国が設立され、そこにおいては「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれ」ねばならないのです。

そして「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(マタイ7:21)と警告されました。つまり天の御国においては、私たち御国の民は徹底して王に従順であって、常にみこころを行うことが要求されるのです。

 そのために私たちはどうすればよいのでしょうか。第一に、「御国に属するクリスチャン」とは一体何者であるかを、私たち自身がこの際、改めて再認識する必要があると思います。
クリスチャンとはボーンアゲインした人のことを言いますが、それは霊が生き返った人と言う意味です。つまり、クリスチャンとは元来霊的な存在で、霊によって神とコミュニケーションをし、神に従っていくように造られています。
 創世記1:26にあるように、人間は神に似せて造られており、神のイメージを持つ者ですから、霊に生き返ったクリスチャンとは元々の神に似た、神と同じクラス、同じ部類に属する者であるのです。
 しかし、私たちは、長い間ぬるま湯につかった様なクリスチャン生活を送って来ましたから、あまりにも人間的になり過ぎてしまっています。神学を頭でこねまわし、人間が考えた教会成長論をふりまわし、伝道方法も神様にお聞きせず、ない知恵を振り絞って教会の人数をふやそうと躍起になっている姿は、神様不在の状態に近いのではないでしょうか。
ですから奇跡も何も起きません。しかもそれが普通で、奇跡が起きないことをおかしいとも思わないのです。クリスチャンが全く情けない姿に成り果ててしまっています。

 クリスチャンがあまりにも人間的で、霊に生まれ変っていない旧態依然の人間を生きているとすれば、その人は未だに「サタンに支配されている者」であることをご存知でしょうか? マタイ16:21-23に 「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(新改訳)
 ここで「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と言う部分ですが、ここは英語の新欽定訳のように「 神の思いに満たされていないで、人間的な思いに満たされている状態」を意味しますから、実質的にペテロは神に従属しないで(神に属する者は神の思いに満たされているはずです)、むしろサタンに従属したままの者であることを示すために、イエス様が敢えてペテロをサタンよ、と呼ばれたのであると思います。

 サタンがこの世の支配者であることが次の御言葉から分かります。「更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」(ルカ4:5-7)もし私たちがサタンに対してそのような意識を持っていないとしても、少なくともサタンはこの世は自分のものであると言う意識でこの世に君臨して来たことが、上記の御言葉からはっきり分かります。サタンは初めからその目的で人間を騙し、この地上の支配権を人間から奪ったことを思い起こして下さい。

 それを踏まえて、イエス様はサタンの手からこの世を奪回するために「教会」を建てると言われました。「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。…」(マタイ16:18、19)主は、私たち教会がこの世の敵の門を崩し、サタンからこの世を奪回して天の御国にすることを命じておられるのです。私たちはサタンに対して霊の戦いを挑み、これに勝利しなければならないのです。
 そして、今まで敵の捕われ人となって来た王国
11 12月

卓越するクリスチャン  12月11日


卓越するクリスチャン        
                      坂  達 也

 デニス・クレーマー師はその「マスターズ・コール(主の召命)」と言う著書で、平均的クリスチャンの問題点を取り上げ、そこからどのようにして抜け出せばよいかを扱っております。
師はこの「平均的クリスチャン」を次のように定義しています。
 「悲しいことですが、イエスキリストの教会は平均的な信者で一杯です。この平均的な信者とは、非常に誠実で、間違いなくよい人ではあるのですが、霊的には未熟で不健康、霊的身体障害者と言うか、多分不能者に近いようです。愛すべき親切な人たちですが、大分前から霊的な敵に脅威を与える人ではなくなりました。
 地獄(悪魔)はそのような平均的信者を霊的に無害な人と見ていますが、それは正確な見方です。彼らは、多分、自分が持っている霊的機能容量の40%程度しか働かせていない人たちです。そのような人たちが教会の中で何が問題かと言えば、彼らは自分の教会における召命が変わって来ているのに、それに気が付いてもいず、全く変わってもいないことにあります。
 この悲劇は、彼らの無知から起こっていることで、その人たちの不従順とか反抗からでは勿論ありません。彼らは確かに天国には行けますが、この地上の王国での貢献度はほとんど皆無で、霊的に全く取るに足らない、無能者でありましょう。彼らは人生をひどく無駄に過ごしているのです。
 平均的な人生を生きることは、重度の疫病にかかっているのに等しいことかを知り、平均的クリスチャンからの脱出を計らねばなりません。……あなたへの神の召しとは常に変化するもので、それを感知して適切に呼応することの重要性に素早く気がつくべきです。だれも単に平均値ではありたくはないはずです。」

 クレーマー師が描く「平均的クリスチャン」とは「ぬるま湯的(人間的)クリスチャン」であり、又、霊的な飢え乾きのないクリスチャンと言えます。

 日本人の伝統的思想の中には、「事なかれ主義」があり、又、「出る釘は打たれる」ことへの恐れからでしょうか、「凡人でよし」と言う、昔からの凡人容認の考え方があるように思います。しかしことクリスチャンに関する限り、聖書には絶対にそのような考え方はありません。
クリスチャンの目標は卓越することにあります。凡人が凡人であるのは、進歩が無い証拠です。凡人とは広い門から入る人であり、クリスチャンとは狭い門から入る人でなければならないはずです。
 狭い門から入る人はキリストの後を追う人であり、卓越する、ぬきんでる、秀でる人です。何に抜きん出るのでしょうか。それは「肉の人間」から「霊の人間」に生まれ変わることを意味します。それは「永遠のいのちを持つ、よみがえりの霊的な人間」に「抜きん出る」ことです。
 そのためには最大限の努力をしなければなりません。世の中には努力家と言う人たちが大勢いて、その多くの人たちは賞賛を受けます。彼らは人並み以上の努力をすれば物事に成功することを知っている人たちです。勿論、聖書においても、私たちが「あらゆる努力をする」ことを勧めております。しかしここで注意しなければならないのは、クリスチャンの場合はその努力する内容が違うことです。
 2ペテロ1:5-7の口語訳では「あなたがたは、力の限りをつくして(新改訳では「あらゆる努力をして」)、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心(敬虔)を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛(アガペ)を加えなさい。」とありますが、言ってみれば、これが私たちクリスチャンの努力目標です。これは取りも直さず「永遠のいのちを持つ、よみがえりの霊の人間」になることであり、実際には、聖霊によって私たちがそのように変えられてゆくことのです。
それでは、そうなるために「力の限りをつくして」、「あらゆる努力をして」とは具体的にどうすることなのでしょうか。どうしたら信仰に徳と、知識と、節制、忍耐、信心(敬虔)兄弟愛、アガペの愛を加えることが出来るのでしょうか。

その答えは歴代志上22:19に書かれています。それは「あなたがたは心をつくし、精神をつくしてあなたがたの神、主を求めなさい。…」(口語訳)です。つまりその方法とは「主を求める」ことの一言に尽きるのです。ただ一つのこと「主を求める」ことに、常日頃、誠心誠意、私たちの最大の努力を傾注することであると思います。クリスチャン(キリスト者)の本質はこれ以外にありません。
IIペテロ1章では「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって」とあり、その方法が少し違うように書かれているようですが、実際には「主を求める」ことによって「神とわたしたちの主イエスとを知る」ことができるのですから、同じ事ことを言っていると思います。
これをこの世で最も努力した方はイエス・キリストです。マルコ1:35に「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」とあります。イエスは常に父を求め、父に忠実に従うこと以外には何も求められませんでした。
主のあとを追う私たちも同じように、何も求めず、先ず主の前に立ち、ただ主ご自身だけを求めれば、後は総て主がなさって下さいます。
うそだと思う方は、毎朝早く起きて、主の前に座り、ただじっと一時間ほど主を求めてください。何も考えないで、ただ主の愛に満たされて、「心をつくし、精神をつくして」主を求めて座っているのです。毎日それを日課として忠実に実行して下さい。「石の上にも三年」と言うことわざがあります。努力とは決意して実行に移し、やり遂げることです。これなら誰でも出来るはずです。三年とは言いません。一ヶ月もそれを忠実にすれば、主があなたを放って置きません。必ず主があなたに現れ、あなたは主とのすばらしい時を過ごすようになり、主の御声が聞こえるようになります。
そうなる時、あなたはただの平凡で人間的なクリスチャンから抜き出て、主に特別に愛される非凡なる霊的なキリスト者(キリストに似た者)に変えられて行きます。
「これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。これらのものを備えていない者は、盲人であり、近視の者であり、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れている者である。兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの 受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。こうして、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。」(IIペテロ1:8-11)
                             
    
(終わり)
 

トップページへ戻る</a>
10 12月

緊急の祈りのリクエストです。 12月10日


緊急のとりなしのお願い
                              坂  達 也

 昨夜ホノルルでパラ・チャーチ・ミニストリーをしている(既に柚実子がご報告しております。)LMIのディーン牧師から下記のような緊急のメッセージを受け取りました。これはハワイに関する預言ですが、折から世界中で憂慮されている「鳥インフルエンザ」がハワイ諸島を襲ってくると言う警報です。発信先が信頼のおけるボブ・ジョーンズ師とか、キャシー・ウオルター師からのものですから、この知らせは主から発せられたものと信じます。ぜひとも私たちが今住むハワイの人たちのためにおとりなしをお願いいたします。下記がその預言です。

 緊急の祈りのリクエストがあります。どうか、出来るだけ多くのとりなし手に知らせてください。昨夜New Beginnings Christian Fellowship の集会に出席しました。 キャシー・ウオルターズがゲスト・スピーカーでしたが、彼女がボブ・ジョーンズからハワイの人々に伝えるようにと託された言葉を話してくれました。 ボブ・ジョーンズは現在のキリスト教会のなかで、大変正確に神の言葉を聞くことが出来る預言者です。彼の預言の言葉は、「ハワイのとりなし手たちにハワイ州の周りに祈りで防壁を立てあげるように伝えなさい。敵はアジアの鳥インフルエンザを送り込んで、攻撃しようとたくらんでいるから。」と言うものでした。
 そして今日、私は古くからの友人から電話をもらったのですが、彼女はキャシー・ウオルターズが昨夜話したことは何も知りませんでした。 その友人の話はボブ・ジョーンズからの警告を確証するものであると私は思います。彼女の祈り会のメンバーの一人が一つの大きな岩とアメリカ北西部から一羽の巨大な鳥が飛んでくるヴィジョンを見ました。この鳥には長いくちばしがあり、それで岩をつつきました。その岩はカワイ島でした。カワイ島から霧のようなものが立ち上り、オアフ島に向かって動いて行って、どんどん広がり、ハワイ諸島を全部覆ってしまいました。これを見た人は何のことなのか全くわからなかったのですが不審に思い、私の友人に電話をしてきたのでした。
 預言のシンボルの中では、鳥は悪魔が侵入することを表すシンボルです。 ですから、私はこれはボブの警告と同じで、敵がハワイ州に鳥インフルエンザを解き放つ計画があるからそれに対して私たちは祈るようにという警告を受けたのだと感じます。
どうか、主がこの敵の攻撃をそらして、ハワイ州を鳥インフルエンザから守ってくださるように祈ってください。主がハワイ州の周りに守りの外壁を建ててくださるように祈ってください。もし、鳥インフルエンザが流行ったら、ハワイの経済がどれほど打撃をこうむるかお分かりでしょうか。
 もちろん、何が起ころうとも、主は敵が企んだ悪をも善に変えてくださる方ですから、いつも希望はあります。もし、何か主から示されたことがありましたら、連絡してください。 ディーン牧師


 以上緊急の祈りのリクエストです。宜しくお願いします。 (終わり)


トップ・ページに戻る


26 11月

2005年秋の日本旅行の感想 11月25日


秋の日本旅行を終えて


 2005年の秋の旅行に出発するに当り、主から示されていた御言葉がありました。それは、今の時代は「決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。」(ヘブル12:27)でした。
 この御言葉は、終末に生きるクリスチャンに向けて言われたものであると信じます。今、全世界が揺り動かされています。それは地震によってだけではありません。
「私は、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」(26節)と主が言われるように、世界の気象状況(天)がゆれ動き、大型の台風、ハリケーン、それに大雨と旱魃による砂漠化現象が、今までにない大きなスケールで世界を襲っております。私たちが日本を旅行している間でも、二度ほど地震の揺れを感じました。
 このような事態は、私たちに一体何を語ろうとしているのでしょうか。それは次の28節に書かれているように「私たちが揺り動かされない御国を受けている」からであり、そのために主が、私たちクリスチャンを「決して揺り動かない不動の信仰」に導こうとしておられるからであると信じます。
 今回は、いよいよこの日本でも「さばきが神の家から始まる時が来ている」(1ペテロ4:17)ことを強く感じました。神のさばきとは、多くの場合、愛する者を懲らしめて良くするために主がもたらします。(ヨブ37:13、エレミヤ30:11、ヘブル12:10)その場合、その懲らしめの「揺り動かし」が、かなりの荒療治を意味することがあることを覚悟すべきでありましょう。
ですから、2テサロニケ2:11に「それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」とあるように、主は私たちに敢えて「惑わす力」(「惑わす霊」と1テモテ4:1では言っています。)を送られて、私たちを「揺り動かし」ます。その目的は私たちから「揺り動くもの」すべてを排除するためではないでしょうか。

今回の旅行で見たこと聞いたことを一言で言えば、日本の多くの教会が、今まさに揺り動かされていると言うことでした。教会とそのリーダーの方たちが本当に主につながっていて、霊的な成長を遂げつつあるすばらしい教会を訪れる喜びにあずかることが出来ました。しかしその一方で、いつまでたっても人間的なものでやっていて、主がほとんど不在と思われるような教会もあり、その差がここに及んではっきり現れつつあると言う印象を持ちました。それを別の言い方で言えば、それぞれの教会とそこに属する人たちが持つそれぞれの色が、いよいよ隠せなくなって来て、表に現われ始めたと言いましょうか、本物と偽物とがはっきりし始めたと言う思いを持ちました。それは教会全体としても言えますし、教会の内部で色の違う人たちがはっきり分かれはじめていた例も多く見ました。
確かに多くのクリスチャンが「霊的な成長」を目指していて、そのような人たちとお会いする際は恵まれ、又励まされました。しかし、霊的に目覚めつつある人たちでも、日本は今世界中から色々な分野のさまざまなミニストリーが入って来ていますから、それを次から次へと追っかけるのが精一杯で、それも多くは不消化のままで、逆に多くの人はそれによって疲れているように見受けられました。又、より霊的になるために質より量を追い、人間的な方法で何でも自分の教会に取り込もうとしているように見受けられる教会もありました。そのような教会は忙し過ぎる教会のようでした。宗教の霊、支配の霊に覆われている教会も、日本にはまだまだ多くあるように思われます。
又、終末の教会に必要な使徒と預言者を中心とする「五役者」のミニストリーは、日本ではまだまだこれからなのでしょうが、使徒と預言者に対する考え方、特に預言のミニストリーの扱い方において、混乱と逸脱があることを見ました。
これらの現象の多くは、偽りを信じるように働く惑わしの霊によるものであると思います。真に霊的になることとは、忙しくミニストリーをすることではなく、主と静かに深く交わることであると言う基本を理解できていないクリスチャンが多いように見受けました。
しかし一方で、霊的な飢え渇きは益々大きくなって来ていることを感じました。特に都市部で、既存教会に飽き足らず、やむなく自分たちで家の教会を始めておられる方々も増えていると聞きました。

しかし、これらのことを私が指摘するのは、決してネガティブな意味で申し上げているのではなく、むしろ教会が真の「キリストのからだ」に成熟するためのプロセスが始まっていると言う点で、大いに励まされたのです。
そして、日本には真のリバイバルが間もなくやってくることを強く感じると共に、その前兆を見ることが出来て興奮を覚えました。それは、ジョージ・オーティス・Jr.師とかT.L.オズボーン師が日本に送られてきたことです。
又、「トランスフォーメーション」のチームが実際にフィージーとオーストラリヤ等から日本を訪れて来たことも、明らかに神様が日本に対して特別の祝福を用意され、そのために今必要な霊的革新の準備をなさろうとしておられることを強く感じました。
オーティス師がホセア書6章を引用して「主を知ることを切に追い求める」なら「主は暁の光のように、確かに現われ」世界中のどこにでもトランスフォーメーションを起こされる、と言われたことは、まさに後の雨が「地を潤される」リバイバルの原則と合致します。

私はこれから、平和ボケした日本(クリスチャンも含め)にいよいよ地震を含めて本格的な災害がやって来ることをひしひしと感じております。天変地異だけでなく、鳥インフルエンザのような災害(日本の新聞で670万人が死亡すると試算された記事を読みましたが、アメリカではもっと大きな規模の死者数が取り沙汰されています。)とかテロが日本を襲うのも時間の問題であると思います。
艱難の時代が目前に迫っています。しかし艱難を通ることによってのみ日本の教会が一つとなることが可能となり、王国の建設が完成されて行くことでしょう。本当に主にのみ頼り、そして従い、主にすべてを委ね切る教会だけが主に守られて生き残り、主の起こされるリバイバルに大きく用いられると信じます。日本中の教会が今こそ真に霊的になり、リバイバルへの準備が一日も早く整えられることを願ってやみません。(終わり)


トップペ
 Page 31 of 31  « First  ... « 27  28  29  30  31